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吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

角ガッパ 補足写真 No405

2015-08-11 00:54:09 | 神霊界考察
ここではカッパが渡来人であるという事は既知の事実としている。

     
『放射角』

    
『角光』

    
『丸頭光』

          
『トンスラ』

    
『ヒョウスベ』

    
『トンスラ鬼瓦』


『トンスラ牛』

以下は参考までに


『蚩尤』

 
『神農』

    
『呉の太伯はすべて被帽』
帽子を取ったらそこには角があるような気がしている。

















日本での呉音霊イメージ


あるいは呉爾羅



『ノア 約束の舟』の岩獣


上記はまちがいなくたたら製鐵のイメージを内包している。

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兎に角カッパ No404

2015-08-01 16:59:13 | 神霊界考察
ブログのコメント欄に『とにかくカッパの真実は中国春秋時代の呉ですから
三国時代の呉で上書きされるともう辿れなくなる』と書いていてはたと気づいた。
角ガッパがそこに現れた。
とにかくとは漢字で書けば『兎に角』となるが
兎角亀毛は中国故事由来の四字熟語であり
この世にあり得ないものの物事の喩えのこととなる。
あるいは元は戦争がおこる前触れのことを言った言葉でもあるらしい。
有り得ないと言われれば有るんだと考えるのが天邪鬼である。
宇佐の菟狭津彦は角があったというヒントとして捉えてみた。
香春は産銅であったがならば宇佐には産鉄があるのではないか?そう感じた。

検索してみると宇佐から東に20kmの国東半島の重藤遺跡は
縄文時代の製鐵所跡らしい。
発見者は上野鉄雄さんで名前に鉄がついているところが
意味深である。
ところがこの件はおかしな展開になっている。
この遺跡は最初の話では、
出土した炭化物が九州大学の坂田武彦氏により
B.C.695±40年のものと鑑定され(1977年9月23日朝日新聞)、
鉄滓や鉄剣も見つかったということだが
現在の公式見解は古墳時代のものということになっている。

これは春秋の呉の紀元前585年頃 - 紀元前473年より古い話で
私にとっても錯綜問題となる。
というのももう一つの説である鉱物資源を求めてタルシシ船でやって来た
フェニキア人たちが鉄製品の生産加工拠点にしていた場所
だという話もあるからだ。

まあいずれにせよ
香春から宇佐への流れは産銅-産鉄で繋がるとみて良いかと思う。
だとすると
宇佐の菟狭津彦は角があったという有り得ないことを信じる気にもなる。

ならばもう一つの有り得ない『鍛冶翁』の話はどうであろうか?
鍛冶翁は八つの頭に一つの胴体で
この姿を見た者はたちまち病気になったり死んだりするという。
変化譚もあり鍛冶翁は金色の鷹になったり金色の鳩になったりする。
最後には欽明天皇32(571)年2月初卯の日に、
泉のかたわらの笹の上に光輝く3才の童子として現れる。
『我は誉田天皇広幡八幡麿なりて護国霊験威力神通大自在王菩薩なり。神道として垂迹せし者なり。』
これにより八幡神祭祀が始まったという。

つまりこれを噛み砕くと鉄の神である八岐大蛇を八幡神として封印祭祀したということになる。


過去追いかけてきた日本人の霊的課題であるヤマタノロチであるが
『ナーガの七頭から八頭への変遷への疑問 No254』
『本で素戔嗚尊を祭祀する北岡神社にて No278』
『美具久留御魂神社の「白雲宮」と二上山の「深蛇大王」 No291
『素戔嗚尊と八俣大蛇 No320』
『八岐大蛇の封印のほころび No322』
『八岐大蛇と真言密教 No328』

以前つぶやいた封印のほころびによる縄文の呪の顕現は
八岐大蛇の復活となって
日本人に大きな課題を次々と投げかけるのだろうという自問的問いかけの
答えを本日この宇佐神宮に見つけた気がする。

呉音靈の還流と呉音神への昇格を祭祀する事により
縄文の呪もろともに八岐大蛇の八大龍王神への昇格を為すことを計画したい。
それには蔵王権現の神力が必要とされる。 ※ No322参照のこと
普賢菩薩の封印を破る必要がるからだ。
まずは金峰山から始まる。





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香春の呉音霊 No403

2015-07-22 10:31:09 | 神霊界考察
前回の記事の『呉音霊を考える No402』を記載し終わったら、
呉音霊について次の秘鍵が香春神社にあると伝えられた。

香春というのは今まで一度も調べたことが無い地域だが
『物部氏の三輪での祭祀の背景考察 No263』のコメントにて2011年に金鷹さまから
『秦氏一族の中でも奈良や京都の時代よりも遥か前から
渡来していた北九州は豊国の香春の鷹を象徴する
弥生時代の秦氏の血筋の者です。』というコメントと
『香春岳の辛国息長大姫大目命は神功皇后とは違う。
この神は鉱山の神であり、多々良の神=青銅製鉄の神。
即ちカバラの錬金術の神である。
この香春岳で神功皇后が関係しているのは卑弥呼の関係と言われている。』というコメントから
香春の地域は百済から渡来した弓月氏や新羅経由の秦氏である辛嶋氏などの
奉祭する地域なのだろうと漠然と考えていた。

今回呉音霊との関係を明らかにする必要性が出てきたので地図を見てみると

確かに呉という地名や少呉という地名が見つかった。
福岡県田川郡香春町鏡山呉という地名もあり呉人と銅鏡との繋がりを強く感じさせる。
知りたい呉との繋がりは前回も記載したが
春秋の呉越の呉(紀元前12世紀から紀元前473年 場所は蘇州・上海)であるが
三国時代の魏呉蜀の呉 (222年 - 280年 場所は南京あたり)が無関係というわけではない。
呉鏡で検索してみると
赤鳥元年 (238年) 内行花文鏡  山梨県三珠町鳥居塚出土
赤鳥七年 (244年) 平縁神獣鏡  兵庫県宝塚市安倉古墳
と呉から伝来されたか呉人が作った可能性がある鏡が2枚は出土している。

呉人のことはまだ糸口しか見つかっていないが
「漢倭奴国王」という倭奴国王への印の伝授や
「親魏倭王」という魏の皇帝から女王卑弥呼への印の伝授をみても
敵対する呉人は日本においても
追い詰められていったのではないかという推測が成り立つ。

八代市の中心部を流れる前川の徳淵(とくぶち)という所に、
河童が住んでいたという伝説が残っている。
この徳淵にいた河童の祖先は仁徳天皇の頃(313~399年)に
中国は呉の国から九千坊という頭目に率いられ
揚子江(長江)を下り黄海を経て
八代に上陸したと言われている。
その数は九千匹と結構な人数だ。
この河童と云われる呉人が九州の各地に広がっていったという。
確かに長江下流から季節風に乗って流れていくと九州地方に流れ着く。
熊本天草の富岡海岸の漂着物にもそれがあらわれている。
  
この一族こそ呉人の渡来の最初であるといわれている。
しかしこの伝承も時代は三国時代の魏呉蜀の呉であろう。

宇佐神宮に呉橋というものがある。
何度か補修等為されていていつ作られたのかははっきりしない。
屋根付きの木造橋で日本百名橋の一つとされている。
呉人が架けたと伝えられこれが橋の名の由来として残ったということだ。
間違いなく宇佐神宮の創建には呉音霊が関与している。

ここまで書いていて今、香春の呉音霊の一柱が見えた。
それは神農とされる姿と似ていた。

この姿は過去に感じた気比の都怒我阿羅斯等(ぬがあらしと)と思えた。

調べてみると香春には現人神社があった。
そして香春の霊ラインはこの現人神社を指し示していた。
香春の第一の秘鍵はこの地に呉人の気配があり
その呉人を指し示すのは都怒我阿羅斯等ということになる。


この地には白山菊理媛か天日槍の気配があると思っていたのに
都怒我阿羅斯等が現れたのには驚かされた。
都怒我阿羅斯等は呉人の血統なのだろうか?
『日本書紀』には崇神天皇の時に額に角の生えた都怒我阿羅斯等が
船で穴門=下関から出雲国を経て笥飯浦に来着したとある。
敦賀は都怒我=角鹿が語源と云われている。
朝鮮から渡来したと考えられているが
今回の一連の流れから云えば中国の呉の国の
長江からの渡来である可能性が示唆されている。

ところで炎帝神農氏の子孫である兵主神の蚩尤であるが
やはり角があるように書かれている。
『蚩尤』


河童はひょうすべ=兵主と呼ばれていることからも
八代に上陸した呉の九千坊という頭目は
炎帝神農氏の子孫。兵主神の蚩尤の子孫である可能性を感じる。
それならば頭に角があってもおかしくない。
河童の角はどこに消えたのか?
またこの一族と都怒我阿羅斯等との繋がりを考えていきたい。

