<神の箱をエルサレムの運び上げる> サムエル記(下)6章
ダビデ王に関する記述はどれも人間味あふれるものだと思うのですが、
ここもダビデの人となりがよくわかる場面です。
ダビデは(主を恐れるあまり主の箱をガド人オべド・エドムという人の家に
三か月間預けるのですが)最終的にはエルサレムに迎えることにします。
主の箱をダビデの町に迎え入れる途中、喜ぶダビデは主の御前で力の限り踊りました。
サウルの娘ミカル(彼女はダビデの妻ですが)は主のみ前で跳ね踊るダビデ王を見て
心の内にさげすみ、そして言いました。
「今日のイスラエルの王はご立派でした。家臣、はしための前で裸になられたのですから・・・・」
多分これは皮肉だったのでしょう。
しかしダビデは「そうだ、主の民イスラエルの指導者として、誰でもなくこの私をえらんでくださった、
その主の御前で踊ったのだ。私はもっと卑しめられ自分の目にも低いものとなろう・・・・・・」と言います。
ミカルは「子を持つことなく死の日を迎えた」とありますから、これは神様の罰、ということでしょうか。
↑ <オオタカ>巣離れする前の幼鳥でまだ親鳥から餌をもらっています。
公園では今年は二羽の雛が孵りました。
「神の箱」とは******************新共同訳「聖書事典」より
「契約の箱」「主の箱」「主の契約の箱」「掟の箱」とも呼ばれました。
十戒が書き記されている2枚の石の契約の板が収められていました。
「契約の箱」は民を導く神の臨在の象徴として用いられ、大移動したイスラエルの民の
移動聖所の役割を果たしました。
ダビデによりエルサレムに移され天幕の中に安置された「主の箱」は、のちにソロモン王が神殿を建築した時に
至聖所のケルビム(天使?)の翼の下に安置されました。
箱は前586年、バビロニア軍によってエルサレムが破壊されたときに失われたものと思われます。
ダビデ王に関する記述はどれも人間味あふれるものだと思うのですが、
ここもダビデの人となりがよくわかる場面です。
ダビデは(主を恐れるあまり主の箱をガド人オべド・エドムという人の家に
三か月間預けるのですが)最終的にはエルサレムに迎えることにします。
主の箱をダビデの町に迎え入れる途中、喜ぶダビデは主の御前で力の限り踊りました。
サウルの娘ミカル(彼女はダビデの妻ですが)は主のみ前で跳ね踊るダビデ王を見て
心の内にさげすみ、そして言いました。
「今日のイスラエルの王はご立派でした。家臣、はしための前で裸になられたのですから・・・・」
多分これは皮肉だったのでしょう。
しかしダビデは「そうだ、主の民イスラエルの指導者として、誰でもなくこの私をえらんでくださった、
その主の御前で踊ったのだ。私はもっと卑しめられ自分の目にも低いものとなろう・・・・・・」と言います。
ミカルは「子を持つことなく死の日を迎えた」とありますから、これは神様の罰、ということでしょうか。
↑ <オオタカ>巣離れする前の幼鳥でまだ親鳥から餌をもらっています。
公園では今年は二羽の雛が孵りました。
「神の箱」とは******************新共同訳「聖書事典」より
「契約の箱」「主の箱」「主の契約の箱」「掟の箱」とも呼ばれました。
十戒が書き記されている2枚の石の契約の板が収められていました。
「契約の箱」は民を導く神の臨在の象徴として用いられ、大移動したイスラエルの民の
移動聖所の役割を果たしました。
ダビデによりエルサレムに移され天幕の中に安置された「主の箱」は、のちにソロモン王が神殿を建築した時に
至聖所のケルビム(天使?)の翼の下に安置されました。
箱は前586年、バビロニア軍によってエルサレムが破壊されたときに失われたものと思われます。
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