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ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

ネヘミヤ、エズラの時代

2015-05-01 14:10:09 | 聖書
イスラエルの民の捕囚からの帰還とエルサレム(第二)神殿の再建、エルサレム周辺の住民との関係、
ペルシャ王との関係を出来事を追いかけて、自分の頭の整理にためにメモしました。 

ペルシア王キュロスの第一年、バビロンの王ネブカドネツァルによって捕囚の民となっていた
イスラエル人に帰還許可の勅令が降った。 その時のユダの首長はシェシュバツァル。
2章68節~3章3節
エルサレムの主の神殿につくと、家長の幾人かは、神殿をその場所に再建するために随意の献げ物をささげた。
彼らはそれぞれ力に応じて工事の会計に金六万一千ドラクメ、銀五千マネ、祭服百着を差し出した。
祭司、レビ人、民の一部、詠唱者、門衛、神殿の使用人はそれぞれ自分たちの町に住んだ。
イスラエルの人は皆それぞれ、自分たちの町に住んだ。
第七の月になって、イスラエルの人々は自分たちの町にいたが、民はエルサレムに集まって
一人の人のようになった。祭司たち、すなわちヨツァダクの子イエシュアとその兄弟たちは、
シュアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちと共に立ち上がり、イスラエルの神の祭壇を築き、
神の人モーセの律法に書き記されているとおり、焼き尽くす献げ物をその上にささげようとした。
彼らはその地の住民に恐れを抱きながら、その昔の土台の上に祭壇を築き、その上に焼き尽くす献げ物、
朝と夕の焼き尽くす献げ物を主にささげた。


エルサレムの神殿に帰った翌年の第二の月、シュアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュア、
他の兄弟たち、祭司とレビ人、および囚われの力エルサレムに帰って来たすべての人と共に仕事にかかり、神殿の基礎を据える。
12節~13節
昔の神殿を見たことのある多くの年取った祭司、レビ人、家長たちは、この神殿の基礎が据えられるのを見て
大声を上げて泣き、また多くの者が喜びの叫び声をあげた。


ユダとベニヤミンの敵(アッシリア王がイスラエル人を捕らえて自国に連れてゆく代わりとして別の民を住まわせた、その人々?)
が「建築を手伝わせてください」と申し出てきたが、ゼルバベルとイエシュア、他の家長たちは断った。 
そこでその地の住民はペルシア王キュロスの存命中からダレイオスの治世まで、建築計画を挫折させようと妨害活動をした。
行政官レフムと書記官シムシャイはユーフラテス西方の臣下一同の報告ということで、アルタクセルクセス王(一世?)
告訴状を送る。アルタクセルクセス王の書記官シムシャイおよびその仲間はエルサレムのユダの人々のもとに急いで行き、
強引に武力で工事を中止させた。 ここで神殿再建事業は一時中断します。
預言者ハガイとイドの子ゼカリヤが、ユダとエルサレムにいる人々に向かって保護者であるイスラエルの神の名によって
預言したので、シュアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは神殿建築を再開した。
ユーフラテス西方の長官タテナイとシェタル・ボゼナイおよびその仲間であるユーフラテス西方の巡察官たちはダレイオス王に
キュロス王がユダの長官シェシュバツァルに神殿再建を許可した命令があるかどうかお調べくださいと手紙を出した。
ダレイオスによってバビロンの記録保管所を調べると、キュロス王による神殿再建許可の巻物が見つかり、ダレイオスは改めて、
エルサレムの神殿を再建するよう命令した。 預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言に促されて再建は順調に進み、
ダレイオス王の治世第六年のアダルの月の二十三日に完成した。

このことがあって後、ペルシアの王アルタクセルクセス(二世?)の治世にエズラがバビロンからエルサレムに上って来た。
エズラはモーセの律法に詳しい書記官(ペルシアの)で、彼の祖先は祭司長アロンにまでさかのぼる。
エズラは主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念した。
エズラはペルシア政府から公式の委任を受け「天にいます神の律法」を公布するための全権を与えられた。
民衆はこれをユダヤ人共同体の憲章として受諾し、ここに教団としてのユダヤ教が成立した。
エズラは外国人との結婚を厳しく禁じ、サマリア人とはますます敵対的になった。
これは新約の時代までそうであった。

