菅原道真公は天拝山にて雷神との感応があったとして
小林永濯は『道真天拝山祈祷の図』 を描いている。
現在ボストン美術館に収蔵されているこの絵は
1874-79年(明治7-12年)頃の作であるらしい。
この元ネタは人形浄瑠璃および歌舞伎の演目の
『菅原伝授手習鑑』の天拝山の段などであろう。
『道真天拝山祈祷の図』
この絵の作者が「天之瓊矛を以て滄海を探るの図」の作者と
同じであると知った時に驚いたことを覚えている。
『天之瓊矛を以て滄海を探るの図』
先日 全国のサムハラお守りを調べているときに
福岡の糸島の真言宗の雷山千如寺大悲王院の開創の縁起が
成務天皇の四十八年に雷山の地主神である雷大権現の招きで
日本に渡来されたという伝承のある
天竺インドの霊鷲山の僧清賀上人であるという事を知り
調べてみるとこの雷山(いかずちやま)には古くより雷神社が存在し
雨乞い祈祷が為されていたという事であった。
ここは雨乞いの山であるが八大龍王神の祭祀ではなく
雷大権現を祭祀しているという事に大いに興味を持った。
サムハラお守りと関係してくるのは雷大権現なのか僧清賀上人なのかも知りたいものである。
雷神で思いつくのは火雷大神である。(火雷大神=ほのいかづちのおおかみ)
伊邪那岐命が黄泉の国に下った際に伊邪那岐命は体に蛆がたかり、
頭に大雷神、胸に火雷神、腹に黒雷神、女陰に裂雷神、左手に若雷神、
右手に土雷神、左足に鳴雷神、右足に伏雷神と8柱の雷神が成っていたという。
先週夏越しの参拝で福岡の志賀島の志賀海神社と宗像大社に行く際に
ついでに早起きして雷山千如寺大悲王院と雷神社にも寄ろうという計画を立てた。
それで6時に自宅を出発したのだが九州自動車道路の佐賀県三養基郡基山町の
道路下が立野駅という所でタイヤがバーストしてしまった。
その時のドライブレコーダー画像が以下となる。
丸で囲んだ黒い金属物体に乗り上げて左前方タイヤがバーストしてしまった。
路肩に停車して修理しようとしたのだがパンク修理キットでは修理不能な状態だった。
今の自動車はがっかりなことにスペアタイヤを積んでいない。
それでJAFを呼んで牽引してもらうことにした。
たかだか車のパンクが高速道路上だと
NEXCOのパトロールカーにJAFの応援隊に警察パトカーにJAFの牽引車と
大所帯の大トラブルに発展してたくさんの方にご迷惑を掛ける結果となってしまった。
申し訳ない。
それで牽引されて連れていかれた先が天拝山の上り口そばのオートバックスだった。
『音霊に捧ぐNo462』のコメント欄でさくら様と天拝山の雷神について
話したばったかりの時に天拝山に連れていかれる事態となってしまった。
これはとても偶然とは思えない。
いったい何を踏みつけたのかは結局分からずじまいであるが
同乗していた嫁があとで『道真天拝山祈祷の図』を見て
道路上の物体の写真と道真公の頭冠の垂纓冠のウサギの耳が類似していると言った。
残念なことに添付した動画を切り取った写真は画質が悪いが
似ている気もする。
このタイヤバーストのトラブルで結構時間を取られたので
志賀海神社・宗像大社を選ぶか雷神社・千如寺を選ぶかの二択となってしまった。
雷神社・千如寺は今回参拝しなければ生涯足を向けることがないことが
分かっていたし引くに引けない感じもしたので恐れながらも糸島コースを選択した。
ところで天拝山から雷山は真西の方向になる。
現在の天拝山には展望台があり福岡方面を含めた筑紫平野を一望できる。
ただ西側方面は低木があって視界が良くない。
少し伐採すれば良く見えるはずでその時に雷山が見えるのかをカシバードで確認してみた。
