吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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縄文神 サイの神のおさらいです No151

2010-08-29 08:52:47 | 日記
蘇我氏は勾玉と縁が深い一族で蘇我氏が勢力を無くすと同時に
勾玉が作られなくなっている。
出雲の勾玉は玉造温泉として今に名を留めている。
さて三種の神器は「八咫鏡」「八尺瓊勾玉」「天叢雲剣」であるが
これらを各氏族に当てはめると八尺瓊勾玉=蘇我氏 天叢雲剣=物部氏
八咫鏡=邪馬台国系の氏族に当たるのではないかと勝手に考えている。
良くわからないが鏡はもしかすると天忍日命や道臣命に繋がる大伴氏かもしれない。
また八尺瓊勾玉を献じたのは
丹波国の桑田村の甕襲(みかそ)という人物という話もある。
出雲での氏族の結束が三種の神器であり、
天皇とはその氏族から輩出された司祭担当ではなかろうか?
だとすると天皇が祭祀していた神とは、どういう神霊だったのかという疑問がわく。

出雲大社の宝物館の勾玉は翡翠硬玉製だが、
このヒスイは越の国で産出したことが今では分かっている。
世界的に見ても翡翠硬玉の産地は少なくて
ビルマ(ミャンマー)のカチン州マンダレーが有名であるが中国国内では産出しない。
しかし長らく日本でヒスイが産出されることは忘れ去られていて
再発見は明治になってからである。
越の国は今の北陸あたりで糸魚川市長者ケ原遺跡の発掘調査で、
縄文中期の硬玉性大珠の加工跡が確認されている。
ここに非常に重要なポイントがある。
蘇我氏が勾玉と縁があると言ったが、この勾玉は縄文由来の祭祀具である。
縄文式土器に火焔土器や遮光器土器があるが、縄文神の信仰を雄弁に語っている。
縄文神の信仰をたどり調査した結果
間違いなく縄文神は封印されてきた歴史を持つように感じている。

女神アラハバキ(荒覇吐、荒吐、荒脛巾)と
男神サイ(岐神 来名戸祖神、八衢神、塞の神)は
縄文神系と言われており、猿田彦神や白鬚神に繋がっていると思っている。
また祓戸四神の内の一神である瀬織津姫も縄文の女神と伝える人々がいる。
筆者は今のところ瀬織津姫について見識を持っていない。
ただ同様な話がある白山菊理媛神については自分なりの信仰を持っているが、
この白山神は寛恕と和の神でありここで述べている縄文神の範囲にはない。
同様に道主貴であらせられる宗像三女神の一人である市杵嶋姫も
縄文神の範囲と思っていない。
市杵嶋姫は弁財天(弁才天)に習合されることもあるが、
女神アラハバキも弁才天に姿を変えて信仰されてきたという話もある。
従ってそういう意味での繋がりがあるのかもしれない。
瀬織津姫神を日本神名辞典で調べると禍津日神・八十禍津日神に比定されている。
全ての災厄の元となる神らしい。
これに対抗し穢れを払い、禍を直す神として直毘神が生まれている。
瀬織津姫神は恐れられさんざんな言われ方をされているように思えるが、
確かに封印された縄文神の性質を持つのかもしれない。
ただ筆者が今論じている縄文神とは間違いなく祟り続ける神であり
祟り神に落とされた神の事ではない。
その区別は重要だと思っている。
日本の神道のある部分には間違いなく
ミトラ教由来のマイトレーヤ信仰 、ユダヤ教、原始キリスト教の
理念が混じりこんでいるし、もちろん道教、仏教、儒教の理念も混在している。 
神道とは器であるからそれは大きな問題とはならないが、
それゆえに一神教にならずにいると思っていた。

数多くの神々を祀る古代エジプトでも
太陽神ラーを信仰する者、別の太陽神アメンを信仰する者と
オリオン星を信仰する者、シリウス星を信仰する者の対立があっていて
多神教でありながら各自は一神教を志向している。
人類本来の本能は、一神教を志向するように感じている。
やはり日本だけが特殊であるような認識を持つに至っている。
日本には八百万の神々を各所に配置し、
ありがたい神様として名を問わない信仰形態がある。
例えば西行法師の「西行法師家集」に載る
『なにごとのおわしますかは知らなねども、かたじけなさに涙こぼるる』
という歌であるが
これは伊勢神宮に詣でた時の歌であるから
伊勢の神様がいることは分かっていながらの歌である。
また昔話の「大工と鬼六」でも名前を当てられて鬼は卒倒して消えている。
本名(諡)は軽々しく人に教えないまた呼ばないのは当たり前で
だから諡を「忌み名」といっている。
特に神霊に関しては、庶民は詮索せずに
海の神様、山の神様、水の神様、火の神様と呼ぶのが慣例となっている。
本来今の私が行っている作業のように神名を明らかにして役割を見極めるのは
小賢しいことなのだ。
神々を総括してありがたい存在として、
八百万の神々とする日本の多神教は、
原始的どころかその維持に古来から意図的な配慮が成されている。

この原因について筆者はあることを感じている。
それはひとつの神のみを信仰し
それを一神教として広めようとすると祟られるということだ。
では何に祟られるのか?誰が祟られたというのか?
もちろん祟るのは封印された神である。

例えばキリスト教は教科書的には、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが
1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたということになっている。
布教と植民地支配は両輪で彼ザビエルは
「スペインの基地を作るために地理的条件を考えると天草が最高だ。」と報告している。
同様にペドロ・デ・ラ・クルスも1599年2月25日に
ローマのイエズス会本部ジェズ教会に宛てた文章に
「軍隊を送る前に,キリスト教の領主の土地を
艦隊の基地として使用できるようにする。このためには天草島が非常に適している。
なぜならばその島は小さく、軽快な船で取り囲んで守るのが容易であり、
また艦隊の航海にとってよい位置にある。」と報告している。
その天草で実際に布教活動をしたのは
イエズス会のルイス・デ・アルメイダ神父であり、
この布教活動が1637年12月11日に天草四郎率いる天草の乱と繋がった側面もある。
そしてこの乱では3万人以上の死者が出たが以降キリスト教は深く潜伏し、
隠れキリシタンとなっていった。
また日本に対する植民地支配策は東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが、
日本よりも支那の支配を薦めており、日本は結局難を逃れている。
神霊の実在を信じないものには、これはただの歴史の流れであろうが、
筆者にとって、この天草に広まったキリスト教が
なぜここまで完膚無きまで叩き潰されたのか、
その神霊界の動きが気になっている。
この天草の乱は、基本的には島原・天草一揆である。
過重な年貢負担に窮し、さらに飢饉の被害で始まった一揆であり、
宗教的な戦争では無かった。
しかし数多くのキリシタンが加担していて、
それがキリシタン弾圧の口実ともなっている。
歴史的には秀吉、家康によりキリスト教は禁教化されていき、
それで広まらなかった訳だが、
神霊的な背景にはひとつの神のみを信仰し
それを一神教として広めようとすると祟られるという例となっている。

