♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神のしもべ / 山中直義

2013年06月18日 | Weblog
2013/6/18放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。人は変わることができるのでしょうか? 今日は旧約聖書創世記50章から「神のしもべ」と題してのバイブル・メッセージです。

 ヨセフの10人の兄たちは父ヤコブの死をきっかけにそれまでまっすぐに向き合って来なかった自分たちの罪と向き合うことになりました。この時からもう何十年も前になりますが、この兄たちは神に背いて愛すべき弟ヨセフを憎んで奴隷としてエジプトに売り渡したのでした。父の死をきっかけに父が願っていたことを彼らはもう一度考え、大切にします。兄弟たちが心から愛し合い、一つとなって神の民となって歩んで欲しい、そんな父の願いがありました。また兄たちのことを赦し良くしてくれた弟ヨセフに対する思いもありました。

 そんな中、彼らは謙遜の限りを尽くしヨセフにこう伝えます。「今どうか、あなたの父の神のしもべたちの背きを赦してください。」

 神に背き続けてきた私たちの罪を赦して欲しい。そして神のしもべとして生きることをどうぞ赦して欲しい。彼らは心からそう願いました。そのことばを聞いた時、ヨセフは涙を流して泣いたと言います。ヨセフはとうの昔に彼らを赦していました。しかしその上でこの日が来ることを待ち望んでいたのです。兄たちがしっかりと自分たちの罪と向き合い、神様の赦しを受け入れ、神のしもべとして新しい人生を歩み出すその日を待ちわびていたヨセフは喜びで泣いたのだと思います。

 人は変わることができるのでしょうか。聖書は「神にはできる」と力強く約束しています。あの兄たちでさえ神のしもべヨセフと関わる中で変えられていきました。私たちもまた真に神のしもべであるイエス・キリストと向き合う時、このお方の愛を味わっていくときに変えられていく、と聖書は教えています。どんな人であったとしても神のしもべイエス・キリストの愛に触れられるなら、その人もまた神を愛し、神と共に歩む素晴らしい神のしもべとして変えられていくのです。

 聖書のことば
 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
 新約聖書コリント人への手紙第二 5章17節

(PBA制作「世の光」2013.6.18放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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■いのちのパン / 関根弘興

2013年06月17日 | Weblog
2013/6/17放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。ヨハネの福音書の6章という所を読みますと、イエス・キリストがこのように言われた事が書かれています。

 「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」(ヨハネ 6章27節)

 このように言われたんです。

 そしてイエス様は「それはあなたがたが神が遣わした者であるわたしを信じて生きるということなのですよ。そうすればわたしがその永遠のいのちに至る食物をあなたがたに与えます。」(29節参照) そのように言われたのです。

 するとこのことばを聞いた人たちはイエス様にこんな質問をしました。「それでは私たちがあなたを信じるために、しるしとして何をしてくださいますか。どのようなことを見せてくれますか。昔、私たちの先祖がエジプトで奴隷生活を強いられていた時、モーセによってあの荒野の旅の途中、マナが与えられましたよねえ。イエス様、あなたは私たちにどんな事を見せてくれるんですか。」(30-31節参照)  まあ、そのようにですね言ったんですねえ。要するに神から遣わされた者を信じろというなら証拠を見せろという訳ですね。

 するとイエス様は何と答えられたでしょう。イエス様は、「モーセが神様に祈って与えられたマナは身体の空腹を満たすだけのパンに過ぎません。それを食べてもまた空腹になります。しかし神様は天からまことのパンを与えてくださっています。そのパンは天から降ってきて世にいのちを与えるものです。そして私こそその命のパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんな時にも決して渇くことがありません。父がわたしにお与えになるものはみなわたしの所に来ます。そしてわたしの所に来る者をわたしは決して捨てません。」 (32-37節参照) このように言ったんです。

 イエス様は何と大胆にもですねえ、「わたしがいのちのパンです。」(35節)と、はっきり宣言なさいました。そしてこのいのちのパンを食すること、つまりイエス様を救い主として信じることは人生の渇きを、飢えを満たすことに繋がり永遠のいのちを得ることができるのだ、と言われたのです。

 そしてイエス様を信じる人々には素晴らしい約束が与えられていることが書かれています。それは「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」(37節)と言われたのです。イエス・キリストを信じる人々を決して見捨てることも、決して失うこともイエス様はなさらないという訳ですね。