シェシュバツァルによる神殿再建の口火、ゼルバベルの指導のもとでの第二神殿の感性、ネヘミヤによるユダヤ教としての独立
エズラによる捕囚後の共同体の礼拝的秩序づけが終わった。 
エズラ以後、律法(トーラー)は正典とされ聖なる書物はますます大きな意味を持つようになった。

ネヘミヤの活動については次の「ネヘミヤ記」を読むことにいたします。



新緑の公園には<ムクドリ>が群れでいます。
いつもは撮らない超普通種のムクドリを新緑背景にカシャッと一枚。

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「歴代誌」

2015-03-27 13:48:32 | 聖書
歴代誌の著者が捕囚後の時代にその著作活動を行った時までには、旧約聖書の多くの書物は既に存在していた。
それは代上1-9章が創世記に依存していること、代上10章-代下36章がサムエル記と列王記に依存していること、
更にヨシュア記、イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、詩編、ルツ記の各所からの引用ないし並行記事があり、
それらへの依存性があきらかであるからである。

歴代誌はアダムから捕囚帰還(代上9:2-34)までを扱う唯一の歴史書である。
神殿、祈り、礼拝、レビ人に格別な関心が寄せられ、独自の記述が目立っている。
歴代誌史家は、自己の記述目的を強調するために、サムエル記や列王記などの従来の記述に大幅な不可、削除、
変更、再構成を行い、独自の文体で、独自の神学を作り出している。

内容に従って4部分に分けられる。
第1部(代上1-9章)は、系図とリストからなる。ダビデの登場と彼の王朝の段階までを準備する。
イスラエルの選びの正統性とイスラエルが神の救済計画の中心にあることを主眼とする。
ユダ部族が系図の主要な位置を占める(代上2:3-4:23、5:1-2も参照)。

第2部(代上10-29章) サウルの死についての短い報告(代上10章)に続いて、歴代誌史家の中心人物である理想の王
ダビデを扱う(代上11-29章)。 エルサレム占領と軍隊制度の創設についての報告(代上11-12章)の後、
神の箱をエルサレムに運び上げる詳細な報告(代上13-16章)が続く。
ダビデはエルサレム神殿制度の創始者である(代上21-28章)。
最後にダビデの治世についての短い評価で締めくくられる。

第3部はソロモンの活動を扱う(代下1-9章) 彼は父ダビデの計画の完成者として描かれている。
彼は神に特別な「知恵と識見」を祈り求め(代下1章)、神殿建築に取り掛かり、その事業を完成した(代下1:18-5:1)。
奉献と祈り(代下5-6章)に続き、神の訓戒(代下7しょう)が述べられる。
最後にソロモンの諸事業と活動で締め括られる(代が8-9章)。

第4部(代下10-36章)は、王国の分裂(代下10章)と、ユダ王国の歴史が扱われる(代下11:1-36:21)。 
ヨシャファト(代下17:1-21:1)、ヒゼキヤ(代下29-32章)、ヨシヤ(代下34-35章)の各王の治世は
「列王記」の並行記事より詳細に記述されている。
最期にペルシア王キュロスの布告記事で閉じられる(代下36:22-23)。 

↑ 以上は「聖書事典」歴代誌上・下の項より抜書きです。

「歴代誌」を読むのもこれで何回目でしょうか。これまでは気づかずに、ただただ必死に読み下していた
だけでしたが、今回は、最初の系図の所で「創世記」で読んだような記憶がよみがえりました。
サササッと先のページを捲ってみると、サウル王やダビデ王のことは「サムエル記」で読んだような記憶が、
ソロモン王のことは「列王記」で読んだような記憶があります。
ということで、無味乾燥気味の系図やリストも今回は少し親しみが湧いてきました。
時間があって能力もあったら、例えば「歴代誌」と「サムエル記」「列王記」の記事を比較してメモを取りながら
じっくり読んでみたいですね~
何十年も昔、十代で洗礼を受けて二十代の終わりに教会を離れた頃には、聖書がこんなにも面白くて、
興味尽きない書であるとは思いもしませんでした。
若き日々(今よりという意味では、これまでの日々すべて)勿体なかったです。