標高257.4mの山頂からは標高954.5mの雷山までは距離26kmで他の山に遮られることなく眺望が臨める。
googleでの鳥瞰図
カミナリ様はこういう眺望を眺めているのであろうか。
追記
今回は火雷大神と龍宮の海の女神との対比であったが
火と水を縦横に組み合わせる神業は困難であることを痛感している。
あまりにもその困難さを象徴する暗示が多くて困惑している。
前回のブログ記事『霝しずくの不思議』
の後半に東名高速バス事故で東神観光で888という符号の違和感を記載したが
写真をよく見ると飛んできたマツダのスカイアクティブのデミオが
ほぼ原形をとどめていない位の壊れ方をしているのに
マツダの「フライング・M」と呼ばれるエンブレムだけが
損傷なく銀色に輝いているのが目立つ。
最初に写真を見た時よりバスの888ナンバーと「フライング・M」の対比が気になっていた。
前回のブログでバスについては
東名高速バス事故で東神観光で888という符号について
東の神といえば青龍でありその数字は888と示したが
マツダのフライング・Mのエンブレムが輝くのを見て感じたのは
MAZDAという社名の別の意味であるアフラ・マズダー (Ahura Mazdā)という神が
示す火そのものである。
アフラ・マズダーとは、古代ペルシアを起源とする宗教であるゾロアスター教の最高神であるが
ゾロアスター教は拝火教とも呼ばれていて火の神とされる。
火の神のフライングアタックは確かに縦横となって組合わさったが
全然いい結果には結びつかなかった。
これはあまり言いたくはないがきっとどこかで誰かが
火と水の組み合わせの神業を行った結果であろう。
ニキ様から以下のコメントが『吉田一氣の信仰と祈り』に届いた。
孔雀 (二キ)2017-07-10 02:33:59
九州北部の大雨被害にあわれた皆様にお見舞い申し上げます。
今回は脊振山地の辺りでの積乱雲が原因のようで、
雷山の記事が出た後だったので、気になっています。
雷神と霝神の相性問題は解消されたのでしょうか? 引用終り
気象情報を調べてみると
発表では「福岡・佐賀県境にまたがる脊振山の西側から
斜面を上って上昇気流が生まれ、積乱雲が発達。
山に沿って線状降水帯が次々と形成され、
福岡県朝倉市や大分県日田市などに大雨をもたらした。」
ということらしいです。
今回の件 関係する神霊の候補は
雷神 火雷神 摩多羅神 音霊 菅原道真公などであろうか?
これらを考慮すると一つの神社が頭に浮かんできた。
被害の大きかった朝倉市の麻底良山295m山頂の麻氐良布神社だ。
この神社は日神信仰としては天照(アマテル)」として祭祀され
星神信仰としては「麻多羅(マタラ)神」として祭祀されている。
また日本書紀では齋明天皇(女帝)の条に以下の記述がある。
「五月乙未朔癸卯、天皇遷居于朝倉橘廣庭宮。是時、斮除朝倉社木而作此宮之故、
神忿壤殿、亦見宮中鬼火。由是、大舍人及諸近侍病死者衆。丁巳、耽羅始遣王子阿波伎等貢獻。」
「六月、伊勢王薨。秋七月甲午朔丁巳、天皇崩于朝倉宮。
八月甲子朔、皇太子奉徙天皇喪、還至磐瀬宮。是夕於朝倉山上有鬼、着大笠臨視喪儀、衆皆嗟怪。」
「百済が滅びた660年に百済救援のために齋明天皇が朝倉の宮に移られた時、
朝倉の社の木を切ってこの宮を建てた。
そのため神が怒って御殿を壊した。
宮殿内に鬼火があらわれ、多くの者が病で死んだ。」
「天皇が崩御された時、朝倉山の上に鬼があらわれ、
大笠を着て喪の儀式を覗いていた」
朝倉の社の木というが麻氐良布神社であるという。
