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ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

?(ハテナ)マーク  その2

2016-08-22 22:36:30 | 聖書
何回か聖書を読んでいると、自分のお気に入り聖句や納得できない出来事、感動的出来事などが
煮詰まってきて、私は自分の中で勝手に三大〇〇などと呼んでいます。
今日は「納得できない出来事」の二つ目を載せます。
ちなみに「?(ハテナ)マーク」の一つ目は「カインとアベル」の出来事でした。
三つ目のハテナ?はまたいつかアップさせていただきます。

モーセは、神にもモーセにも従順とは言えない、時には反抗的な民を40年間も導いて
(実際は神様が導かれたのですが)荒野を旅しました。
そんなモーセなのに、彼はヨルダン川を渡ることを神様から許されませんでした。
イスラエルの民も出エジプトを果たした者は一人も約束の地には入れず、次の世代の民が
新しい地に入ることになるのですが、なぜモーセは許されなかったのでしょう? 
メリバの泉の出来事のどこが神様の怒りに触れたのでしょう? 
私にはハテナ?ハテナ?です。 

「出エジプト記」17章1節~7節
主の命令により、イスラエルの人々の共同体全体は、シンの荒れ野を出発し、旅程に従って進み、
レフィディムに宿営したが、そこには民の飲み水が無かった。
民がモーセと争い、「我々に飲み水を与えよ」と言うと、モーセは言った。
「なぜ、わたしと争うのか。なぜ主を試すのか。」しかし、民は喉が渇いてしかたないので、
モーセに向かって不平を述べた。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、
家畜までも渇きで殺すためなのか。」
モーセは主に「わたしはこの民をどうすればよいのですか。彼らは今にも、わたしを石で
打ち殺そうとしています」と叫ぶと、主はモーセに言われた。「イスラエルの長老数名を伴い、
民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。見よ、わたしはホレブの岩の上で
あなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」
モーセは、イスラエルの長老たちの目の前でそのとおりにした。
彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イスラエルの人々が「果たして、
主は我々の間におられるのかどうか」と言って、モーセと争い、主を試したからである。


「民数記」20章12節~
主はモーセとアロンに向かって言われた。「あなたたちはわたしを信じることをせず、イスラエルの
人々の前に、わたしの聖なることを示さなかった。それゆえ、あなたたちはこの会衆をわたしが
彼らに与える土地に導き入れることはできない。」


「申命記」34章1節~4節
モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。
主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。
ギレアドからダンまで、ナフタリの全土、エフライムとマナセの領土、西の海に至るユダの全土、
ネゲブおよびなつめやしの茂る町エリコの谷からツォアルまでである。主はモーセに言われた。
「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。
わたしはあなたがそれを自分の目でみるようにした。
あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」


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公園の<ノカンゾウ>の花もそろそろ終わりです。
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「詩篇49編」

2016-07-29 16:58:48 | 聖書
今、旧約聖書は「歴代史下」を読んでいます。
ソロモン王がエルサレム神殿を建て、亡くなった後、イスラエルは南北に分裂します。
ここには北王国イスラエルが滅び、南王国ユダも滅びるまでが描かれているようです。
新約聖書は「ルカによる福音書」の、イエスが捕えられ十字架に付けられる所を読んでいます。 
信仰薄き私は自分の十字架を背負ってイエスのみ跡をたどっているでしょうか?
ただただ聖書を読み、祈り、礼拝に集い、神様にしがみついています。

今日は詩篇49遍も読みました。心に深く響く詩でした。

「詩編」49編

   諸国の民よ、これを聞け この世に住む者は皆、耳を傾けよ
   人の子らはすべて 豊かな人も貧しい人も。
   わたしの口は知恵を語り わたしの心は英知を思う。
   わたしは格言に耳を傾け 竪琴を奏でて謎を解く。

