♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■忌み嫌うべきならわし/羽鳥頼和

2015年05月23日 | Weblog
2015/5/23放送
 
 世の光の時間です。お聴きくださり、ありがとうございます。羽鳥頼和です。

 イスラエルの国が南北に分かれていた時代、南のユダの国でのことです。ユダの人々は外国の宗教の習慣を行なっていました。外国の宗教の習慣を神は「忌み嫌うべき慣わし」と言いました。その習慣とは丘の上や木の下に異教の祭壇や偶像を立てたり、神殿の中で公然と性交渉をすることでした。

 なぜ神はそのような外国の宗教の習慣を「忌み嫌うべき慣わし」と言ったのでしょう。もちろん神殿での性交渉は道徳的に良くないことです。神はこれらの習慣を人は避けるべきであるという意味で「忌み嫌うべき慣わし」と言われたのです。

 それではなぜ人々はこのような習慣を避けなければならなかったのでしょう。それには二つの理由がありました。

 第一の理由は、このような習慣を神が嫌われることだからです。人は神と同じ思いになるべきでした。聖書はダビデ王のことを、「彼の心は神と全く一つになっていた。」(列王記第一 11章4節、15章3節、使徒13章22節参照)と言っています。ダビデは神の御心を第一としていたのです。人々もこのダビデのようになるべきでした。ですから、神の嫌われることを人も嫌うべきなのです。

 異教の習慣を避けなければならないもう一つの理由は、異教の習慣を行うことが神との約束を破ることになるからです。人々は異教の習慣を避けるべきであるという神の命令に賛同し、自分は行わないと約束していたのです(ヨシュア記 24章14 ~27節参照)。

 外国の宗教の習慣を忌み嫌うことは寛容ではないように思えるかもしれません。しかし、これらの理由を覚えるなら必ずしもそうではないことが分ると思います。神は異教の習慣を避けなさい、遠ざけなさい、してはいけない、と言いましたが、外国人を嫌うようにとは言いませんでした。むしろ神は在留異国人たちに優しく配慮するように命じています。

 イエス・キリストは「あなたの敵を愛しなさい」(ルカ 6章27節)と命じています。神の命令は人を排除しようとするものではなく、人と神との関係を良くするためのものだったのです。そして今や神は、キリストによってあなたと良い関係を持ちたいと願っておられるのです。

 明日は日曜日です。神との良い関係を持つために、ぜひご近くのキリスト教会にいらしてください。

 (PBA制作「世の光」 2015.5.23放送でのお話より )
 
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