森の奥では<オオタカ>の愛の季節が始まっています。
オス(左)が狩ってきた獲物をメス(右)がしっかと受け取りました。
求愛給餌です。これからメスは卵を産み抱卵し、雛を孵し育てます。
雄はその間ずっと給餌を続けます。

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ダビデの帰還 (「聖書事典」)

2015-02-17 21:54:10 | 聖書
  祭司ツァドクとアビアタル
  アマサ・・・ヨアブに替えてダビデの司令官となる
  バフリム出身のベニヤミン人、ゲラの子シムイ
  サウル家の従者であったツィバ
  ツェルヤの子アビシャイ
  サウルの孫、メフィボシェト(ツィバと地所を分け合う)
  ギレアド人バルジライ 
  その僕のキムハム(バルジライがダビデに紹介)
  ヨアブと弟のアビシャイ (ツェルヤの子)
  ベニヤミン人ビクリの息子シェバ (ならず者でダビデに反逆を企てた)

上に記した名前は「アブサロムの反乱」で都を逃れていたダビデ王が、反乱が収まりエルサレムへ戻る途中、
ヨルダン川を渡る王の前に、この時とばかり登場したたくさんの人々の名前です。(サム下19:10-20:1)
これらの人々はこれまで、「サムエル記 下」に登場したはずなのですが、どんな人だったのか、記憶が曖昧な上に、
ダビデ王との関係だけでなく相互の人間関係もはっきり理解できず、ウーム、本当に、どんな人だったっけ? 
そんな時に私が頼るのは「聖書事典」です。

アマサ  事典の解説より
「アブサロムの乱」の時に、アブサロムによって軍の長にされた。 ダビデの甥で最初はダビデの部下だった。 
「アブサロムの反乱」ではダビデに反逆したが、アブサロムの死後ダビデに赦されてその軍の長とされた。 
しかし従兄のヨアブに妬まれて、彼に剣でした腹を刺されて殺された。

へぇ~そうなの?
ダビデの甥で、ヨアブ(彼がダビデの軍の司令官だったような?)は従兄で、彼に妬まれて殺されたのか~、
初めて知ったような・・・・・でも解説、分かりやすい。

ツィバ  事典の解説より
サウル王の従者でたぶん自由人となっていて、多くの家族と奴隷を持っていた。
サウルの死後、孫のメフィボシェトに従い、その土地も管理するようダビデから命じられていた。 
「アブサロムの反乱」でダビデが逃れた時、食料を持ってダビデに従った。 
メフィボシェトを欺き、ダビデを迎えたので、ダビデはメフィボシエトの領土を没収しツィバに与えた。 
ダビデはエルサレム帰還の時にその真実を知り領土をツィバとメフィボシエトに分割するように命じた。

そうなんだ~、ツィバはメフィボシェトを欺いたのか~

キムハム  事典の解説より
ギレアド人バルジライの子。「アブサロムの反乱」の時に老父に代わってダビデの僕となった。(サム下19:37-40)

え~? サム下19:37-40を読んでも「僕」としか書いてないけど、キムハムはバルジライの子供なのか~

・・・・・・・・という感じで、頼りになります「聖書事典」
こんな風に一人一人の名前を事典で読んでいると面白くて時間を忘れてしまいます。


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『マンガ 聖書の時代の人々と暮らし』という本を買いました。
分かりやすくて面白くて楽しい本でした。
あまり面白いので教会のN氏にお貸ししたのですが、もう少し手元に置いて、ジックリ眺めたり
読んだりすればよかった。 いつ返って来るかなぁ・・・・・・ (^^;)
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「サムエル記」解説 (続)

