讃美歌332番 「主はいのちを」
"Thy life was given for me" (I gave my life for thee) by Frances Ridley Havergal, 1858
「SACRIFICE」by Philip Paul Bless, 1838-1876
1 主はいのちを あたえませり、
主は血しおを ながしませり、
その死によりてぞ われは生きぬ、
われ何をなして 主にむくいし
2 主は御父(みちち)の もとをはなれ、
わびしき世に 住みたまえり。
かくもわがために さかえをすつ、
われは主のために なにをすてし
3 主はゆるしと いつくしみと
すくいをもて くだりませり。
ゆたけきたまもの 身にぞあまる、
ただ身とたまとを 献げまつらん
この歌は、原作者(Frances Ridley Havergal 1836-79、英国人)がドイツに滞在中、デュッセルドルフの
ギャラリーで有名なシュタンバーグ(Sternberg)作の絵画 “Ecce Homo”「この人を見よ!」の前で、その添え書き
「我、汝の為にこれをなせり、汝はわれの為に何をなしたるや? This have I done for thee; what has thou
done for Me?」に感銘を受けて作詞したという説がある。
絵は、鞭打ちを受け血を滲ませてピラトの前に立っているキリストを画いたものである。
(ハヴァルガルの手記にはそのことは書かれていないらしいが・・・)
"ecce homo"「エッケ ホモ」は有名な場面で、絵画他の芸術で重要なテーマと一つとなっている。
この歌の題は「Thy life was given for me」となっているが、「I gave my life for thee」が原作者のもので、
讃美歌の編纂者が原作者の了承を得て変更したとあるが、原作者自身は、自分の歌詞のほうが自分の受けた感銘に一層
忠実であると言っている。
ハヴァガルは、19世紀イギリスの代表的聖歌詩人であった。父は国教会の聖職者で、広い教養と稀な詩的天分に恵まれ、
父の転任により各地を転々としながら彼女は恵まれた広い教養と天分により宗教詩と讃美歌との創作に努めた。
彼女の詩歌は献身と清潔とを主題とするものが多いため「清潔の詩人」と呼ばれる。
☆ Sternberg の “Ecce Homo”制作の年代については不明だが、この絵画が間接的に John Wesley のメソジスト運動
(18世紀前半)やアメリカにおけるJonathan EdwardsやGeorge Whitefield等による第1次大覚醒運動の起点と
なっていることが分かっている。
作曲はPhilip Paul Bliss(1838-1876 米国人)によるものである。曲名は “Sacrifice”となっている。
ブリスは、福音唱歌(Gospel Songs)作家として優れた人である。
ペンシルバニア州に生まれ、シカゴ゙で音楽を学んだ後、聖歌隊の指揮者、指導者として、又日曜学校の校長として
日曜学校用の歌曲を作った。
19世紀項半の米国は、キリスト教の改革運動(大覚醒運動-the Great Awakening-)のうねりの中で、19世紀最大の
説教家(evangelist preacher)と言われる Dwight Lyman Moody(1837-1899)が、聖歌歌手(gospel singer)
Ira D. Sankey(1840-1908)と組んで全米はもとより英国を始め大陸諸国を巡回伝道し多くの人々を信仰へと導いた。
各地での集会でSankeyが好んで用いた聖歌の一つがブリスの作ったものである。
Gospel Songs(Hymns)のカテゴリーは MoodyとSankey の活躍によって確立されたもので米国讃美歌の第2期黄金時代を形成した。
Gospel Songsの特徴は、福音書の教えを強調した平易、簡素で反復的、庶民的、律動感ある旋律で、愉しく歌い易い作品が多い。
(以上の解説はネットからの引用です。)
ここをクリックすると讃美歌332番を聴くことができます。
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FacebookやTwitterもご覧ください。
ついにインフルエンザに罹ってしまいました。
全身の倦怠感と頭の重さは恐ろしいほどで、9日にベッドに倒れ込んでからほとんど動けず、
五日経ってようやく医者に行けました。
医者では、インフル特効薬を使うには時遅し、ということで普通の風邪の対処薬を処方されました。
いまだにすっきりしません。齢は争えませんね、正直に着実に、体力・気力が落ちています。
独り暮らしの私は水分の補給と体力保全のための食事は何とかしなくては、とヘロヘロしながら
二階のベッドと一階の台所の間を動いて凌ぎました。
熱が出なかったのがなによりでしたが、高熱だったらとても動けなかったことでしょう。
引きずり込まれるように眠り続けましたが、夢うつつ状態はそれほど苦痛ではありませんでした。
このまま主の御許に召されるのも恵みだな~などと朦朧とした頭で考えたりしていました。
齢を重ねるだけのこれから、体力・気力に関しては希望は持てません。
私のような独り暮らしの老人、病気になった場合、皆さんはどんな風に凌いでいられるのでしょう。

公園に紅葉した<南天>の葉が残っていました。
