9月もお彼岸を過ぎ気候もよくなってきました。
ウオーキングシーズン到来ですね。
そんな中、私の鈍った体を引き締める為北九州無法松2DMに参加しました。
初日は長崎街道(皿倉山山麓コース)40kmコースにエントリーしました。
長崎街道(長崎~小倉間)は昨年から今年の1月まで14日間かけて歩きましたので懐かしいです。
7時半会場の小倉城勝山公園を出発。
参加者の方を見ていると若い方が多く見受けられます。
ゼッケンには「100kmウオークの練習」と書いてあります。
これは、10/6行橋~別府までの100kmを歩き続けるという企画です。
これには、26時間以内にゴールするという過酷な?ルールがあります。
然し速い方は13時間~14時間でゴールされるというから凄いです。
昨年は私のブログ友達も参加され見事制限時間内にゴールされたそうです。
話を本題に戻します。
コースは小倉城から水かけ地蔵、九州鉄道茶屋町橋梁跡、三条の国境石を通り一回目のチェックポイントの
東田高炉までの8,3kmは快調なペースです。
休憩を利用して足の豆防止のため靴下を脱いでスプレーを施します。こうすると豆が出来にくくなります。
(靴下は2枚履いています)
足をリフレッシュして再び出発。
八幡の国境石、黒崎の春日神社を通り黒崎宿へ。
ここから長崎街道「曲里松並木」に入ります。
江戸時代幕府が全国の街道に松や杉を植樹した名残です。
今ではこの松も枯れたりして少なくなっています。
(そういえば、長崎街道日見峠では松の植樹が行われていました。)
然し、中には江戸からの松が残っておりそれがパワースポットになっています。
私もこの松に触ってパワーをもらいます。
コースは、黒崎宿から木屋瀬(こやのせ)宿に向かいます。
江戸時代福岡には「筑前六宿」と言って長崎側から「原田(はるだ)」「山家(やまえ)」、「内野」
「飯塚」「木屋瀬」「黒崎」がありました。
長崎から砂糖が入ってこの街道を通って江戸に送られました。
街道沿いの長崎ではカステラ、佐賀・丸ボーロ、飯塚・千鳥饅頭、ひよこ・・・・・といった
九州を代表するお菓子が作られました。
また、ベトナムから輸入された「象」がこの街道を通って当時の将軍吉宗に献上されたそうです。
中間点が上石坂公園です。
隣には「立場茶屋銀杏屋」があります。昔は大名などが休憩したそうです。
時間も12時ぐらいになりここでパンで簡単な腹ごしらえをします。
※急坂に挟まれた難所に位置しており諸大名をはじめ長崎奉行、などが休憩した所です。
庭先に大きな銀杏の木があるため「銀杏屋」と呼ばれた。
黒崎宿過ぎたあたりから私の右足がどうも調子がよくありません。
靴を脱いでみると片方の靴下がありません。2枚目の靴下は厚めのものを履いていましたが
それがないのです。どこに忘れてきたのかな・・・・・・・
靴は少し大き目を履き靴下2枚で調整していたのですが、靴下一枚では遊びが多すぎて足に負担が
かかります。お店があればそこで買ってくればいいのですがここではそういったお店が見当たりません。
考えた挙句、足にシップ薬とテーピングで応急処置をしました。
帰りのコースは山道を通りますのでアップダウンが激しいです。
やっとの思いで登ると先の方にはまた上り坂が待っています。
私の足も最初の頃はシップ薬が効いてきたかもしれませんが、だんだんシップが外れて土踏まずの所に
当たって痛いです。
それまで快調に歩いていましたがここで大幅にペースダウンしてしまいました。
今年この大会北九州市が市制50周年を迎えることからこの40kmコースは制限時間以内であれば途中で
50kmにも挑戦することが出来ます。
制限時間は午後2時。この調子ではとても2時までにチェックポイントに行くことは無理です。
何とか完歩だけはと思い痛い足を引きづりながら歩いていきます。
こんな時に限ってこのコースアップダウンが多いです。
上りはいいのですが、下りになると足に響いてきます。
最終のチェックポイントが八幡の高見神社。ここが34km地点。あと6km。
時間は3時半。ゴールは5時前ぐらいかな?などと予想を立てますがここからが長い。
板櫃川の側道を歩き、もうゴールの小倉城は見えているのに一向に足が進みません。
先にゴールしたブログ友達が電話で激励してくれます。
大門を通り常磐橋を通り17時半閉門ギリギリにゴール。
かえってGPSを見ますと距離40,8km。平均速度3,8km/hでした。
明日も40kmをエントリーしていますがこの足の状態ではどうでしょう?