麻氐良布の神は、雷神であり鬼に化身する神霊でもある。
齋明天皇(女帝)はこの朝倉宮で崩御されるのだが
これも続く祟りであろうか。
いやはやなんとも恐ろしい話である。
小林永濯は『道真天拝山祈祷の図』 を描いている。
現在ボストン美術館に収蔵されているこの絵は
1874-79年(明治7-12年)頃の作であるらしい。
この元ネタは人形浄瑠璃および歌舞伎の演目の
『菅原伝授手習鑑』の天拝山の段などであろう。
『道真天拝山祈祷の図』
この絵の作者が「天之瓊矛を以て滄海を探るの図」の作者と
同じであると知った時に驚いたことを覚えている。
『天之瓊矛を以て滄海を探るの図』
先日 全国のサムハラお守りを調べているときに
福岡の糸島の真言宗の雷山千如寺大悲王院の開創の縁起が
成務天皇の四十八年に雷山の地主神である雷大権現の招きで
日本に渡来されたという伝承のある
天竺インドの霊鷲山の僧清賀上人であるという事を知り
調べてみるとこの雷山(いかずちやま)には古くより雷神社が存在し
雨乞い祈祷が為されていたという事であった。
ここは雨乞いの山であるが八大龍王神の祭祀ではなく
雷大権現を祭祀しているという事に大いに興味を持った。
サムハラお守りと関係してくるのは雷大権現なのか僧清賀上人なのかも知りたいものである。
雷神で思いつくのは火雷大神である。(火雷大神=ほのいかづちのおおかみ)
伊邪那岐命が黄泉の国に下った際に伊邪那岐命は体に蛆がたかり、
頭に大雷神、胸に火雷神、腹に黒雷神、女陰に裂雷神、左手に若雷神、
右手に土雷神、左足に鳴雷神、右足に伏雷神と8柱の雷神が成っていたという。
先週夏越しの参拝で福岡の志賀島の志賀海神社と宗像大社に行く際に
ついでに早起きして雷山千如寺大悲王院と雷神社にも寄ろうという計画を立てた。
それで6時に自宅を出発したのだが九州自動車道路の佐賀県三養基郡基山町の
道路下が立野駅という所でタイヤがバーストしてしまった。
その時のドライブレコーダー画像が以下となる。
丸で囲んだ黒い金属物体に乗り上げて左前方タイヤがバーストしてしまった。
路肩に停車して修理しようとしたのだがパンク修理キットでは修理不能な状態だった。
今の自動車はがっかりなことにスペアタイヤを積んでいない。
それでJAFを呼んで牽引してもらうことにした。
たかだか車のパンクが高速道路上だと
NEXCOのパトロールカーにJAFの応援隊に警察パトカーにJAFの牽引車と
大所帯の大トラブルに発展してたくさんの方にご迷惑を掛ける結果となってしまった。
申し訳ない。
それで牽引されて連れていかれた先が天拝山の上り口そばのオートバックスだった。
『音霊に捧ぐNo462』のコメント欄でさくら様と天拝山の雷神について
話したばったかりの時に天拝山に連れていかれる事態となってしまった。
これはとても偶然とは思えない。
いったい何を踏みつけたのかは結局分からずじまいであるが
同乗していた嫁があとで『道真天拝山祈祷の図』を見て
道路上の物体の写真と道真公の頭冠の垂纓冠のウサギの耳が類似していると言った。
残念なことに添付した動画を切り取った写真は画質が悪いが
似ている気もする。
このタイヤバーストのトラブルで結構時間を取られたので
志賀海神社・宗像大社を選ぶか雷神社・千如寺を選ぶかの二択となってしまった。
雷神社・千如寺は今回参拝しなければ生涯足を向けることがないことが
分かっていたし引くに引けない感じもしたので恐れながらも糸島コースを選択した。
ところで天拝山から雷山は真西の方向になる。
現在の天拝山には展望台があり福岡方面を含めた筑紫平野を一望できる。