2015-02-05 21:52:36 | 聖書
「聖書事典」の「サムエル記 上・下」の項からの抜き書き(続き)です。

内容の特色
 この書物は時代の大変革そのものを詳細に描くことよりも、この時に成立した国家諸制度がどのような
理由で永続しなかったのかを神学的に究明しようとしている。 そのため、報告記事は必ずしも公的な
出来事にばかり及んでいるわけではなお。
 物語は、ペリシテ戦争の危機によって部族連合的イスラエルが軍事指導者サウルによって王政国家に
移行せざるを得なかった事情を語ることから始められている。 
サウロとサムエルの確執は、新時代と旧体制の葛藤でもあった。 
しかしこの軍事的王政国家への歴史的移行は大きな欠陥を内包していた。
その欠陥を克服し、新時代を築いたのがダビデであった。 
ダビデは、ペリシテ戦争において喪失した「神の箱」を、本来はイスラエル領ではなかったエルサレムに
搬入し新都を造営することで前時代からの連続する宗教的正当性(神の箱)によって裏付けられた政権
を確立することに成功したのであった。

 しかし、後半はむしろダビデの宮廷に生起した極めて私的な問題が叙述の中心である。
バト・シェバ事件や、ダビデの息子たちの葛藤など、それは徹底した世俗世界に生きた人間の記録である
とも言えるだろう。 サムエル記は俗事に生きた人間のドラマを描写することで、実は出来事の深層に
神の働きを洞察しているのである。
国家崩壊という現実的な危機に直面して、その深層に隠された神意を明らかにすることこそ、史家が
サムエル記に託した隠された意図であったのだろう。
一方で、神による「選び」を描きながら、一方で、人間のドラマを克明に描写しているところに、
単純な歴史物語であることを超えた本書の魅力があるのだろう。 (中村信博氏による解説)


解説を心に留めて読むと少しは理解が深まるのでは、と自分に期待しているのですが・・・・・
頑張らねば・・・・・
サムエル記は歴史物語として、私にとっては読みやすい物語です。


虫でもいるのでしょうか、真剣に枝を突く<コゲラ>
日本で一番小さなキツツキです。


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渋谷の地にあって苦しむ人、重荷を負う人、空しい思いで生きている人、淋しい人等などに
美竹教会が暗い海の燈台の明かりのように、輝いて見えますように。
そして、そういう方たちが教会の扉を押して、神様を求めてお訪ねくださいますように。
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「サムエル記」解説

2015-02-04 22:16:14 | 聖書
「サムエル記 下」を読み始めました。
ここで、聖書を読むにあたっての私の唯一の参考文献「聖書事典」から
サムエル記の解説を抜き書きします。
聖書事典も何回読んでも記憶に残らず、読むたびに新鮮に感じてしまいがっかりです。 
が、ここでも never give up! 懲りずに何度も読みます。

以下、聖書事典の「サムエル記 上・下」の解説より・・・・・・・・

サムエル記は通常下のような物語群による構成と考えられている。
①ペリシテ戦争と指導者サムエル(サム上1-7章)
②王国の府立(サム8-12章)
③サムエルとサウル(サム上13-15章)
④サウルとダビデの確執(サム上16-31章)
⑤ダビデ政権の確立(サム下1-8章)
⑥王家の内紛と王位継承問題(サム9-20章)
⑦ダビデ支配に関する諸伝承(サム下21-24章)

時代背景
古代イスラエルにおける王政導入は、この民族がそれまでに体験したあらゆる事態の中で
もっともはげしい社会の変革を伴うものであった。
サムエル記はちょうど前1050年から1000年頃までの短期間に、彼らが遭遇した未曾有の
出来事を“ある歴史観”に基礎を置いて報告しているのである。
“ある歴史観”とは「申命記主義的歴史観」とでも呼ぶべきものであるが、それは
申命記を歴史観の前提とすることで国家崩壊へと至った自民族の悲劇の原因を明らかに
しようとする、一連の歴史編纂のことである。
その編纂者は便宜的に申命記史家などと呼ばれるが、彼らの編纂は前6世紀の国家崩壊期
(バビロン捕囚)から何段階もの編集を経て最終作業はペルシア時代(前4世紀後半)
にまで及んだようである。