とにかく明日になってみなければ・・・・・・
(続く)
ウオーキングシーズン到来ですね。
そんな中、私の鈍った体を引き締める為北九州無法松2DMに参加しました。
初日は長崎街道(皿倉山山麓コース)40kmコースにエントリーしました。
長崎街道(長崎~小倉間)は昨年から今年の1月まで14日間かけて歩きましたので懐かしいです。
7時半会場の小倉城勝山公園を出発。
参加者の方を見ていると若い方が多く見受けられます。
ゼッケンには「100kmウオークの練習」と書いてあります。
これは、10/6行橋~別府までの100kmを歩き続けるという企画です。
これには、26時間以内にゴールするという過酷な?ルールがあります。
然し速い方は13時間~14時間でゴールされるというから凄いです。
昨年は私のブログ友達も参加され見事制限時間内にゴールされたそうです。
話を本題に戻します。
コースは小倉城から水かけ地蔵、九州鉄道茶屋町橋梁跡、三条の国境石を通り一回目のチェックポイントの
東田高炉までの8,3kmは快調なペースです。
休憩を利用して足の豆防止のため靴下を脱いでスプレーを施します。こうすると豆が出来にくくなります。
(靴下は2枚履いています)
足をリフレッシュして再び出発。
八幡の国境石、黒崎の春日神社を通り黒崎宿へ。
ここから長崎街道「曲里松並木」に入ります。
江戸時代幕府が全国の街道に松や杉を植樹した名残です。
今ではこの松も枯れたりして少なくなっています。
(そういえば、長崎街道日見峠では松の植樹が行われていました。)
然し、中には江戸からの松が残っておりそれがパワースポットになっています。
私もこの松に触ってパワーをもらいます。
コースは、黒崎宿から木屋瀬(こやのせ)宿に向かいます。
江戸時代福岡には「筑前六宿」と言って長崎側から「原田(はるだ)」「山家(やまえ)」、「内野」
「飯塚」「木屋瀬」「黒崎」がありました。
長崎から砂糖が入ってこの街道を通って江戸に送られました。
街道沿いの長崎ではカステラ、佐賀・丸ボーロ、飯塚・千鳥饅頭、ひよこ・・・・・といった
九州を代表するお菓子が作られました。
また、ベトナムから輸入された「象」がこの街道を通って当時の将軍吉宗に献上されたそうです。
中間点が上石坂公園です。
隣には「立場茶屋銀杏屋」があります。昔は大名などが休憩したそうです。
時間も12時ぐらいになりここでパンで簡単な腹ごしらえをします。
※急坂に挟まれた難所に位置しており諸大名をはじめ長崎奉行、などが休憩した所です。
庭先に大きな銀杏の木があるため「銀杏屋」と呼ばれた。
黒崎宿過ぎたあたりから私の右足がどうも調子がよくありません。
靴を脱いでみると片方の靴下がありません。2枚目の靴下は厚めのものを履いていましたが
それがないのです。どこに忘れてきたのかな・・・・・・・
靴は少し大き目を履き靴下2枚で調整していたのですが、靴下一枚では遊びが多すぎて足に負担が
かかります。お店があればそこで買ってくればいいのですがここではそういったお店が見当たりません。
考えた挙句、足にシップ薬とテーピングで応急処置をしました。
帰りのコースは山道を通りますのでアップダウンが激しいです。
やっとの思いで登ると先の方にはまた上り坂が待っています。
私の足も最初の頃はシップ薬が効いてきたかもしれませんが、だんだんシップが外れて土踏まずの所に
当たって痛いです。
それまで快調に歩いていましたがここで大幅にペースダウンしてしまいました。
今年この大会北九州市が市制50周年を迎えることからこの40kmコースは制限時間以内であれば途中で
50kmにも挑戦することが出来ます。
制限時間は午後2時。この調子ではとても2時までにチェックポイントに行くことは無理です。
何とか完歩だけはと思い痛い足を引きづりながら歩いていきます。
こんな時に限ってこのコースアップダウンが多いです。
上りはいいのですが、下りになると足に響いてきます。
最終のチェックポイントが八幡の高見神社。ここが34km地点。あと6km。
時間は3時半。ゴールは5時前ぐらいかな?などと予想を立てますがここからが長い。
板櫃川の側道を歩き、もうゴールの小倉城は見えているのに一向に足が進みません。
先にゴールしたブログ友達が電話で激励してくれます。
大門を通り常磐橋を通り17時半閉門ギリギリにゴール。
かえってGPSを見ますと距離40,8km。平均速度3,8km/hでした。
明日も40kmをエントリーしていますがこの足の状態ではどうでしょう?
とにかく明日になってみなければ・・・・・・
(続く)