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よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

楽しいウォーク「やよいの風公園コスモス観賞ウォーク」(福岡市西区)

2024-10-21 18:34:58 | ふくおかウォーキング協会

10/16(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「やよいの風公園コスモス観賞ウォーク」でした。

彼岸花の時もそうでしたが、今年はコスモスも開花が遅れているみたいです。

集合場所は、地下鉄次郎丸から200mぐらい入った「埴安(はにやす)神社」 参加者30名。

今日のマップ

 

9:30スタート

 

田村中央公園で休憩

 

休憩後再スタート。貞島川を渡る

 

まだねむの花が咲いていた。ここから緩い坂道になります。

 

道路の横には、コスモスが満開です。やよいの風公園も期待できそうですね。

 

室見が丘中央公園で二回目の休憩。公園の木々も少し紅くなり始めました。

 

高台の公園からは、福岡タワー・みずほペイペイドームが見えます。

 

かなたけの里公園を通過します。先日歩いた飯盛神社の流鏑馬の看板が建っています。今年は元寇750年にあたるためモンゴルとの流鏑馬の競演があるそうです。

 

吉武やよいの風公園に着きました。やよいの風公園は、吉武高木遺跡の跡に2017年4月にオープンしました。

吉武高木(よしたけたかぎ)遺跡は、今から2,200~2,000年前の弥生時代の遺跡です。「三種の神器」をイメージさせる鏡・玉・剣を副葬した「最古の王墓」など数々の重要な発見があり、
弥生時代における国の始まりを知るうえで重要な遺跡として平成5(1993)年には国指定史跡となりました。
史跡地を市民の皆さまが見学できるよう整備し、遺跡に親しんで頂けるよう、この度「やよいの風公園」としてグランドオープンします。
「やよいの風公園」には、「特定集団墓」「甕棺ロード」「大型建物」などの展示・解説コーナーのほか、イベントなどにも活用できる芝生広場・多目的広場があります。

 

ここでみんなで記念写真を撮ります。

 

さて、肝心のコスモスですが、全体の2~3分咲きです。

 

コスモスはまだ蕾が多く見頃はあと10日ぐらいかな・・・・・残念です。今年は彼岸花も遅かったけどコスモスもかな????

11月初旬には、やよいの風公園コスモスまつりが行われるそうです。

 

やよいの風公園からゴールの地下鉄橋本駅へ向かいます。

12:00 橋本駅にゴールしました。

 

今日のGPSです。

 

 

 

 

 


10月例会「秋の室見川河畔を歩く」(福岡市西区)

2024-10-15 17:43:30 | ふくおかウォーキング協会

10/5(土)ふくおかウォーキング協会10月例会は、「秋の室見川河畔を歩く」でした。

集合場所は、地下鉄橋本駅。参加者は33人。9:30スタート。

 

今日のコースは、橋本駅スタートし、飯盛神社~西部運動公園~室見川河川道~地下鉄室見駅ゴールの約10km。

今日のマップ

 

飯盛神社へ向かいます。

 

青柳種信は、福岡藩の国学者。先祖は飯盛神社の神官です。

 

飯盛神社は、遠くから眺めると、きれいなおむすび形をした飯盛山の麓にあります。
創建は貞観元年(859年)とされ、古くから旧早良郡の飯盛(いいもり)、吉武(よしたけ)、金武(かなたけ)、戸切(とぎれ)、田村、四箇、羽根戸(はねど)、野方の総社として郡司らの

厚い崇敬を受け、繁栄していました。
社殿は南北朝の戦乱で焼失し、現在の本殿は江戸時代中後期の天明6年(1786)に大改修されたもので、市指定有形文化財です。この他にも南北朝時代の「石造狛犬」(県指定有形文化財)、

「飯盛神社文書」(市指定有形文化財)があります。
また、農作の豊凶を占う2月14日から3月1日にかけての「かゆ占」(県指定無形民俗文化財)、武家社会の勇壮華麗な行事として継承される10月9日の「流鏑馬行事」(市指定無形民俗文化財)は

