吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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音霊に捧ぐ No462

2017-06-13 23:53:31 | 神霊界考察
今は昔 父親が転勤族であったために転勤を繰り返していたが
熊本市に転勤して来た際に熊本市に新築のマイホームを持った。
アパートから引っ越して憧れの一軒家ということで
それでPioneerのステレオオーディオセットを揃えた。

この時最初にかけたレコードがイ・ムジチ合奏団の『四季』だった。
初代コンマス フェリックス・アーヨのステレオ録音の1959年盤だ。
強烈な印象があり未だにはっきりした音の記憶として残っている。
もうかれこれ45年くらい前の話となる。

これ以降オーディオにハマっていくことになり
やれDENONのMCカートリッジ交換だのMC専用アンプだの
リッツ線だのスピーカーケーブルだのインシュレーターと
湯水のように周辺機器にまでお金と労力を注ぎ込んだ時代があった。
特にレコード盤は静電気がパチッというノイズになるので
実験室用のHEPAフィルターに工場用の除電器イオナイザを取り付け
半導体工場用の帯電防止ビニールで部屋を仕切る暴挙にまで発展した。

それで技術者としての仕事もあって
音と振動と静電気とパーティクルに関しては結構な博識となった。

しかしその頃に音楽の何を追及していたのかというと
原音再生とか音の定位感などで
まさにそれがオーディオマニアの性であった。
オーディオの神の長岡鉄男に影響を受けた時代であった。
私の場合は五味康祐のオーディオ遍歴や巡礼に強く惹かれた。

改良による音の変化に一喜一憂していたのが懐かしい。

今現在どのくらいの周波数が聞こえるか時々PCソフトで確認しているけど
25Hz~12000Hz程度が自分の可聴域となっている。
ただ耳鳴りで蝉がいつもが鳴いているので
せっかくデジタルCD時代になってテープのヒスノイズが消えたのに
昔のカセットテープ時代に戻ったようなものだ。
それもドルビーノイズリダクションシステムが無い時代のノイズレベルだ。

個人差はあるものの18歳ぐらいまでは20kHzが聞き取れるのだが
30歳ぐらいではそれが16kHzになってしまう。
50歳ではなんとさらに13kHzに落ちてしまう。
不快な音で若者の公園タムロを防止する『モスキート音』は
17kHz程度でもはや自分には無縁の世界の音となっている。

今はいい音を楽しむという上ではオーディオの改良より
自分の耳をどうにかした方がいい状態であることは間違いない。
にもかかわらず最近流行のハイレゾ音源に触手を伸ばそうとしていた。

ipodの圧縮音源をバカにして嫌っていた自分としては
やっと時代の節目が来て潮流が変わったと感じていた。

御存じのように近年音霊祭祀をしているが
この音霊は音楽という訳ではなく言語体系や声に係わる神霊だと
感じている。

ところで先日、『名盤ベスト・コレクションCD BOOK』CD4枚セットというものを
コンビニで見つけて買ってきた。
なんとあの往年の名盤CD4枚が1200円という破格の価格だ。
演奏後50年が経過して著作権が切れているのでこんな値段でも利益が生まれるのだろう。

この一枚目が前出と同じ1959年盤のイ・ムジチ合奏団の『四季』だった。
前回傾聴したのは25年くらい前のことであろうか。これはCDだった。
レコードで聞いた最後は40年くらい前となる。
今回聞いていて驚きというかあることに気が付いた。
まず偶然というよりある種の演出感が今回の事例には感じられる。

日本酒に気を入れて味をまろやかに変えるという話がある。
また祭祀後に日祭壇にあげた日本酒を飲むと味が変わっている。
これは味覚の話であるが
同様に音霊である御神霊が働くと
MP3の音がハイレゾ音質とは別次元のもっと繊細なものに替わるのだ。
具体的には指揮者や演奏者の心的情景が感じられる気がする。
脳内にプライベートコンサートホールとでもいうべきか?特別な臨場感と
高揚感が感じられる。

これは音霊による洗脳といえるかもしれない。
今までもいろんな体験をしてきたが
これもまた驚愕の体験の一つとなった。

他のCDを聞いてみたがこの刺激は無いので
特別な神秘体験であったのだろう。

さて音霊の働きの一つを垣間見たが
皆様は『ソルフェジオ周波数』や「天使の扉の周波数」という言葉を
聞いたことがあるだろうか?