要するに筆者は春秋の呉人は上海から船で九州にダイレクトに
いわゆる「江南ルート」で渡来して
その後、朝鮮に渡ったという経路を予想しているのだ。
この「江南ルート」とは日本のイネの中に
朝鮮半島にない遺伝子があったことから想定されている。
つまり稲は朝鮮経由で伝来したと云えないらしい。
参考文献
『すでに縄文時代に長江から稲が伝わっている』
『熱帯ジャポニカは中国江南地方から来た』
『長江文明の伝播と水田稲作を拒否した縄文人』

魏呉蜀の呉と日本との接点については
日本書紀及び穴織宮伊居神社に伝承が残っている。
『のりちゃんず 穴織宮伊居神社』
『阿知使主の謎』
阿知使主と呉王謁見の伝承
呉王は日本よりの勅使の到着をいたく喜び饗応し、
早速数多の優れたる工女の中より撰びに撰び人選を重ねて
裁縫の師として兄媛(えひめ)弟媛(いろとひめ)を、
機織の師として穴織・呉織の四媛を贈られた。
また呉をくれと呼ぶのは呉までの道のりを案内したのが
久礼波、久礼之だったからだそうだ。
日本書紀 応神天皇三十七年阿知使主・都加使主を呉に遣わし、縫工女を求めた。
阿知らは高麗ヘむかい、呉を目指した。
高麗王が久礼波・久礼志を道案内としてよこしたので、
阿知らは呉へ行くことが出来た。

ところで前出の江南から九州へのダイレクト航路は
一方通行であり逆に九州から航路で行くのは難しい。
従って戻る場合は朝鮮陸路経由となる。

どうも弥生時代を創りあげたと思われる春秋の呉人の伝承(紀元前300年)は
三国時代の呉の伝承(紀元300年頃)で上書きされているようだ。

その上に倭国大乱で呉人は敗戦し俘囚とされた為に
ますます情報が混乱してしまったようだ。


『日本書紀』によると都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)は
于斯岐阿利叱智于岐(うしきありしちかんき)とも呼ばれ
意富加羅国の王子という。
意富加羅国とは朝鮮のことだとされるが、
記紀にもその他の歴史書にもその言葉に該当する国は無いようだ。
意富をオオと読まずにユーカラ国と読んで
中国のことではないかという話もある。
意富を無視し加羅国の部分から朝鮮としているが確実性は無い。
時代は第十代崇神天皇 第十一代垂仁天皇の時代とされ
天之日矛の伝承と完全にかぶっている。
これは春秋の呉人の伝承が上書きされたせいだと判断する。

ところで伝承では都怒我阿羅斯等も天之日矛も女性を追っかけて渡来している。
内容は錯綜しているが、とりあえず以下の組み合わせに仮定したい。

天之日矛-阿加流比売神  但馬国一宮の出石神社 新羅国王子
天之日矛に牛を殺すのかと咎められた男が許しを乞うて赤玉卵を献上
これが美しい童女と化した。
日本において渡来系出石族の伝承と重なり合って信仰されている。

都怒我阿羅斯等-比売語曽神 氣比神宮境内摂社の角鹿神社(式内社)香原の現人神社
意富加羅国の王子 牛黄の代償として得た白石が美しい童女と化した。

『古事記』では比売碁曾社の由来が天日槍と阿加流比売神の伝承となっている。
『日本書紀』では垂仁天皇2年条の注において都怒我阿羅斯等とその妻の伝承となっている。

このブログの末尾コメント欄に記載されているが
八幡神を奉祭する祭祀一族の末裔の伝承を教えていただいた。
それによると父が西周王の子孫(呉系)で母は釈迦族の末裔であるインドの王女が
2千年前に中国から葦船に乗って日本に渡来したそうである。
この女性は日本では辛嶋勝乙女とされるが、
首長としての能力があり彼女が大日霊女となったそうだ。

この話を利用しようという訳ではないが
比売語曽神は呉系で長江からの渡来人であったという
仮説の傍証としたい。


20160212後記
国東半島の姫島の比売語曽神社とは
語曽=呉楚で中国呉楚の姫氏ということを
意味していると考える。

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呉音霊を考える No402

2015-07-05 19:59:46 | 神霊界考察
私の伯父は太平洋戦争に海軍で従軍し
揚子江を斥候中に攻撃され戦死している。
それで一度慰霊に出向きたいと思っているのだが
躊躇させる障壁がある。

この揚子江の河口は上海市にあり東シナ海に注ぐ河川で
全長6300kmと世界で第三番目の長さを持つ。
中国では長江と呼ばれている。
さて広大な中国において
黄河文明と長江文明の対立があったことが
近年史実であると解ってきた。
それは1973年に河姆渡遺跡が発見されたことを発端としている。
これにより黄河文明とは別の古代文明が確認された訳である。
伝説でも伝わっているところの話である黄河文明の
伝説上の人物の黄帝と長江文明の担い手となる炎帝神農氏の対立
及び神農氏の後胤である蚩尤の黄帝に対する敗北が
史実である可能性が強くなった。

神話伝説時代の三皇五帝とは
三皇といわれる三神が
伏羲、女媧、神農もしくは黄帝で
五帝の候補は
黄帝の後を継いで帝位に就いた顓頊
顓頊から禅譲された嚳
堯帝
堯帝に禅譲された舜帝
舜帝から禅譲された夏朝の創始者禹帝
商朝の初代王湯王
などである。

炎帝と神農氏は同一視されているが
姜水に生まれ育ち、姜姓を名乗った。
人の身体に牛の頭を持津と言われている。
「姜水」については、現在の清姜河(渭水の支流)
あるいは岐山県の岐水という2つの解釈があるらしい。
いずれにせよ西安の西に位置する。

黄帝については、
炎帝支配の後期に黄帝は徳を以て天下に召集の号令を発し、
炎帝との戦に勝ち (※炎帝の後胤の時代ともされる。)
後に蚩尤と涿鹿の野で戦い勝利し、
遠古の戦争で結束を図り
諸侯は黄帝を尊び天子となして
中国で最初の漢王朝である国家を建立したと言われている。

ここまでの補足として
『中国から渡来した河童の可能性 No339』
『八代の九千坊河童と海若との関係 No338』
『少彦名神考察』の神農氏との関係の項
などを参照にしていただきたい。

具体的には長江文明は後の楚・呉・越などに繋がっており
この三国に関しては
まず呉が越に滅ぼされこの越は楚に滅ぼされている。
たぶん楚は黄河文明に属する漢民族が建てた国家だろうと推測される。
これによる第二次難民は日本列島にも大量に流れ込んだとみられ
弥生時代の稲作とジャポニカ米は
この時に難民=弥生人とともにもたらされたことが判ってきている。
※縄文前期にも長江文明は日本に伝わった形跡がある。

そしてこの弥生時代以降
楚・呉・越の日本人においての影響は計り知れないものがある。
この点については聞きかじりが多いので
塚田敬章氏の『弥生の興亡』
直接参照していただきたい。

さて熊本の地名で歴史上の人物名ともなっているものに
菊池というものがある。
もともと呉音の発音では「くくち」で久々知、毬智という漢字を当てていた。
『続日本紀』においては鞠智と記載されている。

それが792年(延暦11)桓武天皇が漢音奨励の勅を出しているが
きくち=菊池という漢字は、
それより以前の713年(和銅6)の風土記において初見される。
もっとも風土記に記載されているのは菊池という漢字であって
その読みが「くくち」なのか「きくち」なのかは推論でしかないが
風土記においてはすでに漢音で「きくち」と呼ばれていた可能性がある。

白山神である菊理媛命も呉音であれば「くくりひめ」と発音し
漢音であれば「きくりひめ」と発音することになるように思うが
神霊界的には呉音で呼ぶか漢音で呼ぶかで
全く別の神霊界に繋がる場合があるので要注意である。
日本の漢文学者の白川静などは漢音信仰のようで
彼の辞書は漢音熟語が主体となっている。

実は呉音のことが自分にとって重要な意味を持ってきたのは
以前勤めていたNEC時代に北京に半導体製造の合弁会社を建ててからだ。
時代は1991年で首鋼日電電子有限公司といい
技術幹部の育成で北京大学卒業の実習生を受け入れた。
天安門事件が起こったのが1989年のことなので
生々しい話や中国の将来像などを夜通し語り合った。
どうでもいいことだが彼らは差入れの瓶ビールは喜んで飲んだが
自動販売機のジュースを飲むことに極端に嫌悪を示した。
その理由は当時100円の缶ジュースは
中国の為替と物価で考えると2千円を超えることになるので
奢りであってもとても飲む気にならないとの事だった。
北京大学出身のエリートで歴史にも詳しかったが
黄帝、炎帝については皆知らなかった。
歴史とファンタジーは区別されているようだ。
さてその後北京に半導体工場が出来て
対共産圏輸出統制 COCOMに違反しないレベルのICの生産を開始した。

