アナーキー小池の反体制日記

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#402 国鉄分割民営化そしてJR不採用問題(2)

2010年03月17日 | ボクの思い・信条・理念
先に記しましたが労働組合が潰されたのは、大衆の支持が得られなかったこと、国労が巨大化・硬直化し身動きが取れなくなったこと、(旧)動労が当局側に寝返ったこと等が言えると思いますが昔を振り返って検証してみます。
そして、このように悲惨で後に尾を引く残念な結果をもたらす事件が、再度起きない様にするためにはどのような対処が必要であったかを、考えたいと思います。

戦前から昭和40年代にかけて、公共交通の多くを担ってきたのは国鉄です。
そして、国鉄には外地引揚者を含む多くの職員が働いていました。
ボクの生まれ育った小さな集落にも数人の駅員を擁する駅があり、保線などを担当する多くの職員が生活していました。(今は無人となった駅があるだけです。)
当時は職業を供給する大きな役割も持っていたのです。

ところが、交通手段の多様化による利用者の国鉄離れや、ローカル線や新幹線の建設費用、人件費の高騰等により採算が取れなくなったのです。
赤字が続く国鉄当局は現状打破のため手を打ちますが、国鉄労働者の抵抗にあい、ことごとく失敗します。
ボクが学生時代に遭遇したのはまさにこの頃です。

国鉄の労働組合名は、そのものずばりの国鉄労働組合(国労)でした。(未だそのまま残っていますが)
ボクが高校生の頃、労使協調路線をとる一派が国労から分離し鉄労となったのですが、大きな勢力とはなりませんでした。
国労は巨大化し、分裂して出来た動労とともにストライキ等の戦術を用いての闘争を行い勝利を得ます。
この頃はまだ大衆の支持を得ていたのです。

どうしても触れないではおかれない、動労のことを記します。
結果的に国鉄分割民営化は、動労なくして成し得なかったのではないかと思います。
動労が最大の功労者です。

功労者として当時の中曽根首相、三塚運輸大臣、国鉄3人組の松田某等の名が取りざたされるけど、当時の動労の委員長であった松崎明には、かないません。
国労と共に激しい闘争を繰り広げ、国労以上に過激な戦術を実行し、「鬼(オニ)の動労」「鬼(オニ)の松崎」と呼ばれ恐れられた存在でした。

ところが風向きが変わり、労働組合への風当たりが強くなってきてからです。
松崎率いる動労は突如体制側へと寝返りを打ち、労使協調路線へ変更するのです。
このことへの評価は未だ定まってはいません。
でも、ボクは決して良い評価をしませんし、倫理的にも許されるものではないと思っています。

「鬼(オニ)の動労」「鬼(オニ)の松崎」は「狐(キツネ)の動労(松崎)」「狸(タヌキ)の動労(松崎)」に成り下がってしまいました。

続きます。
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