 私たちは挫折や試練があった時、思うようにいかない時、自分を責めてしまうことがあるかもしれません。でもイエス様は、「決してわたしはあなたを捨てないのだ。だから安心してわたしと一緒に歩もう。」とおっしゃっているんですねえ。

(PBA制作「世の光」2013.6.17放送でのお話しより)

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■イエス・キリストのしるし / 羽鳥頼和

2013年06月15日 | Weblog
2013/6/15放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。

 イエス様は多くの奇蹟を行われました。病人を癒し、悪霊を追い出し、死んでしまった人もよみがえらせました。聖書ではイエス様が行なった奇跡のことを「しるし」ということがあります。しるしとは証拠のことです。何の証拠かというと、イエス様が旧約聖書に預言されている救い主キリストであることの証拠です。奇跡はイエス様が救い主キリストであることの証拠として行われました。

 ある時、パリサイ人たちがイエスに議論を仕掛け、天からのしるしを求めました。ところがイエス様は彼らに、「しるしは絶対に与えられない。」(マルコ 8章12節参照)と言われました。

 なぜでしょうか。それは彼らが自分は正しいと自負しており、イエスを疑い、化けの皮を剥いでやろうと企んでいたからでした。彼らのように、自分は正しい、自分は偉い、自分は大丈夫、と思ってイエス様を信じない人々に対して、新約聖書のヨハネの黙示録ではこのように言っています。

 「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」(黙示録 3章17節)

 また、彼らのようにイエス様に議論を仕掛ける人々についてコリント人への手紙第一では、「この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされた・・・」(1コリント 1章20節)と人の知恵が愚かであることを教えています。

 イエス・キリストの奇跡は救いを求める者のために行われました。そして同じように、救いを求める人々のためにイエス様が行われたのが十字架でした。そして十字架は奇跡よりも素晴らしいものでした。奇跡が与える救いは一時的なものでしたが、十字架による救いは永遠のいのちを与えるのです。十字架こそ救いなのです。

 先程のコリント人への手紙第一では、この十字架による救いについて教えています。まとめるとこのようになります。
「人々は力あるしるしを求めたり知恵を追求する。彼らはイエス・キリストを信じようとしない。しかし神様はそのイエス・キリストの十字架によって信じる人を救おうと定められた。神様に救いを求める人にとってキリストこそが神の力、神の知恵なのだ。」(1コリント 1章21~24節参照)と。

 イエス・キリストはあなたを救うために十字架にかかって死んでくださいました。そして三日目によみがえり、今も生きておられ、私たちの救いのために祈ってくださっています。

(PBA制作「世の光」2013.6.15放送でのお話より )
 
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 明日は日曜日です。ぜひお近くのキリスト教会にいらしてください。

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■思い煩いからの解放 / 岩井基雄

2013年06月14日 | Weblog
2013/6/14放送

 世の光の時間です。変わりありませんか? 岩井基雄です。

 心の風邪とも表わされる鬱(うつ)を患い苦しんでいらっしゃる方は少なくありませんね。出口が見えないような苦しみや痛みを深く長く抱えることがありますね。『うつになった聖徒たち』(ブレンダ・ポインセット著 いのちのことば社 2008年)という本があります。聖書の中にもうつを患った可能性のある人が登場することが指摘され、旧約聖書に登場する人々、家族や持ち物をすべてを失ったヨブや子どもが与えられない失望を味わったハンナ、また活躍の中にあっても深い孤独を味わったエリヤなどが描かれています。

 聖書は人間の悩みや問題を隠しません。そしてその心の悩みや痛みと正直に向き合うことを勧めるのです。新約聖書には次のようなことばがあります。
 「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
    新約聖書ピリピ人への手紙4章6節、7節

 これは先程の本の中でプレッシャーに押しつぶされそうな人として紹介されていた伝道者パウロのことばです。幾度も命の危険を通る中で彼は勝利の道に導かれたのです。それはどんな思い煩いの中でも神様に感謝を捧げ自分の思い煩いを神にすべて知っていただくという道でした。

 すべてを御存知であり、すべてに主権をもっていらっしゃる神に祈り、信頼する時、私たちは心配や思い煩いから、また心の痛みから少しずつ回復することができるのです。本当に信頼できる方に任せ委ねることを私たちが学び続け、行い続けて行くとき、私たちのすべての考えに勝る神の平安が私たちの心も思いをも守り、力を与えてくださるのです。うつや不安や思い煩いを否定する必要はありません。それを受け入れ、そこに真の平安を与えてくださる方、あなたを愛してやまない神様がいらしゃることをぜひ知ってください。そしてみんな苦しみや何の中から神様にありのままの思いを祈っているのです。あなたも神を求め、神に近づく者とされませんか?