広く知られています。御祭神は、東王子、天照皇大神主神、 伊弉册大神(いざなみおおかみ)西王子、月読大神

 

飯盛神社から西部運動公園に向かいます。銀杏も少し黄色くなりつつあります。

 

西部運動公園で休憩し、再スタート

室見川河畔を歩きます。

 

河畔を歩いていると面白い看板がありました。

お年寄りの方が、カンナを植え、それを管理されています。

  

大きな木のもとにカメラマンの方がいます。多分、カワセミを映しているのでしょう。

 

室見川下流を歩きます。河口に近い所には、クロダイが泳いでいます。この辺りは、汽水になっています。河口では、アサリも獲れます。

 

12:10 地下鉄室見駅にゴールしました。

 

 

 

 

 

 


やさしいウォーク「福岡ヤクルト工場でグッジョブ」(福岡県筑紫野市)

2024-10-06 05:54:53 | ふくおかウォーキング協会

10/3 ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは、「福岡ヤクルト工場でグッジョブ」でした。

今日は、曇り空で雨がいつ降り出してもおかしくないような空模様。

集合場所は、JR二日市駅。参加者27名。

 

コースマップ

JR二日市駅から二日市温泉街へ向かいます。

 

二日市温泉には、大宰府の長官であった「大伴旅人」の万葉歌碑があります。

湯の原に 鳴く葦鶴は わがごとく 妹に恋ふれや 時わかず鳴く

大伴旅人は、この地で妻を亡くし、その悲しみを湯の原に鳴く鶴の姿に重ねて詠んだものです。

意味は、湯の原に鳴く葦鶴(あしたづ)は、私のように妻に恋い焦がれているのであろうか、私ほどではなかろうに、時も定めず鳴き立てている。

 

 

二日市温泉「大丸別荘」を通ります。

 

従是右飯盛古城跡という石碑があります。

調べてみると、飯盛城は築城者や築城年代は不明だが天拝山(てんぱいさん)山頂にある天拝山城の支城目的で築城された。
肥前神埼:筑紫広門(つくしひろかど)が勢力を誇っていた天正年間に広門の家臣:帆足弾正(ほあしだんじょう)が天拝山城を居城にしており、筑紫氏の戦略上重要な城だったが天正十四年の

薩摩:島津氏の九州制覇の際に落城してしまった。その後は豊臣秀吉の九州征伐で島津氏は降伏しこの地帯は秀吉の管轄となってしまう。(九州の観光情報サイトより)

 

  

イオンモールでトイレ休憩。

休憩後再スタート

 

今日のメインテーマ「福岡ヤクルト工場見学」です。

 

入口には、ヤクルト創業者「代田 稔先生」の銅像があります。ヤクルトで「シロタカブ」というのは、この先生の名前からネーミングされたのですね。

ヤクルトは、1935年(昭和10年)福岡市唐人町で「代田保護菌普及会」という名称で創業されました。福岡ソフトバンクホークスの本拠地「みずほペイペイドーム」に向かう

お寺の横に「ヤクルト発祥地」の記念碑が建っています。

「ヤクルト」という社名及び商品名は、エスペラントでヨーグルトを意味する「ヤフルト」からネーミングされました。

  

説明会の前に「ヤクルト1000」が試飲として配られました。ヤクルト1000は、ストレス緩和・睡眠の質の向上などでつくられています。

一時は、ブームになりスーパーの店先には商品がなくなるといった現象が起こりました。

 

工場見学の前にヤクルトについての説明会です。

説明会の最中、このヤクルト1000が効いたのか、何人かの方がコックリコックリとされていました。

ヤクルト1000は、効果抜群ですね。(笑)

 

福岡工場でつくられているのは、このヤクルト1000,ヤクルト400などです。

帰りには、ヤクルトでつくっている「ラーメン」が配られました。ヤクルトってラーメンも作っているんだ!調べてみると、ネット販売だそうです。

明日の昼ご飯は、これだな~

  

工場見学(工場内は撮影禁止)のあと、皆で記念写真です。ここでの掛け声は「ヤクルト美味しい」です。

工場見学の後、ゴールのJR天拝山駅に向かいます。

 

