吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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モモソヒメ関連 吉田一氣ブログコメント等確認 時系列データー No460

2017-06-01 14:49:40 | 神霊界考察
モモソヒメ関連 吉田一氣ブログコメント等確認 時系列データー

コメント等で抜けているものがあればお教えください。




姫呉楚について
2017-01-08 15:02:38 禮月様
昨晩の夢で伯母が教えてくれた事ですが、
モモソ姫は邪馬台国の女王イヨの娘だそうです。
更にモモソ姫と大物主の間に産まれた王子も日本武尊を名乗っていたそうです。
ただこの日本武尊とモモソ姫の母子は系譜から削除されていると言っていました。

モモソ姫の漢字表記は百楚姫で姫呉楚の国の王女かな?と
思っていましたがもしかしたら百蘇姫と書くのかもしれません。
更に日本武尊の対外的な称号が「白鳳豫」だと伯母が言っていたので、
この豫が祖母であるイヨの「ヨ」なのかな?と考えました。
中国の上海には豫園があります。上海の東隣は江蘇省で、
何となくイヨ・モモソ姫母娘のルーツの臭いがするのです。
魏誌倭人伝の卑弥弓呼素は姫姑蘇でイヨの実家の国なのかもしれません。

2017-01-08 16:01:38 禮月様
本武尊の称号と伯母から教えられた「白鳳豫」の「白」の部分は「百」の可能性があるとの事です。
ピンインで読めば「白」も「百」も同じ「バイ」です。
中国人は倭人から聞き取った音に近い読み方をする漢字を当てているとの事なので、
「百鳳豫かもね。当時の中国人が倭人語の『バイ』や『パイ』という音を表記する場合には
白と百も両方使った可能性は十分あるよ。」とアマチュア言語学者さんは言っていました。
「百」と言えばますますモモソ姫と桃太郎に近付きます。
桃太郎は日本武尊でもあったのでしょうか?




呉音神祭祀の神籬 No43六 
2017-03-16 18:56:29 すずたま様
モモソヒメ(何代もいた一人)はじめ多くの若い巫女が殺され、箸墓に封印された。

坂本政道著「ベールを脱いだ日本古代史」)には、
三輪で行われた恐ろしい巫女達殺害のことが、チャネリングによって書かれていますが、
三輪の大物主は龍型シリウス人とか、
あとからきてその座を簒奪したのがネガティブなオリオン系宇宙人とか書かれています。
この後から来たほうに影響を受けた者によって、
モモソヒメ(何代もいた一人)はじめ多くの若い巫女が殺され、箸墓に封印されたと。
龍型シリウス人はオリオン人と物部の伊香色雄によって三輪山頂上に封印されたとあります。
(この封印には、自らの恐怖心で自縛したという面もあるそうで、私はそれがわかる気がします。
特に巫女たちは、封印もされていますが恐ろしい記憶を
「手放す」ことが出来ないで凝り固まっているように思います。)

佐の呉橋を彷徨う呉音霊は懐かしみ通り抜けるのか? No419
2016-12-09 01:22:57 吉備と気比(キビ)!? すずたま様
元記事に戻りますと吉田様は、
吉備津彦が「河童(呉人)から角(製鉄技術とインフラ)を奪った(禮月様過去コメより)」のは、
姫氏から奪ったのである、と書いておられます。
吉備津彦が吉備に来て先住族から奪ったのは、
百済渡来と一般にいわれる温羅=実は呉の姫氏、その角である、というわけですね。
だから鬼ノ城(姫の城)であり、近くに姫大神(姫氏の大神)を祀る姫社神社があるのですね。

温羅は角ある蚩尤の流れで、ツヌガアラシトの流れでもあり、呉音霊の体現者みたいなイメージ?
もう岡山のこと何も知らなかったので、やっと記事の意味にも食いつきはじめたところです。

では吉備津彦とは何者?
吉備津彦は考霊天皇の皇子で別名「五十狭芹(イサセリ)彦・彦五十狭芹命」。
姉がヤマトトトヒモモソ姫。弟が雅武彦(ワカタケヒコ)。
吉備津彦を大吉備津彦、雅武彦を吉備津彦ともいう。吉備国を興した吉備氏の祖である。
7代考霊の長男が8代考元で、大彦や武内宿祢に繋がる、ということに系図上はなっている。

