吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

熊本市の花岡山の仏舎利塔 No249

2011-04-11 01:26:35 | 日記
熊本霊ライン上の花岡山には仏舎利塔がある。
もともと花岡山は祇園山と呼ばれこの仏舎利塔がある山頂には
京都の八坂神社から勧請した北岡神社があったそうである。
現在北岡神社は熊本駅側の麓に移動している。

この仏舎利塔は阿蘇の宮地町の坂梨(今は阿蘇市坂梨)生まれの
藤井日達という方が1954年(昭和29年)に建立したということだ。
それでこの花岡山には日本山妙法寺という寺も同時に建立され
毎日夕方に祈願の太鼓がたたかれている。
表題の写真は先週、谷尾崎の日吉神社に参拝中に
ちょうど太鼓の音が響いてきたので撮った写真だ。
白い塔の上に金色の宝珠が仏舎利塔で右の鳥居は清藤稲荷の鳥居で
戸坂稲荷大鳥居と呼ばれている。

この日本山妙法寺の太鼓の祈りは世界平和を祈願しているらしい。
熊本霊ラインの活性化に役立っていると感じている。

ところで熊本霊ライン上には日吉神社等いくつもの神社仏閣がある。
その来歴等は『日吉神社調査記』を見ていただきたい。
独鈷山や万日山の麓に日吉神社は複数あるが、
それはここに天台宗の池辺寺が以前あり、
滋賀の天台宗比叡山と日吉大社とが繋がるからだと思われる。
そして独鈷山には古くより日吉神社と八王社があったのだが
現在は独鈷山の日吉神社は池上に移設された経緯がある。
現在の熊本霊ラインの延長線は滋賀の天台宗比叡山を通過している。
また独鈷山八王社は八大龍王神がもともと祭祀されていたと考えている。
従ってこの熊本霊ラインは御坊山の阿蘇神社に始まって高橋稲荷神社清藤稲荷神社 聖徳太子堂 
八王社 日吉神社 肥州高野山 大宝山来迎院阿弥陀寺 日本山妙法寺 等々
いろんな宗教といろんな神霊がからんでいる。
筆者はもともと道君首名公が少彦名神・大國主命を祭祀する天社宮での感応より導かれて
この熊本霊ラインの祭祀に関与することになったので天社宮を中心として祈願しているが
最初のころは日吉大社との縁を強く感じた。
ところが現在霊ライン上において一番強く感じるのは八大龍王神の神威である。
さてこの八大龍王神の実態はいくつもの龍神神霊の習合と考える方が判り易い。

もともとこの独鈷山と麓の池辺寺に悪龍伝説が存在するが
加藤清正公が熊本霊ラインを再構築するに当たって
龍神を祭祀したという伝承はなかなか見つけだせないでいる。
詳細は『加藤清正公と八大龍王神考察』を参照していただきたいが
清正公の側室である本覚院の御廟がある六角堂観音では
八大龍王神は法喜大妙神として祀られている。
今回花岡山の仏舎利塔に参詣しようとして
今まで見落としていた石碑を発見した。

よく見ると右側に驚くべきことが記載されていた。
最近、彫った文字に新しく金彩が施されたので判ったのだが
昭和41年に熊本城内から八大龍王神をこの花岡山に勧請したと記載されている。
熊本城内に八大龍王神が祭祀されている話も初めて聞くが
藤井日達という方がわざわざ花岡山に八大龍王神を勧請したのも驚きだ。
どういう経緯があったのかは知らないが
藤井師の熊本霊ライン感応から始まった神霊界経綸によるもののようにも受け取れる。
考えてみると八大龍王神の神籬として仏舎利塔は最適かもしれない。
空海は天長四年(827)の神泉苑の祈雨においてその池に「仏舎利」を納め、
それを神籬として八大龍王神を呼んでいる。
密教において仏舎利は「摩尼宝珠」あるいは「如意宝珠」としての役割を持っている
八大龍王神を降臨させる神籬としては最適である。


さて熊本霊ラインの守護をしている八大龍王神から警告を受けたが
この警告に関しては次章で伝えたい。


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6 コメント

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祇園まつり (鬼っ娘)
2011-07-28 18:41:02
2011年8月1から3日は、北岡神社の祇園まつり。
1日(月)19時肥後神楽、
2日19時子ども舞踊など、
3日11時能楽奉納、
13時復活した壱之神輿など神幸行列、
19時ゆかたコンテスト。
2日3日19時夜市。