ただ西側方面は低木があって視界が良くない。
少し伐採すれば良く見えるはずでその時に雷山が見えるのかをカシバードで確認してみた。
標高257.4mの山頂からは標高954.5mの雷山までは距離26kmで他の山に遮られることなく眺望が臨める。
googleでの鳥瞰図
カミナリ様はこういう眺望を眺めているのであろうか。
追記
今回は火雷大神と龍宮の海の女神との対比であったが
火と水を縦横に組み合わせる神業は困難であることを痛感している。
あまりにもその困難さを象徴する暗示が多くて困惑している。
前回のブログ記事『霝しずくの不思議』
の後半に東名高速バス事故で東神観光で888という符号の違和感を記載したが
写真をよく見ると飛んできたマツダのスカイアクティブのデミオが
ほぼ原形をとどめていない位の壊れ方をしているのに
マツダの「フライング・M」と呼ばれるエンブレムだけが
損傷なく銀色に輝いているのが目立つ。
最初に写真を見た時よりバスの888ナンバーと「フライング・M」の対比が気になっていた。
前回のブログでバスについては
東名高速バス事故で東神観光で888という符号について
東の神といえば青龍でありその数字は888と示したが
マツダのフライング・Mのエンブレムが輝くのを見て感じたのは
MAZDAという社名の別の意味であるアフラ・マズダー (Ahura Mazdā)という神が
示す火そのものである。
アフラ・マズダーとは、古代ペルシアを起源とする宗教であるゾロアスター教の最高神であるが
ゾロアスター教は拝火教とも呼ばれていて火の神とされる。
火の神のフライングアタックは確かに縦横となって組合わさったが
全然いい結果には結びつかなかった。
これはあまり言いたくはないがきっとどこかで誰かが
火と水の組み合わせの神業を行った結果であろう。
ニキ様から以下のコメントが『吉田一氣の信仰と祈り』に届いた。
孔雀 (二キ)2017-07-10 02:33:59
九州北部の大雨被害にあわれた皆様にお見舞い申し上げます。
今回は脊振山地の辺りでの積乱雲が原因のようで、
雷山の記事が出た後だったので、気になっています。
雷神と霝神の相性問題は解消されたのでしょうか? 引用終り
気象情報を調べてみると
発表では「福岡・佐賀県境にまたがる脊振山の西側から
斜面を上って上昇気流が生まれ、積乱雲が発達。
山に沿って線状降水帯が次々と形成され、
福岡県朝倉市や大分県日田市などに大雨をもたらした。」
ということらしいです。
今回の件 関係する神霊の候補は
雷神 火雷神 摩多羅神 音霊 菅原道真公などであろうか?
これらを考慮すると一つの神社が頭に浮かんできた。
被害の大きかった朝倉市の麻底良山295m山頂の麻氐良布神社だ。
この神社は日神信仰としては天照(アマテル)」として祭祀され
星神信仰としては「麻多羅(マタラ)神」として祭祀されている。
また日本書紀では齋明天皇(女帝)の条に以下の記述がある。
「五月乙未朔癸卯、天皇遷居于朝倉橘廣庭宮。是時、斮除朝倉社木而作此宮之故、
神忿壤殿、亦見宮中鬼火。由是、大舍人及諸近侍病死者衆。丁巳、耽羅始遣王子阿波伎等貢獻。」
「六月、伊勢王薨。秋七月甲午朔丁巳、天皇崩于朝倉宮。
八月甲子朔、皇太子奉徙天皇喪、還至磐瀬宮。是夕於朝倉山上有鬼、着大笠臨視喪儀、衆皆嗟怪。」
「百済が滅びた660年に百済救援のために齋明天皇が朝倉の宮に移られた時、
朝倉の社の木を切ってこの宮を建てた。
そのため神が怒って御殿を壊した。
宮殿内に鬼火があらわれ、多くの者が病で死んだ。」
「天皇が崩御された時、朝倉山の上に鬼があらわれ、
