鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

Happy Birthday 岳

2015年05月28日 | Weblog
午後練習


選手たちは15時から、実戦形式のトレーニングやシュート練習を行いました。また、ドイツから帰国中の大迫選手がクラブハウスを訪れ、練習の様子を見ていました。


シュート練習を行う岳である。
本日、誕生日を迎え、ますます攻撃力に磨きがかかる。
岳のゴールにて勝利を積み重ねようではないか。
また、日本に帰国中の大迫がクラブハウスを訪れた。
クラブから巣立とうともファミリーである。
大迫の子育てはどのような状況なのであろうか。
聞いてみたいことは山ほどある。
大迫には、日本代表に選出されて活躍することが求められておる。
楽しみにしておる。

篤人に祝福の声

2015年05月28日 | Weblog
[鹿島]内田篤人(シャルケ)の結婚に元チームメートから祝福の声
 月曜日(25日)に結婚を発表した内田篤人(シャルケ)に対して元チームメートからは祝福の声が聞かれた。

 学年は1つ違いながら佐々木竜太(引退)、小谷野顕治(水戸)らとともに年齢も近く、特に仲の良かった遠藤康は「ちょっと前に聞いてました。二人の生活を楽しんでほしい」と笑顔を見せていた。

 また、17歳のときから後輩の成長を見守ってきた本山雅志は「『おめでとう』しかないですよ。篤人はドイツにいるし、日本食が大好きだから奥さんがいると助かると思う」と、結婚を喜ぶと同時に、けががちな内田への食事面でのサポートに期待を寄せていた。本山と同じ79年組で、内田が最も敬愛する小笠原満男は「(結婚は)いいもんですよ。あいつに会えるのを楽しみにしてます」と、可愛がってきた後輩が家庭を持つことに表情を崩していた。

 帰国すると必ず鹿島のクラブハウスを訪れてきた内田篤人。このオフもまた姿を見られるかもしれない。
(鹿島担当 田中滋)


篤人の結婚に祝福のコメントを発した鹿島の選手たちである。
素晴らしい伴侶を得た篤人は、幸せを掴んだ。
シーズンオフとなり、鹿島に顔を出す日もあろう。
改めて祝福の声を掛けられるのではなかろうか。
おめでとう。

Happy Birthday 柳沢コーチ

2015年05月27日 | Weblog
午後練習


15時よりミーティングを行った後、グラウンドで攻守のトレーニングを実施しました。


誕生日を迎えた柳沢コーチである。
またこの男を鹿島にて祝えるとは思わなんだ。
とてもうれしい。
柳沢コーチのためにも、この週末には松本山雅を撃破しようではないか。
攻撃陣の発憤を楽しみにしておる。

篤人の結婚願望と家族観

2015年05月27日 | Weblog
入籍発表の内田篤人が過去に語っていた『結婚願望』と『家族観』

結婚を発表した内田篤人 [写真]=Bongarts/Getty Images

 シャルケに所属する日本代表DF内田篤人が、25日に入籍したことを発表した。

 一般女性との入籍を発表した内田は、これまでも再三にわたって結婚願望について語ってきた。2013年7月に行われた鹿島アントラーズのトークショーでは、「結婚はしたいと思いますし、子供も欲しいです。そのうちすると思いますよ」と語っており、約2年後の結婚を“予告”していた。

 一方で、2012年に発売された『サムライサッカーキング』でのインタビューでは「取りあえず、(川島)永嗣さんとか、長谷部(誠)さんとかがさっさと結婚してくれないと、若手の僕らはね。『上がいますし、なかなか』って感じになりますから(笑)」と、日本代表の先輩であるGK川島永嗣やMF長谷部誠に“気をつかっていた?”ことを明かしている。長谷部は現在も未婚であるが、川島は昨年9月に入籍。先輩が“お一人様”を卒業したことが、今回の入籍を後押ししていたのかもしれない。

 また、同インタビューでは10年後の将来についても「結婚していたいですね。できればサッカーを続けていたいし、続けていなかったとしても、幸せでいたいですね、家族と。もしサッカーを続けていなくても、家庭を持って幸せならいいかな」と、自身の“家族計画”について言及。

 子どもについては「一応サッカーボールは渡してみますけど、やりたくないならやらなくていいです」と、必ずしもサッカー選手を目指して欲しいわけではないと語りつつ「でも、何かしらスポーツはやらせたい。特に団体競技がいいかなと思います。部活をやっておけば、まあ大丈夫だろうって思いますね。別に一流を目指せというわけじゃなくて、人としての思いやりとか、集団で行動することの大切さとか、人に迷惑を掛けるなとか、学校行事プラスで部活はやってほしいですね」と、部活出身者ならではの“子育て論”を展開している。

 2014-15シーズンの『ブンデスリーガ公式マガジン第2号』の公式インタビューに応え、シャルケの本拠であるゲルゼンキルヒェンの雰囲気について問われた際には、「いつ子どもができるかは、分からない」と前置きしつつ、「ここの雰囲気はすごく好きですね。いつか僕の子どもがここでプレーしてほしいなって思います」と、子どもがサッカー選手になったあかつきには、シャルケでプレーしてもらいたいという願望を明かした。

 また、前述の『サムライサッカーキング』のインタビューで、「タイムマシンがあったら、行きたいのは過去か未来のどちら?」と問われると、「未来。自分がおじいちゃんになっているくらいの未来に行ってみたいです。もう仕事はやってなくて、孫がいるくらいの年齢の自分に会う。孫の顔も見たいですし、自分がどういうふうになっているのかなと。誰と結婚して、どんな子供ができて、そして孫が……と。結婚相手この人か、マジか、って(笑)」と、数十年後の将来についてもコメントしている。

 果たして内田にどんな子どもが生まれ、どんな家庭を持つことになるのか。将来への期待は高まるばかりだ。


これまでの記事から篤人の結婚観・家族観を伝えるサッカーキングである。
篤人自身がしっかりとした考え持っており、未来の幸せを強く願っておることがよくわかる。
是非とも、新妻と共に良い生活を送り、幸せを現実のものとして行って欲しい。
良い家庭を願っておる。

