2023/11/21放送
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
今週は聖書の創世記の中からご一緒に人生を考えていきましょう。
旧約聖書の創世記という書物は、すべてのものの始まり・ルーツが記されています。最初の書き出しは、「はじめに神が天と地を創造された」というこの一文から始まります。
それは私たちに何を教えてくれるのでしょう。それは、私たちの存在は決して偶然ではない、ということを教えてくれるのです。
「すべてのものは偶然にできた」と考える人はたくさんいます。もし偶然が重なり合ってすべてのものができたとするなら、人は何の意味も目的も見いだすことができません。偶然が重なってこの世界ができたと考えることは、考えれば考えるほど難しいことです。
例えばサイコロの目は6つありますね。その目の一つ、例えば1が出るのは確率は6分の1です。それでは、同じ目が続けて12回出る確率はどのくらいになると思いますか? それは、21億7678万2336分の1の確率なんです。たった同じ目が12回出るだけでも気の遠くなるような数の偶然が重なる必要があるわけです。ましてや、この世界のすべてのものが偶然から生まれたとするなら、荒唐無稽で到底信じがたいことだとは思いませんか?
今私の手元にiPadがあります。「箱の中に数種類の金属を入れて振っていたらいつのまにか偶然にこのiPadが出来たんですよ」と私が説明したら、あなたは信じますか? 誰も信じませんね。ですから、聖書をあまり知らなくてもこの宇宙を眺め向き合うとき、この世界には何か偉大な存在があるのではないか、と感じる人はたくさんいるのです。
聖書はその何か偉大な存在、この存在こそ天地を創造された神様だ、と教えているのです。
もし「すべてが偶然だ」というふうに生きていこうとするなら、そこには自分の存在の意味も目的も見いだすことが出来ません。
しかし聖書は最初の一行目から、この世界は偶然によってできたのではなく、神様によって造られたものだ、と教えているのです。
もしそうであるなら、造られたものには造り手の意図や目的が必ずあります。そして聖書には「神は愛です」と書かれています。愛には必ず愛する対象があります。私たちは、神様の愛を受ける対象として神様に無条件に愛される存在として、創造されたのです。
( PBA制作「世の光」 2023.11.21でのお話しより )
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