"Thy life was given for me" (I gave my life for thee) by Frances Ridley Havergal, 1858
「SACRIFICE」by Philip Paul Bless, 1838-1876
1 主はいのちを あたえませり、
主は血しおを ながしませり、
その死によりてぞ われは生きぬ、
われ何をなして 主にむくいし
2 主は御父(みちち)の もとをはなれ、
わびしき世に 住みたまえり。
かくもわがために さかえをすつ、
われは主のために なにをすてし
3 主はゆるしと いつくしみと
すくいをもて くだりませり。
ゆたけきたまもの 身にぞあまる、
ただ身とたまとを 献げまつらん
この歌は、原作者(Frances Ridley Havergal 1836-79、英国人)がドイツに滞在中、デュッセルドルフの
ギャラリーで有名なシュタンバーグ(Sternberg)作の絵画 “Ecce Homo”「この人を見よ!」の前で、その添え書き
「我、汝の為にこれをなせり、汝はわれの為に何をなしたるや? This have I done for thee; what has thou
done for Me?」に感銘を受けて作詞したという説がある。
絵は、鞭打ちを受け血を滲ませてピラトの前に立っているキリストを画いたものである。
(ハヴァルガルの手記にはそのことは書かれていないらしいが・・・)
"ecce homo"「エッケ ホモ」は有名な場面で、絵画他の芸術で重要なテーマと一つとなっている。
この歌の題は「Thy life was given for me」となっているが、「I gave my life for thee」が原作者のもので、
讃美歌の編纂者が原作者の了承を得て変更したとあるが、原作者自身は、自分の歌詞のほうが自分の受けた感銘に一層
忠実であると言っている。
ハヴァガルは、19世紀イギリスの代表的聖歌詩人であった。父は国教会の聖職者で、広い教養と稀な詩的天分に恵まれ、
父の転任により各地を転々としながら彼女は恵まれた広い教養と天分により宗教詩と讃美歌との創作に努めた。
彼女の詩歌は献身と清潔とを主題とするものが多いため「清潔の詩人」と呼ばれる。
☆ Sternberg の “Ecce Homo”制作の年代については不明だが、この絵画が間接的に John Wesley のメソジスト運動
(18世紀前半)やアメリカにおけるJonathan EdwardsやGeorge Whitefield等による第1次大覚醒運動の起点と
なっていることが分かっている。
作曲はPhilip Paul Bliss(1838-1876 米国人)によるものである。曲名は “Sacrifice”となっている。
ブリスは、福音唱歌(Gospel Songs)作家として優れた人である。
ペンシルバニア州に生まれ、シカゴ゙で音楽を学んだ後、聖歌隊の指揮者、指導者として、又日曜学校の校長として
日曜学校用の歌曲を作った。
19世紀項半の米国は、キリスト教の改革運動(大覚醒運動-the Great Awakening-)のうねりの中で、19世紀最大の
説教家(evangelist preacher)と言われる Dwight Lyman Moody(1837-1899)が、聖歌歌手(gospel singer)
Ira D. Sankey(1840-1908)と組んで全米はもとより英国を始め大陸諸国を巡回伝道し多くの人々を信仰へと導いた。
各地での集会でSankeyが好んで用いた聖歌の一つがブリスの作ったものである。
Gospel Songs(Hymns)のカテゴリーは MoodyとSankey の活躍によって確立されたもので米国讃美歌の第2期黄金時代を形成した。
Gospel Songsの特徴は、福音書の教えを強調した平易、簡素で反復的、庶民的、律動感ある旋律で、愉しく歌い易い作品が多い。
(以上の解説はネットからの引用です。)
ここをクリックすると讃美歌332番を聴くことができます。
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ついにインフルエンザに罹ってしまいました。
全身の倦怠感と頭の重さは恐ろしいほどで、9日にベッドに倒れ込んでからほとんど動けず、
五日経ってようやく医者に行けました。
医者では、インフル特効薬を使うには時遅し、ということで普通の風邪の対処薬を処方されました。
いまだにすっきりしません。齢は争えませんね、正直に着実に、体力・気力が落ちています。
独り暮らしの私は水分の補給と体力保全のための食事は何とかしなくては、とヘロヘロしながら
二階のベッドと一階の台所の間を動いて凌ぎました。
熱が出なかったのがなによりでしたが、高熱だったらとても動けなかったことでしょう。
引きずり込まれるように眠り続けましたが、夢うつつ状態はそれほど苦痛ではありませんでした。
このまま主の御許に召されるのも恵みだな~などと朦朧とした頭で考えたりしていました。
齢を重ねるだけのこれから、体力・気力に関しては希望は持てません。
私のような独り暮らしの老人、病気になった場合、皆さんはどんな風に凌いでいられるのでしょう。

公園に紅葉した<南天>の葉が残っていました。
礼拝で歌った賛美歌を載せていますが
内容はネットからのコピペでお恥ずかしいです。
たどり着いてくださって、コメントもありがとうございます。