熊本の宇土に入ったキリシタン大名の小西行長が神社や寺院を
全て破壊しまくっている事から
宇土から八代にかけての神社は後年に再建されたものばかりである。
八代の中央構造線と熊本の中央構造線である金峰山南側の
立田山断層(熊本霊ライン)とに挟まれた
この地域で起こったことは増幅されて日本へ影響するが、
小西行長の行為によりキリスト教が日本国中に広がる可能性があったといえる。
小西行長とイエズス会が協力してもしスペインの基地を天草においていれば
日本の歴史は変わったはずである。
例えば韓国では宗教人口は総人口の53%を占め、非宗教人口は47%である。
このうち、仏教が22.8%、プロテスタントが18%、カトリックが11%、儒教0.2%となっている。
プロテスタントとカトリックを加えたキリスト教全体では29.2%で
キリスト教信者数は約1376万人となっていて
仏教より信者の数が多く、第一位の宗教である。
この韓国のキリスト教が広まるきっかけとなったのは、
キリシタン大名小西行長の求めに応じて
イエズス会司祭グレゴリオ・デ・セスペデスが朝鮮に出向いたからである。
小西行長の布教活動は、当然九州に浸透していったが、
これにことごとく対抗したのが加藤清正公である。
小西行長は朝鮮出兵では和平交渉に尽力しているし
財での慈善事業を行うなど尊敬すべき点も多いが、
結局彼の人生は清正との対立の中で敗者となってしまう。

そういう意味で加藤清正公に味方した神霊が、
キリスト教の布教に対抗したように思われる方もいらっしゃるかもしれないが、
筆者なりの調査の結果では、どうも違うようである。

このひとつの神のみを信仰しそれを一神教として広めようとすると
日本で祟られる呪いはもっと根源的なものである。
筆者はそれを表面的には封印されている縄文神の呪いであると感じている。

蘇我氏は、縄文神の呪いを封印するために仏教を選択しようとしたように思う。
もともとこの封印は結界師である天皇家の役割であった。
ところが、世俗にまみれ権力志向の中で天皇の巫覡としての力は弱まり、
代役が求められるようになってきていた。

ひとつの神のみを信仰しそれを一神教として広めようとすると祟られ滅びる例として
物部氏の衰退も上げられる。
物部氏は蘇我氏との間で神道VS仏教の宗教戦争に敗れたといわれているが、
この話にはいくつもの謎が隠されている。
ただ強大な軍事力を持つ物部氏が戦に負け敗退したことだけは事実である。
ここに物部神道は滅び去ったといえる。
残る中臣神道は、中臣氏が藤原氏と名を換え藤原不比等が信仰の拡大を捨てる事で
祭祀つまり政(まつりごと)から宗教色を取り払い、
律令政治としたことで生き残った。

また一向宗もあれだけの勢力となりながら石山本願寺で織田信長に破れ去った。
この歴史も調べていくとどうも祟られているとしか思えない節がある。

あるいは古くは皇極紀3年に富士川のほとりに住む
大生部多(おおふべのおお)という多氏の一族が
「常世神」(とこよのかみ)を広めている。
「常世神」とは常世虫に対する信仰のことである。
家の家財を投げうちて虫を祭る者が多く、
秦河勝は民が惑わされるのを許さず、大生部多を討ったとある。

第二次世界大戦で敗戦を喫しあらひと神である天皇が人間宣言を行ったのも、
そう思ってよくよく歴史を調べると
まさに祟られて滅びの道を強制的に進まされたとしか思えない。

また弘法大師空海が三輪に三面大黒の結界を仕掛けることをしながら
決して自らの教団である真言宗をある規模から拡大させようとしなかったのは
縄文神の霊力に対して自らの限界を知ると同時に
この祟りを正面から受けないためであったと筆者は考えている。

日蓮の場合は途中で竜に助けられると同時にそのことに気づかされて
縄文神信仰をさらに強めている。
その秘密は身延山(七面山)に隠されているようである。

では縄文時代からの古代日本人が信仰していた縄文神とはどんな神なのかというと
筆者は想像の範囲から超えて話が出来ないが以下のニ柱の神霊の存在を感じている。
遮光式土器で表される全てを産み出す神=女神アラハバキ
火焔土器で表される燃やし消し去る神=岐神

出雲では、「神在祭」という神事が行われる。
海でお祓いをしに十数名の神官達が稲佐の浜に到着。
1時間あまりの儀式を終えた後、
あがったセグロウミヘビ(海蛇)を持って神官達は出雲大社へ向かう。
これによって出雲に八百万神を迎えることになる。
1週間留まった末、また八百万神はそれぞれの国へ帰っていく。
つまり竜蛇神信仰があるわけだが、
『古事記」に、垂仁天皇の皇子の本牟智和気御子(ホムチワケ)は
出雲にゆき「檳榔(アジマサ)の長穂宮」に住んだ。
ある夜、肥長比賣(ヒナガヒメ)とむすばれたが、
その姫をそっと見ると蛇であったのでホムチワケは逃げ出した。
ヒナガヒメは「海原を光らして」追いかけてきた、とある。
ナガの語源はもともとサンスクリットのナーガからきたもので
蛇をさすといわれている。

また綿津見神(海童神)の娘である豊玉姫神は彦火火出見尊(火遠理命)との間に
鵜葺屋葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)をもうけるが、
豊玉姫神の出産時の姿は鰐であったとなっている。

また三輪山の神は巳様と呼ばれる蛇であり
倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)は
蛇巫女として巳様に仕えたようだが、
この巳様が大物主神であるとの伝承がある。

この爬虫類を竜神・竜蛇神・蛇神とみなし、祭祀する信仰は、
やはり縄文時代からのものであろうが縄文神信仰とは別に受け継がれてきている。
しかしながらこの竜蛇神は、眷属神的な働きをもたらす神霊であり
呪い祟る縄文神の根源的な存在ではなさそうである。

この縄文神の呪を祓い日本を祝福された国にするには
どうしても蘇我氏の封印を取り去り
蘇我氏の祭祀を学び古来の儀式により
縄文神の呪を解決するしか方法が無い様に思う。
弘法大師空海からの啓示もそのことを示唆している。
そうすれば日本各地に封印された龍神は全てが本来の力を発揮するはずである。

自分はこの十数年間、自らを犠牲にしてこの問題に取り組んできた。
各人の協力もあって神霊界を大きく動かしたことは事実である。
ホームページも立ち上げたが残念ながら賛同者はゼロである。
自分の第一弾の役割は果たし終えたと思っている。
ただ縄文神の祟りの増殖は一筋縄ではいかない。

今の神霊界の新たな問題として靖国問題もある。
以下参考までに
『日本の国家開運の枷』
今年65回目の8月15日の「終戦の日」に靖国神社に15万人を超える
参拝者があったそうだ。
靖国神社は明治期からの戦没英霊の鎮魂の神社となっている。
祭神が戦没英霊であり日本の神社としては、
少し一般の神社とは趣が違うという印象であろう。
そして中国・韓国からは侵略の象徴として靖国神社は敵視されている。
今回、民主党政権の内閣は参拝を見送った。
ところでもし中国・韓国からの圧力に負けて仮に
この靖国神社の祭神を
朝鮮から日本に渡来した天日槍などに替えたとしたら
どういうことが起こるだろうか?
神霊界の存在を否定する人であれば
単なる屈辱の問題として片付けることも出来るだろうが、
神霊界が実在すると確信する自分としては、
とんでもない状態になるということを伝えたい。
靖国神社が日本国の愛国者の象徴と思う人々と
祀られる英霊が造り出してきた
ものすごい思念はその時行き所がなくなってしまう。
それは神霊界の乱れによる国家的祟りとなってしまう。
実は日本の過去において、時の政権等により
そのようなことが過去より多々行なわれてきているのだ。
これが今の日本に非常に多大な影を投げかけている。
自分は微力ながらもそれを糺していくことを自らの宿命としている。
封印された歴史と封印された祭神を開くことは
非常に作用反作用が大きいので細心の注意と時間が掛かる。
封印した側の霊的攻撃と封印された側の祟りの
両方を被ることを覚悟しなければならない。
ただまさに今しなければならない事だと自分は判断している。
今の繁栄の裏には隠された歴史があり、
日本が世界の規範となる為には避けて通れない道である。
第二次世界大戦後65年が経ち日本は平和な国となったが
未だに世界から祭祀の自治すら認められていないような状況にある。
一般的な日本人の平和への思いは、
世界でも類の無いぐらい純粋なものであるし
国連等でも日本人はリーダーに任命されれば
世界にもっと有意義に貢献出来ると確信している。
それがなかなか認められないのはもどかしいものがある。
それを霊的世界からも解明したいという想いがある。
日本の古い縄文神の歴史の封印から新しくは明治時代の
皇国史観による改竄による
神霊界の乱れと混乱と封印を解き放ち
封印された魂の開放を行い日本神霊界を強固なものにしたい。
現在宗教団体とは別の独立した神霊の導きによる
多人数の霊的感応者らによる神社やパワースポットでの
祈りのパワーが強くなってきて来ているが、
その背景は日本神霊界が少しずつ糺されているからである。