2016-12-13 20:09:27 すずたま様
舜天の「舜」に「中山(ちゅうざん)」ですよ…?
戦国時代の中山国滅亡(BC296)から1500年、離れすぎていますかね?
私はいにしえに琉球弧を通過した天孫(アマミコ)が、
かつての故地に戻ってきたのがアマミコ伝説のように思うのですが。
アマミコは東から来たことになっており、これはUターンかと。

モモソヒメらしい存在が「ウートウトウ(ああ尊いことよ)」とたたえられる、
だから「トウトウヒ」なのではないか、というのは前に書きました。

モモソの語源は「百浦添」「百浦襲」だと、
赤椀の世直しの名護氏はいいますが?百の浦を襲う、統治するの意だと。
百にこだわる民族ですね。

2017-02-10 13:24:19 モモソ姫は桃祖姫? 禮月様
西王母が夏・殷・周共通の始祖かもしれない、と思っているこの頃ですが、
大物主の妃のモモソ姫は桃祖姫で西王母の末裔を名乗っていたのかな?と思いました。

百楚姫(百の楚人の民を束ねる姫)の可能性も考えましたが、
オオヒルメが西王母の舞を継承しているという伯母からの言葉を受けて、
桃太郎と共にモモソ姫も西王母の末裔を名乗っていた可能性があるかもしれません。

※西王母は玉皇大帝という道教の最高位の神様の配偶者。
女神の中では最高位の神様で長寿の神様とされる。
西王母は多くの伝説に名前を残しており、漢の武帝が天界で桃を賜った話や、
西遊記のなかで孫悟空が西王母の桃を盗むなど数々の伝承がある。
西王母を描いた絵にはたいてい桃が描かれており、
古来中国では、桃は魔よけの力があるといわれ、仙人の杖に使われたりしている。
崑崙山には王母桃または蟠桃といわれる桃があるという話。
この桃が不老長寿の桃。
伝説に出てくるこの桃はとても小さく、銃の玉ほどの大きさしかないらしい。
そして3000年に一度しか実らないのだそうです。
西王母はこの桃が実ったのをお祝いして「蟠桃宴」を開くという。


日本における呉の太白の祭祀 No429

2017-05-22 21:33:47 すずたま様
なお、どこかのサイトで、水主神社だか?の宮司の言葉として、
「大水主とされるモモソヒメは水の女神ではなく太陽神」、とあったのは納得します。
和讃でモモソヒメに透けて見えるオオヒルメは、本来「オオヒルメムチ≒天照大神」だからです。
私がテーマとしてきたツキヨミも同じく、
月の時代に月神としての性格をもって出された太陽神と思っています。
ややこしい神界の秘密があるのでしょう。
それと水主神社境内の天磐船で何となく思ったのは、
香川あたりには磐楠(いわくす)船~フェニキア、レバノンあたり由来の「木」「造船」の文化と
繋がり深い王国があったのではないかということです。
これは岡山の玉野造船所にも痕跡を残す西方との交易を基盤にする、吉備王国にも共通するものです。
経済的基盤をもって、水主大明神も存在出来たはずです。
それこそがキイワード「キ」であると。豊かな輝ける時代を築いた「キ」はその後消され続けていきます。

2017-05-21 10:15:21 香川でトヨタマヒメ祭祀をしたモモソヒメと、僧・増吽 すずたま様
由加山で増吽の名に出会い、気になることがあってこちらに来ました。
こちらの記事もコメント欄も内容濃すぎで、
頭に全然入ってなかったうえに、自分で書いたことも忘れていてがっくりです。
3月24日あたりのコメントで、吉田様は、

>亀+蛇=玄武
トヨタマヒメ=八尋和邇=海蛇(海龍)
従って、トヨタマヒメが亀を従えた姿=玄武=太一

と書かれています。これを当時よく読まず頭がスルーしていました。
そして、
>琴平山象頭山では雨乞いが為され、水の女神(海の女神)トヨタマヒメが最初に祭られていた。
仏教信仰が盛んになるとこの水の女神もクンピーラとされてしまう。(吉田様コメ)

>水主神社の祭神ヤマトトトヒモモソヒメは、
香川に来て水徳の女神ぶりを発揮し日照りに苦しむ民を救う。(すずたまコメ)

このふたつを繋いで、吉田様は、
>トヨタマヒメを香川で倭迹々百襲媛が祭祀したことになります。
と、導いておられます。
そして、
>倭迹々百襲媛を連れてきたのは物部弓梓連公でしょう。
霊的には太古に梓弓を巫女が鳴らして雨を降らせた姿が云々…
と、書かれています。

