名良橋湘南へ!10年ぶり古巣復帰
鹿島の元日本代表DF名良橋晃(35)が、古巣のJ2湘南に移籍することが4日、分かった。
関係者によれば、名良橋は昨季終了後に鹿島から戦力外通告を受けたが、現役続行を強く希望。当初はJ1で移籍先を探していたが、最終的に熱心に誘ってくれた古巣への復帰を決めた。10年ぶりの復帰となる。名良橋は90年に前身のフジタ(93年に平塚、00年に湘南に改称)に入団。94年のJリーグ昇格に貢献し、96年までプレーした。
97年から在籍した鹿島ではリーグ優勝3回、ナビスコ杯3回、天皇杯2回の8冠獲得に貢献。日本代表として98年W杯フランス大会にも出場した名良橋。豊富な経験を生かし、自らを育ててくれた古巣のJ1復帰に向け再スタートを切る。
[ 2007年02月05日付 紙面記事 ]
「古巣」と報道されておるが、”ベルマーレ平塚”は既に無く、J2を定位置とした”湘南”というクラブが細々と存在している。
J1復帰は難しいであろう。
湘南地方という曖昧なホームタウンに変更したため、帰属意識が薄れている事は必至。
外面を変える前にJ2落ちした要因を分析した方がよいと考えなかったのであろうか。
そこは、他人様のところ無駄な詮索は止めておこう。
このベルマーレ平塚と言えば、やはりこの悲しい過去を述べねばならぬであろう。
そう、レオナルドを擁し巻き返しを図った95年のアウェイである。
中田英寿のプロ初ゴール、野口幸司の5得点、7-0での敗戦である。
当然ながら名良橋晃もフル出場している。
この敗戦があったからこそ、Jリーグ初の通年シーズンの王者となり得たと言えよう。
いわゆる噛ませ犬として充分な働きであった。
そして、名良橋が今季再びあの地でプレイするとのこと。
公園のようなスタジアムで右サイドを切り裂いてくれるのだろうか。
他人事とはいえ期待もある。
そもそも、日本サイドバックは層が薄い。
オフトジャパンは左サイドバック都並一人が怪我しただけでガタガタであった。
右は堀池だけである。
加茂になり、名良橋と相馬となるが柳本では物足りなかった。
その後、トルシエはフラット3なるキーワードを謳ったがただのサイド攻撃の放棄である。
その功績か否か、SBの育成は10年遅れたと言えよう。
現在も人材不足に悩まされている状況には嘆くばかりである。
安易にゴール前に3人並べ、その前に2人固めてというJの定番には飽き飽きしている。
それでそこそこ戦えてしまうため、日本人SBは育つ様子が見えない。
寂しい現実である。
名良橋にはJ2と言えど一石を投じて貰わねばならぬ。
無謀に攻め上がる、ベルマーレ平塚の両サイドを復活させる事を。
そして日本人サイドバックのあり方を示すのだ。
そこから生まれるものもあるはずである。
---
追記
名良橋晃選手 湘南ベルマーレへの完全移籍決定について
■名良橋晃選手コメント
10 年間の応援ありがとうございました。アントラーズでの10年間は、ジョルジーニョをはじめとして素晴らしいチームメートとの出会いとサポーターの皆さんの熱い応援によって支えられた言い尽くせぬ10年でした。自分は、鹿島を離れますがJリーガーとしてスタートをきったベルマーレへ復帰することとなりましたので気持ちを新たに全力で頑張りたいと思います。
今まで良い思いをありがとう。
2003年7月5日の敦の移籍セレモニーで13番を着て出てきた姿が今でも甦る。
2001年10月20日2ndステージ第10節アウェイ柏戦、柳沢敦が薩川の挑発に乗り一発退場となって攻め手がなくなったところをミドル弾で勝利した事以上にこの姿が思い出深い。
本当にありがとう。
鹿島の元日本代表DF名良橋晃(35)が、古巣のJ2湘南に移籍することが4日、分かった。
関係者によれば、名良橋は昨季終了後に鹿島から戦力外通告を受けたが、現役続行を強く希望。当初はJ1で移籍先を探していたが、最終的に熱心に誘ってくれた古巣への復帰を決めた。10年ぶりの復帰となる。名良橋は90年に前身のフジタ(93年に平塚、00年に湘南に改称)に入団。94年のJリーグ昇格に貢献し、96年までプレーした。
97年から在籍した鹿島ではリーグ優勝3回、ナビスコ杯3回、天皇杯2回の8冠獲得に貢献。日本代表として98年W杯フランス大会にも出場した名良橋。豊富な経験を生かし、自らを育ててくれた古巣のJ1復帰に向け再スタートを切る。
[ 2007年02月05日付 紙面記事 ]
「古巣」と報道されておるが、”ベルマーレ平塚”は既に無く、J2を定位置とした”湘南”というクラブが細々と存在している。
J1復帰は難しいであろう。
湘南地方という曖昧なホームタウンに変更したため、帰属意識が薄れている事は必至。
外面を変える前にJ2落ちした要因を分析した方がよいと考えなかったのであろうか。
そこは、他人様のところ無駄な詮索は止めておこう。
このベルマーレ平塚と言えば、やはりこの悲しい過去を述べねばならぬであろう。
そう、レオナルドを擁し巻き返しを図った95年のアウェイである。
中田英寿のプロ初ゴール、野口幸司の5得点、7-0での敗戦である。
当然ながら名良橋晃もフル出場している。
この敗戦があったからこそ、Jリーグ初の通年シーズンの王者となり得たと言えよう。
いわゆる噛ませ犬として充分な働きであった。
そして、名良橋が今季再びあの地でプレイするとのこと。
公園のようなスタジアムで右サイドを切り裂いてくれるのだろうか。
他人事とはいえ期待もある。
そもそも、日本サイドバックは層が薄い。
オフトジャパンは左サイドバック都並一人が怪我しただけでガタガタであった。
右は堀池だけである。
加茂になり、名良橋と相馬となるが柳本では物足りなかった。
その後、トルシエはフラット3なるキーワードを謳ったがただのサイド攻撃の放棄である。
その功績か否か、SBの育成は10年遅れたと言えよう。
現在も人材不足に悩まされている状況には嘆くばかりである。
安易にゴール前に3人並べ、その前に2人固めてというJの定番には飽き飽きしている。
それでそこそこ戦えてしまうため、日本人SBは育つ様子が見えない。
寂しい現実である。
名良橋にはJ2と言えど一石を投じて貰わねばならぬ。
無謀に攻め上がる、ベルマーレ平塚の両サイドを復活させる事を。
そして日本人サイドバックのあり方を示すのだ。
そこから生まれるものもあるはずである。
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追記
名良橋晃選手 湘南ベルマーレへの完全移籍決定について
■名良橋晃選手コメント
10 年間の応援ありがとうございました。アントラーズでの10年間は、ジョルジーニョをはじめとして素晴らしいチームメートとの出会いとサポーターの皆さんの熱い応援によって支えられた言い尽くせぬ10年でした。自分は、鹿島を離れますがJリーガーとしてスタートをきったベルマーレへ復帰することとなりましたので気持ちを新たに全力で頑張りたいと思います。
今まで良い思いをありがとう。
2003年7月5日の敦の移籍セレモニーで13番を着て出てきた姿が今でも甦る。
2001年10月20日2ndステージ第10節アウェイ柏戦、柳沢敦が薩川の挑発に乗り一発退場となって攻め手がなくなったところをミドル弾で勝利した事以上にこの姿が思い出深い。
本当にありがとう。
もしヴェルディ戦が国立で暇だったら行ってみよう。