ジーコ、国立競技場でゲームをするときは特に身が引き締まった

2015年05月27日 | Weblog
【ジーコの想い】完全解体 国立競技場の思い出 南米でも大きな話題
2015.05.27


1981年に国立競技場で行われたトヨタ杯ではジーコが主役だった((C)ZICONAREDE)

 日本サッカーの聖地、国立競技場が完全解体されたニュースは南米でも大きな話題になっている。南米と欧州のクラブ王者が世界一を争ったトヨタカップ(現・クラブW杯)が行われたスタジアムだったからだ。

 ジーコは「日本と私の絆が始まったスタジアムだった。1981年。日付ももちろん覚えている。12月13日だった。トヨタカップでフラメンゴはリバプールを破って世界一になった。(日本)代表監督時代の家は国立の近くにあった。本当に印象深いシンボルだった。もうないんだよな」と寂しがった。

 その2年前の1979年、国立競技場ではワールドユース選手権が開催され、アルゼンチン代表の18歳、マラドーナが優勝に貢献した。「オレの世界進出のきっかけとなった記念すべきスタジアム。大好きだ」とはマラドーナ。ジーコとマラドーナ、南米サッカーの2大スターがニッポンの国立競技場をその頭に強烈にインプットしているのだ。

 当時について、ジーコは「トヨタカップで日本に行ったとき、とにかく街並みがきれいだったことに驚いたね。日本人の親切な気持ちにもとても好感をもった」という。欧州王者リバプールを粉砕した試合では「3ゴールをすべてアシストした」(ジーコ)とあって、さらに国立競技場への思いは深い。

 トヨタ杯からちょうど10年後。ジーコは鹿島アントラーズの前身、住友金属からオファーを受けた。「当時はブラジルでスポーツ大臣をしていた。実はイタリアのクラブ2つと国内のクラブからも、ゼネラルマネジャーになってほしいとオファーがあった。その中の1つがニッポンからオファーだった。サッカーでカシマの町おこしを助けてほしいという内容だった。その時にも(国立)競技場の素晴らしい印象を思い出したよ」とジーコ。来日のきっかけのひとつが、今はなき国立競技場だったのだ。

 2002年10月16日、日本代表監督としての初陣は国立競技場でのジャマイカ戦。「(中田)ヒデ、俊輔、稲本、(小野)伸二の同時デビューだった。(2006年)ドイツW杯に向けて、この4人なら目をつぶっても試合ができると思ったものだよ」とジーコは振り返る。

 「国立競技場でゲームをするときは特に身が引き締まった」というジーコ。新国立競技場が日本サッカーの聖地となるのか。その“演出”に期待を寄せている。 (元日本代表通訳・鈴木國弘)

 ◇ 

「PENSAMENTO POSITIVO」(ペンサメント ポジティーボ)はポルトガル語で「ポジティブシンキング」「頑張れ」の意。ジーコがよく色紙に書く言葉の1つ


国立競技場解体についてコメントしたジーコである。
1981年のトヨタカップではMVPとなった。
このスタジアムには特別な思いがあろう。
この経験が、後の鹿島入団への一つのきっかけであるとも受け取れる。
今は解体されたこの競技場に於いて鹿島が多くのタイトルを獲ったことも頷ける。
国立競技場、良いスタジアムであった。

小笠原満男、海外経験経て精神的支柱に

2015年05月27日 | Weblog
【奥野サッカー道】鹿島・小笠原、海外経験経て精神的支柱に
2015年5月27日6時0分 スポーツ報知

 今週は海外移籍からJリーグに戻ってきた選手の話をしたいと思います。前回は、若年世代でのサッカー選手の海外移籍に必要なことはサッカースタイルの違いはもちろんのこと言語、文化など、さまざまな面で日本とは違うのが当たり前だと認識しておくことが大切だとお話ししました。

 私が一緒にプレーし、指導者として関わった選手の中にも古巣へ戻ってきた選手がいます。その一人が、鹿島アントラーズの小笠原満男選手です。彼は36歳の今もチームの中心選手として活躍していますが、1年間の海外移籍前後で変わったことは、以前より格段にたくましくなって帰ってきたということです。

 海外に移籍する前の小笠原は「勝つために、ここをこうすればいいと思うんだよね」と自らが提案するだけで終わっていました。しかし2006年7月、鹿島から当時イタリア1部のメッシーナに期限付き移籍。翌年7月に復帰した後は「とにかくやろうよ、みんなで」といった内容の発言が多くなりました。自分のことより、チームを優先させるようになった。まさに『1人はみんなのために、みんなは1人のために』。そんな精神から発せられる言葉が増えたことを覚えています。

 移籍先では出場機会に恵まれませんでしたが、海外移籍を通して「違うことが当たり前であること」を受け止め、体感し、その国のサッカー、文化と向き合った結果であると感じます。『やりたいことより、できることに意識を向ける』。そんな彼はピッチ上の中心選手からチームの中心選手、そして精神的支柱へと成長したのです。(前山形監督・奥野 僚右)


海外移籍について語る報知新聞の奥野である。
満男はメッシーナへ移籍し、そして鹿島へ帰ってきた。
移籍前も良い選手であったが、帰国後の変化について記しておる。
大きく成長し、チームになくてはならぬ存在となった。
満男は良い経験をし、大きく成長した。
これからも精神的支柱として永く存在していって欲しい。

小笠原満男、篤人の子供が楽しみ

2015年05月27日 | Weblog
電撃婚ウッチーへサッカー界から祝福と驚きの声
[2015年5月27日7時46分 紙面から]

 日本代表DF内田篤人(27=シャルケ)の結婚発表から一夜明け、祝福の声が届いた。内田が、古巣の鹿島で最も慕うMF小笠原は「結婚して1人じゃなくなれば責任感も出てくる。大変なこともあるけど楽しんでほしいし、サッカーに関してもプラスの変化があると期待しています」と、自分のことのように喜んだ。