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アナグラム (はいせ)
2021-01-25 21:45:12
出雲あおたま大珠が手元にやってきたので、1/23にネックレスに仕立てました。
ちょうどラブラドライトの面白い形の石が4つあったので大珠を中心にラブラドライト、糸魚川翡翠、乙女水晶で鎖の部分はすべてマラカイトにしました。
出来た途端に「あ、これ『あきつ』だ」と思います。蜻蛉っぽいのです。羽の部分の4つのラブラドライトが気になっていたのですが、さきほど、蜻蛉の羽をネット検索したところ、古くは「あきづは」といい、薄く透きとおって美しいので、羅などのたとえや形容に用いるとのこと。
秋津は奈良県吉野郡吉野町宮滝付近一帯の地を指し、上代、吉野離宮があったそうです。
また、秋津島といえば本州の古称で、神武天皇が国土を一望してトンボのようだと言ったことが由来だとか。
「あきづは」は「ハズキ」のアナグラムでもあり、速秋津比売神(水戸神)を考えるとハミト大神との関係も匂わせます。
まさか、こういう展開になるとは思わなかったのですが、ハミト大神、ハズキ大神の縁の品として末永く大切にしようと思います。
ちなみにご神霊は檸檬がお好きのようです。生檸檬を絞ってソーダで割ってお供えするとなんとなく機嫌がよさそうです。ライム、ゆずなど柑橘系いろいろ試しましたが檸檬がいいみたい。
船乗りは壊血病を防ぐために檸檬を船に積み込むといいますので、海に檸檬は付物なのかもしれません。ただ、英語圏では檸檬って貶められているのですよね。
生檸檬絞ってジンとソーダで割って飲むと風邪の初期症状など吹き飛ばしてくれるので、冬はよく檸檬を取っています。
返信する
チャレンジ! (はいせ)
2021-01-15 14:54:09
吉田様

お忙しい中、アドバイスありがとうございます!
シヴァリンガム調べてみました。
陰陽石みたいですねぇ。サイの神にも通じるイメージです。自分の中では、威奴神に何らかの関連性があるのでは?という感じがしますが。
勾玉は新しくご縁結びしたので、防御はそちらに任せて、大珠をお迎えしてみます。身体の痛みを堪えなくてもいいよう穏便に変換の時代を過ごしていけることを祈願することにします。
また、『自己を抑えまた収める能力』というところはハミト大神、ハズキ大神に斎姫山門五音大神を宥めていただくことにもいいのかも?やってみないとわからないので、とにかくチャレンジですね。
お手数をおかけしました。ありがとうございました。
吉田様もご自愛しながら祈願頑張ってください。
返信する
吉田一氣 (はいせ様の返信)
2021-01-14 23:57:21
勾玉はその型ちに意味があり
大珠は握る事に意味がある呪術器だと感じています。
人類普遍のイメージのものであり
シヴァリンガムと同じようなものと言えるでしょうね。
あの楕円形のものは身体に痛みがあって堪える時に
握り締めると安らぎの効果がある事を経験しています。
霊的なアタックに対しての防御能力には欠けますが
自己を抑えまた収める能力を持っています。
返信する
大珠と勾玉 (はいせ)
2021-01-13 22:36:27
吉田様

真摯な祈りの最中、申し訳ないのですが、大珠と勾玉についてアドバイスいただきたく、お願いいたします。
ご縁あり手元に来た出雲青玉の勾玉が三峰神社奥宮にて卒業していきましたが、どうも次に来るのが大珠のようなのです。
座間市の遺跡から翡翠の大珠が見つかったというニュースを見た翌日に出雲青玉の大珠をネットで見つけます。直感では大珠でOKだと感じていますが、大珠ってよくわからないのですよね・・・。
昨年の12月から自作のネックレスが壊れまくっていて、でも不思議なことにネックレスを構成している石は1つもなくなっていないのです。ここ数日、急にスイッチが入ってネックレス作りまくっているのですが、何か大珠について情報があれば教えていただけると嬉しいです。
ちなみに勾玉は出雲鏡石と伊勢青石のものを入手したので、手持ちの糸魚川翡翠で三叉鉾風に仕上げます。
よろしくお願いします。
認証番号:5554⇒9897
気後れしているのがバレバレな認証番号になりました・・・。
返信する
吉田一氣 (追記です)
2017-07-26 22:43:30
皆さま御存じでしょうが
玉の緒の歌を紹介しておきます。

玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
    忍ぶることの よわりもぞする
        式子内親王

忍ぶ恋のことでしょうが、
忍ぶ思いは恋のみではありませんね。
返信する
吉田一氣 (すずたま様への返信)
2017-07-26 13:25:43
人間も最初は卵で稚魚になって人になるのですね。
一番の出世魚でしょうか。
無事に出産できることを祈っています。
石上神宮の玉の緒も勾玉と霊符の組み合わせです。
この玉の緒に救われた方のみ勾玉の真実は受け継がれると
感じています。
鏡が自分を映す道具というだけでなく祭祀に使われるように
劔が武具という道具であるだけでなく祭祀に使われるように
勾玉も祭祀のためだけにあるのではなく
道具としての役割もあります。
返信する
太一余糧とか兎余糧 (すずたま)
2017-07-26 09:28:15
って初めて聞きましたが、生薬の類で、鳴石の中の粘土が淡黄~灰色のものを兎余粮といい、鉄分を多く含んだ濃赤色のものを 太一余粮というのだそうですね。
薬狩りの推測当たっていたようですね。

ところで写真の勾玉は洗練された形ではないですが、じっとみていると、目のある稚魚に見えてきます^^

勾玉の思想は鯰と瓢箪のクニで育まれたような気がしてきました。
蘇我の親戚である昔氏とも縁のある地方です。
昔の国が昔那(すくな)で、出雲から大陸に渡り再び戻ってきたのがスクナヒコだと言っているひともいます。

