こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

「ナヌムの家」で過ごした時間   韓国の旅 3日目

2013-08-17 16:41:58 | 憲法・平和
8月10日、私たちは京畿道・広州市の「ナヌムの家」を訪ね朝から夕方までの時間を過ごした。



木々の緑に包まれてその建物はある。


そこで暮らす日本軍「慰安婦」被害者の方々を呼ぶ「ハルモ二」は韓国語で「おばあちゃん」。
親愛の気気持ちをこめた呼び名なのだと思う。
けれど・・・。
私のなかでは、どうしても言葉にならない複雑な思いがある。

私には3人の娘がいて、それぞれが愛情と信頼で結ばれるパートナーと家庭を作った。
まもなく3人目の孫が生まれる。幸せだと思う。
思うほどに「ナヌムの家」のハルモ二たちには申し訳ないような気持ちになる。


「ナヌム」とは韓国語で「わかちあい」「助け合い」を意味するそうだ。

「ナヌムの家」に併設する「日本軍『慰安婦』歴史館」開館15周年を記念する式典に私たちも参加した。

式典に出席するハルモ二たち。



式典には韓国の政治家も数多く参加されていたが、日本の国会議員では唯一、朝鮮王朝儀軌返還に尽力した日本共産党の笠井亮議員が招待を受けて出席、志位委員長のメッセージを代読、挨拶をした。
志位委員長のメッセージはコチラ

記念行事の第2部が始まって、太鼓の演奏が続くなか、折からの豪雨。雷。
座っていた階段席を雨が流れる。

悪天候のため予定を変更して、私たちの旅行に同行された3人の日本のミュージシャン、ケイ・シュガーさん、松浦由美子さん、久保比呂誌さんの演奏は昼食後、室内でのミニ・コンサートとなった。

その場で私たちは、侵略国日本に対する韓国の人々の思いの一端にふれる経験をした。
同時に、ハルモ二たちの人としての暖かさ、大きさにもふれた。
悲しみや絶望を突き抜けて、「人間の誇り」を私たちに教えてくれているような気がした。

そのことを思い起こすと、私が「申し訳ない」というのも不遜かもしれないと思えてくる。



すでに故人となったハルモ二たちは胸像となって私たちを見守る。



昨年亡くなった故 金華成ハルモ二の肖像の除幕式が行われた。
そして帰りのバスの中で、その日の朝、ひとりのハルモ二が亡くなった知らせを聞いた。

ハルモ二たちに残された時間はそう多くはない。
ハルモ二たちの命あるうちに、国家としての公式な謝罪と賠償を行うこと。

それは日本が平和な未来へと進む確かな保障でもあることを深く思う。



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