このことを確認したかったのは、「続続 香春の呉音霊の足跡  岡山における姫氏調査」にて、
「由加山の鬼」のことを追記しておられ、由加山には由加山蓮台寺と由加神社があることを知り、
水主神社にモモソヒメをたたえる「大水主大明神和賛」を残した僧・増吽の名を、
由加山蓮台寺の中興の祖の名に見つけたからです。
以下は蓮台寺の由緒。重要部分に《》つけます。

瑜伽山は天平五年(733)《聖武》天皇の勅願により、《行基》が開山。児島半島における最初の仏閣。
行基がこの山村に泊まった夜の夢に神人が現れ、この山に《瑜伽大権現》を祀るようにと告げる。
行基はたずね歩いたすえ、無垢清浄の霊場としてこの由加の地を定めた。
《大般若経》六百巻を書き写して埋め、ここを経尾と名づけ一寺を建立。
《経尾山瑜伽寺摩尼珠院》と名づけ、かの神の神託に従って瑜伽大権現を建て、
《阿弥陀・薬師》二体をみずから彫刻し、これを仏法王法の守護神とした。
延暦年中(782~805)《阿国羅王》という夫婦三児の悪鬼が、
寺内の人々や近隣の民を傷害したので、《桓武天皇は坂上田村麻呂》をつかわし討させた。
悪鬼は敗れ《七十五匹の白狐》と化し、瑜伽大権現の使隷となった。
その後、源平の戦いなどによる兵乱の時代がつづき、他の寺社同様瑜伽山も寺内が荒廃する。
応永年間(1394~1427)名僧《増吽》が住職になり、
寺の復興に献身的に努力、寺運は隆盛、今日の蓮台寺の基礎をつくった。

その名も増吽。名前に牛。
行基が建てたのは、経尾山瑜伽寺摩尼珠院。
増吽は「摩尼宝珠」や大乗仏教的思想を引き継ぎ、琴平山象頭山と瑜伽山を繋ぎ、
瀬戸内観音信仰圏の充実に貢献したように思われます。
中でも「大水主大明神和賛」でモモソヒメ~オオヒルメを繋ぎ、
観世音菩薩信仰でトヨタマヒメ~スクナヒコナまでを繋いでいるように思えます。

ところでもうひとつ気になる、敗れた鬼が《七十五匹の白狐》と化したこと。
白狐から安倍清明~賀茂氏を連想してしまいますが、
鬼は小島半島あたりにいたはずの備前加茂氏の祖でしょうか?


2016-03-24 22:19:30 
「モモソ姫≒オオヒルメ」を伝える「大水主大明神和賛」 すずたま様
邪馬台国近畿説論者でヤマトトトヒモモソヒメを卑弥呼に比定する人は結構いるようですが、
事実は全くちがうということと、
三輪神話でのモモソ姫像とも別の姿を伝える神社の伝承についてお伝えしておきます。

水主(みずし)神社、香川県東かがわ市水主、祭神は「倭迹々百襲媛」。
水主三山(今で言う熊野三山、新宮・本宮・那智神社)と水波女(みずはのめ)命が合祀され、
社伝では「卑弥呼の死後再び騒乱が繰り返された頃、倭迹々百襲媛は戦乱を避けてこの地へ来た」とされ、
日照りに苦しむ人々のために雨を降らせ、水源を教え、水路を開いて米作りを助けた、と伝えます。
「大水主大明神和賛(おおみずし・だいみょうじん・わさん)」は
同神社が所蔵する、十五世紀始めの増吽(ぞううん)僧正作とされる七五調の美麗な長文で、
仏教的な表現でこの姫が礼賛されます。
ヤマトの中心に生まれ香川県の安堵の浦に流れ着き、
その地で水徳の女神ぶりと阿弥陀如来とまで讃えられる神徳を発揮して民に慕われた、と描かれています。
以下に「和賛」の気になる部分を抜書きします。