そういえば次女のおなかの稚魚は、おかげさまで順調に、4センチくらいのヒト型に育っているらしいです^^
返信する
カミサマからの賜物であった鳴石 (すずたま)
2017-07-26 07:58:48
菅・萱・茅などの繁る原に「薬狩り」に出かける話が、古事記だか万葉集だか忘れましたが、あります。
その薬とは褐鉄鋼ではなかったかと勝手に考えています。
カヤの原は元湿地で褐鉄鋼がごろごろ残っていたのではないかと思うからです。
高師小僧は製鉄に使われなくなってからも、なにかパワーの宿る不思議なものと見られたのではないでしょうか?
首飾りに用いられる翡翠製の管玉は、葦の茎につく円筒型の高師小僧がモデルではなかったか、元はそれ自体を首飾りにしたかもしれないなどと、勝手に想像しています。
中に空洞を持つ大きな塊に育つものは、中に残った粘土が小石状に固まってカラカラ音を出すので鳴石と呼ばれ、鈴のモデルにもなったといわれ、とりわけ珍重されたと思われます。また初期製鉄の時代には鉄製の鈴を鳴らして類感現象でおすずの生成を祈ったとも言われますね。
真弓常忠氏の本に晴天の霹靂のようなショックをうけ、以来おすずに思い入れる私は、その生成を祈って鈴を鳴らしながら踊っていたような気がします(笑)
返信する
吉田一氣 (すずたま様への返信)
2017-07-25 22:27:32
唐古鍵遺跡の勾玉はとても綺麗ですね。
この写真は初めて見ました。
土器ではなく貴重な褐鉄鋼容器が
使われていることがとても重要なヒントだと感じます。
褐鉄鋼容器にくるむことにより
太一余糧や兎余糧的な薬になると感じたか
勾玉に特別なパワーが宿ると思ったのでしょうか。
褐鉄鋼の高師小僧は鉄の材料としてだけでなく
やはり何らかのまじないに使われていたのですね。
非常に興味深い情報でした。
返信する
蘇我氏と縄文のなぞ (すずたま)
2017-07-25 17:43:06
縄文から弥生の移行は、あちこちで不幸な形をとったので、祟って当然、カミが祟るという以前に人々の想いが未だに浮かばれてないのではないか、とも思われますが・・・その縄文の民の信仰するカミがサイの神、といっていいのですね。
ではサイの神の実体はというと、どうもいろいろあってよくわからなくなるのです。
邪なモノの侵入を遮る塞の神、岐の神、というものと、幸の神という子孫繁栄の神と、道端の道祖神的なものと、歳神もサイの神と言われたり、まとめてサイの神というには別のものがごちゃgちゃしているように思われます。

谷戸貞彦著「幸の神と竜」でいう幸(さい)の神とは、手を取り合った男女がレリーフされた夫婦和合の石像をいい、各地の幸の神の石像は弥生的みずら髪であったり女性が十二単衣であったり普通の和服であったりと、新しい時代にまで幸の神が信仰されたことがわかります。つまりしっかり庶民に根付いています。
どうもそのルーツはインドの和合神にあるようで、クナトの大神も縄文時代に日本に渡ってきたドラビダ族の王と言われます。
クナトがかかわるのなら、サイの神のルーツはヒンズー教由来の男女和合のカミというのが最も妥当なところで、村のはずれにある塞の神はちょっと別のものになるのでしょうか?

子孫繁栄の和合のカミは、陰石・陽石の即物的な性神信仰から断絶しない、縄文以来あまり変わらぬおおらかな庶民の精神を感じさせることは確かですが、谷戸氏の著書は何でもかんでも性賛歌というかちょっと即物的すぎて辟易し、真理を突いているとは思うのですが、あまり読み進めていません。
しかしたとえば遮光式土偶は女性が女系家族の家長(カミ)であった時代の女性像であって、地母神なぞというものではない、それは農業の時代になってからの観念、というのはよくわかります。

まああれこれ考えているのですが、サイの神と蘇我氏の関係には迫れずにいます。

ところで唐古鍵遺跡で発見された「褐鉄鋼容器に納められた勾玉」は、インパクトありますね。
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-5/images/image-1/0129-18.jpg

普通のスズ石で、中に石(粘土が収縮したもの)が入っているものは鳴石ともいう。
そこに勾玉を容れた、その心・・・

勾玉は縄文以来の祭器で、蘇我氏は勾玉を造る一族だった。
勾玉が褐鉄鋼に包まれた図は、まさに子宮の中の胎児に見えます。
褐鉄鋼も縄文期の初期製鉄の材料。
褐鉄鋼は葦などの生える湿地に採れ、その地は菅や茅の生える原になっていった。
菅、須賀と蘇我。
蘇我氏と縄文はどういう関係にあるのでしょうか・・・
返信する
オオモノヌシとは何でしょうか? (すずたま)
2017-07-25 08:46:26
三輪山には、太古から物凄くいろいろなものが被さってきているように思われます。
三輪山における太陽祭祀の巫覡王が大物主と呼ばれたとして、それが大陸から来た一族なのなら、当然三輪山のヌシはその前、太古から存在したはずで、大物主一族は丁重にそれをお祀りしたのでしょう。そのカミをオオモノヌシ(おおいなる精霊のヌシ)と彼らは呼び、それを祀ることになった巫覡王も大物主と呼ばれたのでしょうか?

「夏王朝の末裔である高御産巣日系大物主」の前にも、山の恩恵を受けていた縄文系の人々が棲み、ひと悶着あったというのは縄文の民に対して、でしょうか。彼らの山を奪ったので、そのカミもろともに慰霊したはずです。

おおいなる精霊のヌシたるオオモノヌシとは、列島が創世された太古からの山のヌシであって、ヒトはそれを蛇体と観じたかもしれません。それは龍神界における偉大な存在であり、ヒトから視れば大蛇であっても、元々は純粋なエネルギー体(巳)だと思っています。

列島が一大カタストロフィにより泥の海になって、生き残りは縄文からやり直すことになった。
(泥の海が水が引いていき、湿地性を好む原初的生命体「蟲?」が湧きもし、オオモノヌシはそれら精霊群を統率する存在ともなった?)

三輪山は前文明からの聖地だったろうと考えています。地のエネルギーが並はずれ、天と繋がる柱が立つような。
そんな地は金属資源にも恵まれた垂涎の地なので、宇陀の水銀などを狙う倭人が攻め寄せ、土蜘蛛の殲滅などということもここでも起きたでしょう。倭人とは縄文人からみて土地を奪いに来る禍々しい一群だったはずです。神武もヤマトタケルも…
9429
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息長大姫と結婚した大物主は (禮月)
2017-07-24 16:04:57
すずたま様

高御産巣日~手力男の系図を研究されているとくこ様の情報を鑑みると、辛国息長大姫大目と同盟(結婚)した大物主も、周の平王よりもっと古い時代にやってきた大陸からの移民である事が解ります。高御産巣日系大物主達は、縄文時代に列島に逃げてきた夏王朝の末裔であり、恐らく列島土着の神(霊)とも一悶着あって、慰霊の為にそれを祭り続けていた可能性は否定できません。辛国息長大姫大目も同じく列島古来の「御霊」には敬意を払っていた筈だから、手力男大物主と共に「列島古来の御霊」を祭り続けていたと考えます。