(PBA制作「世の光」2013.6.14放送でのお話しより)
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■あなたがたに救いがある / 福井 誠

2013年06月13日 | Weblog
2013/6/13放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「あなたがたに救いがある」です。それでは第一サムエル記11章9節から読んでみましょう。

 彼らは、やって来た使者たちに言った。「ヤベシュ・ギルアデの人にこう言わなければならない。あすの真昼ごろ、あなたがたに救いがある。

 今日の聖書個所を理解するためにヤベシュ・ギルアデの人に何が起こっていたのか少し背景を説明したいと思います。

 イスラエルの近くに勢力を誇るアモン人の王ナハシュという人物がいました。彼はイスラエルの領土に侵略し、ガドとルベンという民族を虐待し右眼をえぐりとる残虐な行為を行なっていました。約7000人のイスラエル人がナハシュの手を逃れ、ヤベシュ・ギルアデという地に逃げ込んだのですが、ナハシュは彼らを執拗に追いかけたという訳です。そしてナハシュは彼らに右眼をえぐりとって奴隷になることを要求したのです。ある意味で全面降伏を迫った訳ですねえ。

 ヤベシュ・ギルアデの地に逃げ込んだ人々は自分たちを救い出してくれる者を探しましたが、状況は絶望的でした。イスラエルの他の部族は誰も彼らに手を差し伸べ援軍を送ってくれることはなかったのです。彼らが望みを失って声を上げて泣いているときにイスラエルの最初の王様サウルにこの様子が知らされます。そしてサウルにまた神の霊が降り、サウルは神の力を受けてこのアモン人ナハシュの挑戦に立ち向かう訳です。サウルはナハシュの軍隊と戦う兵士を集めました。その集まった兵士たちがギルアデの人々に言う訳です。「あすの真昼ごろ、あなたがたに救いがある。

 この物語は私たちに単純なことを教えています。私たちの人生にはどうも助けが無いと思うようなことはいくらでもあることでしょう。振り払っても不幸が追いかけて来る、そんなふうに思う時があることでしょう。しかし神は私たちが考える以上の存在であり、神の力と私たちに対する神の愛は計り知れないのです。大切なことは苦しみや試練にあった時に神を呼び求めることです。「あなたがたに救いがある。」と言って実際に働いてくださる神を覚えて信頼することです。神の解決に望みを置きたいものですね。

(PBA制作「世の光」2013.6.13放送でのお話より )

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■欺く者は欺かれる / 板倉邦雄

2013年06月12日 | Weblog
2013/6/12放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「欺く者は欺かれる」という題でお話ししましょう。

 英語のことわざにも「人を落とし入れようと穴を掘る者は自らそれに落ちる」とあります。ヤコブは人生において同じような経験を味わうことになります。

 さてヤコブはおじさんの娘ラケルと結婚したいために7年間、おじさんの家で一生懸命働きました。そして7年の期間が満ちたのです。ヤコブはおじさんに言いました。「期間が満ちましたから私に妻ラケルを与えて妻の所に入らせてください。」

 そこでラバンは盛大な結婚式を挙げることにしました。近所の人々や親類を集めて娘のために振る舞いを設けたのです。

 夕暮れになった時、頭からすっぽりベールをかぶった姉娘レアをヤコブのもとに連れてきたのです。ヤコブは夜、姉娘レアのテントに入りました。朝になりました。見るとテントにいたのは姉のレアではありませんか。

 ヤコブを急いでおじさんの所へ飛んでいって言いました。「おじさん。どうしてこんなことを私にしたのですか。私は妹娘ラケルのために働いたんですよ。あなたはどうして私を欺いたのですか。だましたのですか。」

 おじさんラバンは答えました。「まあまあ、そう怒らんで。妹を姉より先に嫁がせることは私たちの国ではしないのだよ。だから姉娘のために一週間過ごしてください。そうしたら妹娘もあなたに上げましょう。あなたはそのために更に7年私のために仕えて働かねばなりません。ヤコブは渋々妹ラケルを妻とするためにその通りにしました。まさにヤコブは一杯食わされたのです。ヤコブは思い出したことでしょう。自分がかつて長子の権利と祝福を得るために、兄エサウと父親をだましたことです。騙され欺かれた人の悔しさ、憤りを味わうことになります。

