ゆうゆうの教会便り

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ダビデ王の物語 1

2012-09-13 23:17:16 | ダビデ王の物語
<サムエル記(上)の最終章>

ギルボア山上で殺されたサウルとヨナタンを含む三人の息子は遺体をベト・シャンの城壁にさらされました。
ギレアドのヤベシュの住民はその仕打ちを聞き、サウルとその息子たちの遺体をベト・シャンの城壁から降ろし
ヤベシュに持ち帰り火葬に付し、骨を葬り七日間断食しました。

<サムエル記(下)第1章>

サウルが死んだことを知らされたダビデは衣を引き裂き、サウルとヨナタン、イスラエルの家を悼んで
泣き、夕暮れまで断食をしました。 そしてサウルとヨナタンの死を悼んで歌を詠みます。

サウルにとどめを刺したアマレクの若者は「主が油を注がれた方を、恐れもせず手にかけ殺害するとは何事か」
ということで、ダビデの命令で従者に打ち殺されます。
 このあたりは少々理解しにくいのですが、ダビデにとっては主の御心、ご意思がすべてであり
最優先事項なのでしょう。


ギレアドのヤベシュの人々がサウルを葬ったことを知ったダビデは「あなた方が主に祝福されますように。
主があなたがたに慈しみと誠をつくしてくださいますように。 私もそうしたあなた方の働きに報いたい
と思います。 力を奮起し、勇敢なものとなってください。」とエールを送ります。
 こういう科白にはダビデの温かい人間性を感じます。

主の託宣によりヘブロンに上ったダビデはそこで油を注がれユダの王となりました。

ダビデはユダの王となり、片や、イスラエルではサウルの子、イシュ・ボシェトが王となりました。
イシュ・ボシェトを擁立したのはサウルの軍の司令官アブネルですが、彼はのちにダビデの側に付き、
ダビデがユダとイスラエル両国の王となる下地を作った人です。


       ↑ <ノウゼンカズラ>



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