このころから筆者は熊本霊ラインのことを調べ始めたのだが
この霊ライン起動の砲弾となるものが何かわからない内に
熊本の生産ラインの工場近くにある白山権現姫神社が起動した。

※以下記載の白山権現姫神社等のことは実際は10年近く後の調査で理解した。



この白山権現姫神社は雲仙普賢岳の活動と連動して起動したものと思われる。
あの死者43名を出した雲仙普賢岳の火砕流が流れたのは
1991年6月3日のことである。
上記添付地図の左上に龍王神社があるが
伝承によると江戸時代に雲仙普賢岳の活動による津波被害に遭っている。
1792年5月21日(寛政4年4月1日)に雲仙岳の火山性地震と眉山の山体崩壊の津波被害で
対岸の熊本では5,000人の死者を出している。
これを『島原大変肥後迷惑』という。
それでこの経験で龍王神社や白山権現姫神社には
強力な封印の呪が掛けられていたようだ。



白山権現姫神社の祭神は白山比咩神とも呼ばれる菊理媛神である。
この白山権現姫神社の起動後に
その影響を受けたNECの熊本の半導体生産工場は
増収増益を続けて単一の複数ラインを持つ工場としても
単一の生産ラインとしても世界一の生産量を誇ることとなる。
1991年は日本はバブルが終わろうとしている時代であったが
そのバブルをさらに10年継続することが出来たといえる。

さて話を呉音がらみの考察に戻して
倭人の起源については『晋書』『梁書』に記載があり
『晋書』「列傳・四夷・東夷・倭人」には次のように記されている。
「男子無大小、悉黥面文身。自謂太伯之後」
男子は大小と無く、悉く黥面文身す。自ら太伯の後と謂ふ。
『梁書』「列傳・諸夷・東夷・倭」には
「倭者、自云太伯之後。俗皆文身。」
倭は自ら太伯の後という、俗みな文身す。
という記載がある。

この太白とは呉の始祖のことで姓は姫となっている。
倭は自ら呉の始祖の太伯の後胤といっている。
記紀には天照大神の忌服屋での機織りの話があるが
古来の呉織の絹織物のことを呉服という。
読みは「くれはとり」だ。
呉からは養蚕の技術と機織りの技術がもたらされている。
スサノヲに蹂躙された機織女とは
蹂躙された呉を暗示していると思われる。
象徴化されたスサノヲと句呉との時代背景を含む関係については
別途記載したいと考えている。

 

漢高祖となった劉邦の斬白蛇起義は中国では有名な話だ。
この時代の前後に長江文明の担手の呉系先祖は民族的虐殺にあったのだろうか?
その怨嗟の念は今に続いている。

倭人は縄文から続く元日本人の血統であり
そこに渡来してきた太伯の血統が混じりこんだというのが事実だろうが
これにより日本の神霊界に長江文明を築きあげた神霊の血統も
色濃く入り込んだといえる。
神農もその血統に繋がる。
東京都文京区湯島聖堂の「神農祭」や
大阪市東区道修町の少彦名神社の「神農さんのお祭り」など
現在も祭りは続いている。
神農信仰は文献的には弓月氏融通王が持ち込んだという話がある。
服部は機織部なのだがやはり神農信仰の歴史が残る。
あと後世になるが香具師は神農を信仰している。
当然ながら薬師も神農を祀っている。


1996年だったか通産省の肝煎で上海に半導体工場を作る話が出てきた。
政治家の中には中国と手を握りたがる人が多い。
ちなみに元熊本県知事だった細川護煕が第79代内閣総理大臣に任命されたのは
1993年(平成5年)8月9日でそれは1994年(平成6年)4月28日まで続いている。
日立、東芝等が断る中で半ば強制的に白羽の矢がNECに立った。
工場を立ち上げた後に中国合弁企業に譲渡するという内容で
半導体製造サイドにはメリットが全くなかったが
NECの経営トップは国民全員に配るというIC入り住民カードの生産や
携帯電話市場の獲得に食指を伸ばしてGOサインを出した。
そういう訳で上海華虹NEC電子有限公司は1999年2月23日生産開始した。

思うにこれは霊的にみると長江文明の復活劇だったようだ。
最初は日本を舞台にし後半は上海に舞台が移動した。
熊本の生産ラインが首鋼日電電子と太いパイプが出来たのに対抗する
長江文明の復活エネルギーが歴史を変えるほどのエネルギーに膨れ上がった。
それにより熊本の生産ラインの御神霊の気配は薄れ
本拠地である上海に長江文明の復活劇は移動した。
仮にこの御神霊を呉音霊と呼ばせていただくとすると
この呉音霊の倭国への来歴等はいくらかは推察できる。

中国長江文明の一つである三星堆遺跡から出土した
青銅人頭像を見たときにふとあるものを思い出した。

 『三星堆遺跡の出土品』

それは霧島高千穂峰の山頂に突き刺さる天の逆鋒
の顔だった。

  



鼻が長いのが天狗のようで気になっていたが
木下逸雲の写図を見ると護拳のための鍔代わりだと分かる。
これは倭国建国時の呉音霊の祭祀ではないかと考える。
同様に夏至の熊本霊ラインの構築にも関与している。
古代には霊ライン起動の砲弾ともいうべき物実(モノザネ)が存在したはずだ。

呉音霊は日本に渡り来た渡来神であったが
現在は熊本に鎮まった御神霊は上海に戻っている。
上海経済の異常な発展はそれ故であろうし
あの発展を鑑みると
熊本だけでなく日本の呉音霊の分霊全てが戻ったように思える。
しかし黄河文明への怨嗟の念が消えたわけではあるまい。
いずれにせよ奉斎する人民も無く
過去に奉斎した民族も消えた上海では
呉音霊は反射現象的な活動で収束すると思われる。

今回主題とする春秋の呉越の呉(紀元前12世紀から紀元前473年 場所は蘇州・上海)と
三国時代の魏呉蜀の呉 (222年 - 280年 場所は南京あたり)
とは年代が違うので注意が必要だ。
一般に呉音と言えば三国時代の呉を指すはずだが
呉音の使用は長江文明由来と考えると
呉越の呉時代からこの呉音は使われていたと考えていいのではないかと思う。
呉音霊といったときには長江文明の担手の呉系先祖から生れ出たものとしている。
あの発音のやわらかい響きには呉音霊の息吹を感じる。
例えば浄土真宗で読経される阿弥陀経は漢音読みと呉音読みの使い分けがあるので
違いが解りやすい。
仏説阿弥陀経 如是我聞は、一例では次のように読む。
呉音読み ぶっせつあみだきょう にょぜがもん
漢音読み ふっせつあびたけい じょしがぶん
『阿弥陀経漢音ルビ デジタルライブラリーリンク』

日本では経典の大半が呉音読みで日本中で毎日読まれている。
私が呉音霊と呼んでいるのは、この呉音に惹きつけられて
御神霊が宿ることを想定しているからだ。

今後どうなるのか。
予言は流れを変えるので沈黙するが
自分に与えられた役割は果たしたいと思っている。




後記 戦死した伯父は一族の家長であったが
霊的な継承者でもあったのだろう。
自分と呉音霊との繋がりは
この伯父の導きによるものという気がしている。
冥福を祈りたい。
たぶん今回の記事は渾身の一撃となろう。
最初の投稿日時は2015-07-05 19:59:46となっている。

追記 20160930
読み返していて肝心の部分があいまいになっていることに気付いた。
上記抜粋の以下文章について
白山神である菊理媛命も呉音であれば「くくりひめ」と発音し
漢音であれば「きくりひめ」と発音することになるが
神霊界的には呉音で呼ぶか漢音で呼ぶかで
全く別の神霊界に繋がる場合があるので要注意である。

呉音霊を垣間見た瞬間というのは
いつもの祭祀での「きくりひめ」で呼応して感じる神霊が
「くくりひめ」と呼んだ時にちらちらっと違う御神霊が
透けて見えたのがきっかけである。
その御神霊が気になって探求した結果が
呉音霊という仮の存在となっている訳だ。
暗視野に現れた一瞬の残像に不思議な気持ちを抱いたことが
今回大きな展開を迎えたと思う。