 G大阪MF遠藤は「(結婚の)もろもろは知っています。相手も…。ここでは言わないですけどね」とはぐらかしたが、相手は複数の関係者によると同い年で地元・静岡の幼なじみ。内田の「しっかり者の僕より(笑)さらにしっかりしている」というコメントの通り、日本とドイツの遠距離で献身的に支えていたという。

 7月上旬に挙式・披露宴を行う予定で、新生活とともにシャルケでの6シーズン目に備える。短いオフ期間、けがをしている右膝のリハビリを行い新シーズンでの復帰を目指す。同じドイツでプレーし、けがで苦しむ姿を近くで見てきたなでしこジャパンFW安藤は「向こうでいっぱい食事したのに、聞かされても紹介されてもない(笑い)。でも、おめでたいこと。ドイツに1人でいるよりはプラスになる」と思いやった。

 結婚の祝福と同時に、周囲は内田2世への期待をふくらませている。内田の子供好きは広く知られており、小笠原は「子供が楽しみだね。大の子供好き。うちの子をすごくかわいがってる姿を見ると、自分の子供が生まれたらどうなっちゃうんだろ(笑い)。見てみたいね」。川崎FのMF中村も「代表合宿でオフの時に、うちの子を連れて行ったら遊んでくれたりした。代表で会うたびに『子供たち元気?』と声をかけてくれた」と家族持ちの“先輩”たちは口をそろえる。

 発表から一夜明けたこの日、朝からテレビで取り上げられ続けた日本サッカー界屈指の人気選手の結婚。中村は「世の中の女子は悲鳴でしょうけどね」と、世間の女性ファンの声を代弁した。


篤人の結婚へコメントを寄せた小笠原満男である。
篤人二世への気持ちを語る。
篤人がお子さんを抱き、カシマスタジアムに入場する日を夢見たい。
遠い将来が楽しみである。

中田浩二・柳沢敦・新井場徹合同引退試合開催

2015年05月27日 | Weblog
中田浩二 柳沢敦 新井場徹 合同引退試合開催のお知らせ
2015年05月26日(火)

このたび、2014年シーズンをもって現役を引退した中田浩二氏(現鹿島アントラーズC.R.O)、柳沢敦氏(現鹿島アントラーズトップチームコーチ)、新井場徹氏の合同引退試合を7月5日(日)に開催することとなりましたのでお知らせいたします。



■大会名称
ENCORE(アンコール) -中田浩二 柳沢敦 新井場徹 合同引退試合-

■開催日時
2015年7月5日(日) 14:00キックオフ予定

■開催場所
茨城県立カシマサッカースタジアム(茨城県鹿嶋市神向寺後山26-2)

■大会概要
主催: (公財)日本サッカー協会、(公社)日本プロサッカーリーグ
主管: (公財)茨城県サッカー協会、(株)鹿島アントラーズ・エフ・シー

■対戦カード
ANTLERS LEGENDS (鹿島アントラーズOB主体のチーム)
vs
KAY FRIENDS (Koji Araiba Yanagisawa のサッカー界の仲間たち)
※両チームの参加選手については後日発表いたします

■テレビ放送
BSスカパー!(チャンネル:スカパー! BS241/スカパー!プレミアムサービス Ch.585)にて生中継を予定。詳細が決まり次第、スカパー!サッカーサイトにてお知らせいたします

■チケット情報
詳細が決まり次第、お知らせいたします。


中田浩二・柳沢敦・新井場徹の引退試合について公式発表された。
7月5日(日) 14:00
夏場とはいえ鹿島であれば昼下がりも問題なかろう。
是非とも多くの民に楽しんで欲しいところ。
盛り上がっていきたい。

ダヴィ、早く試合に出たい

2015年05月26日 | Weblog
ダビ、左膝回復順調 「早く試合に出たい」 J1鹿島全体練習に合流
左膝の前十字靱帯(じんたい)と外側半月板を損傷する重傷を負い、離脱中のJ1鹿島のFWダビが順調な回復を見せている


全体練習に合流したダヴィである。
これは朗報。
ダヴィの強引とも言える力強い突進はチームに勢いをもたらすであろう。
ジネイとの2TOPも考えられる。
攻撃陣の充実で巻き返しを図ろうではないか。
起用法も含めて楽しみである。

シャルケ・篤人、結婚

2015年05月26日 | Weblog
内田篤人が電撃結婚「しっかりした」一般女性と
[2015年5月26日0時17分]


内田篤人(写真は2014年12月22日)

 日本代表DF内田篤人(27=シャルケ)が電撃結婚した。25日に一般女性と婚姻届を提出したと、マネジメント事務所を通じて発表した。

 相手の名前などは公表しないという。挙式・披露宴はタイミングを見て執り行う意向と明かした。

 日本代表NO・1の女性人気を誇るサイドバックは「私事ではありますが、本日、かねてお付き合いをして参りました女性と入籍いたしましたので、ご報告させていただきます。しっかり者の僕より(笑い)さらにしっかりしていて、これからの内田を支えてくれると信じてます。今後はこれまで以上に責任感を持ち、男として、またサッカー選手として、さらに成長できるよう頑張っていきます」と喜びのコメントを出した。

 右の膝蓋腱を痛めて、4月から離脱しており「1日も早く100%の体に戻して、2015-16シーズンこそは満足できるようなシーズンにしたいと思います!」ともコメントした。

内田篤人が結婚 地元静岡時代から長く交際一般女性
[2015年5月26日8時53分 紙面から]


結婚を発表したサッカー日本代表の内田篤人

 サッカー日本代表DF内田篤人(27=シャルケ)が結婚したことを25日、発表した。相手は一般女性で、所属事務所の公式ホームページで「私事ではありますが、本日、かねてよりお付き合いをしてまいりました女性と入籍致しましたので、ご報告させていただきます」と報告した。23日に所属するシャルケが今季のブンデスリーガ最終節を終えていたが、右膝のけがで欠場していた。