12:30 天拝山駅にゴールしました。

 

 

 

 


楽しいウォーク「筑後川河川敷を散策(篠山城址)」(福岡県久留米市)

2024-09-28 19:41:01 | ふくおかウォーキング協会

9/25(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「筑後川河川敷を散策(篠山城址)」でした。

集合場所は、JR久留米駅。参加者は、26名。

 

コースマップ

9:30 JR久留米駅をスタート

 

先ずは水天宮へ。真下には、筑後川

 

 

久留米城址(篠山神社)

江戸時代の久留米藩、約250年間を治めた有馬氏の居城跡で、その昔は笹原城の名で呼ばれていました。
今は平山城づくりの本丸跡が残され、見事な石垣や正面側の内濠に往時の雄姿をしのぶことができます。
また城内には藩祖豊氏を祀る篠山神社や歴代藩主の武具、工芸品などの有馬家資料を中心とした久留米藩政資料を主に展示する有馬記念館があります。
久留米城は、筑後川沿いの小高い山に築かれた平山城で、天正15年、豊臣秀吉の「九州国割」により、毛利秀包が入城しました。
これが近世大名の居城としての始まりです。 慶長6(1601)年、田中吉政が関ヶ原の戦いの功績で毛利家の後をうけ、筑後一国の大名となり、久留米城には二男則政が藩主となりました。
元和7(1621)年、有馬豊氏が田中家の断絶をうけて筑後五郡の大名となり、久留米城は幕末まで治世の中心となりました。
豊氏は入国間もなく久留米城の大改修を行いました。
毛利・田中代には東面していた大手を南面に作り替え、その前面に二ノ丸・三ノ丸・外郭を南北に配置した連輪式の構造をもつ城を建設しています。 大まかな範囲を示すと東限は久留米市役所北側付近、この地区に城郭と城下町を区切る外濠が走り、南限は裁判所裏手の森と溝です。 昭和58年3月19日県指定文化財となっています。 春には、見事な石垣とお濠の落ち着いたたたずまいに約49本の桜が彩りを添え、小高い城跡一帯が淡い桃色に染まります。(久留米の観光スポットより)

 

その久留米城跡に建てられたのが「篠山神社」です。

1877年(明治10年)に本丸御殿跡地に旧藩士・領民によって有馬家への追慕・感謝のために篠山神社が建立され、現在も篠山神社の神殿・拝殿が置かれています。

 

 

篠山神社で休憩し再スタート

久留米大学医学部です。病院の屋上には、ドクターヘリが待機しています。

 

 

くるめウスでトイレ休憩。休憩後百年公園に向かいます。

 

 

中央公園は、4月に行われる「くるめツツジマーチ」の会場です。

 

12:00 西鉄久留米にゴールしました。

今日のGPSです。

 

 

 

 

 


サタデーウォーク「宝満川上流を散策(彼岸花)」(福岡県筑紫野市)

2024-09-24 17:37:37 | ふくおかウォーキング協会

9/21(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「宝満川上流を散策(彼岸花)」でした。

集合場所は、西鉄太宰府駅。大宰府は、この夏、62日間猛暑日の日本記録を記録しており、一躍「暑い街」に名乗りをあげました。

「暑さ寒さも彼岸まで」ということわざがありますが、この記録いつまで続くやら・・・

ただ、今日は朝から曇っており、昼から雨の予想。今日は猛暑日はなさそうです。

参加者は、26人。

 

今日のコース

九州国立博物館

 

筑紫女学園大学

 

西吉木公民館でトイレ休憩

休憩後再スタート。宝満川に向かいます。

 

吉木橋を渡ると、平年は、一面に彼岸花が広がっているのですが・・・・・

 

今年は、暑かったせいか、どうも彼岸花の咲き方が遅い気がします。まだ蕾が多い。

 

 

 

