京都城南宮の三光紋は
由緒によると神功皇后との旗印となっているが、
吉田一氣の霊的感応ではもともと武内宿禰の旗印である。
これを武内宿禰の子供である蘇我石川宿禰が受け継いでいる。
それで感応があった八代の鎮宅霊符神社以外に
その裏づけが無いかを調べてみると
武内宿禰の末裔の武川氏が神職として奉職し
現在は86代目と伝える三光神社がある。
ところがかつては「姫山神社」と言っていたということで
陸前国宮城郡青麻の三光宮を勧請したとなっていて
武内宿禰との関連があるのか無いのか良く分からない。
それで青麻神社を調べると主祭神は日月星の三光となっていて
社伝によれば、仁寿2年(852年)に
社家の遠祖・穂積保昌が山城国から当地に下向し、
一族が尊崇していた日月星の三光の神を山峡の岩窟の中に祀ったのが始まり。
穂積保昌が土地の人々に麻の栽培を教えたことにより
「青麻」の地名・社名となり神紋も麻の葉だそうだ。
穂積といえば志賀海神社の安曇氏からの別れである。
この青麻神社と麻賀多神社については以前考察している。
残念ながら武内宿禰と蘇我氏と三光の繋がりについては
核心になかなか迫れないでいる。
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由緒によると神功皇后との旗印となっているが、
吉田一氣の霊的感応ではもともと武内宿禰の旗印である。
これを武内宿禰の子供である蘇我石川宿禰が受け継いでいる。
それで感応があった八代の鎮宅霊符神社以外に
その裏づけが無いかを調べてみると
武内宿禰の末裔の武川氏が神職として奉職し
現在は86代目と伝える三光神社がある。
ところがかつては「姫山神社」と言っていたということで
陸前国宮城郡青麻の三光宮を勧請したとなっていて
武内宿禰との関連があるのか無いのか良く分からない。
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社伝によれば、仁寿2年(852年)に
社家の遠祖・穂積保昌が山城国から当地に下向し、
一族が尊崇していた日月星の三光の神を山峡の岩窟の中に祀ったのが始まり。
穂積保昌が土地の人々に麻の栽培を教えたことにより
「青麻」の地名・社名となり神紋も麻の葉だそうだ。
穂積といえば志賀海神社の安曇氏からの別れである。
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