抜き書き、今日はここまでといたします。 


殆ど姿を見せずにチャッチャと地鳴きしていた<ウグイス>が
姿を見せ始めました。 春になってホーホケキョと囀るように
なると都会の公園から山に戻っていきます。

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「ヨシュア記」読み始めます。

2014-12-16 17:10:22 | 聖書
「申命記」読み終わりました。 今日から「ヨシュア記」を読みます。
まず「聖書事典」で「ヨシュア記」についてのお勉強です。

ヨシュア記は荒れ野彷徨時代が終わり、士師時代が始まる前まで、すなわち、イスラエルの民が、
モーセの後継者ヨシュアの指導の下に約束の地カナンに入り所有するまでの歩みを語る。
全体は大きく、第1部1章「序」、第2部2-12章「カナン征服」、第3部13-22章
「征服した土地の各部族への分割」、第4部23-24章「結論と歴史的記述」の四つに
分けることができる。

ヨシュア記はヨシュアを「第2のモーセ」として描く。
ヨルダン川渡渉の際「包みを乞えんばかりに満ちていた水が、人々が足を水につけると
水は川上で壁のように立った」り、ヨシュアも神の顕現を体験し、靴を脱ぎ、
エバル山でモーセが書いた律法の写しを石に刻み朗読したり、モーセがヨルダン川東岸の
領地をルベン、ガドの2部族、およびマナセの半部族に
分けたように、ヨシュアは占領した西岸の地を9部族とマナセの半部族の領地と決めた。
このようにヨシュアはモーセの仕事をそのまま継続している。
また、モーセ同様、ヨシュアは神との契約の仲介者としての役割も果たしている。
民は「モーセを敬ったように、ヨシュアをその生涯を通じて敬った。」

ヨシュアはカナンの町々に電撃的な攻撃を仕掛け(「ただ一回の出撃で」)南は
ネゲブの全域から北はヘルモン山麓レバノン谷間でを占領する。
しかし、同時にカナンの王たちとの戦いに長い年月を要し、ヨシュアが老いた時に
「占領すべき土地はまだたくさん残った」状態で「追い出せなかった」あるいは
「追い出さなかった」住民がその後も住み続けたという記事が散在する。

著者はヨシュア本人ではなく長い編集過程を経て記されたことは明らかである。
本書が最終的にまとめられたのは、前7世紀末のヨシヤの時代、あるいは前6世紀の
バビロン捕囚時代であり、いわゆる申命記的史家によると思われる。
その編集の糸は、イスラエルの繁栄は神の対する愛と信頼、具体的には律法の遵守に
よって保たれることを人々に教え、その視点からイスラエルの過去を回顧し
反省したことにある。
                 **********************以上、「聖書事典」からの抜書き



ムクノキの実に飛びつく<オナガ>です。

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もし、神様が私の隣にいてくださらなかったら、私は生きている虚しさに耐えられないと思います。
うろ覚えですが、星野富弘さんの詩に、「自分が一番大切だと思っていた時は生きているのが苦しかった。
自分より大切なものがあると知った時から生きてくのが楽しくなった」というような言葉がありました。
年老いた私ですが、少しでも健康で神さまの証しをしたいと、今は生きていることが辛くなくなりました。
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共観福音書

2014-11-15 21:39:01 | 聖書
どう考えても「ヨハネによる福音書」は最初から難しい。
フト、共観福音書という言葉が頭に浮かびました。 昔、どこかで聞いたような。
 
早速ネットで検索したところ、Wikipedia に易しい解説がありました。****************↓

Synoptic Gospels 共観福音書(きょうかんふくいんしょ)は、キリスト教の新約聖書の四つの福音書のうち、
ヨハネ伝を除くマタイ伝、マルコ伝、ルカ伝のことを指す。
この3つには共通する記述が多く、同じような表現もみられる。
聖書学の研究の結果、本文を相互に比較し、一覧にした共観表(シノプシス synopsis)が作られたことか
共観福音書と呼ぶようになった。

ヨハネ伝は同じ出来事を描写するときにも、他の3つとは異なった視点やスタイルをとることが多い上に、
他の3つの福音書に比べて思想・神学がより深められている。
イエスを神であると明言し、はっきり示すのはヨハネ伝のみである。

