今回も「一日一祷」の中から、私が倣って祈りたいと思うお祈りを載せます。
石井錦一牧師の祈りです。
「毎日を終末の日として」 (石井錦一牧師)
神さま
私はいつか
死ぬのだということはわかっています
しかし すぐにくることはないと思って
まだあれこれと したいこと
しなければならないことを考えています
死ぬことはずっとさきこと
いつかやってくることと思っています
確かな死を宣告された人たちの
その死に至るまでの生活の記録を
よむ時に 感動します
でも それは人のことであって
ほんとに私のことにならないのです
夜の眠りにつきとき
そのまま 朝を再びみることがなくても
神のみ手に安らかに委ねて
きょうまで生きてきたことを感謝して
眠れる生活が私にないのです
毎日 毎日を 終末の日として
朝 再び生きることを許された恵みを
感謝して生きる心をください
いつまでも 自分の心をごまかして
生きている私に きょう いま
せいいっぱい生き抜く信仰をください
私の場合、後期高齢者ということもあって「死」は、直ぐ傍にあることと思います。
それほど強くしたいことも、しなければならないこともありません。
生きることすら難しい多くの人々がいるなかで、私が神さまから与えられた
これまでの人生を神さまに心から感謝いたします。
体調がちょっと思わしくないだけでオロオロする気の小さな、信仰弱い私は
一人で、病気や死に向き合えるかという自信は全くありませんが、何とか頑張りたいと
神さまにお願いしています。
『朝 再び生きることを許された恵みを
感謝して生きる心をください
生きている私に きょう いま
せいいっぱい生き抜く信仰をください』 希望を持ってこのように祈りたいです。
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
公園で見た<オナガ>の巣立ち雛。
大きく口を開けて親鳥に餌をねだっています。
追記: ビックリ!(@_@;) 今日はブログ開始3000日目だそうです!
石井錦一牧師の祈りです。
「毎日を終末の日として」 (石井錦一牧師)
神さま
私はいつか
死ぬのだということはわかっています
しかし すぐにくることはないと思って
まだあれこれと したいこと
しなければならないことを考えています
死ぬことはずっとさきこと
いつかやってくることと思っています
確かな死を宣告された人たちの
その死に至るまでの生活の記録を
よむ時に 感動します
でも それは人のことであって
ほんとに私のことにならないのです
夜の眠りにつきとき
そのまま 朝を再びみることがなくても
神のみ手に安らかに委ねて
きょうまで生きてきたことを感謝して
眠れる生活が私にないのです
毎日 毎日を 終末の日として
朝 再び生きることを許された恵みを
感謝して生きる心をください
いつまでも 自分の心をごまかして
生きている私に きょう いま
せいいっぱい生き抜く信仰をください
私の場合、後期高齢者ということもあって「死」は、直ぐ傍にあることと思います。
それほど強くしたいことも、しなければならないこともありません。
生きることすら難しい多くの人々がいるなかで、私が神さまから与えられた
これまでの人生を神さまに心から感謝いたします。
体調がちょっと思わしくないだけでオロオロする気の小さな、信仰弱い私は
一人で、病気や死に向き合えるかという自信は全くありませんが、何とか頑張りたいと
神さまにお願いしています。
『朝 再び生きることを許された恵みを
感謝して生きる心をください
生きている私に きょう いま
せいいっぱい生き抜く信仰をください』 希望を持ってこのように祈りたいです。
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
公園で見た<オナガ>の巣立ち雛。
大きく口を開けて親鳥に餌をねだっています。
追記: ビックリ!(@_@;) 今日はブログ開始3000日目だそうです!
先週は白内障の手術、その前に奥歯が割れてしまったりと色々ありました。
人間は死ぬまで(自分にとっての)「未知との遭遇」ですね~。
ブログもサボり気味で、どうしようかな~と思う日々がドンドン過ぎていました。
コメントを頂いて少しシャッキリしました。
ボツボツでもつづけられたら、と思っています。
これまでの他のコメントに今、気づきました。
ごめんなさいね、そして、ありがとうございます!
心弱く、信仰弱く・・・・と後ろ向きになっては
いけませんね。神さまにすべてをお委ねして感謝を
忘れずに過ごしたいです。