yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

黄土高原の地下住居ヤオトンは、深さ7m、広さ80㎡の穴を掘って住まいとする=夏涼しく、冬温かい

2016年11月16日 | 旅行

 1990年9月に中国の洛陽に近い塚塔村を訪ね、地下住居ヤオトンを調査した。その概要を1992年、建築とまちづくり誌の連載に投稿した。古い話で、ヤオトンは近代化、現代化されたが、いまも地下住居は住みごこちがいいと存続しているそうだ。
1990 「洛陽市塚頭村のヤオトン」 中国民居を訪ねる /1992.2記

 1990年9月、上海駅12時、定時にウルムチ行き特快がゆっくりと動き出す。コンパートメント形式の寝台車は、喧騒のような乗車口のざわめきや我先にと列車に乗り込もうとしたホームのどよめきが嘘のように静かだ。旅だちの感傷にひたろうと、車窓に目を向けてから何時間になろうか。
 水郷、水田、水牛、コンクリートの船、棟先のはねあげや棟のなかほどの宝瓶、江南地方独特の農村風景をもう見飽きるほど見読けている。

 上海から3時間、ようやく視界が丘で止まり始めた。今度は段々に整理された畑と水田の風景がしばらく繰り返す。
 それから1時間余、長江を過ぎてから一転して、見はるかすまで広がる畑の風景に変わる。

 それからさらに1時間余、突然、土の家が表れる。大地はいつのまにか赤茶色、その大地がそのまま立ち上がったような赤茶色の泥の壁が目に入る。
 ときおり過ぎる川も泥色である。赤茶びた風景が夕日で一層、赤茶びる。もういくら目をこらしても水田は見えない。

 黄土高原に入ったようだ。日没20時、うとうとする。
 
 翌日、朝5時5分、ほぼ定時に洛陽に着く。15時間、570元の旅を終える。うだるような上海に比べ、空気が乾き、涼しく感じる。まずひと休みと洛陽友誼賓館に荷物をおろす。いよいよヤオトン、土に中の住居の調査である。気持ちがはやり、目がさえる。

 
 洛陽の町から車で約30分、市街地を抜けてじきに塚頭村につく。
 大地は黄土だが地上住居や樹木が見られ、一瞬、とまどう。ゆっくり地上を目で追いかけると、地面の上に煉瓦3枚程度の立ち上がりがそこここに見えてくる。これだ!一歩、一歩、足もとを確かめながら近ずく。
 あった! 広さおよそ8×10m、深さ約7mの穴が真下にある。地上からおそるおそるのぞき込み声をかけると、穴の下でRさんがにこにこと手招きをする。

 地面にぽっかり開いた穴の下に人が住む、見えていることに頭の理解が追いつかない。
 ぞくぞくしながら階段を降りる。階段はもちろん土であるが、半分はスロープになっていて小さな荷車も昇り降りができる。
 階段を降りきると豚と鶏が歓迎とばかり声をあげ、飛びはねる。
 穴は約80㎡あるため、地上住居の中庭のように明るく、広々とした感じである。この矩形の中庭から四方に横穴が掘られ、部屋として利用される。
 Rさん宅では中庭の北面と東面に各二つ、西面に一つの居室が掘られており、それぞれおばあさんの部屋、夫婦の部屋、娘の部屋、台所、息子の部屋として使われている。

 一つ一つの横穴はほぼ同じ大きさで、幅約3m、奥行き約6m、天井はかまぼこ状で高さはおよそ3mである。中庭に面した入口だけが開口になるが、床・壁・天井いずれも土の上を石灰で白く仕上げており、入口ドア上部の窓だけでも充分に明るい。
 土の中だがよく乾燥しており、清潔である。外は真夏の太陽が照りつけるが室内はひんやりと涼しい。
 内陸のため冬は相当に冷え込むそうだが、ここにいるとわずかな暖房で充分に暖かいそうで、省エネ住宅の典型といえる。

 いつの間にか中庭の上、つまり地上に大勢の顔が並ぶ。土に生きる人々の健やかな笑顔に、気持ちが一回り大きくなって調査を終える。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2016 ツインベッドルームの... | トップ | 1991年 中国甘粛省、黄河沿... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅行」カテゴリの最新記事