御笠運動場でトイレ休憩

御笠運動場には、万葉歌碑があります。

「月夜よし 河音さやけしい いざここに 行くも去かぬも 遊びてゆがむ」

大宰府の防備にあたっていた大伴四綱の作。

太宰府の長官だった大伴旅人が大納言に昇進して奈良の都へ帰る際に別々の宴で詠まれた歌の一つです。

宴の舞台となった蘆城駅家と推定される遺跡は、今も田の下に残されています。(説明文より)

 

コースは県道53号線に合流します。

 

宝満山

 

 

筑紫野市カミーリヤで休憩

 

休憩後再スタート。

12:10 西鉄筑紫駅へゴールしました。ゴールした後すぐ雨が降ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


楽しいウォーク「秋の西陵地区と十郎川沿い(野方遺跡)を歩く(福岡市西区)

2024-09-23 05:35:37 | ふくおかウォーキング協会

9/18(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「秋の西陵地区と十郎川沿いを歩く」でした。

「暑さ寒さも彼岸まで」という諺がありますが、福岡地方ここのところ連日気温が36度超えで秋どころかまだまだ残暑です。

集合場所は、下山門駅から100mぐらいの壱岐神社。参加者は、37名でした。

9:30 スタート

生の松原の中を歩きます。この時期のウォーキングには、日陰がありがたいです。

 

斜ヶ浦池公園で休憩

斜ヶ浦池公園は、昔の農業用ため池を整備して公園として利用されています。また、平安時代の瓦窯跡があり、鴻臚館の瓦を焼いたといわれています。

 

 

この一帯、1960年代に生の松原ゴルフ場が建設されましたが、平成4年(1992)閉鎖になり、跡地には、住宅地が開発されました。

ビックモーターでは、社名の書き換えが行われています。新しい社名は「WECARS」。

3Rステーションで休憩。

 

休憩後再スタート

 

 

野方遺跡公園で休憩。この暑さだと、休憩回数が増えてきます。

野方遺跡は、 弥生時代後期から古墳時代前期にかけての集落跡です。
住居、倉庫、墳墓、環濠などの遺構が確認され、大小二つの環濠からは、土器、石器、鉄器に交じって、サメ、タイなどの魚や鳥、動物の骨や貝類などが出土しています。大きい環濠は

直径約100mの楕円形で住居跡があり、小さい環濠は一辺約30mの四角形で高床式建物跡が2棟で、倉庫として食料を保存していたと思われます。墳墓には、銅鏡、勾玉、管玉、刀子などを副葬した墓があり、この辺り一帯に王国があったと考えられています。
現在は史跡公園として整備され、園内の住居跡展示館では発掘された状態で保存された竪穴式住居や土器、生活用品などを見ることができます。

休憩後再々スタート。十郎川沿いを歩きます。

 

 

ゴールの姪浜駅が見えてきました。12:00 姪浜駅にゴールしました。

今日も暑いウォークでした。今日のGPSです。

 

 

 

 

 


楽しいウォーク「博多三大祭り 放生会(ほうじょうや)ウォーク(福岡市博多区)

2024-09-17 11:58:27 | ふくおかウォーキング協会

9/11(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「博多三大祭り 放生会(ほうじょうや)ウォーク」でした。

残念ながら、筥崎宮放生会は、9/12~9/18までで9/11はまだ始まっていません。

筥崎宮の放生会とは、

年9月12日から18日までの7日間、本殿から海に向かって真っ直ぐのびる約1kmの参道の両脇には500軒を超える露店が立ち並び、圧巻の光景を築く九州随一の秋祭り、放生会(ほうじょうや)。

あらゆる生き物の霊を慰め、感謝の気持ちを捧げるとともに、さらなる商売繁盛、家内安全を祈る筥崎宮の1100年以上続く神事を起源にもち、春の博多どんたく、夏の博多祇園山笠と並ぶ福岡の

三大祭りに数えられます。祭り屋台の定番、りんご飴やイカ焼きなどの食べ物に加え、金魚すくいや射的など娯楽屋台も充実しているのが、放生会の露天の特徴。お化け屋敷や見世物小屋など、

他ではほとんど見られなくなったレトロな雰囲気漂う、もはや名物的存在の露店も出店します。また、昔は近隣に生姜畑が広がっていたことから、筥崎宮を参拝した際には「新生姜」を土産に