   災いのふりかかる日 わたしを追う者の悪意に囲まれるときにも
   どうして恐れることがあろうか 財宝を頼みとし、富の力を誇る者を。
   神に対して、人は兄弟をも贖いえない。
   神に身代金を払うことはできない。
   魂を贖う値は高く とこしえに、払い終えることはない。
   人は永遠に生きようか。 墓穴を見ずにすむであろうか。
   人が見ることは 知恵ある者も死に 無知な者、愚かな者と共に滅び
   財宝を他人に遺さねばならないということ。
   自分の名を付けた地所を持っていても 
   その土の底だけが彼らのとこしえの家 代々に彼らが住まう所。

   人間は栄華のうちにとどまることはできない。 屠られる獣に等しい。
   
   これが自分の力に頼る者の道 自分の口の言葉に満足する者の行く末。
   陰府に置かれた羊の群れ 死が彼らを飼う。
   朝になれば正しい人がその上を踏んで行き 誇り高かったその姿を陰府がむしばむ。
   しかし、神はわたしの魂を贖い 陰府の手から取り上げてくださる。
   人に富が増し、その家に名誉が加わるときも あなたは恐れることはない。
   死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず 
   名誉が彼の後を追って墓に下るわけでもない。
   命のある間に、その魂が祝福され 幸福を人がたたえても 
   彼は父祖の列に帰り 永遠に光を見ることはない
   
   人間は栄華のうちに悟りを得ることはない。 屠られる獣に等しい。


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7月31日(日)は土肥研一先生が説教で、御言葉を解き明かしてくださいます。
若き伝道者、土肥先生の(多分)歯切れの良いきっぱりとしたメッセージ、楽しみです。
教会は初めて、というかたもどうぞ是非お出かけください。


  
  川のカルガモ雛は大分大きくなっていました。
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?(ハテナ)マーク

2016-05-05 14:29:25 | 聖書
「創世記」4章1節~5節
さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主に依って男子を得た」
と言った。彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持ってきた。
アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持ってきた。
主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。
カインは激しく怒って顔を伏せた。


2010年12月、何十年も教会を離れて「放蕩息子」だった私は美竹教会に再び迎えられ
現住陪餐会員となりました。 その時の美竹教会の牧師は上田光正先生でした。
陪餐会員となる前の約三年間は独りで聖書を読み、送っていただいた上田光正牧師の
説教コピーを読んだりしていました。
最初は礼拝に出られるのは月に一回くらいでしたが、ある時ノンクリスチャンの連れ合いをを説き伏せて、
今では殆ど毎週礼拝に出ています、感謝です。
だんだん聖書を読むのが楽しくなってくるとそのうち、自分の好きな三大箇所(聖句)、感動する
三大箇所(聖句)、納得できない三大箇所(聖句)などが出てくるようになりました。
今日は、聖書を読み始めて真っ先に納得できなかった箇所をアップいたします。
納得できないなぁ・・・という私の?(ハテナマーク)です。
この箇所は5月1日の礼拝説教で左近牧師がしっかり説き明かしてくださいましたので、
納得できた・・・・はずですが、天災人災の不条理はともかく、弟と比べての依怙贔屓は
我慢できなかったよね~と、何回読んでもカインに同情してしまいます。
私の独善的な、そして不信仰の故かも知れない?(ハテナマーク)はあと二か所あります。 
そのうち又、アップさせていただきたいと思います。


新緑の梅の木に止まる<メジロ>です。

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「献げ物」の暦

2016-03-30 15:04:48 | 聖書
「レビ記」は第一章ののっけから八章、九章まで献げ物の記述が続いて少々読みにくい出だしです。
(↑クリックすると以前載せた「献げ物」の記事が出てきます。)
「民数記」を読み終わりましたが、「民数記」の28-29章は「献げ物の規定」ということで、ここでは
献げ物をする時間や時期が述べられています。 
献げ物のカレンダーですね。**********************

日ごとの献げ物:
無傷の一歳の羊二匹を日ごとの焼き尽くす献げ物として朝夕に一匹ずつ。
それと共に、上等の小麦粉十分の一エファに上質のオリーブを砕いて取った油四分の一ヒンを混ぜて
作った穀物の献げ物、これが日ごとの焼き尽くす献げ物で、燃やして主にささげる宥めの香りとする。
それに、ぶどう酒を羊一匹について四分の一ヒン注ぐ。