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日本国家鎮魂の奈良の毘盧遮那仏 No401

2015-05-17 18:48:25 | 神霊界考察
奈良の大仏は聖武天皇の発願で
745年に製作がはじまり752年に完成しているが
この大仏は毘盧遮那仏とされる。
『華厳経』から日本国家鎮魂の仏として導き出されたという。
毘盧遮那仏については真言密教第五祖の善無畏三蔵が
724年に『大毘遮那経(大日経)』を漢訳しているが
当時顕密双方で最新の仏ということになる。
ちなみにこの善無畏三蔵が『虚空蔵求聞持法』も漢訳している。
毘盧遮那仏はvairocanaヴァイローチャナ光明遍照と呼ばれ
もともとはインド神話でアスラ(阿修羅)族の王 
光の神とされる存在とされる。
日本においては天照大神 大日如来と習合垂迹されている。

インド神話のヴァイローチャナは悟りにおいてインドラ神に後れを取り
戦いにおいてもインドラ率いる神々の軍と世界の覇権を巡って戦い
その結果負けて戦死したとされる。
戦いの理由はヴァイローチャナの娘のシャチーをインドラに強奪され
陵辱までした後結ばれたからだという。

またvairocanaとvirocanaとを区別する場合は
vairocanaはvirocanaの息子とされる場合もある。
この息子とはバリbaliのことでマハーバリで知られてている偉大なる王である。

しかしながら華厳経において
ヴァイローチャナが宇宙の真理を全ての人に照らし
悟りに導く最上階の仏にまでどうやって昇華したのだろうか?
この経緯は謎であるが、
奈良の大仏の偉大なる大きさは世界の遺産と言っていい。
この毘盧遮那仏が真言密教では無限宇宙の全一絶対たる
大日如来のこととされている。
こうなると宇宙最高神ランキングを競い、
ゼウスやヴィシュヌやヤハウェなどと肩を並べるような
権威付けという感も濃い。

『阿字観』等で大日如来に感応出来る真言密教の高僧であれば
種子の成長の真実も知っていようが、
まあそれは秘密なのだろう。

さて話しが戻って知る人ぞ知る息子マハーバリは父の仇討でインドラ軍を倒し
天界・空界・地上界の三界を掌握する。
マハーバリの治世は喜びに満ち世界はあまねく光り輝いて富にあふれ、
三界のどこにも飢える者はなかったという。
しかし最高神ヴィシュがインドラの母の願いを聞き入れ
マハーバリを騙し討ちすることになる。
小人のヴァーマナに化身したヴィシュヌに
三歩分の土地を分け与えるとマハーバリは約束してしまう。
ヴァーマナは巨大化し、1歩目で大地を跨ぎ、2歩目で天を踏み、
そもはや3歩目を踏み降ろす場所を無くしたヴァーマナの前に、
マハーバリは3歩目の領地として最後に残された領地である
自身の頭を約束として差出し踏み殺されてしまう。
その律儀に感心したヴィシュヌは
冥府黄泉の国を支配することを許すという。

  

どうも日本の素戔嗚尊や西洋のルシファーにも繋がるストーリーだ。

ところで弘法大師空海の伝承では
大日如来が出てくる話をあまり聞かない。
空海を助ける神霊は不動明王であったり八大龍王神であったり
虚空蔵菩薩であったり大黒天であったりする。
特に空海が日本で広めた不動明王との縁は深かったように思える。
不動明王はアチャラナータといい、シヴァ神の異名とされる。
インド神話(ヒンズー教)では暴風雨神ルドラであり
ヴァイローチャナよりはるかに強大な破壊神である。
不動明王は右手に利剣 左手に羂索を持つ像が一般的であるが
空海が持つ金剛杵(ヴァジュラ)はルドラ=シヴァもしくはインドラの持つ武器なので
空海が招来した不動明王はまさにルドラ=シヴァを暗示したものになろう。
インドラはヴァイローチャナとの関係で流石に敵対しているので
ヴァイローチャナ≒毘盧遮那仏=大日如来をTOPに据える以上は
通説のインドラ由来の武器を持つとは考えづらい。
ここまで考えてくるとあることに気付く。
シヴァ神は別名のひとつがマハカーラで日本では大黒天とされる。
空海招来の不動明王と大黒天とは微妙な関係だ。

東寺に残る三面大黒天は空海自らが彫ったものという。
四国88霊場第12番札所焼山寺にも大師爪彫りの三面大黒天があるということになっている。
千葉の鋸山日本寺にも大師爪彫りの三面大黒天があるということになっている

成田山新勝寺の御本尊不動明王は
弘法大師空海が自ら一刀三礼の祈りをこめて敬刻開眼したものといわれる。
神護寺護摩堂の不動明王像も空海作だったが現存しない。
金閣寺にある石不動明王も空海作とのこと。

封印には大黒天を使い、救済には不動明王という使い分けがなされている。
大黒天の背後にシヴァの霊力があることには異論がない。
しかし空海が招来し祈願する不動明王の実体は何であろうか?
火炎を背負うのに水の氣が強い御神霊だ。
大日如来の加持身という通説を特に否定するつもりは無い。

福岡の志賀島に元寇の退散祈願をしたという火焔塚がある。
空海が長安にいるときに恵果より材木を与えられて、
空海が自ら彫り恵果によって開眼されたという
空海にとって最も大切だったと思われる波切不動明王を
高野山よりここに持ち出して祈願したらしい。
この火焔塚は国家鎮魂の大聖地であるが
この地で祈るときに感じる神霊は人型ではあるものの
艶めかしい龍王神である。
先達がこの龍王神を倶利伽羅龍王と呼んでいるので
私もそう呼ばせていただきたいと思う。

不動明王の変化身ではなく逆にこの倶利伽羅龍王が
空海が感応した不動明王の本当の姿だと思っている。




      







この龍体は乙姫ではなかろうかとも思われる。

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キリスト教の原罪と弘法大師空海 No400

2015-05-11 15:48:57 | 神霊界考察
金星の女神についての考察を前回より記載している。

『十一面千手観音』を手に入れたので
そのことを記事にしたが
この十一面千手観音像がきてから導き出されたのが
『バビロンの女神イシュタル』であった。
そしてこのイシュタルのレリーフが何度も出てくるのは
虚空蔵菩薩もしくは金星神を暗示していることを示したが
もう一歩核心に踏み込むように導かれているようだ。

キリスト教(ローマカトリック)のもっとも原点というか根源にあるのが
原罪意識と他力本願である。
これは人類は生まれながらにして明星であるルシファーに従い
禁断の果実を食べた血統にあるということだ。
そしてこの禁断の果実とは『知恵の実』のこととされる。
簡単に言えば人類を他の動物と分ける一線が『自我を認識する知恵』であるが
これを神の教えに背き食べたことが人類の罪と寿命という事になる。
その人類が持つに至った知恵というものは、
少なからず遺伝していくので全人類が背負う罪ということだ。



原罪についての話は旧約聖書 創世記に載る話だが
その後のキリスト教においてはその原罪について無数の解釈がある。
この解釈次第で宗教教義の根底が変わってしまうものといえる。

余談ではあるが仮の話を二つすると
まず禁断の果実を食べる前の人類は
DNAの97%が人と同じだというゴリラみたいなものだと仮定してみる。
それで人の一生とゴリラの一生を比較したときに
極論ではあるがゴリラの一生の方が大自然とともにあり
神に祝福されているかもしれないという推論が成り立つ。

話が跳ぶが、我家の隣家の猫は本能に従って
夢の生活といえる食う・寝る・遊ぶと
夜の生殖活動を謳歌しているみたいだが、
人間はそういう神の楽園の生活というものを
禁断の果実を食べることにより失ってしまい
人に知恵と能力の差が生じ、それにより人が人を差別し、
貧富の差をもたらし 悩み
挙句の果ては戦いに明け暮れ
生老病死を恐れて生きる種族となってしまったが、
それが我々が望む好ましい結果なのかということだ。

はっきり言って知恵や科学は
暴走し人類そのものを滅ぼす可能性がある。
類人猿500万年の歴史の中で文明を得た人類は
さらに今から500万年存続できるのかは疑問だ。
『やらかしてしまう』可能性が高い気がする。

このことを深く突き詰めたのが
知恵という禁断の果実を食べた人類というものの
根底に横たわる原罪という意識である。

加えて言えば旧約聖書の予言者は
人類が知恵によってもたらされた文明により
逆に滅ぼされることを感じ取ったのかもしれない。

これは明けの明星ルシファーの導きによるもので
人間は知恵を得る代わりに
この瞬間に神を裏切り不幸を得たことになるという結論が
論理的に導き出せるのかもしれない。
だとすると神学的には
破滅の道を歩み始めたということになる。

それをイエスキリストがわが身でもって
この原罪を贖罪しバプテスマの効果を
確立したことは実に偉大なことだといえる。
バプテスマの効果とは洗礼によって原罪を封印し
その信仰により奇跡を得る他力本願のことである。