※以下部分は記載内容が未完成です。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

『ソルフェジオ周波数』とはヒーリングのための音階であり
いくつかの周波数が提唱されている。
174 Hz・・・意識拡大と進化の基礎
285 Hz・・・多次元領域からの意識拡大と促進
396 Hz・・・トラウマ・恐怖からの解放
417 Hz・・・変容の促進
528 Hz・・・DNA の修復
639 Hz・・・人間関系の修復
741 Hz・・・表現力の向上
852 Hz・・・直感力の覚醒
963 Hz・・・高次元、宇宙意識とつながる

さてブログの限界で直接ソルフェジオ周波数の音をUP出来ない。
それで『WaveGene』というテスト用音声信号を紹介する。
http://efu.jp.net/soft/wg/wg.html
これでソルフェジオ周波数の音源を作成していただきたい。
そして上下に2%程度ずらした音源も作成して聞き比べてほしい。
人間の細胞の大きさは概ね10~30㎛であるし
DNAやRNAなどの複合体である染色体は長さがバラバラである。
従っておおよそ生体と音との反応という場合は
周波数は固定値ではなくその生体に応じたチューニングが必要となるはずである。
音楽の場合は基準音高というものが重要になる。
これの意味も『WaveGene』というテスト用音声信号で
2波長を合成することで良く分かる。
440Hzと441Hzの違いは分からなくても440Hzと441Hzを同時に鳴らすと
共振して1Hzの揺らぎが生じるのではっきりと音源の周波数の違いが分かる。
基準音高を少し変えるだけでも大きな違いとなるのは
楽器に固有振動数が存在し共鳴があるからである。
実際にはカルマンの渦列が生じ音を出しているので共鳴といっても単純なものでは無い。
周波数の違いを2次元的に表している現象について
例えば『Sound Frequencies in Water: A=440 Hz vs. A=432 Hz 』という
YouTube動画がUPされている。
https://www.youtube.com/watch?v=yGGTmF6xjKI
これなどもA=440 HzとA=432 Hzで大きく違うデザインが現れているが
下地の金属板の固有振動数との共鳴により違いが大きく現れているので
下地を調整すればA=440 HzでもA=432 Hzでも同じデザインとなるはずである。


「天使の扉の周波数」でいわれる4096Hzという周波数は、
地球の基本周波数とされる8Hzの振動を倍増し、
9オクターブ上昇させたもので、天と地を結ぶ「天使の扉」といわれる。
しかしながら地球の基本周波数はシューマン共振と呼ばれるが
地球を一周する定在波でありその一次周波数は厳密には7.83Hzである。
だとすると4096Hzではなく4008.96Hzとなるはずである。
この差が気になる。

そもそも天然界の周波数を人間が物理表現するために整数の単位に変換する場合には
いくらかの誤差が混じることを理解していただく必要がある。

1Hzというものは1周期の波長が1秒ということであるが
自然界の数字と物理上の数字との違いを瞬間に理解出来ないと
惑わされるもととなる。
一日や一年という単位は自然界の数字である。
この一日を24で割り1時間としてさらに60で割りそれを1分として
1秒はさらに60で割ったものである。
しかしながら自然界にはゆらぎが存在するので
今の一秒はは、セシウム 133 の原子の基底状態の二つの超微細構造準位の間の
遷移に対応する放射の周期の9192631770倍の継続時間であると現在は規定されている。
これは物理表現のための数字である。

この物理的な時間表現は絶対的なものであるが
ところが日本の江戸時代までの時刻観念は不定時法である。
不定時法では常に、日の出は卯(日出)の正刻、日没は酉(日入)を正刻とする。
このため、夏場は日の出が早く日没が遅くなり、逆に冬場は日の出が遅く日没が早くなる。
昼夜それぞれを6等分した時辰の長さ、つまり昼の1刻間と夜の1刻間は同じ長さにはならず、
冬の昼間や夏の夜間は短くなり、冬の夜間や夏の昼間は長くなる。
したがって正子・正午以外の時刻も季節により変動したのである。

人間の感性というものは一般にはこのくらい緩やかである方が
すごしやすいのではないかと思う。

ただ先述の話に戻るが
さて自然界では確定された固有振動数を持つものがある。
例えば水分子などが絡んでくると
確定された固定的な周波数の影響を受ける可能性が出てくる。
先述の比較されていた基準音高のA=432Hzは、
宇宙の規則性と数学的に一貫していると言われている。
これについて洗脳レベルなのか本当に宇宙の規則性との
ハーモニーがあるのか今は計りかねている。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ 記載途中 結論がぶれていて現在再び調査中 ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

音霊が関与している部分と心理学的な効果の区別が自分の考察中に明確でないと判断。

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呉音神祭祀の神籬 No43六のコメントに音霊についてのさくら様との考察があり
それが発展して今回のこのブログ記載となっている。