・・・七歳なりしに稚(いと)けなく、独り御舟にのりまつり、
虚(うつ)ろの空ゆく波の上、悶(こが)れたまうぞ痛ましき・・・
御歳八歳なりしとき・・・下りて休らう安堵(あど)の浦、御腰を掛けて居座(いざ)の宮・・・
たとえば伊勢の神垣(かむがき)は、日本(やまと)姫に託(のり)まして、五十鈴の川の滝祭(たきまつり)、
尋ね廻りし如くなり・・・当社の三所を御熊野と、同体なりとはいざなみの・・・
那智新宮を左右に立て・・・那智の滝より落ち来らむ・・・南無三所大明神・・・
願共(がんぐ)諸衆生(しょしゅじょう)、廻向(えこう)大菩薩

まずは空(うつぼ)船とか葦船で漂着したと伝わるオオヒルメの渡来譚そっくりなものが語られています。
同時に、大和を追われ、倭姫とともに伊勢に落ち延びたアマテラスの彷徨譚や、
熊野三山(三所)の大元神といわれ伊勢の五十鈴川の河上に祀られる滝祭の女神(瀬織津姫とされる)のことや、
その母(という説もある)イザナミにまで触れられています。
イザナミ、オオヒルメ、ヤマト姫、滝祭神。これらが同系列上にあるといわんばかり。オオヒルメ伝承を知る者には、
モモソヒメにオオヒルメ伝承が透けて見えるかたち、
「モモソヒメ≒オオヒルメ」として語られていることもわかります。
このモモソヒメはオオヒルメの何代かあとの日霊女の系統の巫女と考えています。
ヤマト姫もその系統だったのでしょう。

2017-05-22 21:33:47 すずたま様
どこかのサイトで、水主神社だか?の宮司の言葉として、
「大水主とされるモモソヒメは水の女神ではなく太陽神」、とあったのは納得します。
和讃でモモソヒメに透けて見えるオオヒルメは、本来「オオヒルメムチ≒天照大神」だからです。
私がテーマとしてきたツキヨミも同じく、
月の時代に月神としての性格をもって出された太陽神と思っています。
ややこしい神界の秘密があるのでしょう。
それと水主神社境内の天磐船で何となく思ったのは、
香川あたりには磐楠(いわくす)船~フェニキア、レバノンあたり由来の
「木」「造船」の文化と繋がり深い王国があったのではないかということです。
これは岡山の玉野造船所にも痕跡を残す西方との交易を基盤にする、吉備王国にも共通するものです。
経済的基盤をもって、水主大明神も存在出来たはずです。
それこそがキイワード「キ」であると。
豊かな輝ける時代を築いた「キ」はその後消され続けていきます。



2016-03-20 19:50:56 抹殺された古代列島の王朝 禮月様
島全ての呉音霊国家と楚系呉人の高句麗を滅ぼした人間と言えば唐の太宗と武則天です。
武則天の制定した元号に「神功」という元号がありました。何か見えてくるものがありませんか?

武則天は辛国息長大姫大目の神話を奪っては、自分自身のエピソードで上書きしたのでしょう。
和を以て尊しをモットーとする辛国息長大姫大目にしてみたら、恐ろしい迄の侮辱です。
正に悪魔の成せる業ですね。この女悪魔は、辛国息長大姫と同じ位崇高な志を持った卑弥呼までも
自分のエピソードで上書きして、太陽の女神アマテラスを作り上げたのだと思います。

そして唐に完全に支配された藤原氏は、神功皇后という武則天を神格化した偶像をも作り上げて、
辛国息長大姫大目と日姫御(卑弥呼とは書きたくない)やトヨの仮面を被せたのでしょう。

辛国息長大姫大目はモモソ姫という蛇神の生贄にされる力無き巫女に、
神龍王大国主の嗣子にして龍宮の皇女の息子たる大物主を、
残忍な蛇神に貶めた神話が三輪山神話なのだと分かりました。

2016-03-20 07:51:47 宮崎県に古代史の秘密がある すずたま様
都城の話はもちろん現実界の実話だと思います。
ここでの大物主は古代神霊大物主を奉る巫覡王(出雲神族)、
辛国息長大姫大目命に仕えたというのは、彼女の神威がよほどのものであり、
この国を一つにしていくために天神と地祇を一本の柱のもとにつなげていくという天命をもつ彼女
(≒私が考えるように大日霊女とするならば)に従ったということかと思います。
モモソヒメを単なる蛇巫女にした三輪神との神婚譚は、
両者を徹底的に貶め封印するためのウソ話といえるでしょう。
ただ辛国息長大姫大目命の実体についてはいろいろな考えがあるかと思います。
神巧皇后伝承でも三輪の神を味方に引き入れているようですし。
ただ時代はずっと古代のはず。

