【現地で直撃】岩政大樹はなぜ鹿島からタイへ移籍したのか? 元日本代表選手の“新たな挑戦”を追う
昨年末から日本代表経験者のタイへの移籍が次々と発表された。その中には、鹿島アントラーズで長らく不動のセンターバックを務めた岩政大樹の名前もあった。彼がなぜタイでのプレーを選択したのか。本人にその思いを聞いた。
2014年02月19日
text by 長沢正博 photo Masahiro Nagasawa
日本で味わえない経験を求めて
プレシーズンマッチに出場する岩政【写真:長沢正博】
強い日差しを降り注いでいた太陽も西に傾き、日中の熱気も幾分和らぎ始めたタイ・バンコクの夕刻。タイプレミアリーグの開幕戦を23日に控え、BECテロ・サーサナの練習がバンコク郊外にある本拠地のスタジアムで始まろうとしていた。岩政大樹は一足早くグラウンドに姿を現すと、入念にストレッチで体をほぐしていた。
改めて述べるまでもないかもしれないが、タイには昨年から有名日本人選手の移籍が相次いだ。カレン・ロバート(オランダ・VVVフェンロ→スパンブリーFC)に始まり、茂庭照幸(セレッソ大阪→バンコク・グラス)、西紀寛(東京V→ポリスユナイテッド)、黒部光昭(カターレ富山→TTMカスタムズ=ディビジョン1)といった代表経験者が今季、タイでのプレーを選択した。
中でも私は、鹿島アントラーズからの岩政の移籍には目を見張った。2004年に入団以降、J1通算290試合出場、35得点。2007‐09年のリーグ3連覇に加え、天皇杯(2007、10年)とナビスコカップ(2011、12年)で2度の優勝を経験した彼が、昨季出場機会が減ったとはいえ、なぜ次の舞台としてタイの地を選んだのか。
彼はその目的を、“新たな挑戦”という言葉で表現した。
「まったく違うことがしたかったんです。違うことをしないと幅は広がらない。タイに来れば、クラブの経営者も選手も外国人で、価値観がまったく変わる。
サッカーで僕がもっとこうしてほしいと要求しても、なぜその動きをしなくてはいけないのか、日本なら大体の話で伝わっても、タイの人はそういう指導を受けたことがない。言葉も通じないし、何を言っているの? となる。日本でそういう経験はできないですね」
セカンドキャリアのために何をするのか
今年1月には32歳を迎え、サッカー選手としてはベテランの域に入っている。タイ移籍は次のキャリアも見据えた決断でもあった。
「僕は引退した後、サッカーの世界に残ると思います。監督、強化部、フロントか分からないですけど。その時に外国人選手を呼んでも、日本しか経験していない僕に何が分かるのか、となる。海外で感じられること、行かなきゃ分からないことが絶対にある。それを知っておかないといけない、というのもありました。
海外に出て僕が幸せかどうかは別にして、一度外に出てみようと。僕がどんな反応をして、選手たちとどうチームを築いていけるか。僕の中では、残り少ないサッカー人生はセカンドキャリアのために何をするかということしかあまりない。選手としての価値を高めるとか、そういう観点ではあまり考えてないですね」
そのアイデアは以前から温めていたものだったという。ただ、チームから必要とされる状況で出るつもりはなかった。そんな中、昨季のリーグ戦後半、世代交代を進めていく鹿島で出場機会が減っていく。
「もちろん悔しい。悔しくなくなったら引退するしかない。毎週試合のために準備をして、なのにベンチに座って試合を見る。その繰り返しは正直、苦しかったです。ただ、僕は物事には必ず良い面、悪い面の2つの要素があると思っています。出来事自体に意味はなくて、意味を持たせるのは自分自身。
今回もメンバーから外されて、試合に出られないとか、給料が上がらなくなるとか、色んなマイナス面がある。じゃあ、プラスの面は何かと考えた時に、この2、3年あった外に出たいという思いをやっと叶えるタイミングが来た、というのがあった」
