吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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天拝山の雷神と雷山の地主神である雷大権現 No463

2017-06-19 23:44:42 | 神霊界考察
菅原道真公は天拝山にて雷神との感応があったとして
小林永濯は『道真天拝山祈祷の図』 を描いている。
現在ボストン美術館に収蔵されているこの絵は
1874-79年(明治7-12年)頃の作であるらしい。
この元ネタは人形浄瑠璃および歌舞伎の演目の
『菅原伝授手習鑑』の天拝山の段などであろう。

『道真天拝山祈祷の図』

この絵の作者が「天之瓊矛を以て滄海を探るの図」の作者と
同じであると知った時に驚いたことを覚えている。

『天之瓊矛を以て滄海を探るの図』



先日 全国のサムハラお守りを調べているときに
福岡の糸島の真言宗の雷山千如寺大悲王院の開創の縁起が
成務天皇の四十八年に雷山の地主神である雷大権現の招きで
日本に渡来されたという伝承のある
天竺インドの霊鷲山の僧清賀上人であるという事を知り
調べてみるとこの雷山(いかずちやま)には古くより雷神社が存在し
雨乞い祈祷が為されていたという事であった。
ここは雨乞いの山であるが八大龍王神の祭祀ではなく
雷大権現を祭祀しているという事に大いに興味を持った。
サムハラお守りと関係してくるのは雷大権現なのか僧清賀上人なのかも知りたいものである。

雷神で思いつくのは火雷大神である。(火雷大神=ほのいかづちのおおかみ)
伊邪那岐命が黄泉の国に下った際に伊邪那岐命は体に蛆がたかり、
頭に大雷神、胸に火雷神、腹に黒雷神、女陰に裂雷神、左手に若雷神、
右手に土雷神、左足に鳴雷神、右足に伏雷神と8柱の雷神が成っていたという。

先週夏越しの参拝で福岡の志賀島の志賀海神社と宗像大社に行く際に
ついでに早起きして雷山千如寺大悲王院と雷神社にも寄ろうという計画を立てた。
それで6時に自宅を出発したのだが九州自動車道路の佐賀県三養基郡基山町の
道路下が立野駅という所でタイヤがバーストしてしまった。
その時のドライブレコーダー画像が以下となる。
  

丸で囲んだ黒い金属物体に乗り上げて左前方タイヤがバーストしてしまった。
路肩に停車して修理しようとしたのだがパンク修理キットでは修理不能な状態だった。
今の自動車はがっかりなことにスペアタイヤを積んでいない。
それでJAFを呼んで牽引してもらうことにした。
たかだか車のパンクが高速道路上だと
NEXCOのパトロールカーにJAFの応援隊に警察パトカーにJAFの牽引車と
大所帯の大トラブルに発展してたくさんの方にご迷惑を掛ける結果となってしまった。
申し訳ない。
   
 

それで牽引されて連れていかれた先が天拝山の上り口そばのオートバックスだった。


『音霊に捧ぐNo462』のコメント欄でさくら様と天拝山の雷神について
話したばったかりの時に天拝山に連れていかれる事態となってしまった。
これはとても偶然とは思えない。
いったい何を踏みつけたのかは結局分からずじまいであるが
同乗していた嫁があとで『道真天拝山祈祷の図』を見て
道路上の物体の写真と道真公の頭冠の垂纓冠のウサギの耳が類似していると言った。
残念なことに添付した動画を切り取った写真は画質が悪いが
似ている気もする。

このタイヤバーストのトラブルで結構時間を取られたので
志賀海神社・宗像大社を選ぶか雷神社・千如寺を選ぶかの二択となってしまった。
雷神社・千如寺は今回参拝しなければ生涯足を向けることがないことが
分かっていたし引くに引けない感じもしたので恐れながらも糸島コースを選択した。

ところで天拝山から雷山は真西の方向になる。


現在の天拝山には展望台があり福岡方面を含めた筑紫平野を一望できる。
ただ西側方面は低木があって視界が良くない。
少し伐採すれば良く見えるはずでその時に雷山が見えるのかをカシバードで確認してみた。
 
