Jリーガーへの夢つかむ
郷里離れ6年鹿島ユースから昇格
鹿島アントラーズへの入団が決まった土居選手(茨城県鹿嶋市の鹿島アントラーズクラブハウスで)
サッカーJ1・鹿島アントラーズに本県出身の土居聖真選手(18)が、同クラブのユースチームから昇格し、来季からプロとしての道を歩む。小学6年の時に鹿島の強化担当の目に留まり、父親や友人らと離れて練習に励むこと約6年でようやく夢をつかんだ。2009年にJリーグ史上初のリーグ戦3連覇を果たしたビッグクラブへの入団に、「周りの人を魅了するプレーがしたい」と気合が入っている。
土居選手は、攻撃の要となる攻撃的MFで、繊細なボールコントロールと相手の裏をかくプレーが持ち味。目標の選手は、清水エスパルス所属の小野伸二選手だ。「楽しませるプレーをする」のが理由だという。
幼稚園から小学6年まで山形市のサッカー少年団「OSAフォルトナ山形」に在籍。全国大会や東北大会などでのプレーが鹿島スタッフの目に留まり、ジュニアユースに誘われた。小松義典育成部長は「点を取りまくる姿が印象的だった」と振り返る。
しかし、ジュニアユースに入るには転校が必要で、家族や友人と離ればなれになってしまう。新しい環境への不安もあった。それでも、「プロになりたい」という思いが勝り、父を残して母・栄美さん(38)と2人で茨城で暮らすことになった。
緊張と期待で胸をいっぱいにして臨んだ初練習。レベルの高い選手を相手に、得意のドリブルでボールを渡さなかったことで自信を深めたという。山形の友人や家族を思い出すこともあったが、そんな時は、少年団の友人から贈られたメッセージ入りのサッカーボールを手に取った。その度に背中を押されたという。
中学卒業とともにジュニアユースからユースへと昇格し、母と別れて寮生活をスタート。高校時代には16歳以下の日本代表に選出され、“世界”を肌で感じる機会にも恵まれた。順調にステップアップする土居選手に、栄美さんは「日本を代表する選手になって」と期待を寄せる。
10月には山形で、モンテディオのユースチームと対戦。この試合で、少年団時代の同期2人と再会した。「本当にプロになるとは」「まだこれから。頑張れ」――。いまだ夢を果たしていない同期の言葉に、決意を新たにした。
少年団で、土居選手を指導した椎名俊臣監督は「紅白戦でわざと弱いチームに入って勝たせようとするなど、サッカーに一番真摯(しんし)に向きあっていた。けがだけはせず、どんどん伸びていってほしい」とエールを送る。
「自分を育ててくれた地元で成長した姿を見せたい」と山形での試合を楽しみしているという土居選手。「スタートラインに立ったばかりだが、レギュラーの座を脅かす存在になりたい」と夢を膨らませている。
(2010年12月19日 読売新聞)
来季の新人・土居くんを報じる読売新聞である。
山形の小学生であった土居くんが、強化担当に見いだされ、ジュニア・ユース、ユースと進んだ歴史が語られておる。
若くして故郷を離れた土居くんには、苦悩も有ったと思われる。
中学生時代こそ母・栄美さんが傍らにおったが、ユース時代は独り寮生活である。
山形県人の思いやりがあり、情が細やかという気質に加え、耐えるメンタリティも培われたのでは無かろうか。
そして、そこから「周りの人を魅了するプレイ」を信条とするようになったと言えよう。
多くのプレイで人を楽しませ、多くの得点を決めて欲しい。
楽しみな新人である。
郷里離れ6年鹿島ユースから昇格
鹿島アントラーズへの入団が決まった土居選手(茨城県鹿嶋市の鹿島アントラーズクラブハウスで)
サッカーJ1・鹿島アントラーズに本県出身の土居聖真選手(18)が、同クラブのユースチームから昇格し、来季からプロとしての道を歩む。小学6年の時に鹿島の強化担当の目に留まり、父親や友人らと離れて練習に励むこと約6年でようやく夢をつかんだ。2009年にJリーグ史上初のリーグ戦3連覇を果たしたビッグクラブへの入団に、「周りの人を魅了するプレーがしたい」と気合が入っている。
土居選手は、攻撃の要となる攻撃的MFで、繊細なボールコントロールと相手の裏をかくプレーが持ち味。目標の選手は、清水エスパルス所属の小野伸二選手だ。「楽しませるプレーをする」のが理由だという。
幼稚園から小学6年まで山形市のサッカー少年団「OSAフォルトナ山形」に在籍。全国大会や東北大会などでのプレーが鹿島スタッフの目に留まり、ジュニアユースに誘われた。小松義典育成部長は「点を取りまくる姿が印象的だった」と振り返る。
しかし、ジュニアユースに入るには転校が必要で、家族や友人と離ればなれになってしまう。新しい環境への不安もあった。それでも、「プロになりたい」という思いが勝り、父を残して母・栄美さん(38)と2人で茨城で暮らすことになった。
緊張と期待で胸をいっぱいにして臨んだ初練習。レベルの高い選手を相手に、得意のドリブルでボールを渡さなかったことで自信を深めたという。山形の友人や家族を思い出すこともあったが、そんな時は、少年団の友人から贈られたメッセージ入りのサッカーボールを手に取った。その度に背中を押されたという。
中学卒業とともにジュニアユースからユースへと昇格し、母と別れて寮生活をスタート。高校時代には16歳以下の日本代表に選出され、“世界”を肌で感じる機会にも恵まれた。順調にステップアップする土居選手に、栄美さんは「日本を代表する選手になって」と期待を寄せる。
10月には山形で、モンテディオのユースチームと対戦。この試合で、少年団時代の同期2人と再会した。「本当にプロになるとは」「まだこれから。頑張れ」――。いまだ夢を果たしていない同期の言葉に、決意を新たにした。
少年団で、土居選手を指導した椎名俊臣監督は「紅白戦でわざと弱いチームに入って勝たせようとするなど、サッカーに一番真摯(しんし)に向きあっていた。けがだけはせず、どんどん伸びていってほしい」とエールを送る。
「自分を育ててくれた地元で成長した姿を見せたい」と山形での試合を楽しみしているという土居選手。「スタートラインに立ったばかりだが、レギュラーの座を脅かす存在になりたい」と夢を膨らませている。
(2010年12月19日 読売新聞)
来季の新人・土居くんを報じる読売新聞である。
山形の小学生であった土居くんが、強化担当に見いだされ、ジュニア・ユース、ユースと進んだ歴史が語られておる。
若くして故郷を離れた土居くんには、苦悩も有ったと思われる。
中学生時代こそ母・栄美さんが傍らにおったが、ユース時代は独り寮生活である。
山形県人の思いやりがあり、情が細やかという気質に加え、耐えるメンタリティも培われたのでは無かろうか。
そして、そこから「周りの人を魅了するプレイ」を信条とするようになったと言えよう。
多くのプレイで人を楽しませ、多くの得点を決めて欲しい。
楽しみな新人である。
来シーズンのアウェー山形戦は色々な因縁がつきますね。