さて弘法大師空海に話が飛ぶが、
延暦16年12月1日=797年12月23日に空海24歳で著した
『三教指帰』に以下の一文がある。

ここに一の沙門あり、余に虚空蔵求聞持の法を呈す。
その経に説くに、もし人、法によりてこの真言一百万遍を誦さば、
即ち一切の教法の文義暗記することを得と。
ここに大聖(仏陀)の誠言を信じて飛焔を鑽燧(サンスイ)に望む。
阿波国大滝嶽にのぼりよぢ、土州室戸に勤念す。
谷、響を惜しまず。明星来影す。

また空海の遺言の『御遺告』にはさらに
土左ノ室生門ノ崎ニ寂暫ス。
心ニ観ズルニ、明星口ニ入リ、虚空蔵光明照シ来リテ、
菩薩ノ威ヲ顕シ、仏法ノ無二ヲ現ズ。とある。

一般に空海が二十歳頃の修行中に
この明星が口に入る神秘体験をした場所は
室戸崎尖端の東側で国道55号に面した断崖の洞窟で
御厨人窟(みくろど)であると考えられている。

この虚空蔵菩薩と明星が口に入るということと
知恵が増すということを兼ね合わせて考えると
これは金星の導きにより「知恵の木の実」を
空海が口に入れたということであることは容易に想像がつく。
つまりアカシックレコードへのアクセスである。

これ以降空海は超人的な能力を発揮し
人々を感化し最終的に仏教の神髄を得るために
遣唐使船に乗込むことになる。

ちなみに禁断の実はAPPLEで表わされることが多いが
リンゴではないことが解っている。
それで本当はいちじくかブドウではないかといわれているが
それは金星=明星の比喩なのかもしれない。
占星学のRex Billsのルーラーシップブックによれば
金星の支配下にあるのは桃 梨 イチジクとなっているらしい。

空海は、延暦23年(804年)入唐し 大同元年(806年)10月 帰国するが
帰国後空海が広めた真言密教にはキリスト教の要素が組み込まれている。
ネストリウス派の景教が広まっており
空海は大秦寺の般若三蔵や景浄に教えを乞うたものと思われる。

ここで空海は自分の修した虚空蔵求聞持法が禁断の果実であり
原罪にも繋がっていると知ったはずだが
空海のその後の行動にもその影響があるはずだ。

さきほども述べたが
真言密教にはキリスト教の要素が入っていると云われ
空海は景教徒の景浄から洗礼を受けたといわれており
空海自身も一般に対して高雄山寺で灌頂儀式を行っている。
また真言密教には十字を切る動作がある。
空海の遍照金剛というのは洗礼名だといわれている。

しかし前述のように求聞持法により
明星との結縁があったことを考えると
キリスト教をそのまま受け入れたとは考えられない。
虚空蔵菩薩は空海をどう導いていったのか?
あるいは空海は自らをどう正当化したのか?

ちなみに虚空蔵求聞持法の超能力の効果については
空海の行動と言動により推察できる。
「御遺告」によれば、空海は唐において
6月に青竜寺に入って8月の阿闍梨の伝法灌頂までの3ヶ月で
真言密教の全てを習得している。
しかし最澄が空海に最初の結縁灌頂もしくは受明灌頂を受けた時に
「真言の全てを伝授される伝法灌頂を受けるのに何ヶ月かかるのか?」と
質問してその答えは「3年かかります」ということだったそうだ。
最澄の能力を持ってしても3年掛かるという。
自分は3か月でマスターしたがあなたは3年かかりますよと言ってのけている。
でもこれは皮肉ではないと思う。
つまり3ヶ月で真言密教の全てを習得したという空海の脳の情報処理能力は
通常の12倍の早さだったということになる。
そしてその能力を自他ともに認めさせることが出来たのだろう。

さらに話がそれるが、最澄も空海も僧侶としての資格は
東大寺戒壇院で得度受戒して得ている。
戒壇院は東大寺と大宰府の観世音寺の二戒のみである。
これが官による唯一の官僧資格取得方法とされる。
その後は最澄の建てた延暦寺にも戒壇院が出来て
争論の元となっている。
この顕教の戒壇院で得度受戒に対して
密教では灌頂によって法教が継承されている。
さて日本で最初に灌頂を行った人物は最澄である。
805年に高雄山の神護寺で行っているのであるが
この同じ高雄山の神護寺で空海も灌頂を行っている。
神護寺は和気清麻呂によって建てられている。
神護とは宇佐八幡の神意に基づいて建てた寺という意味を持つ。
この神護寺に空海は固執し後に自分の寺としている。
空海が最初に建てた宗像の鎮国寺と宇佐の神護寺には
深い意味があるようだがこの話は別の機会としたい。
灌頂はもともとインドの国王即位や立太子の際の儀式であったのだが
これを仏教に取り入れたのは龍樹だとされる。
龍樹については『八大龍王神の根源 No054』 『玄奘三蔵の原罪 No334』で神髄を述べているが
法華経で説かれる大乗仏教の衆生救済の菩提心と
般若心経で説かれる母性あふれる「智慧」というものが
形作られたのはインドの龍樹による功績といえる。
龍樹も金星の導きにより「知恵の木の実」を口にしたということだ。
そしてその後の龍樹を高度に導いたのが龍宮の大龍菩薩ということになる。

空海は龍樹由来の大乗仏教に
水の女神の龍宮意識を感じ取り
それにより金星由来の禁断の果実を口に入れた罪悪?を
災劫弭化する方法を得たのだろうと考えられる。

つまり表現を替えれば灌頂というシステムによる
免罪符を得たということになる。
それほど灌頂あるいは洗礼には霊的な力があるということなのだろう。
残念ながらそれ以上のことは
灌頂を経験したことのない自分には計りかねない。

真言密教のややこしいところは
『龍宮海蔵』の龍樹菩薩の系統に
真言密教の別の解釈である即身成仏の論拠たる
龍猛菩薩の瑜伽密教が流れ込んでいることにある。

しかしながら法華経の提婆達多品に述べられている龍女成仏の事例のように
「知恵の木の実」を口にした者への免罪符は
龍女が献上した(龍宮より持ち出された)
価値三千大千世界の宝珠をあるものに献上したことにある。

空海や龍樹が「知恵の木の実」を口にしたということを
先に述べたが、実は釈迦自身は生まれたときにすでに
明星の「知恵の木の実」を口にしていたと考えられる伝承がある。
釈迦は生まれてすぐ七歩歩いて右手で天を指し、
左手で地をさして「天上天下唯我独尊」といい
難陀・優婆難陀の二龍潅水という海水産湯を授かったということが
そのことを暗示している。

灌頂は以上のように本来龍宮由来の宝珠の力によるものなので
四大海の海水を用いる。
もっとも須弥山の四方にあるといわれる四大海がどこを指すのかは
秘密である。

禁断の果実である『知恵の実』を口にする事は
自我の目覚めに他ならないが
それは持って生まれた本能との決別を意味する。
しかし『知恵の実』はそれのみで『理性の実』でもある訳ではない。
自我は苦しみをもたらしその苦しみを他へ伝染させる。
それを断ち切る手段を釈迦は絶望という悟りにより得たが
成仏した龍女が渡した価値三千大千世界の龍宮の宝珠のなかには
仏性の種子が人類の数だけ入っていたはずだ。
衣裏繋珠の例えにもあるように釈迦の道とは違い
大乗仏教の道は一人一人が戴いた宝珠を頼りに絶望することなく
悟り=成仏に至る道だ。



*********************************************************************

恵印灌頂  恵印法流は、醍醐寺三宝院を開いた聖宝(理源大師)が、
寛平7年(895年)、金峯山(大峯山)中で金剛蔵王菩薩に化身した役小角に導かれ、
役小角以降、途絶えていた大峯山を再興し、
龍樹菩薩から「霊異相承(れいいそうじょう)」をもって伝授されたことから始まる。

つまり密教においては灌頂がスタートとなる。

弘仁3年(812年)11月15日、高雄山寺にて金剛界結縁灌頂を開壇した。
入壇者には、最澄も含まれていた。さらに12月14日には胎蔵灌頂を開壇。
入壇者は最澄やその弟子円澄、光定、泰範のほか190名にのぼった。