大笠を着て喪の儀式を覗いていた」
朝倉の社の木というが麻氐良布神社であるという。
麻氐良布の神は、雷神であり鬼に化身する神霊でもある。
齋明天皇(女帝)はこの朝倉宮で崩御されるのだが
これも続く祟りであろうか。
いやはやなんとも恐ろしい話である。
先ず、冥界のイザナミに付いていた八柱の雷神という構図が気になります。
一つ目は言うまでもなく、八岐大蛇を彷彿とさせる事と、二つ目が私の夢に出てきた「九つの頭を持つ大蛇を伴った怒りに震える女神様か巫女さん」の姿とも重なるからです。(天川弁財天みたいな感じ)夢の中でその女神様か巫女さんは自らをサクヤと名乗っていました。サクヤ姫と云えば阿多隼人とも繋がりが深いですし、隼人の渦巻き紋様も稲妻を象ったものとされています。
もう一つ、八柱の内の一柱である火雷神と何処まで関係があるか判りませんが、三輪に入婿して来た饒速日(蘇我・秦と同じ民族?)と三輪の領有を争って敗北したのが男系に高御産巣日の血を持つ火雷命だと伯母が夢で教えてくれました。彼は饒速日の妻の兄で、賀茂一族と婚姻関係を結んでいました。火雷命と賀茂玉依姫との間に産まれた男児は、火雷命の母親である息長姫(神功皇后とは別人との事)の取り成しにより、嫡男を亡くしていた出雲の大己貴命と田心姫の特別養子となって後に出雲王になったとの事です。
4556
火雷神と火雷命との繋がりも含めて
今後の課題ですね。
今まで雷神について全くの不勉強でしたが
火雷神と八岐大蛇との関係についてと
雷神と敵対する可能性が高い龍宮との関係について
調べていく必要性を感じています。
どうもここでいう雷神は風神雷神の雷神というより
怒りのいかづち神ということのようです。
出雲対日向や出雲対三輪の構図も有名ですが、この根本に「意図的に作り上げられた雷神と海神の対立構造」が見えてくるのです。高御産巣日の系図を研究されているとくこ様から色々伺った事でそれが確信に変わりました。雷を崇拝している隼人も海人族なので、海の神を崇拝しない訳がありませんし。
三輪が日向に平定されたのではなく、その根底には高御産巣日大物主が辛国息長大姫大目の徳に感銘を受けたから、三輪が日向の下に付く形で同盟を結んだのです。伯母の話では、この時の大物主は王に即位したばかりで尚且つ年齢も若過ぎた為に彼を軽視する勢力が現れたそうです。そんな時に都城で困窮していた「徳の高い巫女女王」の息長大日霊女の噂を聞き付けて彼女の元に船を飛ばして駆け付けた所、その噂が真実であった事が判明したとの事。そこで早速大物主は息長大目と結婚してしまったそうです。大物主は息長大姫が率いてきた民も纏めて引き取ったといいます。息長大姫を后に迎えた所、三輪は再び纏まったそうです。息長大姫がバラバラになりかけていた三輪を一つに纏めたとの事でした。大物主よりも息長大姫の方が年上だったそうです。
日本書記はひた隠しにしていますが、高御産巣日が大日霊女と結婚していたのは公然の事実です。これも高御産巣日の系図からわかる事です。
3641
8153
賀茂玉依姫は夫・火雷命が饒速日との戦いで戦死した後、その忘れ形見の息子をも出雲へ差し出さねばなりませんでした。夫の父親である先代の大物主は出雲の大己貴とも非常に懇意だったそうで、困難に遭遇した時は互いに助け合う協定を結んでいた事もとくこ様経由で確信に至りました。大物主の未亡人となった大日霊女は亡き夫の遺志を尊重しつつ、息子の火雷命の子の社会的な身分も保証される道を選んだのです。この時の大日霊女と旧都城勢力の行動を、賀茂玉依姫とその身内が快く思ったでしょうか?また、火雷命派の三輪勢力もこの時の大日霊女の決断は頂けなかった筈です。