持ち帰った名残で、放生会では緑の葉がついたままの新生姜も販売されています。(FUKUOKA NOWより)

他地区では、放生会を「ほうじょうえ」と呼びますが、ここ博多筥崎宮では、「ほうじょうや」と呼んでいます。

集合場所は、千早駅。

 

今日のマップ

 

9:30スタート

 

流通センターへ

 

 

 

宇美川を通り、箱崎へ。箱崎駅で仮ゴール。数名の方がこのあと筥崎宮に向かいましたが、放生会前の為露店も準備中でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

9/16(月)改めて個人で放生会に行きました。

 

参道には、露店が約500店出店しています。先ずは、筥崎宮に参拝。

本殿には、お詣りする人の長い行列です。

 

 

放生会は大分県宇佐市にある、八幡宮総本宮の宇佐神宮で720年に初めて行われました。
起源は、同年に起きた「隼人の反乱(はやとのはんらん)」に由来します。朝廷軍と共に八幡神が反乱を鎮圧して以降、宇佐に疫病や凶作などが続き、隼人の霊の祟りだと信じられていました。

その霊を慰めるために、仏教の殺生戒に基づいて、生き物(蜷貝)を放って供養する放生会(ほうじょうえ)がはじまり、全国各地に広まったと言われています。
福岡では、古くから神聖な場所であるとされていた現在の筥崎宮の場所で、919年から行われるようになったとか。

 

さて、博多の人ならこの放生会の時に「梨も柿も放生会」という言葉が浮かんできます。

文字通り、この放生会の頃から梨や柿が出回り美味しくなる意味ですが、明治の頃、子供たちが言い争いになって「なしや なしや」(どうしてどうして)と問い詰められたときに

「ナーシもカーキも放生会」といってスルリと逃げたそうです。また、博多のごりょんさん(商家の奥様)が朝から掃除やら洗濯やらお客さんが来たりして ようやく一息ついた時、

「あ~あ今日は梨も柿も放生会のごとあった」

このように盆と正月が一緒に来るという言い方もあります。(博多に強くなろうより)

 

放生会が終わると、博多に本格的な「秋」が訪れます。

 

 

 

 


9月例会「赤米田んぼアート」観賞ウォーク(福岡県糸島市二丈町吉井)

2024-09-15 18:18:28 | ふくおかウォーキング協会

9/14(土) ふくおかウォーキング協会9月例会は、福岡県糸島市の「赤米田んぼアート」観賞ウォークでした。

当協会の9月の例会は、3年前からこの赤米田んぼアートを行っております。

昨年と違った点は、JR九州が春のダイヤ改正で福吉駅着の電車が9時台は、9時50分着です。昨年は、9時半までに着く電車があったのですが、今年は減便になっています。

集合場所は、JR九州筑肥線の福吉駅。参加者は32名。

今日のマップ

  

スタート前のミーティング

9:30スタート

 

 

白山宮

 

 

円通寺址と吉井岳城

この辺りは、「福吉」という地名です。昔、福井村と吉井村が合併し、それぞれの「福」と「吉」をとって福吉となりました。

昭和の時代だったか、鉄道の切符がブームになったことがあります。福吉駅の一つ前の駅が「大入(だいにゅう)」です。

ここでも「大入→福吉」(おおいり~ふくよし)が縁起のいい切符として有名になりました。

赤米の高台に登ると、「小呂島(おろのしま)」が見えます。この島は、福岡市の一番北の島です。西区姪浜から定期船が運行しています。

 

今年の赤米田んぼアートは、「おむすび食べて めざせ百しょう」です。

今年の福岡ソフトバンクホークスは、田植え頃快進撃を続けており、この状態だったら百勝も夢ではないから「百しょう」、また、農家の「百しょう」をも掛けています。

何せ広い田んぼですのでデジカメのパノラマで撮っても全部入りません。

 

 

直売所では、搗き立ての赤米の餅が販売されていました。餡餅みたいでしたけど普通の餅でした。

 