ただ彼女自身のルーツの背景にも、外来の民が土着の民を虐げた葛藤が色濃くありそうなんですよね。
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縄文の祟り考 (すずたま)
2017-07-23 20:52:16
西方の文明が弥生人とともに到来し、縄文を導いた神の後退のときが訪れはしたが、何度も書いて恐縮ですが、呉系弥生勢力にあった大日霊女は「縄文アニミズムを《土台にして》、仏教ユダヤ教道教ら諸宗教の大元とを繋げ、神祀り(本来の古神道)を創始した」、とk文書にはあります。
大日霊女の実体の詮索を別にして、このこと自体は真実であったと私は思っており、これは別にk文書の呪縛ではないはずです。
古神道というものの一般的イメージからしても、アニミズムを否定したり封印したりしてないらしいことは歴然ですので。
進化・深化・発展は旧いものを土台にしてこそ成り立つというしくみは、少なくとも大日霊女の創始したという神祀り(天皇家の祭祀ともなった)とその根本思想においては、守られたはずなのです。
禮月様情報の辛国息長大姫大目命と大物主の連合の話とも通じます。
なぜ辛嶋系の血の流入のあるらしい蘇我が、縄文神を封印せざるをえなかったのでしょうか?
辛嶋が息長大姫大目の大日霊女系譜を引き継いだのだとして、そのとき三輪との間に何か変化が生じたようではありますね。
禮月様がたぶんすでに説明されており、どうも呑み込めてなくて、私が忘れているのかもしれません。アヨーディア王子ニギハヤヒやら加茂氏やらがネックなのでしたか。

異種のルーツのぶつかり合いとか、母系をめぐる氏族間の軋轢とか、神霊界での混乱とか、難しい話は置いておいて、縄文から弥生への移行時の痛ましい事例として胸に突き刺さっているものがあります。関東の一大産鉄地・潮来近辺で起きた国栖(土蜘蛛)の大虐殺です。
常陸国風土記にある、建借間命率いる侵略軍によるだまし討ちで、7日7晩の歌舞音曲で誘い出し焼き討ちにしたとか、イバラを敷き詰めた穴居においこんだとか、鹿島郡茨城郡などでいろいろあったようです。
こんなことをあちこちでしたのなら、当然祟られるか、祟りへの怖れは生じるでしょう。

建借間命は九州方面から来た産鉄族多氏の系統にあるらしく(柴田弘武著「産鉄族オオ氏」)、
多氏は神武の後裔・神八井耳の子孫とされ、
「過去の妙見信仰と蘇我氏記載文章のまとめ No143」記載による

神武天皇─神八井耳命─多氏─健磐龍命⇒阿蘇氏系統
神武天皇─神八井耳命⇒蘇我氏─建速須佐之男命─八島野命の系統

のうちの前者の系統にあるようです。
オオ氏と蘇我氏とは祖を同じくするばかりか、関東でも縁が深いようです。
蘇我氏はこのあたりからも、祟りを受ける側にあったということになるのでしょうか?
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続き (すずたま)
2017-07-19 14:13:13
しかし私に言わせれば、ヒトは、じめじめした蟲のたぐいの世界を超えて、はるかに豊かな八百万のカミガミと付き合ってきたのです。
例えば誰に嗤われようと私が逢ったと信じて疑わない西出雲の「地竜様」は、水と土を浄化するために今もハタラキ続ける目に見えぬエネルギー体です。霊視能力の皆無の私には視えませんが、視える人が視れば沖縄の画家が描いたような、枝分かれした長い尾を引いた白い半透明の、竜型の角ある頭部を持つ姿なのかもしれません。
(沖縄の画家の絵では、ソレを身にまとうようにして巫女が舞いますが、羽衣を纏うように見えるので、盗まれた天女の羽衣とは初期製鉄のインフラと関わる「地竜様」のことではないかとまで、疑っています)
蟲師の映像で、とある蟲の姿が蝸牛(カタツムリ)の殻の無いのに似た角のある白い半透明のかたちなので、はっとしました。ソレらが地の内部を走り去る映像は、私が出雲から帰って夢に「地竜」というコトバとともに見た、空中から穴も何もない地下に走り去る姿に似ていました。地竜(=龍蛇かどうかわからない)とは「蟲」と同じ世界に棲む存在なのかと。
亜神界とでもいうか、龍神などが棲むのも同様。銅鐸やシャチホコのモデルになったのかもしれない怪魚とか、近頃いわれるUMAとかもです。別に竜穴とか現実の出入り口は必要ないのです。
良くない怖いモノもいれば、ヒトを助ける善いモノもいる。しかしアニメのギンコがいみじくも云うように、『彼らはひたすらにその性に従っているだけ』なのです。
ただ人間にとって良くないモノについては、村の境界に「賽の神」を祀って、災いをもたらすものの侵入をさえぎる。クナトは「来る勿れ!」と賽切る(さえぎる)神?
それがアラハバキとクナトのペア「幸(サイ)の神」になったのは、産んでも産んでも赤児が死んでしまう苦難の時代、多産延命を援助奨励する夫婦神の誕生が必然だったのでしょうか?おびただしい陰石陽石も同じ思想。

しかし何かで「神武は土蜘蛛の乱倫が許せなかった」と読みましたが、新文明をもたらした弥生の側から見れば、倫理観念ゼロのケモノのような原住民、という上から目線しか無かったのでしょう。そして駆逐してその土地を奪ってゆく。
旧いカミは蹂躙され封印され、新旧交代は非常に不幸なかたちを取ったのでしょう。
その凄まじい祟りに対し、蘇我は慰撫しつつも「再封印」せざるを得なかった。秦氏とともに新日本を建国してゆくために。
こうして書きながら、吉田様のいわれることが、私なりにすこ~し理解出来てきました。

先日何かの番組で火山が火を吹き溶岩が流れる映像を見て、ふと「火焔土器で表される燃やし消し去る神=岐神」を思いました。
洪水で洗い流しつつ豊穣をももたらす水の女神アラハバキと、悪性のモノ(思想も含め)が蔓延れば火山の溶岩で消し去る火の男神クナト、という考えが浮かびました。洪水と火山噴火は生命維持を脅かす2大脅威であるとともに、生命維持に無くてはならない水と火でもあった。縄文のこころを理解するにはいろいろの道筋があるようです。
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サイの神とは何だろう? (すずたま)
2017-07-19 14:07:07
と、ずっと腑に落ちきれないできたのです。

>遮光式土器で表される全てを産み出す神=女神アラハバキ
火焔土器で表される燃やし消し去る神=岐神

アラハバキが全てを産みだす神なら、縄文の枠にはまる神とは限らないですよね?
岐神=男神サイ(来名戸祖神、八衢神、塞の神)(猿田彦神や白鬚神に繋がる?)も同様?
縄文時代に渡ってきた汎地球的神でしょうか?
結果的に縄文系の神となり、ペアでサイの神となった?

列島の縄文時代というのは1万2500年の歴史とすると、そのころ地球的大カタストロフィーがあって列島は泥の海になったと、日月神示その他の情報から考える人たちがおり、列島の生き残りはゼロから出発しなければならなかったと、私も考えています。
そのずっと太古には列島が文明発信の地ですらあった時代もあると。
奥飛騨あたりにかろうじて泥の海から顔を覗かせ、太古の遺伝子を遺した地があったのではないかと。
荒吐神はその太古からの神であろうと。
しかし列島は中央アジアなどの高地やエジプトなど他の地域よりも完全に遅れてしまい、生き残りは縄文から再出発しなければならなかった。

湿地だらけの山や谷には湿地性の生き物以外にも湿地性のモノ(精霊という形の生命体)が異常発生し蔓延り、それが列島独自の「蟲?」世界を形成し、のちのちまで時にはヒト世界に災いをもたらした、というのはしっくりくるイメージではあります。
共存できるうちはいいが蔓延りすぎると自然が不健康になり山が死んでしまったりするので、山を統制する役割を山自身が指名してヌシとする。それは鹿だったりイノシシだったりたまにヒトが指名されたりするのが漫画「蟲師」の世界で、面白い世界観です。同じようなイメージは他のアニメなどにもあり、山で神鹿に出会ったりする話が古事記的世界にもあるので、あながち作り話でもないのでしょう。
続く
1588 8218