ともかく宮崎県は吉田様の他の記事にありますように、凄いところです。

2016-03-20 03:29:13 時空や時間だけじゃなく 禮月様
伯母の語っていた辛国息長大姫と大物主は、人間としての二人(女神官と巫覡)なのか、
神としての二柱(月の女神と蛇の姿をした精霊の長)なのか判断に迷います。
都城市という地名が出てきたから、人としての二人かなとは思いますが。

時間がなくて書けなかった内容ですが、伯母はこんな事も語っていたのです。

「大物主が辛国息長大姫に従ったのよ。」

辛国息長大姫≒モモソ姫とすると、古事記や日本初期で書かれている内容とは、主従関係が逆です。
神話の記述を読む限りではモモソ姫が大物主の生け贄になった感じもしますが、
伯母は大物主が辛国息長大姫に仕えたと言っていました。

三輪山の神話の方は上書きされている可能性がありますね。

2016-03-19 23:14:06  すずたま様
私は大物主が、ずっとよくわからないできたのです。
記紀などからのイメージでは三輪山の蛇神のようであり、
ヤマトトトヒモモソヒメが大物主との神婚でホトを突いて死んだとかどぎつい話になっていて、
モモソヒメと大物主どちらにもいい印象がありませんでした。大体蛇神=邪神と思っていましたから。
その後、蛇神に対して思いを改めると同時に、両者ともにまるで実体を隠されていると思うようになりましたが、
相変わらず大物主はよくわかりませんでした。
大物主と大国主は、混同されがちな誤誘導(?)が記紀においてされています。
また大物主とニギハヤヒを同一存在と考える人は結構多く、まずは2者の名に共通点があり、
オオモノヌシの神名は倭大物主櫛甕魂尊(ヤマトオオモノヌシ・クシミカタマノミコト)、
ニギハヤヒは天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊(アマテルクニテルヒコ・アメノホアカリ・クシタマ・カムニギハヤヒノミコト )。
しかしニギハヤヒは登場の仕方からしてあきらかに人であるのに比べ、
大物主は文字通り捉えるなら「大いなるモノ(精霊)のヌシ」、龍神か蛇神か、
とにかく御神霊であるようなかんじがあります。
ここで、叔母様が「龍宮の息子」と仰ったのは興味深いです。
以下は大物主や大国主の真実に迫れるかどうか知りませんが、今のところの私見です。

「小桜姫物語」(浅野和三郎夫人による霊界通信)で述べられる龍宮の様子はほぼ真実であろうと、
私は思っていますが、龍宮の豊玉姫や妹の玉依姫は美しく高貴な女性であるが、その本体は龍神、とあります。
そして大国主は以前書きましたが、普通は人と思われている大国主は、
何と龍神界の最高存在たる大神霊であると。
大国主を奉る神官もまた大国主と呼ばれたのでしょう。
「大物主は大国主の息子。息子と言っても本当は龍宮の息子だったけど、
産まれて直ぐに大国主に預けられた」・・・いやはやなんとも意表をつくお話ですが、
しかし龍神界での出来事と考えれば、考えれないような話でもない気がするのです。
「不動明王は大物主の仏教での姿」・・・不動明王もまた人とは思えず神仏でしょうから、
大国主に預けられた云々も人間界の出来事ではないのではないでしょうか。
ところで、私が以前非常に気になった大物主とニギハヤヒとの関係を長女に聞いたとき、
彼女は「う~ん、父と子かなあ」と言ったのです。
私の考えでは、ニギハヤヒはトミノナガスネヒコと同盟を結んで妹ミカシキヤヒメを娶って
トミ家に婿入りし、その父親が大物主神の神官で大物主(神職名)と呼ばれた、と
仮説を考えていたので、私が義理の父子じゃないの?と聞いたら、
「そうそれ!ただうまくいかなかったみたい(この婿入りは)…」と。
私が大物主神がどうも好きじゃない(モモソヒメとの神婚譚の不気味さから邪神の感じがする)と言うと、
「お母さんはニギハヤヒの系統で、大物主家と結局うまくいかなかったから・・・
でも大物主は邪神じゃないよ、三輪山の太古からの物凄く古い神様」とのことでした。
話がいろいろになりますが、トミ家の祖神はクナトノ大神ですから、
大物主とクナトはイコールではないにしても親和する要素があるのではないかと思います。