まむしの湯で休憩。

ここでは、今日のリーダーさんが、まむしの湯天然アルカリイオン水を用意されました。喉が渇いていたので美味しかったです。

休憩後再スタート

 

所々で彼岸花も咲きだしました。

 

コースは、吉井浜へ。

今日は天気も良く、海は波も穏やかでホント気持ちいいです。

以前のブログでも紹介しましたが、大正12年(1917)旧制佐賀高校(現佐賀大学)の水泳部の合宿が吉井町で行われました。

水泳部員の吉原正俊さんが、吉井浜の美しさと福吉の人々の温かさ・優しさに感動して作詞、同じく水泳部員の山口正之さんが作曲しました。

現在の80代以上のお年寄り達にとっては、若き日にみんなで口ずさんだ「青春の歌」。 しかし近年、徐々に歌う機会が減り、その存在が忘れられていきました。 そんななか、平成10年、

歌の存在を知った当時福吉中学校音楽教諭だった坂本美紀子先生が、「地域の歌を大事に歌い継ごう」と発案。 生徒たちは、地域や旧制佐賀高などのゆかりの人々に接して歌のルーツを

調べるなど精力的に活動するなかで、人々の熱い思いに触れ、「自分たちが、この歌を後世に伝えよう」との強い信念と責任感を抱きました。 この若き純粋な思いと情熱的な志に地域が共鳴。

平成16年、生徒たちの活動を地域が支援する「吉井浜思ひ出の歌」愛する会が発足し、歌碑の建立、福吉駅でのメロディ放送など、地元所縁の歌をとおした文化交流が広がりました。(福吉中HP)

 

パノラマで撮りました。

記念写真です。

ボニージャックスの吉井浜思ひ出の歌 (youtube.com) 

 

このしおさい公園の中にも歌碑があります。

二丈コミュニティセンターには、昭和20~30年ごろの吉井町の地図があります。

見てみると、映画館・劇場・旅館などがあり、多くの人が住んでいたみたいです。また、漁港の関係で人の出入りも多かったのかな?

12時 JR福吉駅にゴールしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


やさしいウォーク「東福間より千鳥ヶ池を経て千鳥駅へ」(福岡県福津市~古賀市)

2024-09-08 13:39:15 | ふくおかウォーキング協会

9/5(木)ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは、「東福間より千鳥ヶ池を経て千鳥駅へ」でした。

集合場所は、JR東福間駅、参加者24名。

今日のコースマップ

 

9:30スタート

 

通堂高架橋を通ります。

3号線高架下で休憩。今日も暑い日になりそうです。日陰はありがたいです。

 

休憩後再スタート

 

水光会ウェルネスセンターでトイレ休憩

 

イオンモール福津を通ります。この辺りは、新しい住宅が建ち並んでいます。

 

このあたりが、福津市と古賀市の市境。コースは古賀市に入ります。

 

千鳥ヶ池公園で休憩

千鳥ヶ池公園は、都市公園として整備されており、池の周囲を遊歩道で散策することができます。公園内には、野球場・テニスコートがあります。

千鳥ヶ池で検索していると、千鳥ヶ池の伝説がありました。(いくつかの伝説がありましたがそのうちの一つ)

昔、この池の畔に一軒のささやかな家を構えて、仲睦まじく暮らす若夫婦が住んでいた。
その妻は、神興村字冠(旧福間町)から嫁いで来た者(今、同所に「千鳥様」という祠がある。)で名前を千鳥という。

弁天様の生まれ替わりかとも思われる程の美人といわれる何に一つ非の打ち処のない千鳥は、夫に対して、外から帰って来る時には、必ず咳払いをして家に入ってくれと熱心に願った。