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御返信ありがとうございます (すずたま)
2017-07-18 01:29:01
次の記事「出雲井神社のサイ神 No152」の、
「サイの神の封印こそは蘇我一族と共に闇に葬られた秘め事である。」
この言葉に、一気に、このブログに引き込まれたのでした。
初めて出会う言葉であり、どういうこと?!何を言ってるのだろう??と思いました。
次々いろんな記事を読み進んでいきますと、だれも言ってない新鮮無類な視点が展開されていました。
難解で殆ど理解不能なものばかりでしたが。

「祟り続ける縄文の御神霊」は、ある種の「感応」があって導き出されたのですね。
今回の御返答もかなり難解です。やはりこれまで誰も言ってない観点が呈示されています。
縄文の「日々の維持継続の思い」は、文明の進化発展という新たな変革のエネルギーを阻止するハタラキを持ち、それは祟りとして感応された、と。
吉田様自身が縄文神は「祟り続けている」という感応をもたれたのですね。
感応を別にしても、理屈としてわかります。

「幸(さい)の神」について書かれた本を読んで、産めよ増やせよの時代には倫理観念がまるで違うと痛感しました。それはその時代の必然であり、いいとか悪いとか言えないということを理解しました。その時代があって、その次に進化の必然が起きてゆく。

私が思うことは、あらゆる変化や進化は、旧いもの《の上に》成り立つということです。
あらゆるものは役割を終え過去のものになっていく。葉が枯れ木々が枯れ、土壌・肥やしになりそこに新種の木々が生成していき、生成発展とはそれの無限の繰り返し。大体においてじわじわと、しばらくすると突然大変化が起きる。旧くなれば必然としてその役割は終了するのである。
縄文から弥生も、蘇我が西方の新思想をもって日本人の精神世界に大変革をもたらしたときも、進化と終了は必然として起きた。
しかし旧いものの方が逆ベクトルですさまじい働きをした。大変革が起きたのだから当然の反作用。
慰撫しつつ封印せざるをえなかったのは、もう仕方のない状況だったのでしょう。
でも封印なんてされたらたまらない。封印では解決しない。祟るから「慰撫しつつ封印」せざるを得なかったとしても、さらに祟られ続けなければならない。

それにしてもおかしなつまらない文に御返信くださいましてありがとうございます。
その後有料動画で「蟲師」シリーズいくつか観ましたが、ちょっと飽きました(笑)。まあファンタジー系エンターテインメントですから。そこから何か重要な情報を得ようというのがお門違いではあります。
でも記憶をおおいに掘り起こされたのはたしかです。
幼児時代をすごした吉井川河原の竹藪は黒々と奥深く、ボロ寺に引っ越してからも子供には空恐ろしい空間であり、一時はナニカの蟲にヤラレタみたいに変わった暗い子となりました。第一話の少年みたいにヘンなイキモノやらアメーバの増殖みたいな絵を描いて、絵描きの父親に「面白い!」と言われたことあります(笑)
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吉田一氣 (すずたまさまへの返信)
2017-07-17 22:44:42
このブログ記事は7年前の記事になりますが
祟り続ける縄文の御神霊というのは
蘇我氏の役割というものを考察する過程で必然的に出てきた推論ですが
当時の感応は現在維持できていないので
正確な答えを今提示することは困難です。
ただ思い起こすに縄文の神とは縄文人が信仰し
あるいは縄文人を導いてきた御神霊だという前提です。
まず縄文時代とは1万2500年も継続しているということですが
縄文時代が終わって現代まではまだ2300年しか経過していません。
縄文人は弥生人に同化していったのでしょうが
縄文人と弥生人の違いはDNAに求めるよりも
生活の違いと信仰形態の違いにあるかもしれません。
そして縄文の神とは1万年も続いた先祖霊への信仰=日々の維持継続の思いだと
思っています。
信仰の形態として日々の安寧であり病気や自然現象の猛威を治めることや
飢えることなく食物にありつくことで
それは現状日々の維持継続にあったものと推察します。
さて弥生時代 古墳時代を経過して蘇我氏の時代になりますが
この時代は過去と比較して
文字の活用も含めてとてつもないスピードでの
文明文化の進化の時代となっています。
文明が進化するという事はどういう結果を生むのでしょうか。
確固として残る縄文の信仰の残滓はどう影響してくるかというと
発展の阻止に働くと感じられます。
特に弥生時代を終わらせた倭国大乱という不毛な戦いは
蘇我氏に反省を促しているように思えます。
当時の霊能を持った一族から見ると
発展への阻止は祟りに見えたでしょう。

飛鳥以降1万年の発展を約束する神霊はいるでしょうか。
大和というゆう言葉には決意がみなぎっています

少彦名神大国主神は開発と発展を司る神霊だと言われていますが
それは縄文神とは正反対の役割という事になります。
それゆえに少彦名神は縄文の神霊の封印神としての役割を持つことになります。

蘇我氏が理解した隋より渡来の仏教においても
すでに正法時代は過ぎて弥勒菩薩に救いを求める時代です。

蘇我氏は祟り続ける神霊を癒し再封印する祭祀を執り行ったのでしょう。
そして秦氏と共に日本の開発発展に意欲をもって取り組んだと
推察します。
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続き (すずたま)
2017-07-16 09:23:35
どうも夜中に考えたり書いたりすることは独りよがりに突っ走ることが多く、最近あやふやな思いつきや、あやしいことばかり書き込んでいて申し訳ありません。
前コメントは、「吉田一氣の信仰と祈り」記事にある「原始生命体」「原始神」「生命賛歌」とかいった言葉にインスパイアされた部分あり、そちらに書き込もうとしたのですが、ふと、かねてよくわからなかった「縄文神の祟り」に関係あるのかなと勝手に思いついて、こちらになりました。

アニメ「蟲師」の世界は、日本の原風景のような自然の映像が美しく、なにか万人のこころに潜む懐かしい記憶を想起させるようなところがあり、主人公の蟲師のギンコにも、ただの蟲封じの行者ではなく蟲世界との共存を図ろうとする「生命賛歌」的な愛を感じ、好ましいです。数日前は観れた動画が見れなくなっていて残念ですが。

「善悪を超えた原初的な生命そのもの」、原初の生命体「みどりもの」の意識世界と繋がりつつ増殖していったのではないかとふと思う八百万のカミガミ、それらはすべてアラハバキ女神の産んだモノたちの一部であり、後に生まれたヒト世界には障りあるモノどもに入ってきていただかないために、村々にはサエという境界をもうけたわけでしょう。そこにはちゃんとお祀りするという敬意がありました。
西出雲の佐田の地にもそんなサエの石搭がたくさん残され、それらは一か所に集められたりして過去の物になっていました。
中世にはその地は修験系山岳仏教が席捲した跡があります。サエの思想やサエぎられたモノどもには困惑したのでしょう。そこにはわけわからない原初的なモノへの「上から目線」があったはずです。

地球世界にはヒトと共存するには難しいカミや、絶対に棲み分けるべき恐いカミ、ヒトが入っていっては絶対いけないカミの世界もあります。
しかし本当の悪意などとは別の、地球を成り立たせている要素だと思います。
それを蹂躙しているのが現代文明。怒って当然。
ソレラを慰撫し、封印の苦痛から解かねばならないですね。
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「祟る縄文神」とは (すずたま)
2017-07-16 00:51:56
蘇我氏が封印した「祟る縄文神」とは、封印することで祟り神になったのでしょうか?
「祟り神に堕とされた神」ではなく、「祟り続ける神」とあります。