そしてモモソヒメです。
モモソヒメについて、記紀とはとんでもなくかけ離れた別の伝承があるのです。
詳細は時間のあるときにしますが、その伝承は鹿児島神社に伝わる7歳の時空船で流されて云々、
という大日霊女伝承とそっくりなのです。
辛国息長大姫≒大日霊女としたうえで、なにやかやを総合すると、
私の中では叔母様のお話は荒唐無稽ではなくなるのですが・・・
ややこしい話も絡むので、この次にしますね。
(なにやかやの一部には、「ニギハヤヒ=徐福」説もはいってきます)






香春神社の相克 No416
2015-11-27 01:48:11 シリウスと満月 (すずたま)
伊勢神宮内宮本殿の後方の荒祭宮は遷宮前は本殿に対してシリウス方位にありました。
大日霊女の渡航を援助した海洋民が持ち込んだアマテラスはシリウスと月の女神だったみたいです。
蘇我氏の女系もそうだったと思っています。
日神ヒミコとは敵対した勢力です。
ヒミコは鬼道とかじゃなくて正統の日継ぎの祭祀を、ほそぼそと守っていたのです。
このへんは今出すのははばかれる資料があります。
それによれば時代は今に至るまで実は夜と月の時代だったのです。
今は夜明けの晩。
歴史の混迷は、月神の時代になったにもかかわらず、
日本が日のクニであることを厳守しようとしたことにあります。
沖縄にはヒミコの痕跡よりも月神系女神の痕跡が色濃いです。
ヤマトトトヒモモソヒメの痕跡がヒミコと間違われているのではないでしょうか。
モモソ姫は完全に大日霊系であることが、沖縄の神歌に歴然と残っています。
このへんはかなり研究しましたが、長文の論文になりそうで、いづれ…
大日霊女は日本に「ヘルメスのエネルギー」を持ち込んだそうです。
つまり殖産興業のエネルギーで、
辛嶋巫女と禰宜は代々それを以て天皇家を支える立場にあったはずでした。
消された大日霊こそ呉音霊を日本に持ち込んだ人、
いや呉音霊そのものではないかとちらりと思ったりします。

香春神社の相克 No416
2015-12-03 10:17:54 目と耳の結婚とオシホミミ (すずたま)
吉田様の言われる大日霊女とヒミコが250年頃、というのは別にして、
辛嶋勝乙目が592年というのは、八幡信仰史における捏造の最たるものではないでしょうか?
大神比義が神格化されて五百年も生きたことにされ、
実は彼は大和朝廷正式発足頃の7世紀の人であり、
敵対関係にある辛嶋氏と大神氏を結びつけて協力したように見せかけていると、いまのところ考えます。
あるいは宇佐に入り込んだ大神氏が辛嶋伝承を取り込んだか、両者とも擬史作りに利用されたか。
波豆女による隼人征伐も捏造だと思います。
250年頃のオオヒルメは、崇神にからむヤマトトトヒモモソヒメと同体かも、
と考えていますが、これについては長くなるので又にします。

さて銅が気になって、大昔に買ってろくに読んでなかった谷川健一著「青銅の神の足跡」を
手に取ったら素晴らしくタイムリーな本でした。
どのページを取っても内容が濃いですが、
とりあえず「目と耳の結婚」に今更ながらうなっています。
簡単にいうと、耳は南方海神系でミミ、ミがつく名、オオヤマツミ、ワダツミ、ヒコホホデミ、
神武と吾田のアイラツヒメの子タギシミミ・キスミミ、
三島ミゾクイミミの孫ヒメタタライスズヒメとの子カムヤイミミ・カムヌナカワミミ・・・
そしてアメノオシホミミ!
神武がホホデミになるのも神武の子がミミになるのも、
海神系母親の元で育てられたことと、母系が軸であったからと。

オシホミミは何とオシホネとの表記もあります。
記紀でアマテラスとニニギの間にあって、高天原から降ろされるのは孫のニニギです。
皇統は元々北方大陸系タカミムスビ系の「目」系が
(なぜ目なのか、斜め読みの現在把握できず、とりあえず「馬」系と私は解釈)、
海洋系の耳系に婚姻によって入り込みつつ支配していき、
結局海洋系のアマテラスを祖神としたことは、逆に言えば耳系が目系を取り込んだとも。