 内田が、25日に結婚していたことを電撃発表した。お相手は一般女性のため明かさなかったが、この日に婚姻届を提出した。所属事務所の公式ホームページで「しっかり者の僕より(笑)さらにしっかりしていて、これからの内田を支えてくれると信じてます。今後はこれまで以上に責任感を持ち、男として、またサッカー選手として、さらに成長出来るよう頑張っていきます。いつも応援してくださるファン、サポーターの皆さまには、これからもご声援いただけたらうれしいです」と、つづった。

 複数のサッカー関係者によると、地元・静岡で知り合って以来、長く交際を続けていたという。ドイツへ渡ってからも、シャルケで欧州の第一線でプレーしながら、遠距離恋愛で愛を育んでいた。

 内田はサッカー界屈指の人気選手で、女性からの支持は代表選手の中でも絶大。ドイツ・ゲルゼンキルヘンにある練習場には、頻繁に日本から駆けつけた女性ファンが数多く訪れ、チームメートからは「ベッカムのようだ」と驚きの声があがるほど。そんなサッカー界のアイドルが、ついに腰を据えた。

 挙式や披露宴については「タイミングをみて行おうと思っています」。今季は右膝のけがでシーズン途中からリハビリが続き、19試合の出場。「現在、膝のけがでもご心配をかけています。1日も早く100%の体に戻して、15/16シーズンこそは満足出来るようなシーズンにしたいと思います !  内田篤人」と、人生の再スタートを誓った。

 ◆内田篤人(うちだ・あつと)1988年(昭63)3月27日、静岡県函南町生まれ。清水東高から06年鹿島入団。右サイドバックとしてクラブ史上初の高卒新人で開幕戦に出場。08年1月のチリ戦で史上4番目の年少記録19歳305日でA代表デビュー。同年北京五輪に出場。10年南アW杯はメンバー入りも出場なし。同年ドイツ1部のシャルケに移籍。14年ブラジルW杯は2大会連続でメンバー入りして1次リーグ3試合にすべて出場。国際Aマッチ74試合2得点。176センチ、62キロ。

内田結婚!お相手は一般女性「これまで以上に責任感を」

かねてより交際していた一般女性との結婚を発表した日本代表DF内田篤人

 日本代表DF内田篤人(27)=シャルケ=が25日、所属事務所を通じて結婚を発表した。お相手は、かねてより交際していた一般女性といい、名前などは非公表。W杯は2010年南アフリカ、14年ブラジルと2大会連続でメンバーに選ばれ、実力と人気を兼ね備えた日本サッカー界きってのイケメンプレーヤーが生涯の伴侶を得て、ロシアW杯へと歩みを進める。

 日本代表で不動の人気ナンバーワンを誇るDF内田が、ついに結婚した。25日夜に所属事務所を通じてコメントを発表。「私事ではありますが、かねてよりお付き合いをしてまいりました女性と入籍致しました」と報告した。

 婚姻届を提出したのは同日で、挙式や披露宴は「タイミングを見て行う」という。相手は一般女性のため氏名や年齢などは非公表だが、関係者によると、右膝などけがが多い内田をこれまで、献身的に支えてきたという。

 内田は女性について、「しっかり者の僕より(笑)さらにしっかりしていて、これからの内田を支えてくれると信じてます」とコメント。「今後はこれまで以上に責任感を持ち、男として、またサッカー選手として、さらに成長できるよう頑張っていきます」との決意を発表した。

 6月にはロシアW杯アジア2次予選が始まる。人生の伴侶を得た内田が、自身3大会目となるW杯の出場権を懸けて戦う。

内田 篤人(うちだ・あつと)

 1988(昭和63)年3月27日生まれ、27歳。静岡・函南町出身。清水東高から2006年に鹿島入団。08、09年Jベストイレブン。10年7月にシャルケ(ドイツ)に移籍した。A代表デビューは08年1月のチリ戦。W杯は10年南アフリカ、14年ブラジル大会でメンバー入り。J1通算124試合3得点。ブンデスリーガ通算104試合1得点。日本代表通算74試合2得点。1メートル76、62キロ。

(紙面から)

内田が電撃発表!一般女性と結婚「これからの僕を支えてくれる」

結婚したことを発表したシャルケDF内田
Photo By スポニチ


 シャルケの日本代表DF内田篤人(27)が25日、結婚したことを発表した。相手は一般女性のため、氏名、年齢などは非公表。内田はマネジメント事務所を通じ「私事ではありますが、本日、かねてお付き合いしてまいりました女性と入籍したのでご報告させて頂きます」とコメントした。挙式、披露宴は今後、タイミングを見て行う予定という。

 甘いマスクで女性からの人気は日本代表でも随一。これまではドイツと日本の遠距離恋愛だったが、来季からはドイツで生活を共にする予定だ。相手女性について「しっかり者の僕より(笑)、さらにしっかりしていて、これからの内田を支えてくれると信じてます」とし、「これまで以上に責任感を持ち、男として、サッカー選手として成長できるよう頑張って行きます」と決意を示した。

 内田はこの日、ドイツから帰国した。今季は右膝など故障に苦しみ、4月以降は試合出場もなし。現状は手術は行わず、保存療法で完全復活を目指す方針という。内田は「膝のケガでも心配をかけています。1日も早く100%の体に戻して、15~16年シーズンこそは満足できるようなシーズンにしたいと思います」と語った。

 6月には18年W杯ロシア大会に向けたアジア2次予選が開幕する。今季はケガで苦しい日々が続いたが、生涯の伴侶を得た内田がさらなる飛躍を目指す。

 ◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年(昭63)3月27日、静岡県生まれの27歳。清水東から06年に鹿島入り。10年7月に3年契約でシャルケに完全移籍。J1通算124試合3得点。ブンデスリーガ通算104試合1得点。08、09年Jリーグベストイレブン。08年北京五輪、10年W杯南アフリカ大会、14年W杯ブラジル大会出場。Aマッチ74試合2得点。1メートル76、65キロ。利き足は右。
[ 2015年5月26日 05:30 ]