夫も初めのうちは妻の言うままに「えへん」と咳をして帰宅していたが、月日が経つにつれて、妻が熱心に咳払いを求めることを不審に思うようになった。

ある日、夫は外出先から帰ると、日頃の不審を晴らそうと、足音を偲ばせて家に近づき、戸の隙間から中を覗いてみた。

すると、最愛の妻は蛇身となって、焔のような赤い舌でぺろぺろ髪を舐めながら容姿を整えている最中だった。

この様子を見た夫は、気も動転する程驚いたが、やがて気を取り直し、素知らぬように咳をして家へ入った。

夫の唯ならぬ顔色や素振りに素性を知られた事を悟った妻は、夫の留守中に家を倒し屋根を破って側の池に投身し池の主になった。

それからこの池を「千鳥ケ池」と呼ぶようになり、以来幾百年この池に身投げしても不思議に助かるということである。

また、もしこの池を干すと、池の主は自分の姿を見せまいと、必ず大雨を降らすと言われている。(古賀すたいるより引用)

 

11:35 千鳥駅にゴール。距離は約7kmでした。

 


楽しいウォーク「鞍手路 歴史と特産物を満喫」(福岡県鞍手郡鞍手町)

2024-09-06 19:48:18 | ふくおかウォーキング協会

9/4(水) ふくおかウォーキング協会は、7月中旬から8月末まで長い夏休みが終え、9月4日の楽しいウォークから再開しました。

夏休み期間中の「酷暑」から9月になると幾分朝晩が過ごしやすくなりましたが、日中はまだ33度ぐらいの暑さです。

夏休み明けの楽しいウォークは、「鞍手路 歴史と特産物を満喫」です。

集合場所は、JR鞍手駅。参加者は26名。

 

私、鞍手町は、車で何回か通ったことがありますが、歩くのは初めてです。

くらて」の発祥については諸説がありますが、伊藤常足の太宰管内誌に日本書紀を引用した鞍手の地名考があり、それによりますと欽明天皇の時、百済を救援に行った筑紫国造が強弓の使い手で、敵の騎馬兵の鞍の骨を射抜くほどであった。その働きにより敵の包囲から脱れた百済の威徳王がその功を称えて鞍橋君の尊称をおくった。鞍橋は矩羅膩(くらじ)と読んで鞍骨のことで、この「くらじ」が訛って「くらで」というようになった、と記されています。長谷の飯盛山にその鞍橋君を祀る鞍橋神社があり、土地の人は「くらじさん」と言っています。(鞍手町HPより)

鞍手町には、国指定重要文化財の「木造十一面観音立像」があります。

大和国(奈良県)長谷寺の僧万賀が背負ってこの地へ至り、堂宇を建てたのが始まりと伝承される。像高187cmの樟を材とする一木造の立像。面長な顔は、伏目で切れ上がった彫眼、くの字に

連なる両眉、鼻筋高く小鼻は張って独特の厳しさを感じさせる。肩から流れる条帛は細くしまった腰部をつつみ、天衣はふくらみを持って垂下している。下半身をつつむ裳は、折り返し部に

巻葉渦文・漣波状に流れる衣文等、平安期独特の様式も見られる。樟の一枚板の挙身光背は彩色で八葉花文や雲気文を描く珍しいものである。(福岡県の文化財より)

今日のコース。9時半スタート

 

鞍手駅から遠賀川に向かいます。

 

河川道を通ります。

 

途中が、直方市との市境。

 

新幹線高架沿いに歩きます。野上養鶏場が運営している「縁屋」で休憩。

 

ここには、「味宝卵」(みほうらん)といってブランドの卵があります。ブランド卵だけにお値段も一級品です。

味宝卵|野上養鶏場 (mihouran.jp)

 

高速のガードを通り分岐点に来ました。

左に行くと「中山不動尊」、右に行くとゴールの鞍手駅。

中山不動尊は、正式名称を「木造不動明王及二童子像」といいます。明治36年高村光雲によって認められた本尊の由来は不明ですが、神仏習合の信仰による、八剣神社との関連が考えられます。

平安時代後期の作と思われる本尊は、虫害や損傷などで痛ましく朽ちて歴史の流れを感じさせますが、力強い怒りの形相(ぎょうそう)に堂々とした迫力があります。両脇の二童子は優雅な曲線の

造形で、本尊と三位一体の調和の美しさがあります。(鞍手町HPより)

 

久しぶりのウォークですので私は、鞍手駅の方を選択しました。

 

11:55 鞍手駅にゴール

今日のGPS