安息日の献げ物: 七日ごと、ということですね。
無傷の一歳の羊二匹、上等の小麦粉十分の二エファにオリーブ油を混ぜて作った穀物の献げ物と
ぶどう酒の献げ物を添える。 安息日ごとのこの焼き尽くす献げ物は、日ごとの焼き尽くす献げ物と
ぶどう酒の献げ物に加えるべきものである。

一日(ついたち)の献げ物:  毎月の一日(ついたち)に献げる
若い雄牛二頭、雄羊一匹、無傷の一歳の羊七匹で、雄牛一等につき穀物の献げ物としてオリーブ油を
混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、雄羊一匹につき穀物の献げ物としてオリーブ油を混ぜた上等の
小麦粉十分の二エファ、小羊一匹につき穀物の献げ物としてオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の
一エファ。これが焼き尽くす献げ物で、燃やして主にささげる宥めの香りである。
添えるぶどう酒は、雄牛一等についてぶどうしゅ二分の一ヒン、雄羊一匹について三分の一ヒン、
子羊一匹について四分の一ヒンとする。
また日ごとの焼き尽くす献げ物およびぶどう酒の献げ物に加えて、贖罪の献げ物として雄山羊一匹を
主にささげる。

除酵祭の献げ物:
第一の月の十四日は、主の過越で、十五日は祭の日である。
七日の間、酵母を入れないパンを食べる。
初日には聖なる集会を開き、いかなる仕事もしてはならない。
若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の羊七匹、すべて傷の無いものを焼き尽くす献げ物として主にささげる。
雄牛一等につき穀物の献げ物としてオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、雄羊一匹について
は十分の二エファ、小羊一匹につき十分の一エファをささげる。
雄山羊一匹を贖罪の献げ物とし、罪を贖う儀式をおこなう。
七日の間、毎日燃やして主にささげる宥めの香りを食物としてささげる。
これは日ごとの焼き尽くす献げ物とぶどう酒の献げ物に加えてささげるべきものである。
七日目には聖なる集会をひらき、いかなる仕事もしてはならない。

七週祭の献げ物:
初穂の日(七週祭)に新穀の献げ物を主にささげるときには、聖なる集会を開く。
いかなる仕事もしてはならない。
若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の羊七匹を焼き尽くす献げ物として主にささげ、宥めの香りとする。
雄牛一頭につきオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、雄羊一匹については十分の二エファ、
子羊七匹については一匹につき十分の一エファを献げる。
また、雄山羊一匹をささげて罪を贖う儀式を行う。
日ごとの献げ物と穀物の献げ物に加えて、ぶどう酒を添えてささげる。

第七の月の一日(ついたち)の献げ物:
聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。
若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の羊七匹を焼き尽くす献げ物として主にささげ、宥めの香りとする。
雄牛一頭につきオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、雄羊一匹については十分の二エファ、
子羊七匹については一匹につき十分の一エファを献げる。
また、雄山羊一匹をささげて罪を贖う儀式を行う。
新月にささげる焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物、それに添えるぶどう酒の献げ物のほかにささげる。

第七の月の十日の献げ物:
聖なる集会を開く。苦行をし、いかなる仕事もしてはならない。
若い雄牛二頭、雄羊一匹、一歳の羊七匹を焼き尽くす献げ物として主にささげ、宥めの香りとする。
雄牛一頭につきオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、雄羊一匹については十分の二エファ、
子羊七匹については一匹につき十分の一エファを献げる。
また、雄山羊一匹をささげて罪を贖う儀式を行う。
それらは無傷のものでなければならない。
日ごとの献げ物と穀物の献げ物、それに添えるぶどう酒の献げ物のほかにささげる。