辛嶋勝乙女を乙目と書くとき、父系を尊重することになるわけでしょうか。
頭が未整理のまま投稿します。


呉音霊から考える倭国文明の流れ No413
2015-11-21 22:56:40 琉球の天孫氏 すずたま様
琉球には天孫と書いてアマミコと読むアマミコ(アマミキヨ)伝説というものがあり、
稲作の神とともに来て国造りをしたようです。
単純に奄美の語源と想像されます。
呉から渡来するルートのうち最南端ルートに奄美があるとすれば、
左回りで鹿児島~北九州~半島~大陸へと呉音霊は向かったでしょうが、
琉球のアマミコは南からではなく北から渡ってきたらしいので、
琉球弧を南下して文明を伝播した右回りの呉人の流れもあったように思われます。
古い時代のアマミコを新しい時代と区別して御先(みさき)というらしいですが、
それが紀元前5世紀の呉人かもしれません。
琉球には日本神話の原型のようなものがあったり、
「天王ガナシー」という天王のつく存在がいたり
(=スサノオだという、ただし記紀のスサノオではないと)、
月の女神や大日霊女系やヤマトトトヒモモソヒメの足跡らしいものもあるのですが、
頭を整理して覚悟してかからないと、今ここに手短に書く力はありません。



縄文神 サイの神のおさらいです No151
三輪山の神は巳様と呼ばれる蛇であり
倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)は
蛇巫女として巳様に仕えたようだが、
この巳様が大物主神であるとの伝承がある。


龍神信仰 3 No160
2010-09-23 01:47:47 吉田一氣
私は古代史そのものに興味がある訳ではないのですが
纏向の箸墓の祭祀が「赤椀の世直し」概説で云われる様に
真正ヤマトの初代女王である百襲姫だとして
どういう信仰様式を持っていたのかを調べてみたいと思います。

2010-09-24 08:53:13
山辺の道に桃畑が多いということを初めて知りました。
太古よりずっと桃の栽培が続いていたと思うと感慨深いものがあります。
まさに百襲姫は桃祖姫ですね。
この百襲姫についての秘密を今後解いていきたいと思います。
「桃ノ尾の瀧」のことは忘れていましたが
調べてみると以前石上神宮の件で行ったことがありました。
私も甘い桃が食べたくなりました。



霊界物語 第10巻 霊主体従 酉の巻
日の出神は、神伊弉諾神の命を奉じ、三軍を率いて黄泉島に進んだ。
大自在天・大国彦の軍勢は多くの魔神・魔軍を布陣したが、
神軍の前には魔力を発揮することはできなかった。
しかし魔軍の将・美山別らの反撃に、神軍の形成はにわかに不利になった。
このとき松代姫、竹野姫、梅ヶ香姫の三姉妹の宣伝使は、月・雪・花の三姉妹を従えて、
宣伝歌を歌いながら敵の陣中に向かって舞い踊った。
魔軍は女神たちの美しさに心魂を奪われ、武器を地に捨てて見とれていた。
魔軍は闘う力を失って、ただ平伏するのみであった。
この三姉妹のはたらきに対し、神伊弉諾命の声が中空から語りかけ、
意富加牟豆美神(おほかむづみのかみ)と名を与えた。

「於富加牟津見神」は実は桃の実の精とされ悪鬼を祓う霊力を持つと信じられた桃太郎のモデル。
(桃の実の霊力については『古事記』にも登場。桃の実は五行で金に属す。金は金星、大将軍と結びつく)
桃太郎は西北の鬼を退治しに行く。
十二支で西方を意味する「申・酉・戌」を伴にした。
「申は猿」「戌は犬」ですが「酉は鶏」というわけにいかない。
なぜなら「菅公、道明寺の離別」に代表されるように、
「鶏飼わず伝承」は天神信仰に大きな影響を与えていたので鶏は避けなければいけない。
そこで大阪天満宮の表門に吊られた十二支方位盤が西の位置の鶏を鳳凰に代えたのと同様、
桃太郎説話では鶏に代えて雉になったのです。



桜井市教育委員会が2000年に実施した周辺部の発掘調査で、
箸墓古墳の周濠内の堆積土から木製の輪鐙(馬具)が発見された。
同時に出土した布留1式土器の年代から4世紀のものと推定されている。
この鐙の発見以降、橿考研内では急速に箸墓は卑弥呼の墓でなく、臺與(台与)の墓でもなく、
その次の男王の墓という意見が強くなっている。





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