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斜読「ミケランジェロの暗号」

2015年04月08日 | 斜読

b392 ミケランジェロの暗号 ベンジャミン・ブレック&ロイ・ドリナー 早川書房 2008 

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 読み終えるのに4週間もかかった。読書時間がとれなかったこともあるが、なかなかの大作のため時間がかかった。どんな大作か?。

 原題はThe Sistine Secretsで、システィーナ礼拝堂に描かれている天井画、壁画「最後の審判」にミケランジェロが隠したメッセージの解読がテーマである。私には、たぶん多くの日本人も原題の「The Sistine Secrets」よりも「ミケランジェロの暗号」の方が馴染みやすく、関心を引く。
 おそらくカトリックの信者はシスティーナ礼拝堂の天井画、壁画を宗教画としてみるのだろうし、当然ながらミケランジェロの作と知っているから「The Sistine Secrets」と聞けば、ミケランジェロが天井画、壁画にこれまでの宗教的解釈とは違ったメッセージを込めていて、その解読をテーマにした本、と想像するのではないだろうか。
 ところが、ユダヤ教とキリスト教の概念すら怪しい私には宗教的解釈が希薄だから、「The Sistine Secrets」ではピンと来ない。だから訳者は「ミケランジェロの暗号」としたのであろう。このタイトルならば、メディチ家最盛のころ、メディチ家で家族同様に育ち、学んだミケランジェロがどんなメッセージをどんな理由で芸術作品に隠そうとしたのか、といった興味を覚えるはずだ。
 
 暗号を解く鍵はミケランジェロがメディチ家で学んだ新プラトン主義や、ユダヤ教の解釈のトーラー(ヘブライ語で書かれたモーセ5書)、カバラ(ユダヤ教の神秘主義思想)、タルムード(ヘブライ語で書かれたユダヤ教の聖典)のため、難解な部分もあってこれが読書時間を長くした一因でもある。

 目次で紹介する。
はしがき
はじめに
第1編 はじめに、神は天地を創造された
第1章 システィーナ礼拝堂のなりたち
第2章 芸術作品に込められた言葉
第3章 反逆児の誕生
第4章 非常に特別な教育
第5章 楽園から地上へ
第6章 運命が命じるままに
第2編 システィーナ礼拝堂へようこそ
第7章 扉の向こうへ
第8章 天空の天井
第9章 ダヴィデの家
第10章 天空の四隅
第11章 預言者たち
第12章 天に通じる道
第13章 別れぎわの捨てぜりふ
第3編 天井の彼方に
第14章 再び礼拝堂へ
第15章 「最後の審判」の秘密
第16章 晩年の秘密
第17章 変わりゆく世界
おわりに システィーナ礼拝堂のありよう

 システィーナ礼拝堂は教皇シクストゥス4世(1414-1484)がサン・ピエトロ大聖堂に隣り合ったバチカン宮殿に1477年から1480年にかけて建てさせた礼拝堂で、シクストゥスの名にちなみシスティーナと名づけられた。
 当時のカトリックの教皇たちは、キリスト教がユダヤ教以前の異教、ユダヤ教を統合した最上の宗教であると考えていた。さらには、当時の教皇たちは宗教よりも政治に傾き、信仰よりも権威+金銭に熱心だった。
 シクストゥス4世の甥であるユリウス2世(1443-1513)が教皇に就くと、まだ描かれていなかったシスティーナ礼拝堂の天井に、荘厳な雰囲気にふさわしく、キリスト教が唯一であるといったイメージの絵を描くようにミケランジェロ(1475-1564)に依頼する。しかし、メディチ家で新プラトン主義を学び、ユダヤ教のトーラー、カバラ、タルムードに親しんだミケランジェロは、腐敗、堕落したカトリックに警鐘を与えようとした。
 あからさまにカトリック批判をすれば命さえ奪われかねない。そこで、ユリウス2世たちにはキリスト教がユダヤ教を凌駕していると思えるようにしながら、ユダヤ教の家系譜をイエス・キリストにつなげ、異教の哲学をも含めユダヤ教とキリスト教を包括する宗教観を絵画に隠し込んだのである。

 だから天井画の暗号解読にはトーラー、カバラ、タルムード、さらに新プラトン主義が繰り返し登場する。たとえば、p246ミケランジェロが天井画に描いた7人のヘブライ人預言者はカバラの命の木における下位の7つのミドに対応して・・のように記述されている。それらは、バチカンによる天井画、壁画「最後の審判」のいわゆる正当派解釈やそれを元にした多くの美術書や解説書と異なるから、随所で新鮮な驚きを感じた。
 ではどのように暗号を隠し込んだのか。天井画は9区分されていて、中ほど3区分の奥側にはアダムとエヴァの「原罪と楽園追放」が描かれている。バチカンではエヴァは蛇にそそのかされてリンゴを食べたと解釈するが、ミケランジェロはイチジクを描いた。これは、p260ユダヤ教の解釈で、タルムードにはラビたちが知識の木をイチジクとしていることに基づいている。このように、ミケランジェロは天井画のすべてでユダヤ教の教義をもとにし、痛烈な教皇庁批判を展開したそうだ。

 天井画を描き終え、ミケランジェロは地獄のような労苦から解放され、彫刻にいそしんでいたが、メディチ家の暗殺されたジュリアーノの子である教皇クレメンス7世(1478-1534)から祭壇奥の壁画「最後の審判」の注文を受ける。
 「最後の審判」は、クレメンス7世亡き跡を継いだ教皇パウルス3世(1468-1549)の1535年から描かれ、1541年に完成する。もちろんこの絵にも教皇庁批判の暗号がちりばめられている。詳しくは読んでのお楽しみだが、ミケランジェロの反骨の精神は、p315素足は靴より気高く 素肌はそれを飾り立てる衣服より美しいことが理解できぬとは いったいどれほど空虚でめしいた魂か、によく表れている。  (2015.3)

 

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