第七の月の十五日の献げ物:  八日にわたって献げ物をするようです。
聖なる集会を開く。いかなる仕事もしてはならない。 七日の間、主の祝いをする。
若い雄牛十三頭、雄羊二匹、一歳の羊十四匹を、焼き尽くす献げ物として主にささげ、宥めの香りとする。 
それらは無傷のものでなければならない。
雄羊十三頭については、一頭につき穀物の献げ物としてオリーブ油を混ぜた上等の小麦粉十分の三エファ、
雄羊二匹については、一匹につき十分の二エファ、子羊十四匹については一匹につき十分の一エファを献げる。
また雄山羊一匹を贖罪の献げ物とする。
日ごとの焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、ぶどう酒の献げ物のほかにささげる。

二日目:
若い雄牛十二頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹をささげ、おのおのについて、規定の数量の穀物の
献げ物とぶどう酒の献げ物をささげる。
雄山羊一匹を贖罪の献げ物とする。 日ごとの献げ物にほかにささげる。

三日目:
雄牛十一頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹をささげ、おのおのにつて、規定の数量の穀物の献げ物と
ぶどう酒の献げ物をささげる。
雄山羊一頭、贖いの献げ物。 日ごとの献げ物のほか。

四日目:
雄牛十頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹、規定の数量の穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物をささげる。
雄山羊一匹、贖罪の献げ物。 日ごとの献げ物のほか。

五日目:
雄牛九頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹、規定の数量の穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物
雄山羊一匹、贖罪の献げ物。 日ごとの献げ物のほか。

六日目:
雄牛八頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹、規定の数量の穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物。
雄山羊一匹、贖罪の献げ物。 日ごとの献げ物のほか。

七日目:
雄牛七頭、雄羊二匹、無傷の一歳の羊十四匹をささげ、各々について、規定の数量の穀物の
献げ物とぶどう酒の献げ物をささげる。
雄山羊一匹を贖罪の献げ物とする。 日ごとの献げ物のほか。

八日目:
聖なる集まりを開く。 いかなる仕事もしてはならない。
雄牛一頭、雄羊一匹、無傷の一歳の羊七匹を焼き尽くす献げ物とした主にささげ、燃やして宥めの
香りとする。 おのおのについて、規定の数量の穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物をささげる。
雄山羊一匹を贖罪の献げ物とする。 日ごとの献げ物の他。

以上は祝日に主にささげられるもの。
満願の献げ物や随意の献げ物としてささげる焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、ぶどう酒の献げ物
および和解の献げ物とは別のものである。
*****************************************ざっと以上のような暦でした。
生け贄の動物の屠り方は「レビ記」に書かれています。(と思います。)
ダイナミックな献げ物、神殿にはさぞ香ばしい香りが充満していたことでしょう。




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先週にイースター礼拝に友人が来てくれました。
初めてのイースターエッグ、初めての洗礼式を喜んでくれました。
こちらこそアリガトウ!!
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反抗する民、憤る神

2016-03-12 09:54:49 | 聖書
「民数記」を25章まで読んで気づいたのですが、エジプトから逃げてきた民は、本当に何度も何度も
モーセや神に逆らいます。モーセに対する反抗は神に対する反抗です。
神はそんな民に憤り罰を与えます。
モーセは時には民への怒りに囚われますが、常に神に執り成しの祈りをして民をかばいます。

11章1節~2節
民は主の耳に達するほど、激しく不満を言った。主はそれを聞いて憤られ、主の火が彼らに対して
燃え上がり、宿営を端から焼き尽くそうとした。
民はモーセに助けを求めて叫びをあげた。モーセが主に祈ると、火は鎮まった。


11章4節~6節
民に加わっていた雑多な他国人は飢えと渇きを訴え、イスラエルの人々も再び泣き言を言った。
「誰か肉を食べさせてくれないものか。エジプトでは魚をただで食べていた師、きゅうりやメロン、
葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回しても
マナばかりで、何もない。」


14章1節~3節
共同体全体は声をあげて叫び、民は夜通し泣き言を言った。イスラエルの人々は一斉にモーセと
アロンに対して不平を言い、共同体全体で彼らに言った。「エジプトの国で死ぬか、
この荒れ野で死ぬ方がよほどましだった。どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そう
とされるのか。妻子は奪われてしまうだろう。それくらいなら、エジプトに引き返した方がましだ。」


