10/9(日)港よこはまツーデーマーチ2日目。
昨日は、家内の横浜の知人と一緒に夜の横浜を散策しました。
セリーグクライマックスシリーズが行われているヨコハマスタジアム。この日は、阪神が2-0で勝ちました。
本来の目的は海の見える丘公園で横浜の「ガンダム」を見ることでしたが、暗くて写真に納まりませんでした。
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本題に戻ります。昨日と同様8:00にホテルを出発して赤レンガパークに向かいます。途中では、いろんなお花が咲いていました。
今日の10kmのコースマップです。
今日は、帰りの時間も考え、25kmコースと一緒にスタートします。8:45スタート。
ニューグランドホテルの所からコースアウトして海の見える丘公園に向かいます。
ここから「ガンダム像」が見えます。横浜のガンダムは、動くガンダムです。ただ入場料金が1650円、そして開演が10時から(土日祝、平日は11時)・・・
悩みましたが、昼から雨の予報ですので早く帰らねばいけませんのでここは、泣く泣くパスしました。それと、博多のガンダムと姿が少し違うみたいです。
海の見える丘公園からコースに戻ります。
ニューグランドホテルから中華街の方に向かいます。
横浜スタジアム。ここでセリーグクライマックスシリーズ(VS阪神)が行われました。
伊勢佐木町に入る所に「吉田橋」があります。この橋は、「鉄(かね)の橋」と言って、明治2年(1869年)、英国人土木技師R.H.ブラントン(RICHARD HENRY BRUNTON 1841〜1901)
により架け替えられた吉田橋は、橋長24m、幅員6mの日本最初のトラス鉄橋であり、「鉄の橋」として市民に親しまれるとともに、文明開化のシンボルとして錦絵に描かれるなど
大変人気を集めました。現在の高欄は「鉄の橋」をイメージして復元したものです。
明治元年(1868年)政府の招聘により来日したブラントンは、開国に伴い日本沿岸各地に灯台を建設する一方、8年間にわたり活動の拠点としていた横浜では、日本大通りや
横浜公園の設計を行うなど近代的なまちづくりに大きな足跡を残しました。(案内板より)
歌のタイトルしか知らなかった「伊勢佐木町」。町名の由来は、道路改修費用を寄付した、伊勢屋中村次郎衛、佐川儀右衛門、佐々木新五郎の名前から付けられたそうです。(諸説あり)
野毛坂。これから上りになります。
野毛山配水池。イギリス陸軍工兵少将のヘンリー・スペンサー・パーマーは、日本初の近代的水道である「横浜水道」を完成させました。
野毛山が10k、25kの分岐点。10kの方に行きます。真下には、野毛山動物園です。
野毛のつり橋は、1970年6月28日に開催された「一万人市民集会」において、ある老人が「動物園と児童遊園が道路で二分されており、子どもたちの往来に危険なので橋か地下道を
設置してほしい」と発言。飛鳥田市長は実行を確約し、直ちに着手。インダストリアルデザイナーの柳宗理にデザインを依頼し、翌年3月に完成した。柳は、公園内の標識類のデザインも
担当している。橋名は地元の小中学生から公募、「野毛のつり橋」と命名された。付近は、春には桜の名所として賑わう。2013年8月から翌年1月にかけて、長寿命化に向けた改修工事が
行われた。(案内文より)
野毛のつり橋の先では、チェックポイントとIVVの配布です。(本来は、掃部山公園でしたが・・・・)
ラジオ塔(当時の呼称はラヂオ塔)の正式名は、「公衆用聴取施設」で、NHK大阪中央放送局が昭和5年6月15日、大阪市の天王寺公園旧音楽堂跡に、最初のラジオ塔を設置したのが始まり。
昭和9年までに、全国の公園に計画的に41基が設置されましたが、そのうちの1基が、野毛山公園です。
以前、山陽道を歩いたときに兵庫県明石市で見たことがあります。
野毛山公園には、中村 汀女(なかむらていじょ)の歌碑があります。明治33年熊本市の江津湖畔に生まれ、高浜虚子に師事。昭和5年に横浜市西戸部に住まわれ、良き時代の横浜を
こよなく愛されました。
掃部山(かもんやま)公園にやってきました。
掃部山は、昔、明治初期の鉄道敷設に携わった鉄道技師の官舎が建てられていた他、地下から湧く水を蒸気機関車の給水に利用していたことから鉄道山と呼ばれていました。
その後、横浜開港に貢献した井伊直弼の記念碑を建てる際に、井伊家の所有になりましたが、大正3年に市に寄付され掃部山公園となりました。桜に囲まれた広場の奥では、
現在も井伊直弼の銅像が横浜の港の方を向いて立っています。井伊直弼の役職名「掃部頭」から名付けられました。
掃部山を下りていくと、掃部山公園の石積みの説明版が設置されています。
掃部山公園の敷地は、かつて鉄道用地でした。明治5年(1872年)の鉄道創業時には、この地に「お雇い外国人」鉄道技師用官舎が建設されており、この石積擁壁も官舎と同時期に
築造されたものと考えられます。この石積みは、洋風石積みの系譜に属し、30cm角、長さ80cmの凝灰砂岩(房州石)を長手一本毎に控えを取って積み上げていくもので、
レンガ積みでいえばフランス積みに似ており、山手地区に多く見られることから、「ブラフ積み」と呼ばれています。また、石積みの角部にはより堅石の安山岩(真鶴石)を積んで
強固なものとし、関東大震災にも耐え抜きました。平成八年度に災害予防目的でこの石積みの改修工事を実施しましたが、この工事では、いったん石積みを解体撤去し、
コンクリートブロック擁壁により安定した構造を確保した上で、元の「ブラフ積み」石積みを復元しました。
JR線に合流しました。コースは、ここから左折して高島町駅方面に行きますが、右に行けば桜木町駅です。
荷物を桜木町駅のホテルに預けていますので、ここでコースアウトし、桜木町駅に向かいます。
桜木町駅に11:10到着。
ホテルから荷物を取り出し、12:49 「のぞみ」に乗り込みました。