10/15(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは「ロマンを求めて吉野ヶ里遺跡を周回」でした。
集合場所は、JR吉野ヶ里公園駅。参加者30名。
コースは、吉野ヶ里公園駅北口スタート~吉野ヶ里歴史公園(西口)~王仁(わに)博士博士顕彰公園~公園北口~籾神社~吉野ヶ里公園駅ゴールの約10km。
9:30 ウォーキング開始。
吉野ヶ里歴史公園は、「弥生人の声が聞こえる」を基本テーマに、日本の優れた文化的資産である吉野ヶ里遺跡の保存と、当時の施設の復元や発掘物の展示などを通じて、弥生時代を体感
できる場を創出し、日本はもとより世界への情報発信の拠点とすることを目的に作られました。
かつてこの地に佐賀県の工業団地を造る計画が持ち上がる中、遺跡の価値が改めて認識され、昭和61年から本格的な文化財の発掘調査が行われました。その結果、
我が国弥生時代最大規模の環壕集落であることが確認され、また魏志倭人伝に記された邪馬台国の様子を彷彿とさせる建物跡などが発見されたことにより、一躍全国の注目を集めました。
日本の古代の歴史を解き明かす上で極めて貴重な資料や情報が集まっています。
平成4年に国営吉野ヶ里歴史公園として整備することが閣議決定され、さらに国営公園区域の周辺に佐賀県の公園区域を設け、国と県が一体となった歴史公園として、平成13年4月から
その一部が開園、令和3年1月現在では面積約105.6ha(国営公園約52.8ha、県立公園約52.8ha)が開園しています。(吉野ケ里歴史公園HPより)
※ 弥生時代前期(紀元前5~前2世紀)、弥生時代中期(紀元前2~紀元1世紀)、弥生時代後期(紀元1世紀~3世紀)
今回は西口から入場します。西口は、今日イベントがあるそうで入場料は、無料です。
園内には、犬を連れた方が目立ちます。
犬が多い訳は、吉野ヶ里公園西口で、ドックフェスタが行われています。
吉野ヶ里公園から王仁(わに)博士顕彰公園に向かいます。
日本に漢字や論語を伝えた王仁(わに)博士の功績をたたえ、後世に伝えていく王仁博士顕彰公園。
古事記や日本書紀によると、405年(応神16年)応神天皇に招かれ、儒教の原点である「論語10巻」と漢字の基本である「千字文1巻」を献上したと記述されています。
古事記では「和邇吉師(わにきし)」、日本書紀では「王仁」と表記。古代、韓国南西端の栄山江上流の霊岩郡上台浦を出発し、五島列島、有明海を経て神埼に至ったとされています。
更に吉野ヶ里遺跡の渡来人の中には、王仁博士の生誕地である霊岩郡栄山江流域の人々がいたことも分かっています。このことから王仁博士が吉野ヶ里の渡来人と同じ、
有明海を利用して日本へ来たというルートを改めて認識させれます。
百済(くだら)門・・・・韓国・霊岩(ヨンアム)郡の王仁遺跡にある「百済門」と大きさや形が同じレプリカです。
百済門は、王仁博士を通じて神埼市と交流のある韓国・霊岩郡には、博士を祀る王仁博士遺跡地が整備されており、そこには、「百済門」と命名された門があります。
王仁博士顕彰公園にも霊岩郡の支援により韓国の素材や装飾など伝統的な建設様式を用いて霊岩郡と同規模の百済門を整備しました。
全国の王仁博士の伝承地は、主に近畿地方にあります。伝王仁墓(大阪府枚方市藤阪)、王仁神社(大阪市北区)、王仁神社(大阪市天王寺区)。
素人考えですが、韓国から有明海で上陸し、しばし佐賀県神埼に滞在し、それから近畿地方に移ったのではないでしょうか?
そういえば、吉野ヶ里も弥生時代終焉には、無くなっており、住んでいた人は、どこに行ったのでしょうか?
王仁博士顕彰公園からゴールの吉野ヶ里公園駅に向かいます。
途中の「籾神社」。神社の由緒を見ると、尾張国熱田神宮の分霊を天暦8年(954)に奉斎したと伝えられている。
神殿、拝殿は天保10年(1839)焼失し、弘化3年(1846)再建されている。鳥居の額束は、「熱田宮」で、石華表に貞享2年(1685)建立とされ、地元89名の氏名と、辛上村中、鳥の隈村中、
諫里村中と記してある。
村中に一つの小さな丘があり楓の大樹が覆っていた。紅葉時には燃えるような美しさであったという。村に善太郎という者がいて、この楓が作物の妨げをするというので伐ろうとすると、
斧が飛び、大雨、雷が轟き、大洪水が起こった。村人は大いに恐れ、この丘に祠をたて、紅葉の燃える韻をとり「揉権現」と称えたという。
永禄7年(1564)に害虫が発生し、作物を害し、さらに疫病が大流行し人馬が次々に亡くなるなど大凶の兆しを示していた。領主江上氏は、神職に命じ虫除けの祈願を行わせたところ、
災厄は去り豊作を迎えることができた。その後、「揉」を「籾」に改め「籾権現」としたと伝えられている。
神社敷地は、人工的に盛った古墳と思われる。縞模様の地層が見られ、戦時中に防空壕を掘った際に、鏡、須恵器が出土している。大塚ヶ里地区の小路に「籾の塚」の地名があるが、
これは、土を盛った「盛りの塚」、塚を守る「守の塚」からきたと伝えられている。
ゴールは、吉野ヶ里公園駅です。11:30 ゴールしました。