内田結婚!帰国即婚姻届提出、挙式は今夏にも
2015年5月26日6時0分 スポーツ報知


結婚を明らかにした内田篤人

 日本代表DF内田篤人(27)=シャルケ04=が25日、一般人女性Aさん=氏名、年齢とも非公表=と結婚したことを所属事務所を通じて発表した。同日夜、ドイツから帰国し、その足で地元・静岡県内の役所に婚姻届を提出した。挙式についてはリハビリ中の右膝の経過次第だが、関係者によると、早ければ今夏の可能性があるという。

 日本代表屈指のイケメンがゴールインした。内田は相手について書面で「一般の方なので差し控えさせてもらいます」としながらも、「しっかり者の僕より(笑い)、さらにしっかりしている人で、これからの内田を支えてくれると信じてます」と説明。「これまで以上に責任感を持ち、男として、またサッカー選手として、さらに成長できるよう頑張っていきます」とコメントした。

 所属事務所によると交際期間は2年半で、日本から遠く離れたドイツとの遠距離恋愛を成就させた。また、Aさんは、かねて内田が結婚相手に求めていた「周囲への気遣い」ができ、裏表のない性格が印象的な女性だという。人目を引くほどの美人でもあるというが、内田は一つ芯の通った、その内面に強く引かれたようだ。

 以前は「30歳くらいまでに結婚できればいいかな」と話していたが、それより早く身を固めることになった。現在、古傷の右膝の痛みで戦列を離れているが、来季開幕(8月)での完全復活を目指してリハビリを続けている。もともと責任感は強かったが、伴侶を得たことで、より一層リハビリに力が入るのは間違いない。「1日も早く100%の体に戻して、2015―16年シーズンこそは満足できるようなシーズンにしたいと思います」と復活を誓った。

 ◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年3月27日、静岡・函南町生まれ。27歳。2006年に鹿島入り。U―20日本代表、08年北京五輪代表を経て岡田ジャパンで主力に定着。10年7月にドイツ1部シャルケ04移籍。ザック・ジャパンでは不動の右サイドバックとして、ブラジルW杯で1次リーグ3試合にフル出場。国際Aマッチ74試合2得点。ドイツ1部104試合1得点。176センチ、62キロ。血液型O。


結婚を発表したシャルケの篤人である。
これは大きなニュース。
誠におめでたい。
ここまで2年半のドイツと日本の遠距離恋愛を続け、篤人を支えてきたとのこと。
素晴らしい伴侶を得た篤人には、更なる活躍が期待される。
心から祝福したい。
おめでとう。

聖真のシュート

2015年05月25日 | Weblog
午後練習


15時よりシュート練習を兼ねたサーキットトレーニングを実施しました。


シュート練習を行う聖真である。
シュート意識を高め、更なる攻撃力アップに努めるのだ。
聖真のゴールにて勝利を掴む。
楽しみである。

頑固に老舗の味を守り続けてきた鹿島

2015年05月25日 | Weblog
熊崎敬【蹴球日本を考える】過渡期か? 頑固に老舗の味を守ってきた鹿島が直面する危機
熊崎敬
2015年05月24日


浦和の良さを抑えることが、それなりにできている。だが一人ひとりになると粗が…。


柴崎もまた「鹿島のメンタリティ」を強く受け継ぐひとり。勝負にもっとこだわれるはずだ。(C)滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

 67分に森脇がオウンゴールを献上した時、鹿島が勝つと予想した。上出来とは言えないが、彼らは浦和の良さを巧みに消しながら試合を進めていたからだ。

 浦和最大の強みは、攻撃時に右から関根、李、興梠、武藤、宇賀神と5人が並ぶ最前線にある。彼らが押し包むように攻め、敵が中央に絞ったところをフリーになったワイド(特に宇賀神)から絶妙なクロスが入る。この形から多くの得点が生まれている。

 個性的かつ明確な戦術を持つ浦和が首位を独走しているのは、ひとつには対戦相手がそれを消すことに無頓着と言えるからだ。

 G大阪もFC東京も「自分たちのサッカー」をしようとして、あっさり押し切られた。FC東京は4人の最終ラインで5人を抑えようとして、宇賀神のクロスから2失点を喫した。

 J1を面白くするためには、浦和を止めなければならない。

 G大阪やFC東京とは違い、試合巧者の鹿島はこの文脈に沿って浦和を抑えるところから試合を始めた。

 李と武藤の2シャドーには小笠原と柴崎がしっかりつき、数的不利を未然に防ぐ。縦パスを受ける敵には後ろから激しく当たり、サイドから仕掛ける敵にも一気に寄せて自由にしない。

 鹿島の狙いは的中し、浦和はいつものリズムを失った。苦し紛れのロングパスが増え、サイドを深くえぐることができない。前半のシュート数は3本、CKはゼロ。0-0で終わった前半は、間違いなく鹿島のペースだった。

 だが、良い形で試合を進めていた鹿島はオウンゴールの幸運を生かせなかった。71分に武藤、83分に関根にゴールを決められ、勝利どころか引き分けすら逃してしまう。かつての鹿島であれば時計の針を進めながら1-0を完遂させたところだが、それができなかった。

 トニーニョ・セレーゾ監督は記者会見で苦渋の表情を浮かべていた。

「前半はあれだけ前を向かせてもらえたのに、後半は守備の姿勢が希薄になった。ボールがゴールから遠いところにあるからと思って歩いていて、一気に速い攻めにさらされて後追いになってしまう」

 ひと言でいえば集中力の欠如だ。

 チームとしては、浦和の良さを抑えることが、それなりにできている。だが、一人ひとりになると粗が目立つ。

 危険な場所での浦和のFKで、気を抜いている間に素早くリスタートされてピンチを迎え、同点ゴールを決められたところでは最終ライン3人の反応が鈍かった。

 要はぼんやりしているのだ。ぼんやりしている間に、財布を二度も盗られてしまったのが埼スタの鹿島だった。かつてはぼんやりした浦和から、鹿島が容赦なく財布を抜き取っていたが、今では逆になってしまっている。