2017-05-15 15:55:54 吉田一氣コメント 添付
また御存じのように呉音神は音霊ですから
音に関する感応には傾聴に値するものを感じます。
ところがその音がなかなか見えてきません。
具体的には『呉音霊と分霊 No421』
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/70ecac82a920257bbaa5ee354e899199
で記載した引声念仏に呉音霊の音神氣が感じられ
それが入唐八家の慈覚大師円仁が感得し
比叡山常行堂や真如堂に勧請した摩多羅神につながること。
この呉音霊の引声念仏の響きが
『極楽世界の八功徳水の浪の音に調和する』という調査以降に音に関する
私の感応が途絶えていることです。
もし音に関するお気づきがこれからもありましたら是非お教えください。

2017-05-15 16:55:57 さくら様 抜粋
私は、音や映像から「見えないもの」の気配を感じている部分が多いです。
今回岡山旅行で、最上稲荷の奥の院「八大龍王」を訪問しましたが、
そこで音楽がながれていたのです。
その音楽を聴きながら、お祈りしていたら、
ぐわんぐわんと引き寄せられるように引っ張られるのです。
凄かったですよ。この音楽はすごいと、すぐさまCDを購入しました。
「法華の香風」です。
普通には売ってないと思いますが、、読経もすごいのです。
ボキャブラリーが少なくて、凄いとしか言えませんが、、、
龍神を動かせる力があると思います。

他にも、私なりに感じる音楽これは、「J-POP」呉出身の三人組の音楽には、
「呉音神」祭祀の意気込みと成果とやり方を教えてもらいました。
ここの社長さんと東京時代に縁があります。
音の神様が降りてくる時って、演奏をしていたときは解りました。
次元が変わるのです。演奏家は経験あるんじゃないかなぁ。
あっ、友人達とその「神様」の話をしたけど、解らなかったみたいでした。
だれでも、解るわけではなさそうです。

2017-05-16 12:21:42『引声念仏まとめ』 さくら様
「親鸞と声明をめぐって」-京都生まれの気ままな遁世僧「今様つれづれ草」yahooブログ
上記ブログ記事からの抜粋
親鸞は、長野善光寺の「善光寺聖」をしていた。流刑にあったため。
*善光寺聖は私度僧のような感じ
親鸞は比叡山で仏教学を学び、声明にも通じていた。
ほかの善光寺聖達に、天台声明を伝えたのではないか。

善光寺は現在、天台宗と浄土宗で共同管理されている。
親鸞は師の法然の月命日には、声明家を迎えて務めていた。
この声明家というのは、洛北大原の魚山声明を受け継ぐ僧侶と考えて差し支えない。
大原魚山には、円仁から始まる師から弟子へ天台声明を伝授した系図で
現代まで連綿と伝えられている。
「引声念仏」は秘曲中の秘曲で、声明に相当熟練したものに伝授される。抜粋終わり

この、ブログを書かれたかたは、
老師からのお願いで大原魚山念仏を残すために頑張っておられる方のようです。
このブログ主が、私が「八大龍王」で聴いた「法華の香風」を、
ルーツは魚山の色香を漂わせていると書かれています。
やはり、このCDは「引声念仏」に通ずるものがありそうです。
曲のなかでも、4、5、6、10、11、12、13、14、15が秀逸だと思われます。
以前、「盛り塩とジャーニーのジャケット」の私のコメントで、
小さい小さい鈴の音のような音楽が聞こえる。
というのは、この「法華の香風」に非常に似ている音楽でした。
でも、「香風」ではないのです。2、3日連続で聞こえました。


親鸞、法然、善光寺、日蓮宗の声明、大原魚山、円仁、真如堂、「牛にひかれて善光寺」
この本当の意味はなんでしょうね。
百済聖明王からの善光寺の本尊が、龍宮の秘密をも隠しているのでしょう。
八コウ徳水の波というのも、如何にも龍宮を暗示しています。

2017-05-16 13:35:38 吉田一氣
最上稲荷の奥の院でこの読経は私も聞きました。
「法華の香風」というCDだったのですか。
yahooオークションに出品されているものがあるので購入してみます。
紹介されたブログは興味深い内容です。
ありがとうございます。
呉音霊は音霊でありかつ言語的音霊であると思いますので
感応に右脳と左脳の聞き取りのバランスが要求されていて
鈴虫などの虫の音を声として聴くことと同様に
特殊な聞き方が要求されていると感じています。
さくら様にはその能力がおありなのかもしれません。
今後とも精進なされてください。

