世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
こんな話しを聞いたことがありました。暴れる象を手なづけるためにはどうすればよいかという話しなんですよ。野生の象を捕まえて長い鎖をその足に巻き、先端を太い菩提樹の木に結わえる。大きな象は全力で引きちぎろうとしますけれどもびくともしない訳です。何日も暴れまわり、もうこれ以上やっても無駄だと悟った時、ドスンと地面に膝まづいてしまうそうです。この時初めて調教師はその象を本当に獲得できたと考えるそうです。なぜならサーカスのテントに連れて行き細い杭に鎖を結わえるだけですから、象の力で簡単に逃げられるんです。でも象は太い菩提樹に繋がれていると考えて決して引っ張ろうとはしないというんですね。
またこんな話しもあります。ぴょんぴょん跳ねるノミをガラス箱に入れます。もちろんその上に蓋をしました。ノミははじめ思いっきり跳ねる訳です。でも必ず蓋にぶつかってしまうんですよ。それを繰り返しているうちにノミも学習して、今度は蓋を取っても一匹も逃げなくなってしまう。楽々飛び越えるジャンプ力があるにもかかわらずです。
どうでしょうか。私たちは時々あのノミと同じように考えることがありませんか。(どうせ駄目さ)っていつも考えている人は結局何もしなくなってしまいます。何回かの失敗を重ねてしまうと、もう試そうとも思わなくなってしまう。そしていつのまにかあの象やノミのように、(どうせ抜けっこないし、どうせ飛んでも蓋にぶつかってしまうだけだ)と考えてしまうんですね。どうでしょうか。あなたはそんな人生を送っていませんか。
本来、人間・人とはギリシャ語でアンスローポスと言います。このギリシャ語で「人」とはですね、「上を見る」という意味があることばなんです。人間は本来どのように造られたかといいますと、どんな中でも上を見上げる、見上げるように造られた者だというんです。何を一体見上げるんですか。自分を抑圧している蓋を見るんですか? そうではありません。天の父なる神様を見上げながら生きていく者がまさに人としての姿なんです。
聖書の一番最初に創世記という書物があります。その1章には、神様がこの世界を創造されそして人間をも創造されたことが記されています。そして神様はその造られたものを御覧になってこう言われました。「見よ。それは非常に良かった。」神様は私をそしてあなたを最高傑作品として造ってくださいました。だからこの神様を見上げて生きる人生こそあなたにふさわしい生涯であり、人としての歩みの基本なんですね。
( PBA制作「世の光」2005.6.28放送でのお話しより )
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