標高257.4mの山頂からは標高954.5mの雷山までは距離26kmで他の山に遮られることなく眺望が臨める。

 googleでの鳥瞰図

カミナリ様はこういう眺望を眺めているのであろうか。


追記 

今回は火雷大神と龍宮の海の女神との対比であったが
火と水を縦横に組み合わせる神業は困難であることを痛感している。
あまりにもその困難さを象徴する暗示が多くて困惑している。

前回のブログ記事『霝しずくの不思議』
の後半に東名高速バス事故で東神観光で888という符号の違和感を記載したが

 

写真をよく見ると飛んできたマツダのスカイアクティブのデミオが
ほぼ原形をとどめていない位の壊れ方をしているのに
マツダの「フライング・M」と呼ばれるエンブレムだけが
損傷なく銀色に輝いているのが目立つ。

最初に写真を見た時よりバスの888ナンバーと「フライング・M」の対比が気になっていた。
前回のブログでバスについては
東名高速バス事故で東神観光で888という符号について
東の神といえば青龍でありその数字は888と示したが
マツダのフライング・Mのエンブレムが輝くのを見て感じたのは
MAZDAという社名の別の意味であるアフラ・マズダー (Ahura Mazdā)という神が
示す火そのものである。
アフラ・マズダーとは、古代ペルシアを起源とする宗教であるゾロアスター教の最高神であるが
ゾロアスター教は拝火教とも呼ばれていて火の神とされる。



火の神のフライングアタックは確かに縦横となって組合わさったが
全然いい結果には結びつかなかった。
これはあまり言いたくはないがきっとどこかで誰かが
火と水の組み合わせの神業を行った結果であろう。


ニキ様から以下のコメントが『吉田一氣の信仰と祈り』に届いた。
孔雀 (二キ)2017-07-10 02:33:59
九州北部の大雨被害にあわれた皆様にお見舞い申し上げます。
今回は脊振山地の辺りでの積乱雲が原因のようで、
雷山の記事が出た後だったので、気になっています。
雷神と霝神の相性問題は解消されたのでしょうか? 引用終り

気象情報を調べてみると
発表では「福岡・佐賀県境にまたがる脊振山の西側から
斜面を上って上昇気流が生まれ、積乱雲が発達。
山に沿って線状降水帯が次々と形成され、
福岡県朝倉市や大分県日田市などに大雨をもたらした。」
ということらしいです。

今回の件 関係する神霊の候補は
雷神 火雷神 摩多羅神 音霊 菅原道真公などであろうか?
これらを考慮すると一つの神社が頭に浮かんできた。
被害の大きかった朝倉市の麻底良山295m山頂の麻氐良布神社だ。
この神社は日神信仰としては天照(アマテル)」として祭祀され
星神信仰としては「麻多羅(マタラ)神」として祭祀されている。
また日本書紀では齋明天皇(女帝)の条に以下の記述がある。
「五月乙未朔癸卯、天皇遷居于朝倉橘廣庭宮。是時、斮除朝倉社木而作此宮之故、
神忿壤殿、亦見宮中鬼火。由是、大舍人及諸近侍病死者衆。丁巳、耽羅始遣王子阿波伎等貢獻。」

「六月、伊勢王薨。秋七月甲午朔丁巳、天皇崩于朝倉宮。
八月甲子朔、皇太子奉徙天皇喪、還至磐瀬宮。是夕於朝倉山上有鬼、着大笠臨視喪儀、衆皆嗟怪。」

「百済が滅びた660年に百済救援のために齋明天皇が朝倉の宮に移られた時、
朝倉の社の木を切ってこの宮を建てた。
そのため神が怒って御殿を壊した。
宮殿内に鬼火があらわれ、多くの者が病で死んだ。」

「天皇が崩御された時、朝倉山の上に鬼があらわれ、
大笠を着て喪の儀式を覗いていた」

朝倉の社の木というが麻氐良布神社であるという。
麻氐良布の神は、雷神であり鬼に化身する神霊でもある。
齋明天皇(女帝)はこの朝倉宮で崩御されるのだが
これも続く祟りであろうか。

いやはやなんとも恐ろしい話である。
コメント (20)
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