ハナトラノオは栽培種ですが、手入れをしなくともしっかり土着し、野草に近い存在です。大型で、時期を揃えて沢山の花が一斉に咲くので、歌壇を豪華にしてくれます。花言葉は「意識しない希望」です。
現在の国民共通の「希望」は、新型コロナウイルス感染の終息ではないでしょうか。しかし政府の無策により終息の兆しは全く見えず、だらだらと感染者が全国的に蔓延っています。安倍晋三は、意見を言う者を遠ざけてしまったため、周りはイエスマンばかりになってしまいました。関係者に相談もせず、自分の思いつきだけで稚拙な施策を連発し、国民は大変な迷惑を蒙っています。低下する支持率を挽回したいと打つ手が悉く裏目に出て、コロナ対策も経済も混迷をますばかりで、国民から「希望」を奪ってしまいました。
人は「希望」を糧に生きる動物です。私も「希望」を叶えながら81歳となりました。さすが余命幾ばくもなくなった今、「希望」といえば孫の成長を夢見るくらいです。しかし孫達の未来のことを考えると、不安ばかりです。地球温暖化が激しくなり、今年日本もついに40℃越えという酷暑レベルに突入しました。各地でこれまで経験したことがないという激甚災害が続出しています。地球人口は増加を続け、やがて飢餓地獄が世界を襲います。経済力を握った中国は世界覇権狙い軍事大国になり、世界平和は風前の灯の状態です。こんな時に南海地震でも重なったらとんでもないことになります。国民は「希望」ではなく、「失望」の方をより強く感じているのではないでしょうか。
幼少時、友達のなかった私は社宅の広い庭で一人遊びしていました。アリの行列を飽きずに眺めていました。雨が降った後、出来た水たまりを細い溝でつなぎ、水が流れ土粒子が堆積してゆく様を観察していました。綺麗な小石をポケット一杯に集めていました。四季折々の花や虫に親しんでいました。母が作っていた家庭菜園で受粉したり、挿し木したり、畑のトマトにかじりついたりしました。学校の先生に野草の名前を教え、感心されたこともありました。そんな日常の遊びが、私を農学部、農林省を躊躇なく選択させる下地になりました。
日常の遊びが「意識しない希望」となって、抵抗なく私を好きな道へ導いてくれました。民間企業に就職した学友達は、経済的に恵まれていたのでしょう、皆ゴルフや旅行に打ち興じていましたが、私は母の言いつけを守り、ひたすら「世のため」に働きました。学友達を羨ましいと思ったことも、自分が惨めだと思ったこともありませんでした。私にはそれが「意識しない希望」だったからです。
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