ゆうゆうの教会便り

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讃美歌520番 「しずけき河の岸辺を」

2016-11-21 16:19:54 | 讃美歌
讃美歌ネタが続きます。 先週の「永眠者記念礼拝」で歌いました。

讃美歌520番 「しずけき河の岸辺を」
"When peace like a river attendeth my way"
    by Horatio Gotes Spafford,1873

1.しずけき河のきしべを すぎゆくときにも
 うきなやみの荒海を わたりゆくおりにも
     (おりかえし) こころ安し 神によりて安し
2.むらがる仇はたけりて かこめどせむれど
  いざなうものひしめきて のぞみをくだくとも
3.うれしや十字架のうえに わがつみは死にき
  すくいの道あゆむ身は ますらおのごとくに
4.おおぞらは巻き去られて 地はくずるるとき
  つみの子らはさわぐとも 神による御民は

この讃美歌の作詞者ホレーショ・ゲーツ・スパフォード(1828-88)は、医者であり、
大学教授であり、神学校の理事もしていました。頭が良く、人徳にも優れ、信仰も篤く、
誰もがうらやむような人間でした。
 しかし、彼は深い悲しみを知る人でもありました。
この讃美歌を作詞する2年半前のことです。彼は一人息子を亡くしました。そして、
その半年後に火災によって財産を失います。さらにその2年後、彼はこの讃美歌を
作るきっかけとなった大きな悲劇を経験します。
 彼は家族でヨーロッパ旅行をし、旅行の終わりには有名な伝道者ムーディ等と共に
イングランドの伝道に参加する予定でした。しかし出発直前にホレーショに急用が
できてしまいます。彼はやむなく奥さんと4人の娘だけを出発させたのです。
ところが、ホレーショの家族が乗った船は衝突事故を起こし、大西洋のど真ん中で転覆、
わずか12分で沈没してしまいました。奇跡に奥さんだけは助かりましたが、最愛の4人の
娘たちをいっぺんに失ったのです。
 彼はすぐに他の船で悲劇のあった大西洋に乗り出しました。そして、荒れた海の中に
なくなった娘たちの面影を、そして神様の摂理を思いながら、この讃美歌を作ったのでした。

 しずけき河の岸辺を 過ぎゆくときも
 憂き悩みの荒波を わたりゆくおりにも
 心やすし、神によりてやすし

 この詩にあるのは悲しみや嘆きではありません。もちろん、彼はどんなにか悲しみ苦しんだ
ことでしょうか。しかし、いかなる道、いかなる困難においても、神の救いを信じ平安の道を
歩ませてくださいという祈りがここにあるのです。
(日本基督教団 荒川教会のホームページの「讃美歌物語」から引用させていただきました。)

左近豊牧師著「信仰の手引き 祈り」の中に一人息子を無残に殺され、言葉を失った
詩人アン・ウィームズについての話が記されていました。彼女は詩篇の祈りに導かれて
祈りの語彙を獲得し、嘆きを深めて言葉を回復していったそうです。
この讃美歌の作詞者ホレーションのような方もいます。
まるでヨブのような苦しみに遭い、ホレーショはどんな風に回復していったのでしょう。
嘆きの受け止め方は十人十色、千差万別だと思いましたが「神、共にあり」の信仰に
依り頼む生き方は真実なのだと心から確信します。

ここをクリックすると讃美歌520番を聴くことができます。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。


陽だまりで翅を広げた<ムラサキツバメ> 尾状突起が
燕尾のようなので名前に「ツバメ」が付きます。 成虫越冬します。
コメント (1)
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