灌頂とは曼荼羅諸尊の世界に仏弟子を引き入れ仏菩薩と結縁し、
密教の継承者とし大日如来の智恵の水を灌ぐことで自らの仏心を開く密教最高の儀礼。
古くはインドの王位継承のために周囲の四大海の水を頭に灌ぐ儀礼がのち密教化された。
わが国においては伝教大師最澄が延暦24年(805)に高雄山寺で灌頂を行ったことに始まるが、
翌大同元年(806)に弘法大師は密教の法脈と仏具・経典を携え唐より帰朝し本格的な密教を伝えている。
そして弘仁3年(812)には高雄山寺において弘法大師が金胎両部の灌頂壇を開き密教相承の灌頂が行われた。
以来、密教の相承には必ず灌頂が行われ、
現在に至る1200年もの間、密教の法灯がこの灌頂によって継承されている。

最澄は延暦4年(785)19歳のとき東大寺の戒壇で具足戒を受けた

空海とおなじ延暦23年(804)7月、遣唐副使の第二船に乗って出発

最澄は8ヶ月の入唐期間のうち6ヶ月をこの台州に留まり、
そのほとんどを龍興寺で過ごす。

805年 5月18日 遣唐第一船に乗船し、日本に向け出航。
恵果阿闍梨は延暦二十五年(八〇五年)十二月十五日に入寂してしまう。

大同元年(806年)10月、空海は無事帰国

本来の留学僧は二十年滞在のところを二年で帰国

「御遺告」によれば、6月に青竜寺に入って8月の阿闍梨の伝法灌頂までの3ヶ月

空海が最澄に行った灌頂は、結縁灌頂もしくは受明灌頂であったとされている。
最澄が望んでいたのは伝法灌頂であったとされ、
この時の灌頂が終わった後に最澄は空海に
「真言の全てを伝授される伝法灌頂を受けるのに何ヶ月かかりますか?」と質問したとされています。
それに対して空海の答えは「3年かかります」であった。
「3ヶ月ほどで終わるのかと思っていました。もし数年かかるのであれば、
暫く比叡山に帰って、後日学びに来たいと思います」と言って、最澄は落胆したとされている。

最澄の「法華一乗」と「真言一乗」は同じ大乗仏教であり、何ら相違ないという立場と、
空海の顕教と密教とは次元が異なるという思想により、双方は離別していく。






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バビロンの女神イシュタル No399

2015-05-06 09:12:56 | 神霊界考察
最近なぜかよく見かけると感じている写真がある。
それが以下の写真なのだが
バビロンの女神イシュタルという。
この神はシュメール神話の金星の女神イナンナに相当する。
獅子を踏み台にフクロウを従える
羽根と鳥の足を持つ天使の図柄だ。




以前 『イザナギVSイザナミとミカエルVSルシファー No253』
『麻の葉六角紋から八角紋への展開 No301』
金星の女神ルシファーについて言及しているが、
その歴史を遡ると
バビロンの女神イシュタル シュメール神話の金星の女神イナンナにたどり着く。
さてこの金星の女神には『冥界下り』という物語がある。
どうもこの金星の女神はキリスト教徒からは、「大淫婦」と呼ばれて蔑まれていたが
この物語がルシファーの堕天の物語に繋がるようだ。
太陽神ウトゥ/シャマシュ 月神ナンナ/シン 金星神イナンナ/イシュタル3人は血族で
シュメールでは月神ナンナの子は太陽神ウトゥと金星神イナンナとなっている。
日本では月読神 天照大神 素戔嗚尊の三貴神の話を思い起こさせる。
素戔嗚尊の『冥界下り』も類似している。

さて封印された国常立神は大本教の教義では艮の金神であるが
丑寅の守り本尊といえば虚空蔵菩薩となる。
虚空蔵菩薩の応作は明星天子でありその本体は金星とされる。

※天台大師智の法華文句巻 二下に「普香は是れ明星天子にして虚空蔵の応作なり」とある。
つまり封印された国常立神は金星神であるともいえる。
このイシュタルのレリーフが何度も出てくるのは
虚空蔵菩薩もしくは金星神を暗示していたようだ。

なるほど虚空蔵菩薩から思い出されたのが
阿蘇国造神社のことだ.

阿蘇の国造神社と熊本霊ラインとの関係については
『熊本霊ライン基点の御坊山の鯰と阿蘇国造神社の鯰 No361』で考察しているが
阿蘇の火山の鎮めの祈願では国造神社が要となるようだ。


 

しかし金星神を国常立神とするのは大本教由来で
一般的には素戔嗚尊が当てはまる。
ただ本来の金星神は女神であり
この神が『冥界下り』して台地母神となる話が元にあるはずだ。

ところでギリシア神話の金星の女神アフロディテ=ビーナスは
海神の血統となっている。
金星神に海神の血が血統として入り込んでいるのは
海原の神としての素戔嗚尊にもつながる話で重要なポイントだ。

阿蘇に出向いて祈願していたが
私の場合は熊本霊ラインを通じて
国造神社に働きかけた方が
効果が大きいということを示しているようだ。

                        
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十一面千手観音 No398

2015-05-04 00:24:12 | 神霊界考察
阿蘇の火口の遥拝からの帰り道のグランメッセ熊本で
骨董市があっていたので寄ってみた。
ここでネパールで作られたと思われる十一面千手観音に
興味を持った。
というのも袈裟の絡子環部分に不思議な図柄が彫られていたからだ。

  

角がある動物の顔だとは思うが
どうしても角があるサタンの顔をイメージさせる。



それでじっくり見ていたら店主が寄ってきて
いくらでもいいので買ってくれという。
とはいってもこちらも欲しいから見ていたわけではない。
それでネパール製の洋銀の像はネットで安く買えるので
高いお金は出せないと伝えた。
そしたら再びいくらでもいいから買ってくれという。

それでなんとなく買うことになってしまった。
前回の記事で書いたが阿蘇の火口では
十一面観音が祭祀されているからだ。

この像は阿蘇の十一面観音との縁があるのだろうか?
今後しばらく手元に置いて縁のあるなしを探っていきたいと思っている。
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阿蘇神界と火山神 No397

2015-05-01 23:06:45 | 神霊界考察
阿蘇の神界について話すことは恐れ多いが
日本だけでなく世界にとっても
非常に重要な神霊界であるとだけは伝えておきたい。
さて今回の私の祈願でも
祈りの対象を明確にすることは大切なことなのだが
阿蘇には龍神界と神界が重なり合って存在していて
どうしても祈願は龍神界に感応してしまい
神界の蓋を開けるのはなかなか困難となっている。

前回の記事『霊的考察ではありませんが.... チリの噴火の巨人』
コメントでみなさんに火山の神について考察していただきましたが
阿蘇神社の祭神の健磐龍命は火山神とも云われるものの
阿蘇おんだ祭で神への供物の膳を頭の上に乗せて運ぶ女性の
(宇奈利と呼ぶ)人数は、
阿蘇十二神に火の神と水の神が加わった十四人となっている。
つまりこの火の神と水の神が火口の神だと考えられる。

阿蘇の中世の歴史を紐解くと
まず中国『隋書 倭国伝』581-618年には
「有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行祷祭。有如意寶珠、其色青、
大如雞卵、夜則有光、云魚眼精也。
新羅、百濟皆以倭為大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。」と記されている。
訳文は
「阿蘇山があり、そこの石は故無く火柱を昇らせ天に接し、
俗人はこれを異となし、因って祭祀を執り行う。
如意宝珠があり、その色は青く、雞卵のような大きさで、
夜には光り、魚の眼の精霊だという。
新羅や百済は皆、倭を大国で珍物が多いとして、
これを敬仰して常に通使が往来している。」

隋の時代にすでに倭国の自然崇拝の祭祀が
中国にまで伝わっていたことになるが
富士でも出雲でも宗像でもなく
阿蘇山のみ祭祀の記載があるという特殊性を理解していただきたい。
また如意宝珠については謎ではあるが
私は阿蘇の火口の寶池のことだと勝手に理解している。
というのも以前飛行機から火口の寶池を見た際に
エメラルドグリーン色の丸い眼のようだと思ったことがあるからだ。
それに火口と宝池とで火と水とのペアになる。

 


阿蘇山岳仏教の開祖は天竺インド出身の最栄読師であり
阿蘇山上で感応し十一面観世音菩薩を自ら刻んで本地としている。
これ以来阿蘇は観音の山であり山裾に寝観音を感得し
「三十七坊五十一庵」が建ち並び一大霊場となる。