>遮光式土器で表される全てを産み出す神=女神アラハバキ
火焔土器で表される燃やし消し去る神=岐神

この2神のペアであるサイの神、これが封印されたことで祟っているのですか?
読み込みが足りないか、理解力がないために、腑に落ちていません。
たぶんアラハバキとクナトのペアが腑におちてないのだと思います。

全然別の話を持ち出して申し訳ありませんが、「原初生命体」について考えています。
たまたま「蟲師」というアニメのシリーズのいくつかを無料動画で観て、たちまちはまってしまいましたが、「蟲」という常人には目に見えないモノたちの動きをみて、これは以前動画で見た「粘菌」の生態に似ているとおもったのです。
これらは地球に原初に発生した生命体や意識体から動植物の進化系統が分かれていく、そのほとんど原初のままの形態を保っている種族だろうか?と。
かなり怖いモノもいるとしても、善悪を超えた生命そのものたちです。

地球がマグマの塊から少しずつ冷えて水中に生命が誕生し始めたとき、最初の生命は藻類だったようなのですが(それがアシカビ?)、「蟲」が「みどりもの」とも言われるように、「蟲」も粘菌も、動物とも植物ともつかないようなところがあります。「蟲」は山中だけでなく、人間世界のすぐそばでも独自の世界を今も生き、現実の一形態としては粘菌を、目に見えぬ世界では異形のカミガミたちのいる世界を形成し、また人間などと一切関わりない地中深くにいて掘削などを断固拒絶する怖いモノたちの世界もまた別にあって、いろんな世界が重層して地球界が成り立っていると思っています。

南方熊楠が粘菌の研究者ですが、熊楠は熊野で、自然界の粘菌だけでなく、異形の精霊たちにもアクセスしていたふしがあります。粘菌と精霊たちは、何やら共通する要素がありげで、2者を足したようなものが「蟲師」原作漫画作者の云うところの「蟲」のように感じています。本来は全てを含めて大自然界のはずですが、いつごろからか人間界が彼ら八百万のカミガミモノノケを切り離し忘れ去ってしまった、そんなかんじです。

私が今のところ思う祟る縄文神とは、善悪を超える、あるいは善悪以前、人類の精神的進化・深化が始まる以前の根源的な存在です。
祟るのは、祖ともいえる彼らを、あまりにも酷い扱いをしたからでしょうか。
蘇我氏は仏教哲学や例えばギリシャ的イデアみたいな高邁なものを日本に持ち込み建国精神に盛り込んだが、それ以前の「原初的な生命そのものである強大なエネルギー体たち」の扱いを間違ったのかな、と思います。
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いい感じかも? (りひと)
2016-08-05 09:17:15
昨日朝来山で理解したこと記事にもあり安心しました。緑も。
小笠原震源で深さ530キロくらいの地震がありました。絶対的な物が日本の未来でヘルプしてくれるのか?副作用も怖いですが人間は見守るしかないです。

ポケモン映画でも国を守りました。そこには大きなポケモンのヘルプと小さなポケモンのヘルプと根源神が人間を信用してくれることが大事です。善良な人間もいるのだと頑張って信頼してもらえたら未来は明るくなるでしょうね。
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それでも世界は美しい (ニキ)
2016-08-04 22:14:32
吉田様

失礼ながら上記のコメント返しを拝見し、私が思っているよりもずっとユニークでユーモアあふれる方なのかなと思ってしまいました。
しゅららぼんて・・・(笑)。そういえば竹生島では木々が水蒸気を吐き出し、葛飾八幡では優しい風が吹いていました。まさにしゅららぼん。

ご返信ありがとうございます。
あれが観応なのか・・・。すばらしい光景だったので感動に打ち震えつつ、やっぱ怖い(笑)。不安はなかったんですけどね、圧倒的で。
自分にとっての確信てなんだろうと思い、今、思考を止める練習と視覚での観察を心がけているのですが、早々に視覚に見せ付けられました。
自然の中で遊ばせてもらうことが多いので観応のような機会にはよく出くわすのですが、何しろ弱視で乱視なので視覚以外の感覚で補完してることが多分にあるんですね。「額の目で見るな」と注意されてしょんぼりします。

それにしてもお見通しですね。しゅららぼんのお話、はじめて知りました。ガンダムが気になってついコメントしてしまったのも繋がってたのか・・・。

能天気なコメントですが、人間ごとでどんなことがあってもそれでも世界は美しい。だから最後は丸く収まる。そう確信しています。
ちびっこが必死で何とか頑張っていると、大神霊の何かに触れたのかもしれませんね。神霊の力を示すのに最も効果的なのは無力な奉祭者をもつことだとも聞きます。奉祭者の方はたまらないと思いますが。

しゅららぼんとのご縁をありがとうございました。そういえば、私、5歳のときに家族で琵琶湖で泳ぎの練習をしました。ひえ~。

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吉田一氣 (ニキさまへの返信)
2016-08-04 00:25:15
古い記事ですが読んでいただき幸いです.
「善悪を超越している感じでさらにゾッとしました。
これはちょっと障りなのか護りなのか
よくわからんと思いました。」
この感じはとても良く分かります。
大神霊との観応は誰にでも有る訳ではないので
その演出に素直に感動すればいいと思います。
特に竹生島の黒龍神は
『偉大なる、しゅららぼん』ですから
最後は丸く収まると思って
信じていけばいいと思います。
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静かなところにおりくるモノ (ニキ)
2016-08-03 21:15:32
吉田様のこの記事が読むたび心に響くので、何度も読み返してしまいます。
私の父方の祖父はパラオ諸島で戦死しており、靖国神社の記載などはなるほどと呻ってしまいます。

先日、葛飾八幡宮の千本公孫樹に会いに行ったのですが、帰り際、枝に腕を引き込まれ引き止められました。基本、神社さんでは用事が済むとポイされるので、何事かと。何となく竹生島の黒龍神木が心配のあまり来たような気配がしました。
その後帰宅したら、黒雲から虹が出て、東の空(関東平野の方)にぐんぐん伸びて橋がかかり、二重虹になる光景を見せられ、その瞬間、すべてが止まった気がしました。
色々な気配が遠のき、圧倒的な静寂が場を支配する。
震えが止まりませんでした。
昔、強大なものは静かな場所におりてくると聞いたことがあり、それがまた善悪を超越している感じでさらにゾッとしました。
これはちょっと障りなのか護りなのかよくわからんと思いました。

最近気になる映画が「ガンダム TheORIGIN」
国を乗っ取られたり、成り代わったり、本当に話が意味深です。笛のお兄さん(関俊彦さん)が本物シャアで、馴染み深い赤い方のシャア(池田秀一さん)は成り代った方。目から鱗でした。(マニアックで失礼…)勧善懲悪ではなくそれぞれの事情が複雑に交錯していて・・・ってすべて人間ごとですが。