マルコ伝の661節のうち、606節がマタイ伝と、320節がルカ伝と共通する内容だと言われる。**************

昨夜、ざっとではありますが、マタイ、マルコ、ルカ、を見直してみました。 読み直したのではありません。(^^;)  
やはり、ヨハネ伝は違う気がしました。 どうやら素人信者の私の感覚は間違ってはいなかったようですね。
それにしても今頃気付くなんて、福音書を読むのは何度目なのヨ、自分! と思わず突っ込みを
入れたくなるほど私は、いい加減な聖書の読み方をしているようです。 反省しました。


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明日の礼拝説教ではどんな説き明かしが聞けるのでしょう、楽しみです。
ア、礼拝は決して説教だけでなく、祈りも讃美歌も献金も全てが神さまを賛美するものですね。
明日も思いきり大きな声で讃美歌を歌います!
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「レビ記」の年代と著者

2014-10-22 21:28:29 | 聖書
「レビ記」からまだ脱出できません。 「神聖法集」(17章~26章)の中をさまよっています。
ちょっと一服、ではありませんが、今日はレビ記の年代と著者について「聖書事典」でお勉強。

レビ記は「第3モーセの書」と言われて、伝統的にモーセが著者と考えられてきた。
確かにレビ記にはモーセ時代にさかのぼると思われる宗教的慣習や蜂起があると思われるが、
モーセがこれらの法の著者ではない。
レビ記は、イスラエルの長い歴史において徐々に成長・発展していった。
ある時に一人の著者によって作られたのではない。

レビ記が現在の形になったのは、捕囚後の時代である。
約束の地において共同体が回復されるのが実際に可能であった時代であり、多分前6世紀の後半であろう。
これを編集したのは、捕囚から帰還した祭司の集団である。
アロンが祭司集団の先祖として重要な役割を担うのは、捕囚後の祭司集団の特徴である。
彼らは、多分王国時代にイスラエルのいろいろな聖所で伝えられていた様々な法を編集した。
それゆえに、レビ記には実に様々な時代の法の資料が含まれている。 (以上、「聖書事典」からの抜書)


*****************************************************************
いよいよ今週の日曜日になりました。
10月26日(日) 
青山学院大学聖歌隊による礼拝での讃美奉唱 & コンサート
礼拝は午前10時半~11時45分 その後、引き続いてコンサートとなります。
入場無料です。 どなたでもご自由にお入りください。

美竹教会のホームページにもお知らせが載っています。 クリックしてご覧ください。


今日の写真は順番に樹の洞の水を飲むオナガの雛たちです。
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聖書66巻の英語書名

2014-09-29 21:11:24 | 聖書
以前、美竹教会の礼拝にアメリカ人の女子学生が来ました。
たまたま私の隣に座ったのですが、日本語の週報を見ていただいても彼女には伝わりませんよね~。
せめて説教のタイトルと聖書の箇所くらいは英語で伝えたいと思ったのですが、
私は聖書66巻の英語タイトルが全く分かりませんでしたので、本当に残念な思いがしました。

今日は少し時間があったので「聖書66巻の英語書名」を調べてみました。 
これで、もう大丈夫・・・・かな? 
いくつになっても知らないことを覚えるのは楽しいものですね!

旧約聖書の英語タイトル


新約聖書の英語タイトル



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産めよ、増えよ、地に満ちよ

2014-08-19 20:12:05 | 聖書
「創世記」10章から13章にかけてノアの子孫が書かれています。
読んでいるうちに興味津々、いたずら書きでメモをとってみました。
神さまからの「産めよ、増えよ、地に満ちよ」は決して言葉のアヤではなく
ヘブライ人は本当にパワフルに増えていったのですね。




メモ見て、あらためて子孫の多さに驚きました。
「創世記」46章にはヤコブのエジプト下りの話が載っていますが、エジプトに
下った時のヤコブの一族は総勢70名、大家族です。
ヨセフも死んで何代か先になると、ファラオはヘブライ人の潜在能力を恐れて
彼らを虐待しましたが、ファラオの恐れも納得できる気がします。



公園では<センニンソウ>が咲き始めました。
夏はまだまだ真っ盛りですが、時間は確実に進んでいます。


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