16章1節~4節
さて、レビの子ケハトの孫でイツハルの子であるコラは、ルベンの孫でエリアブの子であるダタンと
アビラム、およびペレトの子であるオンと組み、集会の招集者である共同体の指導者二百五十名の
名のあるイスラエルの人々を仲間に引き入れ、モーセに反逆した。
彼らは徒党を組み、モーセとアロンに逆らって言った。「あなたたちは分を超えている。
共同体全体、彼ら全員が聖なる者であって、主がその中におられるのに、なぜ、あなたたちは
主の会衆の上に立とうとするのか。」モーセはこれを聞くと面を伏せた。


神は民のこの行為に憤り・・・・・・

32節~33節
地は口を開き、彼らとコラの仲間たち、その持ち物一切を、家もろとも呑み込んだ。
彼らと彼らに属する者はすべて、生きたまま、陰府へ落ち、地がそれを覆った。
彼らはそうして、会衆の間から滅び去った。


イスラエルの人々の共同体はこの出来事についてモーセとアロンに不平を言います。
これを聞いて主はこの共同体を直ちに滅ぼす、とモーセに告げました。
モーセはアロンに「彼らの罪を贖う儀式を行うよう」に言い、既に疫病が広がり始めた
民の中に行き、民のために罪を贖う儀式を行うと災害は収まりました。神に逆らい、
モーセに不平不満を言い募る民と神の間に立って、モーセはいつも執り成しの祈りをします。

20章1節~
イスラエルの人々、その共同体全体は第一の月にツィンの荒れ野に入った。そして、民はカデシュに
滞在した。さて、そこには共同体に飲ませる水がなかったので、彼らは徒党を組んで、モーセと
アロンに逆らった。民はモーセに抗弁して言った。「同朋が主の御前で死んだとき、我々も一緒に
死に絶えていたらよかったのだ。なぜ、こんな荒れ野に主の会衆をひきいれたのです。・・・・」


主はモーセに「彼らの目の前の岩に向かって水を出せと命じなさい」といわれ、そこで
モーセは岩を二度打って、水を出しました。
有名な?メリバの水のシーンです。モーセとアロンはここで神の不興を買いヨルダン川を渡れない
事になったのです。 これについては、また別の記事として載せたいです。

21章4節~5節
彼らはホル山を旅だし、エドムの領土を迂回し、葦の海の道を通って言った。しかし、民は途中で
耐えきれなくなって、神とモーセに逆らって言った。「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのですか。
荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、こんな粗末な食物では、気力もうせてしまいます。」


民が不平不満を言う部分の聖句を書き出しましたが、背景には其々の事情があるわけで、私などは
民の気持ちも分からなくないような・・・・気になったりします。
民数記は最初の部分(や途中にも)様々な規則や規定がワラワラと書かれているのですが、
真ん中部分にはエジプトからヨルダン川の岸辺に至るまで荒れ野で過ごした40年間のイスラエルの民
の出来事が書かれています。
その中にこのような民の不平不満や、神やモーセ、アロンへの反抗が出てきます。


公園の山茱萸(さんしゅゆ)はもう咲いているでしょうか。
少しずつ体力の落ちている連れ合いは散歩にでることもなくなりました。
いつも一緒に公園を歩いていた私は運動不足で体重増加中、困ります。

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12月は「預言者エレミヤ」です

2015-12-12 10:51:07 | 聖書
毎月第二金曜日、FEBC放送(日本のキリスト教放送局)で美竹教会の
左近牧師が旧約聖書の登場人物について語っています。
10月「モーセ」11月「ダビデ」ときて、今月12月は「預言者エレミヤ」です。

ココをクリックすると「エレミヤ」について語る左近牧師の話を聞くことができます。
48分と少々長いのですが(何回かに分けて、でも)どうぞお聴きください。


公園の<ヒヨドリ> 背景はすっかり秋です。


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明日(13日)は礼拝後、15分位ですが、左近牧師のアメリカ出張報告があります。
どうぞお出かけください。
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聖書本文の検索