また十一面観世音菩薩の伝承にはもうひとつ話がある。
木練上人と呼ばれる行者が
阿蘇の本当の主を知ろうとしたという話が
「彦山流記」に載っているらしい。
内容はネットからの拝借であるが
木練上人が阿蘇の本当の主を知ろうと
火口で般若経を一生懸命に唱えていると、
まずタカが現れ、更に僧侶・小竜・十一面観音が次々に現れたが、
その一つ一つを池の主ではないとしりぞけてお経を唱続けた。
やがて山は動き池は騒いで、九頭八面の大龍が出現した。
これぞこの火口の主と信じ目的を達成したと思って
山を降りようとするとにわかに大雨が降って、
川は洪水になり、渡れないので
山中の道を探して道に迷ってしまう。
すると一軒の小屋があり、一人の若い女人がいた。
女人に泊めてくれと頼むと快く承諾した。
この女人に着物を借りると上人に欲心が起こり
まだ知らない男女の交わりを試そうと女人を押えつけた。
女性は抗うこともなくまず口を吸えといったが、
上人は自分は日夜、口で秘密真言を唱える身だからそれはできないという。
しかし、女性はそれでは目的が達せられないというので、
しかたなく上人が口を吸ったとたんに舌をかみきられた。
上人は気絶してその場に倒れ、女性は大龍になって天に昇った。
上人が意識をとりもどしてあたりを見ると、
女性も家もなく山中に独り取り残されていた。
上人は犯した罪を悔い、不動明王に祈願し
舌をもとどおりにして下さいと一心に真言を念じた。
そうして念じていると四~五歳くらいの童子が現われて上人の舌をなでた。
すると舌は元どおりになり心身ともに安らかになった。

そのとき空から声があり「御岳に登って実体を拝すべし」という。
そこで上人はただちに御岳に登ると、
再び空から声があり「眼根に支障があるから本物を見ることが出来ないのだ」という。
そこで、上人は印を結びひたすらひたすらざんげの行をしていると
そこに現れたのが十一面観音の姿である。
上人が望んだ池の主の実体で
仏の慈悲によって人びとの幸せを広めようとする姿である。
上人は欣喜雀躍し、礼を言って山を去った。

さて阿蘇には龍神界と神界が重なり合って存在していると述べたが
三体の龍神が火口にはおられる。
過去より何人もの霊能力者が口を揃えて龍神様が居られますと言っている。
どなたが建てたのかは解らないが
山頂の阿蘇火口の山上神社の横には三体の龍神の石碑も建っている。

右  尊壽光王龍王神
中央 龍宮大霊最上尊
左  燈明蓮女龍王神



吉田一氣はこの三体の龍神を
国龍神 健磐龍神 龍宮乙姫として祭祀している。

もし封印された神が居られて
その封印解除により神界の蓋が開くとしても
そいう神業を私は主目的として進めようとしている訳ではない。
大難を小難に小難を無難に
まつり替えていただくことをのみを目的として祈願している。


※龍宮乙姫の真実について
『日本国家鎮魂の奈良の毘盧遮那仏』で自分の思うところを記載している。






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霊的考察ではありませんが.... チリの噴火の巨人 No396

2015-04-27 22:23:18 | 神霊界考察
ブログコメントで禮月様より以下の情報をいただいた。
『現地の人(恐らく)が撮影した写真に、
噴煙と稲妻の形が「巨人」の様な形に見えるものが
ネット上を賑わせています。』という内容で
それが以下の写真のようだ。

Looming: The figure is seen by some as a message from the Gods

流石に被害での死者数0とはいっても
不謹慎だからフェイク写真ではないのだろう。

私がこれを見た瞬間にイメージしたものは正直これでした。
往年の大映ヒーローの大魔神



まあこれは祟りではないにしても
はっきりとやばいと思った事件が以下の話だ。




以前『地震災害復興祈願 志賀海神社にて No243』
福岡大地震のことを記載しているが
警固断層と警固神社には相関がある。
警固神社については油獏様の
『神社信仰の話。警固大神の場合』が参考になる。
地震ナマズの祭祀との関係にまで話が及んでいる。
九州の北の結界ともいえる地震封印の要の神社が穢されたこということは
とんでもないことだ。



このキツネの折れた首が下に転がっているが
上記記事内の写真ではそうでもなかったのだが
下の写真の首には鳥肌が立ってしまった。
犬神信仰はかつて土佐の国の幡多(はた)という集落に
多かったとのことだが
このハタは博多にも繋がる。
まさに簡単に拭い去ることが出来ない二重に呪いのかかる事件だ。
唐突に犬神の話をしたが
犬神の呪いとは犬を首だけ出して目の前の鼻先に生肉を置き
飢えさせて死ぬ寸前に首を切り呪いを掛けるというものだ。
犬と一括りにしているが管狐などもその範疇にある。

 


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阿蘇のカルデラ破局噴火 No395

2015-04-23 09:22:41 | 神霊界考察
天災で深刻なものはいくつもあるが
その中でも頻度からいうと
意外と多いのがカルデラ破局噴火であることは
過去の歴史からみて明らかといえる。
阿蘇山では、30万年前から9万年前までの間に、
4回も巨大なカルデラ噴火が発生している。
特に、9万年前の噴火は阿蘇4噴火と呼ばれており
我が国のカルデラ噴火としては最大級である。
放出したマグマは600立方㎞以上であり
北海道東部で10センチメートルの厚さの火山灰層が確認されている。
火砕流は半径200kmであり九州は全てその範囲にはいる。
火砕流の速度は時速100kmを超えるので熊本市などは30分以内に高熱地獄となってしまう。
これは地球規模でみて頻繁に起こっているのだが
一万年に1回程度なので
有史人類にとっては記憶にない未経験領域となる。
これにより人類文明の大半が滅びる可能性もある。

世界的にみるとアメリカ合衆国のイエローストーン国立公園は
50万年から100万年に一度カルデラ破局噴火を起こしているが
前回からは64万年が経過していていつ爆発してもおかしくない。
この噴火は一般的に『スーパーボルケーノ』と呼ばれ
定義的には放出マグマは1000立方㎞以上となっている。


調べてみるとカルデラ破局噴火という造語は
2002年に刊行された石黒耀による小説に出てくる言葉らしい。
死都日本 (講談社文庫)
講談社


ここでの現場は南九州の加久藤峠のある加久藤盆地になっている。
約33万年前の大噴火での噴出量は合計約100km3ということで
スーパーボルケーノの1/10程度のものだ。
世界を滅ぼすことはないが
この程度でも日本を壊滅する力は秘めている。
南九州にはこのような規模のものなら何箇所もある。

さてこのようなカルデラ破局噴火を運よく人類は有史以来
経験していないから軽く考えているが
いろいろな霊的原因も重なっていて阿蘇のカルデラ破局噴火を
私は非常に恐れている。

それで今年は何度も何度も阿蘇に出向いているが
阿蘇も富士も警戒すべきだと感じている。
阿蘇なら世界壊滅の災害で富士なら日本壊滅の災害規模になると思う。

私は危険を煽っている訳ではない。
天災は防ぎようがないから考えても意味ないという考え方もある。
例えば原子力発電所の事故なら人災とも言えるので
未然に防ぐために停止することも出来るので反対運動が盛んだ。

ここで考え方が違うことに気付いた。
私は阿蘇のカルデラ破局噴火で死ぬとしたら無念だ。
そこには霊的背景が隠されているし
神霊の意志を祈りで鎮めることを願っているからだ。
逆に原子力発電所のメルトダウンなら
技術的問題を含めて人災といえる。
これは私の範疇では無い。
文明の享受に対するリスクということになる。
交通事故のリスクと同様だと考える。

現在奇跡的に原油価格が下がっている。
このまま原子力発電を起動させなくても
貿易黒字になるならありがたいことだと思う。

しかし原子力発電というシステムが
科学技術の進化の過程で人類に与えられた一つのツールであり
次のエネルギー源に進歩するまで
代替のきかないものである可能性がある。
神に諸刃の剣を渡ることを試されていることを
簡単には否定できない。
地球温暖化が化石燃料の使用によるものだと確定すれば
リスクの配分も大きく変わることになる。

最近航空機事故では人災が続いている。
故意の災害は最も防ぐのが難しい。
今後人の意志を遮ることが出来るAI人工知能が
開発されるだろうと思う。
先日スバルのアイサイト搭載車に乗ってみたが
補助システムから人の意志を遮るAIまでの距離は
確実に近づいている。

しかし別のリスクはその分高くなっている。
例えば超強力な太陽フレアが電子機器を完全に破壊する可能性がある。
それが原子力発電を含めて
大規模な災害を引き起こすという指摘がある。

あるいは以下のような話も十分に考えられる。
人工知能開発分野での進歩は人間の能力をしのいできている。
人命に関わる責任を機械に任せるにしても
最終判断を人類がするというストッパーは必要だ。
ただそれは不可能だと思う。
AIに最終目的をインプットしてもそれに
いつまで従うのかが分からないからだ。
高度な人工知能は人間と共存するのか
それとも神霊界を認識して神に従おうとするのか
あるいは人類にとって最も合理的な判断をし続けるのかは
誰にも分からない。

