ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「元裁判長と約束の腕時計」

2022-02-09 17:57:32 | その他
2月9日(水)の朝日新聞に載っていた記事です。

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1972年に起きた「あさま山荘事件」を含む連合赤軍事件で逮捕・起訴され、無期懲役が確定した
連合赤軍元幹部の吉野雅邦受刑者。
吉野受刑者の一審裁判で裁判長を努めた故・石丸俊彦さんは、判決言い渡し後、「法の名において
生命を奪うようなことはしない。被告は、その全存在をかけて罪を償ってほしい」と、そう説諭した。
石丸さんは退官後1992年、吉野受刑者の両親を介して聖書を贈呈し、その後毎年、クリスマスカード
などを送っていた。2000年前後から吉野受刑者の仮釈放を祈るという内容のカードを送るようになり
「私にできることがありましたら、いくらでもお手伝いいたします」(2002年のクリスマスカード)
石丸さんは2007年4月1日、82歳で死去されたが、その遺言で「吉野受刑者が娑婆に出るときは身に
つけて欲しい」と愛用の腕時計を残した。

吉野受刑者は、判決文や石丸さんとのやりとりを通して自身を見つめ続けた。その結果、
「私にとっての『革命運動』とは、社会を変革する組織的運動ではなく、弱者への後ろめたさから
免れ、果てには生き続けていることへの負い目から自由になる、
自己破滅を目指しての挑戦だった
ように思える」との境地に至った。
「石丸先生の恩に報いるためにも社会復帰を果たして、贖罪としての生き方をしたい」と記者への
手紙に誓いをつづっている。

新聞には石丸さんから送った誕生日カードの写真があった。
そこには「神によってこの世に生命を与えられました尊いお誕生日を心からお祝い申し上げます。
上からの御恩寵御慈愛が日に日に豊かにふりそそがれますように、主にお祈りいたしております」
と書かれていた。
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十代で受洗したあと、教会から離れ神様から離れ、社会運動や職場の組合で動いていた頃、私の
頭の中には「世界中の人が平等にならなくては私の心は穏やかであり得ない」という思いが確かに
ありました。しかし、純粋から程遠く生ぬるい私は、自分が神様の被造物である、という言葉に
救われるまで、激しく運動に突き進むこともなくダラダラと、それでも何となく負い目を感じながら
生き続けました。今も生き続けています。
吉野受刑者の言葉は、自分の生活が満たされていることに安住せず、弱者への後ろめたさから
社会運動に突き進んだ若者の純粋な魂を見る思いで、高齢でこれと言った行動のできなくなった今も
私の胸をざわつかせます。
イエス様は全てを捨てて私に従いなさいと言われました。
今の安定を神様に感謝するだけでよいのでしょうか?


わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、
どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出
そうとしている。「ヨハネの黙示録」3章15節~16節


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 もうすぐ春ですね。<ヒヨドリ>です。
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