 どうして、こういうことになってしまったのか。

 これはピッチ内で、お手本を示す選手が減ってしまったことが大きいと思う。かつてはビスマルクを筆頭に経験豊かなブラジル人が手本を見せ、それが日本人にも浸透していったが、今では勝負に徹しているのは小笠原くらいしかいない。

 世代交代が進むなかで、伝えるべき大事な文化が断ち切られようとしている。

 頑固に老舗の味を守り続けてきた鹿島だが、彼らもいよいよ普通のチームになってしまうのだろうか。


浦和戦について記すサッカーダイジェストの熊崎氏である。
浦和の良さを消し、ラッキーな先制点まで得た鹿島の勝利を確信したとのこと。
しかしながら、この結果については鹿島の伝統を伝えるべき経験豊かな選手が少ないことを挙げる。
やはり、小笠原満男一人に頼り切った現状は厳しいということであろう。
世代交代を謳い、チームは若返っておる。
それ故の弊害だと述べる部分も理解は出来る。
とはいえ、鹿島の若き選手たちは確実に経験を積んでおる。
この試合の集中力欠如は嘆かわしい。
だが、それを嘆いているだけのクラブではないのだ。
老舗の味は守られる。
ここからの巻き返しを熊崎氏に見届けさせようではないか。
楽しみである。

浦和・興梠、鹿島サポーターへのケジメ

2015年05月25日 | Weblog
【浦和】興梠慎三が示した鹿島サポーターへのケジメと「エース宣言」
塚越 始(サッカーダイジェスト)
2015年05月24日

プライドが激突し合った伝統の一戦、古巣相手の3年連続弾はならず。それでも勝利と久々のフル出場に確かな手応え。


埼スタでの鹿島戦3年連続ゴールはならなかった興梠だが、負傷からの復帰後初のフル出場。確かな手応えを掴んだ。(C)滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)

 古巣との激闘のあと、興梠慎三は満面の笑顔とまではいかないまでも、安堵と充実感の混じり合った表情を浮かべていた。

「点を取れなかったことは悔しいし、個人的にはなにもできずスッキリしないところもある。でも、90分フル出場できたことは、前進だと捉えている」

 興梠のフル出場は3月22日の3節・広島戦以来だった。その広島戦後に首を傷めるなど再び戦線から離脱。そして5月10日の10節・仙台との復帰戦では、後半開始からピッチに立つと、いきなり2ゴールを決めた。先週のFC東京戦ではスタメンに名を連ね、堅牢なCB陣を翻弄し、大差がついた後にベンチへ退いた。

 この日の古巣・鹿島戦はCFとして2試合連続でスタメンに名を連ねた。しかし前半は、絶対に前を向いたプレーをさせまいとする鹿島CB植田とファン・ソッコの徹底マークに遭い、「上手く守られた。トライできるようなボールが入ってこなかった」。

 ただ「必ずスペースは空いてくるはず」と読んでいたとおり、後半に入り、徐々に興梠がボールに触る回数が増える。そして途中からはズラタンとの3節以来の“競演”が実現。シャドーに入った興梠の「ゴールよりも、ゲームを作ることを考えた」と言うスルーパスがズラタンにわたり、そのズラタンのクロスに武藤が合わせ同点ゴールが生まれた。

 勢いづいた浦和は関根のドリブル突破から逆転ゴールを奪う。興梠も相手の嫌がる位置を巧みに突いてパスを受け、ボールをキープする時間を作りながら、危なげなく2-1のまま試合終了を迎えた。

 興梠にとっては「自分がゴールを決めて勝ちたかった」という理想の展開にはならなかったものの、「勝ち切れたことは良かった。90分できることを見せられて、次につなげられた」と、課題だった体力面で成果を残せたことを収穫に挙げていた。

 プライドが激突し合う伝統の一戦、浦和は13年に興梠が加入して以降、一度も鹿島に負けていない(リーグ戦は10年の開幕戦以降無敗だが、11年ナビスコカップ決勝で敗れている)。2年続けて埼スタの鹿島戦でゴールを決めるなど、「禁断の移籍」をした男は結果を残すことで、浦和に懸ける想いを見せつけてきた。

 しかし、昨季10月のアウェーの鹿島戦で(1-1)、相手選手との接触により右足腓骨を骨折……。チーム最多12得点を決めていたエースの終盤戦での離脱は、結果的に浦和が優勝を逃す重大なターニングポイントになってしまった。

 それだけに今回は一段と因縁めいたものがあったわけだが、興梠は「『鹿島戦だから』という試合数日前からの興奮は抑えられた」と、むしろ比較的冷静に試合に臨めたという。

 なにより、この夜、2013年に浦和へ移籍してきてからずっと気にしていた胸のつかえを、ようやく取り除くこともできたそうだ。

「嫌いになったわけではないし…」。ようやく胸のつかえがとれた、鹿島サポーターへの感謝のあいさつ。

 試合後、興梠は埼玉スタジアムのゴール裏にいた鹿島サポーターのもとへ行き、深々と頭を下げてあいさつをした。浦和の一員になってから、その行為は浦和サポーターへのケジメを示す意味でも自重していた。

「これまでは遠く離れたところからちょっと一礼していただけだった。別に移籍したからと言って鹿島が嫌いになったわけではないし、ずっと応援をしてくれた人たちに、お世話になった感謝を伝えたいとは思っていた」