2015-11-27 23:22:35 | 聖書
聖書の中に「楽しみ」と「喜び」という言葉がどれくらい出てくるか?  
「喜び」は頻繁に目にする気がしますが「楽しみ」はあまり記憶にないので
特に興味がありました。 妙なことが気になる性分です。(笑) 
就寝前のひと時を聖書を読む時間に充てている私は眠い目をこすりながら、
「楽しみ」が一番使われていると思われる「詩編」にサラ~っと目を通しました。
最初の晩には3件見つけました。次の晩は新約聖書にパラ~っと目を通しましたが
「楽しみ」という言葉はさっぱり見つかりませんでした。
こんな調子で漠然と探しても時間と労力の無駄です。
もう少し簡単に聖書の中から特定の言葉を検索する方法はないものか。 
昔はともかく、コンピュータ時代のいまどきは聖書の全文がデータベース化されていて
当たり前では?と考えて検索。 大正解でした!
探し出したのは聖書本文全文の検索機能を持った「聖書協会」のホームページです。
このページで、検索キーワードを入れるとたちどころに聖書のどの個所に、
どんな聖句の中にあるかが簡単にわかります、素晴らし~い!
ということで「楽しみ」と「喜び」をキーワードにして検索しました。
「喜び」のヒット件数が「楽しみ」のヒット件数を圧倒しました。

聖書的に、キリスト教的にこれが何を意味するのか、しないのか? 
残念ながら私には分かりません。 聖書本文全文のキーワード検索ができても、
私の場合は、私の信仰にとって特別なことはおきません。
私にとっては宝の持ち腐れ・・・ですが、聖書を研究される方々にとっては
全文がデータベース化されてキーワード検索できるということは大きな力に
なるのではないでしょうか、便利になりました。 


葉陰にひっそりジョビ子さん<ジョウビタキ♀>です。

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FEBC online をご存知ですか?

2015-11-21 15:55:01 | 聖書
皆さま、FEBC online というサイトを御存じですか?
放送開始から60年にもなるキリスト教放送局だそうです。
ココをクリックするとサイトの紹介を読むことができます。

そのFEBC online で月に一回ですが「それでもあなたの神となるー旧約聖書の証言に聞く」と題して、
旧約聖書に出てくる人物について美竹教会の左近牧師が語っています。 
11月は「ダビデ」です。 
この放送はインターネットでも聞くことができます。

ここをクリックすると「ダビデ」について語られる左近牧師の声を聞くことができます。
放送時間は45分と少々長いのですが、お時間があって興味のある方は是非聴いてみてください。

聴取期限があって番組は一か月で消されてしまのが残念ですが、10月は「モーセ」だったようです。
これから、旧約聖書の誰についての話が聴けることでしょう、楽しみですね~。
放送されたらまたこのブログでご紹介させていただきますので、よろしくお願いいたします。


今年も<オオバン>が番(つがい)でやってきました。

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「アモス書」

2015-11-04 13:39:48 | 聖書
旧約聖書「アモス書」を読み終わりました。
旧約聖書は記事が入り組んでいて分かり難い所が多いのですが、
「聖書事典」の「アモス書」の項では、解説者の木田献一氏はアモス書の構成を
以下の十に分けていました。
一読後、聖書に印をつけて十の構成順に読んでみましたが、分かりやすく
読みやすかったです。 
旧約の全部の記述をこんな風に繋げること・・・・なんてできませんよね~ (^^;)

「アモス書」の構成
  ①表題(1:1)
  ②諸国民に対する預言(1:2-3:2、9:7-10)
  ③預言者の内的確信(3:3-8)
  ④サマリアの支配者に対する審判(3:9-15、4:1-3、6:1-14、8:4-7)
  ⑤祭儀の堕落に対する審判(4:4-13、5:1-7、10-15、16-27)
  ⑥5つの幻(7:1-3、4-6、7-9、8:1-3、9:1-4)
  ⑦祭司アマツヤとの対決(7:10-17)
  ⑧頌栄と断片的審判(5:8、9、8:8、9:5-6)
  ⑨終わりの日の審判(8:9-14)
  ⑩後の日の回復(9:11-15)


猫の額ほどの庭も秋らしくなりました。

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聖書はいつ頃書かれたの?

