1991 中国民居を訪ねる 「蘭州市雁灘の民家」 /建築とまちづくり誌 1992.5
1991年7月、北京空港を甘粛省蘭州に向けて発つ。約2時間、眼下は山また山が連なる。時折、ゆっくりとくねった川沿いに水田・畑が広がるほかは見渡す限り山である。全体に土色が支配的で、緑があっても深緑に近く、沈んだ色調の風景が展開する。
蘭州に近づくにつれ土色の面積が増え、恐らく日干し煉瓦造であろう、土色の箱を並べたような住居群が見え始める。
蘭州の空港から蘭州市街までは車でとばして2時間弱。その間、飛行機から眺めた風景と変わらず、延々と地肌を見せた山が低く高く続き、住居は地面がそのまま立ち上がったような様相で点在する。
年間降水量わずか300mmの荒涼とした黄土高原に大きな町ができたのは、黄河という自然の利とシルクロードの世界史の故に他ならない。
蘭州はおよそ北緯36度。東京と緯度は変わらないが東経は103度に近く、そのまま地図の上を南に目を移せばラオス、カンボジアである。東京の東経はおよそ140度であるから蘭州より約37度の緯度差が生じる。
当たり前のことだが地球は1日に1回転、単純計算では360/24=15で15度ごとに1時間のずれとなり、東京より2時間強、日の出日没が遅い。
移動の都度、経度に合わせ時計を調整すれば時間感覚はそう狂わないだろうが、日本は東経135度が標準時、中国はその広大さに関わらず日本より1時間遅れが標準時。そのため東京なら7時すぎが日没であるが、ここ蘭州は夕食を終えてもまだ日は高く、一仕事も二仕事もできそうである。
加えて、高度はおよそ1300m、ほぼネパールの首都カトマンズと同じぐらいで、その高度のためか、はたまた乾燥のせいか、それとも時間感覚のズレなのか体がけだるく感じる。
翌日、ガイドの案内で郊外の農村住居を訪ねる。漢民族の四合院形式を基本とした連続住居とのことだった。日本で言えば中庭形式のテラスハウスに相当しようか。
道路側は壁を兼ねた煉瓦塀で、入口である堂門を除いて窓はない。この煉瓦塀はそのまま屋敷の四周に壁を兼ねて巡らされる。
つまり、堂門を閉めると敷地は完全に独立する作りである。敷地はおよそ12×12mの矩形で、建物は煉瓦塀に沿って分かれて建ち、中央は中庭として空けられる。結果として開口部はすべて中庭側にとられる。風通しの悪い作りだが、乾燥地帯のためかそれほど気にならない。
部屋構成は、敷地の北側に南向きとなる部屋が3室、西側に東向きの2室、道路側となる北向きが3室の計8部屋が並ぶ。
うち南向きはやや広く、およそ4×3m=12㎡で世帯主夫婦と子供の部屋・倉庫、東向きの部屋はやや狭く、だいたい2.5×2.5=6㎡ぐらいで台所と老人夫婦室、北向きの部屋も6㎡ぐらいで雇人用の貸室と倉庫に使われ、5人家族、7人居住の住まいになっている。
屋敷の囲み・中庭・北側南向き3室などが四合院形式といわせるのだろうが、実際の住み方は教科書とは随分違う。あるいは多様な住み方を含むことのできる□形を総称して四合院というのかも知れない。
なんと言ってもここは東西文明の通り道、様々な本質が入り交じった土地柄である。
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