高いハードルとプレッシャーを楽しむ
そうして昨年、鹿島退団を決めると、移籍先は海外、なおかつタイを中心に考えていたという。近年、盛り上がりを見せているとはいえ、いまだ発展途上のリーグを選んだのも考えがあってのことだった。
「その時は、日本におけるブラジル人選手のように、助っ人として呼んでもらいたいと考えていたんです。鹿島という知名度があるチームにいて、日本代表にも入っていた。タイに僕が来たら助っ人扱いですよね。普通のプレー、結果ではいけない。最初から高いハードルが設定されている。それが面白そうだなと思いました」
現にチームのホームページには“Jリーグのレジェンド”なる文字も躍った。アジアチャンピオンズリーグで準優勝の経験がありながら、近年はタイトル争いから遠ざかっているチームにあって、期待の高さがうかがえる。
「もちろんプレッシャーはあるけど、そのプレッシャーを楽しめるというか、全然違うことができるというのが大きなポイントでした。残り少ないサッカー人生ですから、面白そうなことを毎年、選びながらやりたい」
プロキャリア10年を過ぎて、初めての移籍。しかも鹿島という日本のトップチームからタイとあって、ギャップに戸惑うのではと思ったが、本人はいたって冷静に環境の違いを受け止めていた。
「移籍は初めてですけど、この歳(32歳)になっていますので、色んなことを冷静に見られる。例えばクラブハウスがないとか、毎日スパイクを持って行かなくちゃいけないとか、シャワーも水しか出ないとか、そんな状況ですけど、そういう所なんだと捉えられる。移籍の仕方が特殊なので、その点で嫌なことはあまりなかったですね」
岩政から見たタイサッカーの印象
1月からチームに合流して、一ヶ月が過ぎた。練習試合では最終ラインから一際響く声でポジションニングやマークを指示し、身振り手振りも交えて味方に要求を伝えようとする。身を持ってタイのサッカーを体験して、「日本と比べればまだまだな部分が多い」と率直に語る。
「試合において守備ではどこで相手にプレッシャーをかけ、ボールを取りに行くのか、もしくは今待つべきなのか。攻撃においても、今は早くパスを回すべきなのか、ドリブルをするべきなのかという要求、判断のレベルで違う。
練習や試合に対する取り組み方も甘いので、自分は大げさにでも、プロとはこういうものだと知らせなくちゃいけない。それを見てタイの人が何を感じて、どのように変えていこうと思うか。受け入れてもらえなくても、1年間、それを示し続けて、そんな奴がいたな、くらいにでも彼らに指針を示さないと」
困難も承知の上で、まったく異なる環境にあえて身を置き、そこから自分が何を感じるのかを見てみる。彼らしい選択と言えばそれまでだが、アジア各国でも日本人がプレーする時代になって、サッカーキャリアの一つの選択肢ともいえる。日本だけにいたら得られない経験を今後、サッカー界に還元することができる。
これからのタイでのシーズンが彼の中に何を残し、タイのサッカーに何をもたらすのか。
「この1カ月間も、日本ならいつもの1カ月ですけど、なかなか濃い1ヶ月が過ぎている。1年というのが長く感じそうだなと思っています」
その言葉からは、早くも今回の挑戦の成功がうかがえる。
【了】
タイ・プレミアリーグのBECテロ・サーサナに挑戦する岩政である。
昨年末、この移籍は衝撃として受け止められた。
しかしながら、こうして前向きにチャレンジする姿を見ると、お互いに良い結果に向かうのではないかと感じさせられる。
岩政はいずれ指導者としての道を歩むのであろう。
もしくはフロントに入りクラブ強化の仕事をするのやも知れぬ。
その際、この経験は大きく役に立つであろう。
岩政の雄姿が少ない情報ながら伝わってくるのは嬉しい。
助っ人としてタイの民衆に歓喜を与える岩政を誇りに思う。