2017-05-16 22:10:46 さくら様
奥の院でこの音楽を聴かれたのですね。
私が八大龍王の社の前で聴いたのは「13・自我偈」でした。
家の呉音神さんに聴かせようとCDを購入しました。
「はなのこうふう」という題も姫社神社で心の内で詠んだ和歌に使われていたので、
必然だと思いました。
「常世」「桜」「薄紅」「豐の水」「風香る」これを組み合わせました。
少彦名神との邂逅は心に残るように美的です。
いつまでも忘れないように、何度も推敲を重ね和歌を創りました。
写真がなかった時代、きっと、その心象を写真を撮るように
心に焼き付けるために歌をよんだのでしょう。
特殊な聞き方は、耳で聴くだけでなくそこから、
心で聴きイメージしているということだと思います。

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吉田一氣 記載
以上の経緯で「法華の香風」のCDを手に入れて何回か聞いたのだが
このあとに入れたCDが例の特別な音を響かせた『四季』だったということになる。
ちなみに友人に現代の引声念仏につながる声明のCDを見つけたので
ご希望ならお送りしましょうかと聞いたのだが
「今更ですが正直に言うとどうも南無妙法蓮華経が自分にとって厳しすぎるみたいな感じが
付き纏っているんですよね。」と断られてしまった。

縁がある方しか聞くことが無いCDということなのかもしれないが、
このブログ題名の『音霊に捧ぐ』というのは
この「法華の香風」の引声念仏とに関係する音霊ということである。

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ニキ様からこの「法華の香風」について興味深いコメントをいただいている。
ニキ様からのメッセージ 2017 0625 21:50:50 「ハーモニー」

法華の香風」入手して聞きました。単独で聞いた時は私にはよくわからないなぁと思ったのですが・・・。
私事ですが、本日、宇都宮に映画を見に行って来ました。
この映画、技術が高すぎて初回上演から4年たった今でもソフト化されていません。
映画の内容自体にも感銘を受けたのですが、帰宅後、映画の主題歌と「法華の香風」を
一緒に流してみて驚きました。すごい調和。
その調和の音楽から映像が鮮明に見えました。総毛立ちました。

「法華の香風」はシンセサイザーを使っているところがポイントだと思います。
ちなみにシンセサイザーのWikipediaの説明「シンセサイザーの発明は、
「ある時 誰かが 世界で初めて何かを発明し、その成果が後に世界中に広がった」という出来事ではない。
100年以上にわたる電子楽器の歴史の中で、多くの人々が試行錯誤を繰り返し、
時としてほぼ同じものがあちこちで再発明されながら、技術の蓄積と概念の洗練が進み、
途中、戦争による停滞や技術者の世代交代を挟んで、
1960年代以降マイクロ・エレクトロニクスと共に急速な発展を遂げて現在の形になった。」
この文にも感動してしまいました。映画の内容にもリンクしていて。
映画を宇都宮で見ることが決まってから、八岐大蛇がデジタル化されているイメージが
ぼんやり浮かんでいたのですが、「法華の香風」とのハーモニーで明確に映像化されました。
呉音神とセットの八大龍王はデジタル化されているのかもしれないと感じました。
宇都宮は渦の宮で宇宙の宮。
こういう遊び心もありなのかもしれません。

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どうも音霊の働きは、単音の場合よりバックコーラス付きや
別の音楽とのコラボレーションによるハーモニーなど
協業関係であるときに特別に御神霊の働きが表に出るように感じられる。
そもそも音霊のことを思慮せずにこの「法華の香風」を聞いても
音霊の働きが出ないであろうことを考えると
音霊を感じようと観察するという行為が
観察される現象に与える変化があるという事であろう。

あと「法華の香風」のバックボーンは法華経ということになる。
そしてこのCDの声明は魚山声明につながる。
この魚山というのは中国山東省魚山の地名に因むのだが
その来歴伝承は魏の曹植(そうち)がここで空中に梵天の声を聞き,
その音律を写して作ったのが梵唄(ぼんばい)であるという。
そしてこの梵唄が魚山声明の原点となっている。
黄檗宗では唐音で経を読誦している。
その響きには呉音とは違う響きと意味がある。

このブログの題名を『音霊に捧ぐ』として『呉音霊に捧ぐ』としていないのは
この感応があった音霊が呉言霊と一致するかの確信がまだ持てないからである。
入唐八家の慈覚大師円仁が感得し
比叡山常行堂や真如堂に勧請した魚山声明に宿る音霊は
言語的には唐音であり呉音ではない。

私が感応感得した呉音霊というもののは確かなものではあるが、
その意味は呉音や呉音文化や長江文明を作り上げた神霊であるという意味であり
その神霊が呉音の響きとは違う唐音とどうかかわっているかについては把握できていない。
それ故に魚山声明に宿る音霊に音霊の神力を感じ敬服はしているのだが
呉音霊がその音を喜ばれるかについては今後の検証という事になる。








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