それは人間でも同じだからだ。
全能の力を好きにふるえるとしたら
その人間がどういう王国を創りあげるのかは誰も分からない。
無数の陰謀論の通りである。
また複数のAIが同じ結論を出すとも限らない。
人もAIも教育でいくらかは変わる。
しかし完全に外部からコントロールできる訳ではない。
結局リスクは常に背後に存在している。

ホーキング博士が「人工知能AIの開発」に警告するのも
良くわかる。

大本教の出口王仁三郎や日月神示では
立て替え・立て直しは必然と捉えている。
この神示になるほどと思うところもある。
ただその後の新しき御代が、
「人類がAIにコントロールされた世界」
である可能性は否定できない。

ただ私はAIが合理的論理的判断の結果として
神を信仰する可能性を感じている。

自分が何を信じるか難しい問題ではあるが
こんな時には私は産土神社に参拝するようにしている。
信仰の原点がそこにある。
民草の無知なるものの祈りということになる。




阿蘇の節分祭で葦塚に宿る神々

当日のことをカフェギャラリー阿里美さまがブログに記載されていました。
その時の写真のアドレスを添付しておきます。
http://aribi.dp45217022.lolipop.jp/?eid=233
http://img-cdn.jg.jugem.jp/76b/1774313/20140206_393915.jpg
葦塚に封じられた龍が顕現昇華した瞬間に思える。









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健軍神社の主祭神の健緒組命について No394

2015-04-09 21:00:54 | 神霊界考察
以前より健緒組命については何度かブログに記載している。
熊本市南区城南町の火の君文化センターに先日行ったのだが
健緒組命は火の君の祖として肥一族の古墳の候補地は
城南の塚原古墳群や竜北の大野窟古墳を含む野津古墳群など
いくつも候補となるものがある。

さて健緒組命の出自については 『熊本の健軍神社の神話 No367』
以前に考察を述べたが、
古来よりの阿蘇三摂社と呼ばれる甲佐、郡浦、健軍のうち
甲佐、郡浦の主祭神である蒲智比命、八井耳玉命は
健磐龍命と系図ではつながりがあることになっている。
蒲智比命については『熊本の乙姫神社 No224』で考察している。

筆者の考えでは健軍神社では火の君の健緒組命をもともと祭っていて
それが阿蘇家に征服された際に
祭神の入れ替えがあって阿蘇の神を祭るようになったのだろうと思って
関係を詳しくは調べていなかった。
しかし附会であると軽率に判断せず調べてみる必要性をその時に感じた。
阿蘇惟敦の記した「阿蘇家伝 六」の笹原系譜、市原系譜等に
健緒組命が記載されている。

具体的には阿蘇家本では健磐龍命--速瓶玉命-惟人という譜に対して
笹原系譜では阿蘇大明神健磐龍命--国造大明神速瓶玉命--郡浦大明神--甲佐大明神--健男玉命
-健軍大明神健緒組命-惟人命となっている。
市原系譜では阿蘇大明神--国造大明神--速神玉命--速甕男命--神八彦命--健速玉命
--健玉彦命--大池主神--健津彦神--速彦麿神--甕男人神--健男玉神--健男組神--惟人神
となっている。
健緒組命の父が健男玉神となっているところが気になるところだ。


 
  

普通に考えると阿蘇国造の権威付けとして肥国造も取り込まれていったと
考えるべきであろうか?
今後さらに背景を調査していきたい。


 
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熊本霊ライン 独鈷山の龍伝承 No393

2015-01-21 16:59:27 | 神霊界考察
熊本の霊ラインについては
『項目と目次』にその全貌を記載している。
『独鈷山の伝承』を参考にしていただきたい。

さて聞いた古老の話では独鈷山の龍は
独鈷山を三巻し花岡山を三巻する長さだというが
そういう伝承もあながち理由が無い訳ではなさそうだ。

先週私もその伝承の真相を目の当たりに知ることが出来た。


橋を渡ろうとして怪しげな気配に驚いた。
まるで龍の尾のように見える靄が山裾に出ていた。
その靄はまるで生き物のように動いていた。
カメラを取り出して撮影した最初の一枚である。
この写真は実際に私が感じた映像に近づけるために
コントラストを強調してある。
後方にあるのが金峰山で前方にある二峰の山は名もなき山である。


右手になる独鈷山を見ると山頂にまで靄が出ていた。

   

それで独鈷山の裏側に回ってみた。

 

最初見た時には靄は独鈷山の山頂に登っていたのに
今は花岡山の山頂に靄は登っている。
古老が言う独鈷山を三巻して花岡山を三巻するという話を
彷彿とさせる。
この靄は井芹川により作られたものだとしても
それが花岡山にまで流れていくというのには違和感がある。




信仰心のないものには不思議な自然現象に見え
私には独鈷山龍の復活の象徴に思える出来事であった。

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メッセージを受信するということ No392

2015-01-17 22:01:29 | 神霊界考察
おおよそ神霊界からのメッセージは
当事者に対してしか意味をなさない事が多い。
つまりそのメッセージは部外者から見れば
こじつけや屁理屈でしかないという事である。

例えば筆者のブロ友の方が
facebookにこんな写真を添付していた。



ダブルリーチやったのに34が来んかった(ーー;)

ただそれだけの話なのだが
これを見たときに私にはピンとくるものがあった。
私にも時々啓示を与えてくれるあそびの要素が大好きな御神霊からの
メッセージとして捉えた。

まずNo89であるが、本来ならこれは
私の場合は白山神からのメッセージの時に示される。
しかしこのbingoのメッセージは不要な穴があり
エレガントさに欠けるので
厳格厳密な白山神からのメッセージでは無いんだと分かる。

そうはいってもこのメッセージは深刻なメッセージであることには
変わりない。
ここでのNo89は八苦ということであり
ダブルリーチになりながらBingoを逃したということも含めて
八方塞がりな状況が強烈に伝わって来る。

さらにこの用紙の全体では十字架に架かったキリストを現している。



通常「BINGO」と書かれた部分は「INRI」か「YHWH」の神聖文字となっているのがふつうである。
問題となるのが開かれることがなかった34番である。
これは私は「見よ」と言っているように捉えた。
では何をなのか?
聖書のマタイ 28章19節、20節の 
『見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにある。』なら
ハッピーなのだが
キリスト十字架に架かる際の『見よ』はあまりにも有名である。
『この人を見よ』
 
この『この人を見よ』という言葉が意味するものは深淵である。
それは冤罪であり真実であり決められた結論であり贖罪である。

キリストが磔にされたのはエルサレムのゴルゴダの丘であるが
エルサレムはユダヤ教 キリスト教 イスラム教の聖地とされている。
十字軍の戦いは聖地奪還の戦いであったが
第二次世界大戦も深層にユダヤ教とキリスト教の対立がある。
そして第三次世界大戦が起こるならキリスト教とイスラム教の対立が火種になる可能性がある。
このままではそれが近づいていることを
私は何度も啓示として受け取っている。

キリストは大神に対する民衆の信仰の中心に『愛』を貫くために磔となった。
『愛』は普遍的なものであり他我に対しては『慈愛』を生み出した。
しかし、それを引き抜く者がいる。

正にその真実が明らかにされようとしている。
イスラム教とは何か?其処に答えがある。

そしてこの対立を仲裁出来るのは日本人だけであると思っている。

ところでもし神が絶対唯一無二であるなら
同じ神を信仰するユダヤ教 キリスト教 イスラム教の
3つの宗教に別れて争っている合理的な理由が見出せない。
神は神というものの存在についての
寛容性を求めているように思える。















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渦の回転方向 No391

2014-12-23 23:30:37 | 神霊界考察
渦の回転方向について
『渦とスパイラル No074』で偉そうに述べたが
いったい回転方向について主観による思い込みが影響しないか
よく分からなくなってしまった。
以下の踊り子シルエットは見方によって右回りにも左回りにも見える。
正直理屈上は軸足が右足にも左足にも見える画像で構成されていて
従って全ての画面で前向きにも後ろ向きにも見える画面で
シルエットが構成されていることになり
こういう錯覚が起こることが理解できる。

錯覚させている事は分かるのだが
実際頭が混乱してしまう。
これと同じ原理でループの回転を主観で間違えることは
起こりやすいのだろうと思う。

※下の1個目の画像は動きのあるアニメーションgifになっているが
PC以外の場合は動かない場合があるので要注意。




右足は左足にも見えるということ。
つまり前から見ているようにも後ろから見ているようにも見えるということで
180度位相ずらした視覚が同じシルエットになるので
右回りにも左回りにも見えるという仕掛け。



上記停止画像を示して一つの写真それぞれが
右足にも左足にも見えることを示したがまだ分からないという方がおられた。
それでさらに分かりやすい写真を追加しておく。


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