 天の神様は実に公平なお方なんですねえ。真実なお方ではないでしょうか。欺く人はいつか欺かれ、呪う者は呪われるのです。ですから逆に、人を赦す人は赦され、人を祝福する人は人からも神様からも祝福されるのです聖書のことばです
 「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。・・・」
 創世記の12章3節

(PBA制作「世の光」2013.6.12放送でのお話より )

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■すべてを差し出す愛 / 山中直義

2013年06月11日 | Weblog
2013/6/11放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。

 ヨセフは父ヤコブが死んだ時、その顔に取りすがって激しく泣いたと言います。しかしヨセフはその最後の挨拶を父にした後、立ち上がってこの父の願いを叶えるために懸命に励んだと聖書は言います。

 父の最期の切なる願い、それは子どもたち12人が皆一緒になってこの父の亡きがらをエジプトの地から約束の地カナンの地に連れ上るというものでした。エジプトの寄留地の生活に埋没することなく神の約束を信じ、神が目指しなさいと言われた所を目指して歩んで欲しい。そんな深い愛からでた願いでした。

 しかしこの願いを叶える事は決して簡単ではありません。ヨセフはその時エジプトの総理大臣としての大切な務めを担っていました。もしパロが兄弟の一部が行けばそれで良い。あるいは父をエジプトに葬れと言えば父の願いは叶えられないことになります。ヨセフは丁寧に丁寧に備えをし、謙遜の限りを尽くし最後にこう言いました。「どうか今私に父を葬りに上って行かせてください。私はまた帰ってきます。」と。

 「私はまた帰ってきます。」 もしこの父の願いを叶えさせてくれるなら、あの兄たちが神を信じて歩むということを学ぶことを許してくださるのなら、私の残りの生涯のすべてを差し出します。ヨセフはそう言ったのでした。このことばを聞いたパロはヨセフのお願いのすべてを受け入れたと言います。

 創世記50章12節にはこう物語が結ばれます。
 「こうしてヤコブの子らは、命じられたとおりに父のために行なった。

 兄たちを愛するこのヨセフの大きな愛のゆえにそしてその犠牲の故に彼らは父の願いを叶えまた神を信じて歩むということを特別な体験として味わったと言います。

 この驚くべき愛で私達もまた愛されていると聖書は言います。イエス・キリストは私のすべてを差し出しても構わないと十字架にかかり私たちが神に赦され神と共に歩む道を用意してくださった。聖書はそう言うのです。

 聖書のことば
 「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
 ヨハネの福音書15章13節

(PBA制作「世の光」2013.6.11放送でのお話しより )

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■神様のわざ / 関根弘興

2013年06月10日 | Weblog
2013/6/10放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。

 今日の話はヨハネの福音書の6章という所に記されてるんですが、ある時イエス様は自分のもとに集まってきた群衆たちに向かってこのように言われました。
なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」(ヨハネ 6章27節) 
 するとこのことばを聞いた人たちは、「いやー、無くならない食物のために働くとは一体どんなことをすれば良いんだろう?」 ま、そのように考えたんです。

 当時のユダヤの人たちは無くならない食物のために働けということばを聞いたら、あっ、それは旧約聖書に記されているモーセの律法・戒めをきちんと守ることだ、と考えました。

 ルカの福音書の18章という所いは立派な役人がイエス・キリストのもとにやってきたことが書かれています。彼はイエス様にこう尋ねたんですね。「イエス様、永遠のいのちを自分のものとして受けるには何をしたらいいですか?」
 するとイエス様は「戒めを守りなさい。」と言われたんです。モーセを通して与えられた律法を守れ、ということですね。
 すると彼は「そのようなことを私は、ああ、そのようなことは小さい時から守っております。」と自信有り気に答えたんです。
 するとイエス様は続けて、「そうか。それではあなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そして私についてきなさい。」と言われたのです。
 すると彼はイエス様の元から去ってしまったんですね。

 聖書は私たちに何を教えてるんでしょう。それはもし自分の行いで救いを得ようとするなら結局みんな挫折してしまうということなんです。イエス様はこの役人に、あなたは自分の行いで永遠のいのちを得ようとしてもできないのだ、ということを教えているようですよね。

 それでは私たちは何をすべきなのでしょう。イエス様はこのように言われました。
 「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」(ヨハネ 6章29節)と。