なんだか色々急かされている気がして落ち着きません。
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虹色巫女さまへ返信 (吉田一氣)
2010-10-06 20:26:58
恵蘇八幡神社参拝お疲れ様でした。
龍神の御神氣をいただけたようでうれしく思います。
やはり蘇我氏にも縁がある地なのでしょう。
私も参拝してみたいと思います。
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昨日恵蘇八幡行ってきました。 (虹色巫女)
2010-10-05 17:07:34
父母と買い物がてら朝倉の恵蘇八幡へ行ってきました。神社隣接の歴史公園は寂れてましたが、家族で散歩しながらわいわい「陽気」を広げてお祓いしました。丘の上の古墳にオリジナル玉串持参で「和解」のお祈りしましたら、斉明天皇が目の前で泣き崩れ胸の内をすっかりうちあけられたようなさわやかなイメージが伝わってきました。そのとき一瞬わさわさと風が吹き抜けカラスが少し騒ぎましたが、これだけ雨雲があるのに雨は降りませんでした。帰り道父が空を見て「あの雲は宇宙戦艦大和のようだ」というので観察してたら、特大雨雲の龍雲が上空に出てきて我らが進む方向へついてくるかのように、比良松交差点直前で目と口の形まで出てきて、太陽がちょうど「龍が口にくわえた黄金の珠」の位置でお出ましとなり、天の岩戸が開いたやうに神々しく輝いてました。以上大変印象深い秋の1日となりました。現世御利益的にもさっそくいくつかの素敵なことがあったのでまた時折参拝に出かけようねと恵蘇八幡は新しい我が家の定番スポットに。お奨めいただき感謝です。
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須賀神社 (虹色巫女)
2010-09-19 00:08:26
スガ=蘇我神社があるんですね。それは知りませんでした 探して行ってみます。昨日久々うきはの友人から連絡あり、橘宮の近くにある(偶然・数日前にその真浦にあるの知りました)行きつけのレストランに行って近辺の史跡巡りにこうと誘っております。
☆龍門ダムは一級河川流域会議イベントで上中下の流域まちづくりNPOと初キャンプ交流をした記念の場所です。流域学=バイオリジョンという考え方で川の上中下の意識をつないで流域活性化をしていく手法はとても壮大でスピリチュアルなものを感じました。(←いろんな出来事ありました)
その近くにある竜神フリークにはかなり名高い龍王神社!
なるほどですね。
まだ行ったことないのですが、神々好き環境系の知り合いが設立した菊池川源流森づくりNPO活動などの折に出かけていけたらと思ってます。こちらもまだ一度も現地に顔出したことがなく。菊池川竜神さんつながりでもしもご関心ありましたらネット検索してみてください。→「NPOいのち一番の森」
荒木さんというお名前、玉名で借りていた家の大家さんと同じです。竜神さんと関係あるのかもですね。話がそれてしまいましたが。
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虹色巫女さまへの返信2 (吉田一氣)
2010-09-18 00:38:02
そうですか。
虹色巫女さまとは菊池の龍門ダムの龍神様のご縁なのですね。
龍門ダムの龍王神社には近年参拝させていただいたのですが
その時フラッシュバックのように記憶が遡り驚いたことがあります。
昭和45年に私は菊池の高瀬に住んでいたのですが
目と鼻の先のアパートに住む男性がこの龍王神社の創建者でした。
当時より病弱で体調を壊して学校から早引きした際に
偶然会ったこの不思議な男性からパワーをいただいた記憶があるのですが
その時からここの龍神さまとは縁があったようです。
この龍王神社の由来石碑見て
あの男性が荒木アパートに住んでいた天鳳院光竜元氏だと思ったのです。
もしかすると自分の神霊感応能力は
この時に戴いたものなのかもしれないと感じています。
ところで恵蘇八幡のそばの麻氏良布神社の山に
蘇我入鹿が鬼となって現れ
喪の儀式を見守っていたという伝承がありますが、
恵蘇八幡宮の東1kmにもともとは蘇我氏を祀ったと思われる須賀神社があります。
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恵蘇八幡へ (虹色巫女)
2010-09-17 20:25:40
その場所は家族で行きつけのスポットの沿線上ですので、近々恵蘇八幡へお参りして参ります。
的確なコメントをいただき 確信することができました。ありがとうございます。
みなさんがそれぞれ先祖関連にフォーカスしてすすめるとすんごくいい感じになりそうな気がしてます。
今後また報告にうかがいます。
※ちなみに当方生まれも育ちも福岡、祖母の実家は香椎宮裏印ニャク神社の近くだったそうです。余談ですが熊本には7年程前菊池川流域の町おこしetcで単身赴任し、そのとき竜神様とさらに仲良しになったようです。
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虹色巫女さまへ (吉田一氣)
2010-09-16 01:04:40
コメントをいただきありがとうございます。
現実界中心で生きていくべきだとは思っているのですが、
これだけ混迷するとなんとかしなければいけないという気になります。
日本人は勤勉で努力してきたし、
自我を殺して忠節を尽くす民族なのに
ここまで世界で苦労する原因を不思議に思って探ってきました。
その結果、
日本の過去の歴史はまだ死んでいないということに気づきました。
見えなくても記録から抹消されていてもそれが太古であっても
歴史に刻み込まれたものは陳腐化せず
まだ残っていて未来に影響を及ぼし続けていると確信させられました。
それは先祖供養や感謝業レベルでは乗り越えられないカルマであり
聖徳太子や空海等の数多くの賢者も
次の世代に自分たちの経験を記録すると共に
結局はそれを再封印してから
未来の日本人に託すことを行なってきたようです。
そして2000年の大峠を越えていよいよの時となった今
普通の一般人もそういう感応を受けるようになって来ました。
細かいことを知らずに霊的影響と指導を受け
不可思議への興味本位で神社とパワースポットめぐりを
している方が多いようなのですが、
自分自身の覚悟を決めるためにもルーツを探ることを
おろそかにしてはならないと思っています。
虹色巫女さまは、福岡出身なのでしょうか?
蘇我氏の気配は九州にも強く残っています。
封印をひとつひとつ解いていっていますので
今後ますます虹色巫女さまを守護する神霊の加護は
強くなると思います。
牽牛子塚八角墳が斉明天皇の陵なのか若干の疑問はありますが
蘇我氏の秘密と乙巳の変の真実を知る女帝だと思います。
福岡県朝倉郡恵蘇宿の御陵山に陵墓があります。
この恵蘇宿とはどういう由来で付けられたのか気になっています。
機会がありましたらぜひ恵蘇八幡宮にも参拝されてみてください。
返信する
蘇我のこと (虹色巫女)
2010-09-15 00:13:15
最近いろんなシンクロありすぎて先祖のことがまた再び気になって検索していたら吉田一気さんのサイトに辿り着きました。トンデモ古代史の関さん本以来、さらにすごく深い考察のある氏の文章にびびびときました。3歳の頃より私と家の守護となっておられる父方祖母が蘇我宗家の出であることを数年前に知って、古い記憶を辿って親戚に連れられてお参りしたことのある香椎のインニャク神社+武内神社にも最近時々お参りにいってます。蘇我が封印してしまったものetc何かどうにかできないものかと思いついたことから実践してみている日々です。もともと代々お巫女体質でここ20年くらいいろんな冒険やってきましたが、あらためて古代史本など読んでみたら、あまりにも現在の私や家族の嗜好~行動にシンクロがありすぎ、これはもう私が直系だとかうんぬんぬきにして祖母のサポートでここまで感応するのならもっと真剣に「わたしにできる平和活動」やらねばと 勝手に使命をもってしまってますが、正直あまりに膨大すぎてときどき1人ではめげて途方にくれます。それでも先日飛鳥で出てきた斉明天皇の陵の件でふとおもいついて 赦しと癒しの祈りを捧げたところ感応がありました。もしもこちらの研究会など発足の折にはお知らせください。この手の話はほとんどしたことがなく、ぜひ九州での蘇我関心系の方と意見交換などしたいです。また時々チェックに参ります。今後ともよろしくおねがいいたします
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