反・龍宮かつ怒れる雷神のルーツは、高御産巣日男系の火雷命派の三輪勢力と賀茂玉依姫の実家の賀茂勢力が由来かもしれないと私は考えます。
2141
9499
曇=空が雲で覆われていること
何故、インドの文字・文体の一種で、字の形や音韻・字義のことを、「ことごとく空が雲でおおわれている」→月や星・太陽が見えない状態。水っぽいです。
雷山は、どうも荒神(塵輪鬼=八岐大蛇=摩多羅神=鬼子母神など違う異称ですが)本質はほぼ一緒のような気がします。
円仁の勧奨により、引声念仏(水・瑞)で摩多羅神を引き寄せますが、鼓を雷音(火・厳)の代わりとみなし、二人の童ですが、どうも男女の和合の歌を歌います。クロス、十字が必要なようです。密教であり、秘儀中の秘儀で口伝ですので、悉曇のことは載っていません。呉音霊と悉曇霊を縦横にさせるという吉田さまの発想は奇想天外です。天才でしょう。
私の前に「とどろみ」「とどろき」が現れました。音霊さんです。建仁寺の龍「海北松友」氏が二匹の雲龍を描いています。絵には必ず、グルグル渦が描かれていました。この雲龍が「とどろみ」「とどろき」のイメージになます。サムハラとはま九頭竜のことらしいですね。「とどろみ」一帯は九頭竜伝説の場所であり、天台宗三井寺、阿蘇山なども九頭竜伝説があります。
赤山禅院には赴きます。あの辺りは、色々探っていました。曼殊院では、カメラのシャッターが下りない場所がありました。何回押してもダメでした。カメラが壊れたのかと思いましたが、違う場所は写せました。雲母とか、八大神社の槍の祭りは神様を招き寄せるために、ぴらんぴらんと槍が動きます。これとほぼ一緒の祭りが大豊神社でした。七面祠、隕石の祀っている神社など謎だらけです。888と赤山明神の謎。泰山府君、私は吉野の「五嶽神鏡」にお世話になりましたので、泰山府君も調べます。奥が深そうです。五嶽の一つ泰山(東)、道教が絡みますね。観音信仰、弥勒信仰、冥界の神様。
888年より以前に、横川中堂に赤山明神社(赤山宮)小社を建立している。
赤山禅院 888年創建。
890年には藤原基経が年給を施入し、宇多天皇が感悟して内給を賜った。
ここで、大豊神社と六孫王神社、祇園の八坂神社の藤原さんが登場します。藤原氏は少彦名神を祀られていましたね。これをみて、何だか安心しました。私のミッションはとりあえず、大丈夫でしょう。私の命がかかっていると必死で調べました。
前唐院には、天台宗の兜跋毘沙門天がいるみたいです。赤山明神は、泰山府君とか言われているようですが、実は毘沙門天に似ている武神だそうです。円仁感得の毘沙門天がいてもおかしくないようです。毘沙門天がでてくるとは、少しびっくりです。
ご返信、ありがとうございます。
こちらのコメントにふさわしくなければ、移動をお願いします。
実は、吉田様の2017-06-13 23:53:01のご返信を拝見し、「分け御霊」の他に「夜明け(昼でも夜でもない)」「泡」というイメージも浮かんでいました。それで「夜明け」「泡」だと人魚姫?と思っていたのですが、何故か「ヴリトラ」が出て来ました。
Wikipediaより「ヴリトラ」の気になる箇所を抜粋。