以上予定
返信する
鬼っ娘さまへの返信 (吉田一氣)
2011-07-29 00:43:09
コメントありがとうございます。
北岡神社の祇園まつりには
是非出向きたいと思っています。
情報提供ありがとうございました。
このコメントを見られた熊本の皆さんも
是非お集まりくださいね。
返信する
はじめまして。 (吉田比呂子)
2014-04-24 23:42:02
こんにちは。私は谷尾崎出身で、昔池の上小学校の授業で地元の伝説を調べた事があり、今回里帰りの際に再度調べようとしていた所こちらのブログにたどり着きました。
当時地元の神社で「谷尾崎は龍の尾があったからこういう地名になった」と説明があって調べていたのですが、他になかなか資料が出てこない中でとっても参考になり大変助かりました。
また里帰りした際は当時を思い出して散策してみようと思います。ありがとうございました!
返信する
吉田一氣 (吉田比呂子さまへの返信)
2014-04-26 08:54:09
コメントありがとうございます。
私も谷尾崎のとなりの池上にすんだ事が
このブログ記載のきっかけとなりました。
この地域の竜神信仰については
「龍神信仰 6 No163」
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/fab5be7370e5d600f1110f44121967cb
も参考にされてください。
この龍の尾の話は真言宗系の悪龍退治の伝承で
弘法大師空海が遣唐使として中国から帰国した際に
京都への上京を禁止されて九州に数年逗留した際の
話という事になっています。
頭は今のヤマダ電機の通りにある
うどん屋の前の龍角寺石碑のあたりに落ち
胴は今のヤマダ電機からヒライ工場あたりの
七色蛇畑に落ちたという話だそうです。
七色蛇畑では七種類の穀物を育てる限りは
いつも豊作になると言われていたそうです。
谷尾崎は龍の尾があったから
こういう地名になったと言う話は知りませんでした。
ありがとうございます。
記載文章に追加させていただきたいと思います。
返信する
妙法寺 (すずたま)
2015-09-17 00:49:57
京王線よみうりランド駅をおり、左に弁天洞窟のある道を登ってランドに至る急な坂道の右側に、妙法寺があります。(この道は、元「谷戸・やと」の地形のような気がします。だとすると、相当な相克の歴史があったのか?)
妙法寺の奥に奇妙な国籍不明な施設があり、これが日本山妙法寺という、日蓮宗系の国際的な新宗教の本部だったことを昨日まで知りませんでした。
この写真にある搭、本部施設にある搭、よみうりランドの敷地内にある聖地公園の仏舎利塔とは同じテイストのものです。
阿蘇出身の藤井日達が、何故京王よみうりランド駅ちかくに本部を置いたのか?(菊池の母の実家の姓は藤井ですが)
このすぐ隣で里山の自然林を伐採して大規模開発(南山東部土地区画整理事業)が始まったのは、まったく別々のことなのか?
聖地公園の妙見堂の妙見菩薩のことも、記憶にはありますが、禮月様が書かれるまで忘れていました
あいだに谷戸をはさむ、ランド周辺の里山のつらなりの東側に私の住む菅地区があります。この地区を護るのが子之神社。別の空気感があり、私にはこちらの方が、しっくり落ち着きます。
返信する
ごめんなさい (すずたま)
2015-09-18 22:17:57
ちかごろ連投ですみません。
今朝は早朝、仕事前に、近隣の子之神社、薬師堂、穴澤天神社および末社の弁天窟(鉄さびが出ていて、濡れて狭くて、ちょっと入れる場所ではない)を参拝したあと、ランド方面に登って妙法寺にちょっと寄ろうとしましたが、立派な道路が建設中で警備員がいたので止めました。
以前は南山開発を悲しんでたびたび覗きに行き、妙法寺の奥に残っていた雑木林の遊歩道を散策したものですが、数年前にはいつのまにか雑木林も畑地もすべてきりひらかれ、立ち入り禁止になったので、あきらめて南山通いをやめてしまっていました。切り開いて何ができるのか表示も全く無く、何か秘密めいていたのは、近隣住民の大反対運動を押し切って不透明なまま強引に開発がすすめられていたのだと思います。ユーチューブにそのことを問題視する当時のテレビ番組がいくつもあります。
同じころかそれ以前か、妙法寺の上方に真新しい施設が出来ていたので、この新宗教を深く知らない私は何かあやしい宗教施設ができた、と思い込み、隣接する開発中の広い土地も関連のものときめこんでしまいました。
しかし、昨日あたりにネットで調べると、日本山妙法寺は新宗教では非常にまともなスタンス(世界平和運動を実際の活動をもって真摯に行っている)をもった真面目な団体であるらしいことがわかりました。なんか変な…という先入観を、今撤回させていただきます。いいかげんなこと書いてごめんなさい。

たぶん私は、普通の(?)仏教従事者の家系に生まれたので、日蓮系新宗教、あるいは日蓮宗そのもののある種の匂いになじめないのだと思います。
それと、南伝系仏教、ミャンマーとかスリランカとか由来の石塔建築そのものが、自分の育った仏教的環境と異質なための違和感があると思います。
ナーガ信仰もこちら方面のものです。
父の書庫には敦煌とかユーラシア大陸内部の北方仏教遺跡のものしかなかったし。
ナーガ信仰どころか龍神信仰も父はランクの低いものとみなしていました。(その辺に関係するカルマへの贖罪をわたしはしようとしているのでしょう)
弁天ミュージアム?の蛇彫刻といい、古い石塔の並ぶ「ありがた山」の雰囲気といい、庶民の仏教系信仰をそれなりに集めた地域らしいこの地区は、私の血の中にないものの宝庫。縄文系に南方アジア系の渡来民が被さった土地なのか。
ひさしぶりにこの地域を通ると、前はただの「妙法寺」だったのに、「日本山妙法寺」の看板が掲げられていました。開発地はグーグルで見るとまだ無残な赤土だらけで、実質は多摩ニュータウンとかに続く新しい街づくりをめざした、ただの分譲地らしく、はじの方にできたマンションが売り出されはじめており、(逆にこんなもののために…あちこちで売れ残っているのに、いまどき時代遅れなものを、と残念です)、決して妙法寺関係ではないらしいことが、昨日あたりにわかりました。
いいかげんな想像で書いてしまい、ごめんなさい。

いつも神社参拝のおりは、感謝や報告やお詫びとともに、最後に「地球を覆う闇が晴れ、争いのない新しい時代がやってきますように、この地からもその光が拡がりますように」というようなことを祈り、自分自身の幸せなどは一切祈りませんが、藤井日達師も同じ姿勢の方なのだと信じます。

ところでランド敷地内の高齢者むけの介護施設・病院やジャイアンツの施設のある方向は以前は行き止まりになっていましたが、いつのまにか立派な道路が駅に繋がり、ランドが遊園地以外の収入源を介護とか別の事業に力をいれ始めてから、よみうりは元気なことがわかります。
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