 おそらく興梠がゴールを奪っていたら、そのあいさつはまた持ち越されていただろう。
 
「何人かの鹿島サポーターが拍手をしてくれた。ブーイングはされなかったので、なにより良かったです」

「自分は周りのたくさんの人によって生かされている」と日頃から語る興梠らしい、自分自身のなかにあったわだかまりに対する、ケジメのあいさつとなった。

 もちろん、そこには俺は浦和のために全身全霊を込めて闘うという意思表示も込められていた。ふと漏らした次の言葉が印象的だった。

「でも、やっぱり鹿島戦の時には頑張りたいかな(笑)」

 過去ほど昂ぶりはしなかったとはいえ、やはり興梠にとって鹿島戦は、これからも特別な位置付けとなる。彼は浦和のユニホームを着続ける間、一度も鹿島に負けないつもりでピッチに立つはずだ。

「どこからでも点を取れるのがウチの強み。でもエースストライカーと言える選手がいないのはちょっと寂しい状況でもある。自分は一番前でプレーしているわけだから、サイドの選手のほうが得点を取っているというのは問題。でも……まあ、すぐに抜けると思う」

 エースになる、という宣言にも受け止められる。そのさり気ない言葉に込められた人一倍強烈な負けん気が、開幕から12試合負けなしでも誰も満足せずに高みを目指す浦和の現在のチーム状況を象徴している。


浦和の興梠について記すサッカーダイジェストの塚越氏である。
試合後の挨拶について美談のように綴る。
浦和に移籍し3年が経った。
1年目はJリーグ史上最悪の誤審でのゴールに喜び、昨季はゴール後に鹿島ゴール裏にて浦和のエンブレムを叩いた。
そこまでした彼が、それらの試合では鹿島サポーターへの挨拶は出来なかったであろう。
それ以上に、浦和の一員として浦和サポーターが許さなかったとのこと。
何とも小さき人々なのであろうか。
今年に関しては、シュート1本に抑え込まれたことで、鹿島のゴール裏に来る勇気が出たということであろうか。
いずれにせよ、彼としては決別というケジメと塚越氏は記す。
それも良かろう。
次なる対戦では、また強い気持ちにて当たる。
興梠擁する浦和に勝利を目指すのだ。
次回は、鹿島が勝利した記事を載せさせるべく、厳しい練習を積み重ねるのだ。
対戦を心待ちにしたい。

サッカーダイジェスト 浦和戦寸評

2015年05月24日 | Weblog
【J1採点&寸評】浦和×鹿島|武藤、関根がFC東京戦に続き大一番でゴール! 鹿島はジネイに光明
塚越 始(サッカーダイジェスト)
2015年05月23日


OGを与えたものの逆転勝利。途中出場のズラタンと梅崎が流れを変える。


【警告】浦和=宇賀神、那須、武藤 鹿島=なし
【退場】浦和=なし 鹿島=なし
【MAN OF THE MATCH】関根貴大(浦和)


【試合内容】
 開幕から11試合負けなしの浦和の勢いを絶とうと、鹿島は最終ラインを極端に高く設定し、特に興梠へのマークを徹底。古巣相手に燃えるCFに、前を向いてボールを持たせない。また左SBに入った昌子が絶好調の関根にマンマークでつき、力で封じ込もうとする。

 前半はその鹿島の「浦和対策」がハマった。36分にジネイ、直後にカイオが立て続けに決定機に持ち込むなど、アウェーチームがチャンスを作った。
 
 ほとんどチャンスを作れずにいた浦和だが、後半途中からズラタン、梅崎を投入。すると「浦和のギアが上がり、鹿島の運動量が落ちた」(槙野)と、ホームチームが主導権を掌握し、OGで1失点を喫したものの、71分に武藤、83分に関根のゴールで逆転勝利を収めた。

 浦和はこれでクラブ記録となる開幕から12試合負けなし。次節の鳥栖戦で負けなければ、02年の横浜、03年の名古屋が作った13試合負けなしのJ1記録に並ぶ。

【チーム採点・寸評】
浦和 6.5
ズラタン、梅崎の投入が奏功し、終盤に猛ラッシュ。鹿島の徹底した対策に苦しみながらも勝点3を掴んだ。

鹿島 5.5
ジネイが一段とフィットし、浦和の最終ラインにじわじわとプレッシャーを与え続けた。だが後半にリズムを崩すと、そこから立て直せなかった。試合途中から“いかにして盛り返すか”が、今後の課題か。

【浦和|採点・寸評】
GK
1 西川周作 5.5
ジネイの至近距離からのショット、柴崎の強烈なミドルをビッグセーブ。OGは防げただけにいただけない。

DF
4 那須大亮 6.5
ピンチの場面に必ずと言っていいほど顔を出して、ことごとくシュートをブロックした。

5 槙野智章 6
攻撃参加の質が高かった。サイドに張り出したジネイへの対応もしっかりこなした。

46 森脇良太 5.5
ジネイに裏を突かれ、ヘッドに当てたボールがOGに。ただその後、素早いプレスからボールを奪い、関根の逆転ゴールの起点になった。

MF
3 宇賀神友弥 5.5
コンディションが万全でなかったのか、最近のような爆発的なアタックを見せられず途中交代に。

8 柏木陽介 6
ピンチの芽を摘むプレーが光った。前半は後手に回った相手ボランチとの対決も、後半途中からは完全に“逆転”した。

19 武藤雄樹 7
相手が疲れ出した時、一瞬集中を切らせた時、その隙を見逃さずに突いていた。結果、ズラタンが最後まで諦めずに食らいついて放ったクロスを、しっかりゴール前まで詰めて押し込めた。

20 李 忠成 5
ボールを欲して裏のスペースを狙い、前線の他の選手との距離が開いた。悪い時の癖が出た。

22 阿部勇樹 6
後半に入り前線と近い距離でプレーして、主導権を手繰り寄せた。

24 関根貴大 7
左WBにポジションを移した直後に決勝ゴール! 終盤に勢いに乗ると鹿島守備陣を翻弄した。

FW
30 興梠慎三 6
相手の厳しいマークに苦しんだものの、ズラタンへのスルーパスから同点弾に絡む。痛めていた首を気にしていたのが心配。

交代出場
FW
21 ズラタン 6.5
投入後、明らかに流れが一変した。身体を張って相手の嫌がる位置で起点になり、懸命にボールを追って武藤の同点ゴールをアシスト。

