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2000.8 中国西北シルクロード12 孫悟空が活躍する西遊記の舞台・火焔山

2020年12月25日 | 旅行

世界の旅・中国を行く>  2000.8 中国西北シルクロードを行く 12 孫悟空が活躍した火焔山

 緑州賓館から東に向かって走り出す。町外れの民家はどれも陸屋根の平屋で、屋根に規則的に穴を開けた茶色の四角い箱状の部屋を乗せている(写真)。葡萄を乾燥するための部屋で、・・日本語の小屋とはイメージが異なるが・・葡萄乾燥小屋と呼ばれている。
 トルファンの名産の一つは葡萄であり、葡萄を乾燥させると甘みが増し、保存、運搬も都合がいいので、多く農家が葡萄を栽培し、葡萄乾燥小屋で干し葡萄にしている。風通しがいい屋上に、隙間を空けて煉瓦を積んだ簡易なつくりだが、風景に根付いているように感じる。

 気候風土が生業をはぐくみ、生業が建築の形を方向付ける。葡萄乾燥小屋を見ていて、和辻哲郎の名著「風土 人間学的考察」がフッと思い出された。

 葡萄乾燥小屋を乗せた家並みはすぐ途切れ、風景は茶褐色の地肌を見せたゴビタン戈壁丹gebidanに変わった(写真)。ガイドブックなどでは、ゴビタンよりもゴビ砂漠と説明されることが多いが、日本語の砂漠とはまったくイメージが違う。
 モンゴルのゴビタンでは砂利が混じった荒れ地に背丈の低い何種類もの草が自生していて、馬や羊や牛など放牧されている動物によって草の好みが違い、争うことなく共生していると説明された。
 トルファンのゴビタンはモンゴルのゴビタンとも違い、草はどこにも見えない。もちろん馬も羊も牛も見られない。茶褐色の乾いた地面が凸凹しながらどこまでも広がっている。

 ゴビタンのはるか遠くに山並みがかすんでいる。天山山脈らしい。
 現地ガイドKさんによれば、中国西北には北から順にアルタイ山脈、天山山脈、崑崙山脈が東西に連なっていて、アルタイ山脈と天山山脈tianshan shanmaiのあいだにジュンガル盆地=グルバンテンギュト砂漠、天山山脈と崑崙山脈のあいだにタリム盆地=タクラマカン砂漠が広がっている。
 トルファンは天山山脈の南、タリム盆地に続くトルファン盆地に位置する。
 山脈の雪解け水は、川となり湖をつくり、伏流水となり湧きでてオアシスとなる。雪解けが多ければ川は氾濫し、雪解けが少なければ川は涸れ、湖も消えることがある。
 湧き水の安定したオアシスを拠点に町ができるが、町が発展すると水が不足する。先人は、山脈の麓から町まで人工的に地下水道カレーズkarezを掘って水を確保してきた・・カレーズはウイグル語で、アラビア語ではカナートqanatと呼び、中国語では坎児井kanrjingと呼んでいる。夕方にカレーズを見たので詳しくは後述・・。
 オアシスの周りにできた緑豊かな町並みと、茶褐色の荒涼とした乾いた風景、その対比の落差が大きい。風土と共存する人智の力を感じる。

 緑州賓館から30分ほど走ったころ、Kさんが、巨大な熊手で無理矢理削り出したようなヒダヒダの赤茶けた山肌を指さした。火焔山huoyanshanである(写真)。標高は500m前後、南北10km、東西100mの褶曲作用で形成された山塊だが、どう見ても猛々しく感じる。
 子どものころ、孫悟空が猪八戒、沙悟浄とともに、白馬の玉龍に乗った三蔵法師を助け、天竺から経典を持ち帰る子ども向け西遊記を何度も読んだ・・見ていないが何度も映画化やテレビドラマ化もされた・・。孫悟空の活躍する舞台の一つが火焔山で、炎を上げて燃える山として描かれていた記憶がある。
 火焔山の写真を撮ろうと思い車を止めてもらった。車内では冷房が効いているので長袖を羽織っていたが、Kさんは長袖のまま外に出るよう勧めてくれた。肌が弱いと、日射しで火ぶくれのような炎症を起こす人がいるらしい。
 外に出るとクラッとするほどまぶしい。持参した温度計はたちまち60℃近くになった。まさに火焔に包まれた感じである。

 もともとの「西遊記」は16世紀、明の時代に大成された物語で、唐の時代、玄奘三蔵(602-664)が天竺から経典や仏像を持ち帰り、そのときの見聞を記録した「大唐西域記」をもとに想像をたくましくして書かれたようだ。玄奘三蔵も火焔山も実在したが、孫悟空、猪八戒、沙悟浄たちは創作である。

 ゴビタンを駱駝に揺られながら熱い日射しを受け続け、まぶしさでくらくらしながら火焔山を眺めて、茶褐色の山のひだひだが炎に見えたのかもしれない。そんな伝聞に尾ひれがついて、孫悟空の活躍が生まれたのであろう。

 ともかく暑い。眼まで焼けるようだ。想像はほどほどにして、冷房の効いた車に戻る。

 車に戻ったら、Kさんがこの地域の多くの家は地下室を設けていて、あまりにも暑いときは地下で寝ると教えてくれた。・・1990年、西安に近い古都・洛陽の郊外で地下住居ヤオトンを訪ねた。1998年、チュニジアのマトマタや古代ローマ遺跡のドゥガでも地下住居、地下の部屋を見学した。雨が降らなければ、酷暑を防ぐ簡便な方法は共通して地下住居のようだ・・。 (2020.12) 

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