2015-10-13 21:27:09 | 聖書
先日、友人から、聖書はいつ頃書かれたのか聞かれました。
私は漠然と、捕囚としてバビロンに連れて行かれた人々が心(魂)の拠り所とするべく
紀元前6世紀頃に、それまで口伝で語り継がれた民族の歴史を記したものが旧約聖書。
紀元後1世紀頃に、イエスの十字架にいたる福音を記したものが新約聖書ではないか
と漠然と思っていました。 さて、私の答えは正しいでしょうか。

「教えて!goo」に↓下のような(ちょうど良い)質問が載っていました。
回答も分かりやすいものでしたので転載させていただきます。

聖書が書かれた時期について教えてください。
質問1:旧約聖書は、いつ頃からいつ頃までの間に書かれたのでしょうか?
質問2:新約聖書は、いつ頃からいつ頃までの間に書かれたのでしょうか?

回答1

最初に、旧約聖書の文書の扱っている年代、出来事が起こった年代は・・・・・
  約6000年前~紀元前1800年…モーゼ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)
  紀元前1200…ヨシュア記
  紀元前1200~1000…士師記、ルツ記、サムエル記上・下
  紀元前922~587…列王記上・下
  紀元前6~5世紀…ダニエル書、エズラ記、ネヘミヤ記  です。

旧約聖書は、どれも扱った時期にリアルタイムで書かれたわけではなく、ずっと後になってから
書かれたものが多いです。(根本主義的キリスト教神学を主張している人は否定するでしょうが…)
モーセ五書は、口承文学としてはかなり昔からあったと考えられていますが、今の形に近くなって
きたのは紀元前6世紀くらいだろうと言われています。
『ダニエル書』なんかは紀元前6世紀頃書かれたといわれていましたが、紀元前2世紀頃の偽作で
あるということを紀元3世紀の文献学者が明らかにしています。

新約について、四つの福音書以外に「Q資料」と言われているイエスの語録集のようなもの
が存在していたと考えられ、ルカ福音書(90年代に成立)とマタイ福音書(80年代)は、
マルコ福音書とQ資料をもとにして書かれています。
ヨハネ福音書(1世紀末)はいろいろ独自の資料を使っているようです。
このQ資料は今のところ見つかっておらず、存在が仮定されているだけです。

黙示録は2世紀に入ってから書かれたようですが、これは新約聖書の中でも最も成立の怪しいもので、
ルターはこれを正典と認めたがらなかったそうです。

回答2 新約聖書について

新約聖書の原本は1~2世紀だといわれています。
いろんな説があるのですが福音書で最も早いのがマルコ福音書。
40年代末~70年までの間なのですが(下限は確実)それ以上確実な証拠は特になく(心情的にはともかく、
確定できないので)このあたり、としか言えないようです。
パウロの書簡のうち真作のものが50~60年。
これとマルコとどちらが早いかが神学的には重要らしいですが特に証拠はありません。
どちらが先でもおかしくないです。(少々別の流れだったような形跡があるので)
他の福音書がマルコより後なのは確かで、大体70~90年あたりか?
その他の文書もいろいろな時期ですが遅くとも2世紀のうちには書かれていたようです。
ただしひと言注意すると、この時期、新約聖書なる文書は存在しません。
別々の人によって書かれた内容的にもばらばらの文書があり、また教会・地域によっては
これらの文書のうちいくつかは認めない、逆にこれら以外の文書を認める、といった状態が続き
徐々に整理され、結局27の文書をひとつのものとして、正典ということにしたのは4世紀ごろ、
アタナシウスあたりから、ということになります。(文書で確認できる限り)
その後写本の段階でも修正されたりして、印刷の時代まで書かれ続ける、ともいえるのですが
とりあえず元の文書は1~2世紀ということです。



渡りをする、と言われている蝶<アサギマダラ>です。
海を越えて1000㎞以上、時には2000㎞もの長旅をする個体もいるそうです。


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