MF
7 梅崎 司 6.5
右WBに入ると、アグレッシブなアタックで鹿島守備陣とSHを引き出す。中央のマークを緩め、逆転劇の舞台を整えた。

MF
16 青木拓矢 -
最終ラインの前で守備を固め、大きくボールを蹴り出すなどセーフティなプレーでリードを守った。

監督
ペトロヴィッチ 6.5
ズラタン、梅崎の投入やWBのポジションチェンジなど、采配がズバリ的中した。

鹿島は前半三度の決定機逸が響く。指揮官は土居への厳しい言葉に期待を込める。

【鹿島|採点・寸評】
GK
1 佐藤昭大 5.5
昌子との“連係ミス”から同点ゴールを献上。キックやポジショニングなど、小さなミスが目立った。

DF
3 昌子 源 5
71分の場面、ズラタンが抜け出してきた時にGK佐藤に「出てくるな」と制したにもかかわらず、1対1で振り切られてクロスを打たれ、武藤にゴールを決められた。

14 ファン・ソッコ 5.5
強烈なプレッシングで興梠に前を向かせず。だが横の揺さぶりに一歩遅れることも。

23 植田直通 5.5
切れ込んできた関根を止め切れず決勝ゴールを献上……。もう少し、駆け引きの妙を身に付けたい。

22 西 大伍 5.5
武藤にゴールを決められた直後、GK佐藤に対しミスを指摘していた。できれば西が身体を張ってピンチを防いだうえで、そのようにアドバイスしたかった。

MF
20 柴崎 岳 5.5
惜しいミドルを2本放つも、西川の壁を突破できず。後半途中から運動量が落ちると、そこから挽回できなかった。

40 小笠原満男 5
ボールロストから失点に絡んだ。ポジショニングは絶妙だが、球際で負ける場面がやや目に付いた。

7 カイオ 5.5
36分に放った鋭いショットは、惜しくもゴールを外れた。何度かカウンターから持ち込んだが、ビッグチャンスに結び付けられず途中交代に。

8 土居聖真 5.5
鹿島ペースで進んでいた39分に左足で狙いすましたミドルを放つも、ボールは大きく枠の外へ。試合後の記者会見で、トニーニョ・セレーゾ監督から「天性といえる良さをピッチで出せていない。味方の特長も活かせていない」とバッサリだめ出しされる。

25 遠藤 康 5.5
ドリブルで仕掛ける機会がほとんどなく、ボールロストも目立つ。オフザボールの動きの質を上げたい。

FW
9 ジネイ 6
前半は確実に起点となり、プレッシングでも貢献したが、決定的なシュートはGK西川に止められた。ただ、ずっと前から鹿島でプレーしていたように感じるぐらい、馴染んでいた。

交代出場
MF
33 金崎夢生 5.5
ボールを持つと威圧感を放ち“なにか”を期待させた。それでも次第に1対1の場面で、浦和DF陣に主導権を握られた。

MF
13 中村充孝 -
流れを変える役割が期待されたが、浦和の勢いが増すばかりだった。

FW
15 高崎寛之 -
切り札的に投入されたものの、ゴール前での仕事はできなかった。

監督
トニーニョ・セレーゾ 5.5
昌子のSB起用は途中までハマっていたが、終盤に落とし穴が……。一方、ジネイの計算が早くも立ったのは収穫だろう。


サッカーダイジェストの塚越氏による浦和戦の寸評である。
逆転負けに厳しい評価が与えられておる。
その中でジネイには良い評点をつけられた。
「ずっと前から鹿島でプレーしていたように感じるぐらい、馴染んでいた」とのコメントには光明を感じさせられる。
鹿島が求めるべきセンターFW像と言って良かろう。
また、途中出場の金崎夢生に対して「ボールを持つと威圧感を放ち“なにか”を期待させた」述べておる。
負傷で戦列を離れておったが、この試合を観る限りもう問題はなかろう。
次節以降はより活躍してくれるであろう。
威圧感あるプレイを楽しみにしておる。

ケルン・大迫、最終戦にてゴール

2015年05月24日 | Weblog
ケルン大迫、10戦ぶり今季3ゴール目でシーズンを締めくくる
15/5/24 02:02



[5.23 ブンデスリーガ第34節 ケルン2-2ボルフスブルク]

 ブンデスリーガは23日、第34節を行い、FW大迫勇也とMF長澤和輝の所属するケルンはホームでボルフスブルクと対戦し、2-2で引き分けた。大迫はフル出場し、1ゴール。3試合連続で先発した長澤は後半25分までプレーし、ともに1部初挑戦のシーズンを締めくくった。

 ケルンは前半3分、MFマルセル・リッセのスルーパスを受けた大迫が左足でゴール右隅に流し込み、先制点。3月8日のフランクフルト戦(4-2)以来、10試合ぶり今季3ゴール目が試合を動かした。

 しかし、ボルフスブルクも前半8分、MFケビン・デ・ブルイネの右CKから最後はMFルイス・グスタボが押し込み、すぐさま1-1の同点に追いつく。さらに同15分にはケルンDFドミニク・マローのパスミスをMFダニエル・カリジウリがカット。左サイドを縦に突破し、マイナスのクロスをMFイバン・ペリシッチが左足で流し込んだ。

 あっという間に逆転を許したケルンだが、ホーム最終節で意地を見せる。後半16分、リッセのシュート性のクロスが相手のオウンゴールを誘い、2-2。2位ボルフスブルク相手に勝ち点1を奪い、ホームでは10試合負けなし(3勝7分)として1部復帰のシーズンを12位で終えた。


ブンデスリーガ・ホーム最終節にてゴールを決めたケルンの大迫である。
フル出場でシーズンを締めた。
今季、ポジションを失った時期もあったが、出場機会を増やすにつれて信頼を得ていった。
来季は更にやってくれるであろう。
頼れるセンターFWとして更なる活躍を期待しておる。