 神が使わした者を信じる、つまりイエス様を信じる、ということは一体どういうことでしょうねえ。信じるとは決して理性を捨てた盲目的なことではありません。信じるとはイエス・キリストの中に浸り入り込んでいく、つまり私は決して独りではなく、いつもイエス様と一緒であり、イエス様の中に生き守られ支えられ赦され愛されながら歩んでいるのだ。そのように信頼し生活していくことなんです。そしてそれは一生涯を通してなんですね。

 神様が私たちに求めておられること、それはあなたの生涯を通してイエス・キリストを信頼し、イエス・キリストの恵みの約束の中で生きていくことなんですね。

(PBA制作「世の光」2013.6.10放送でのお話しより)

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■この人は大工ではないか / 羽鳥頼和

2013年06月08日 | Weblog
2013/6/8放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 羽鳥頼和です。イエス・キリストが人々に福音を語ったのはおよそ3年間でした。その働きを始める前、イエス様はナザレという町に住んでいました。父親のヨセフが大工だったのでイエス様もナザレで大工の仕事をしていました。そんなイエス様は30歳の頃から神の福音を人々に語るようになります。「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ 1章15節)と語りながら、病人を癒し、悪霊を追い出すなどの奇蹟を行いました。

 ある時イエス様は弟子たちと共に故郷(ふるさと)のナザレにやってきました。そして会堂で教え始められました。人々はその教えを聞いて驚いて言いました。「この人の知恵や行う奇跡は一体何でしょう。この人は大工ではありませんか。」(参照 マルコ6章2節、3節)と。ナザレの町の人々はイエス様が大工として働いていたことをよく知っていました。ですからそのイエス様が神様のことを語り、奇跡を行うことが信じられなかったのです。実際にはナザレの人々だけでなく多くの人々がイエス様が救い主であることを信じられませんでした。

 ローマ帝国の支配下にあった当時の人々はヒーローを求めていました。それもスーパーマンのようにすごい力で軽々と自分たちを救ってくれるヒーローを期待していたのです。ですから、自分の罪を認めて悔い改めなければならない、と勧めたイエス様のことばを受け入れられなかったのです。

 しかし聖書が教える救い主はそのようなヒーローではありませんでした。新約聖書のピリピ人への手紙2章6節から8節に、イエス様は「ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」と教えています。

 イエス・キリストは、私たちを罪から救うために私たちの罪のために十字架にかかって身代わりとなって死んでくださったのです。このことが人々には分からなかったのです。

 ヨハネの福音書1章11節から12節にはこのように教えられています。イエス様は「ご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方(イエス様)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」と。

 イエス様を救い主と信じる人は救われて神の子どもとなることができるのです。ぜひイエス様を救い主キリストと信じ受け入れてください。

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■神の力、神のわざを告げ知らせる / 岩井基雄

2013年06月07日 | Weblog
2013/6/7放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今日もご一緒に旧約聖書の詩篇を味わいましょう。今日は詩篇71篇17節、18節です。

 「神よ。あなたは、私の若いころから、私を教えてくださいました。私は今もなお、あなたの奇しいわざを告げ知らせています。年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます。

 使命という漢字はいのちを使うと書きますが、誰にでも自分のいのちが人生を懸けて果たさなければならない使命が、達成しなければならない歩みがありますねえ。あなたはいかがでしょうか。年齢を重ねることは不安を重ねることでもあります。その不安は自分の能力や体力に限界を感じ、存在の意義が揺らぐせいかもしれません。しかし、この詩篇の作者は若い頃から信頼し見上げてきた神様の恵みを学び続け、その恵みのわざを告げ知らせてきました。そしてなおも自分の生涯を通してその神の大能のわざ、すなわち神を信じる信仰の素晴らしさをすべての人に告げ知らせようとしているのです。それが彼の生涯を懸けた使命といっても過言ではないでしょう。

 続く20節に彼が語りたい内容の一つが書いてあります。

 「あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。

 歳を重ねて神様を礼拝する方の姿には感銘を覚えます。この作者も同様に、人生の様々な苦しみや悩みの中で神様を見上げ信頼を深めてきました。神を見上げるその姿勢は謙遜で柔和で真実です。この作者は自分の力や能力によってではなく、神様のいのちや愛によって引き上げられ続ける人生、その人生の平安と恵み満たされるその豊かさを語っています。

 神様はあなたの心もあなたの人生様をも同じ平安と恵みで包み祝福してくださいます。神様はあなたをも決して見放すことも見捨てることもなさらないのです。

(PBA制作「世の光」2013.6.7放送でのお話しより)
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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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