「『リグ・ヴェーダ』においては、ヴリトラは「足なく手なき」「肩なき(怪物)」「蛇族の初生児」とされている。ヴリトラはその巨大な体で水を塞き止めて山の洞窟に閉じ込めていた。インドラは、工匠トヴァシュトリが作った武器・金剛杵(ヴァジュラ)を用いてヴリトラを殺害した。ヴリトラがインドラに倒されると、水が解放されて、雌牛の咆吼のような音を立てながら海へと流れていったという。(あるいは、「雲の牛群」とも表現される雨が解放される)。」また、「叙事詩『マハーバーラタ』ではヴリトラとインドラは戦闘の後、ヴィシュヌ神の仲介により和平条約を結んだ。この時ヴリトラは「木、岩、武器、乾いた物、湿った物、ヴァジュラのいずれによっても傷つかず、インドラは昼も夜も自分を殺すことができない」という条件を勝ち取った。その後ヴリトラが、昼でも夜でもない明け方または黄昏時に海岸にいたところ、インドラが木、岩、乾いた物、湿った物のいずれでもない海の泡を用いて攻撃してきた。泡にはヴィシュヌが入り込んでおり、この泡によってヴリトラは殺された。」
インドラは雷神ですね。ヴリトラは炎から生まれたとのこと。同じような神話はインドラとナムチの間でも展開されます。また、工匠トヴァシュトリの「胎児が望まれたときにその力を発揮する人類や動物の肉体の形成者であり、ガルバパティ (garbha-pati) または「胎の主」と呼ばれる。」との情報は豊玉姫の神格によく似ています。
以前、吉田様に神蛇大王の神格を確認したのは、神蛇大王が赤い身体で表現されているからです。火の神格があるのかしらと思ったのでした。
別記事「記載途中 天拝山の雷神と雷山の地主神である雷大権現」で話題になっている雷山千如寺大悲王院と雷神社にも何故か2、3年前に参拝しています。雷山千如寺近くのバス停から沢に沿って雷神社まで行きました。清流と滝と磐坐、大銀杏と杉の巨木。白蛇神と書かれた石。一部真っ赤に紅葉した大楓。確か宗像大社と併せて行こうとして行けなくて、糸島巡りに変更した気が・・・。(宗像大社と大島は翌日ご参拝。)
一宮以外でご参拝した神社さんが出てくると嬉しい反面、何だか仕組まれているようで複雑な心境です。
霝神と雷神は相性問題がある可能性があるので
こちらの問題提起と検証篇に移動させていただきました。
ところでこのインド神話の伝承の事は
すっぽり頭から抜け落ちていましたが
雷神の考察にインドラの話はいいヒントを与えてくれそうです。
有難うございます。
それから泡についてはいろいろと感じていることもあるので
そのうちブログ記事にまとめたいと思います。
六孫王神社は、源経基氏でした。
私の大豊神社のコメントも訂正です。
ただ、六孫王神社にも少彦名神の秘密が隠されていました。
この、藤原基経氏は菅原道真氏と軋轢があったようです。
阿衡事件です。その後、宇多天皇と基経は関係を修復され、888年娘の温子が女御に上がっている。しかし、長男時平「左大臣」菅原氏「右大臣」の時に、戯言により菅原氏は左遷されます。888年藤原基経氏は、上手く取り入れたのでしょう。その後、菅原氏は天拝山で雷神とのご縁ができ、雷神が天罰として、藤原氏を祟ったのでしょう。
藤原氏もうまく取り入れていますが、(あえて主語は省きます)、あともう一歩がねぇです。火・厳は知らねばならないようです。
もはや私の個人的な妄想なんて入る余地が無さそうですね。
インド神話(リグ・ヴェーダ)からの考察も大変興味深いです。インドラが倒したヴリトラという大蛇(?)の魔物って、何となくヒルコを連想してしまいました。その姿の形容の仕方が似通っていると思ったからです。ヒルコは産まれて直ぐに捨てられて依頼、メインの神話がありません。もしかしたら日本神話にも元来はヒルコにまつわるエピソードがあったのかもしれないですが、日本書記や古事記の編纂途中で意図的に削除されたのかもしれないですし。
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