鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

自分たち次第

2009年09月30日 | Weblog
3年ぶり3連敗も…首位鹿島に“余裕”
 26日の名古屋戦に1―4で敗れた鹿島は30日、10月4日の新潟戦(カシマ)に向けて鹿嶋市内の練習場で約2時間半の練習を行った。3年ぶりの3連敗で、2位・清水とは勝ち点1差に接近。この日は戦術練習は行わずにミニゲームなどの練習のみだったが、MF本山は「楽しさの中にも厳しさがあってよかった」と充実した表情。MF中田も「まだ首位にいるわけだから、あとは自分たち次第」と力強く話した。

6 中田浩二(なかた・こうじ)MF
鹿島 生年月日:1979/7/9 出身:滋賀 身長:182 体重:74


[ 2009年09月30日 14:05 ]

二位に勝ち点差1まで追い上げられ、危機感を感じておるが、よくよく考えれば首位なのである。
ここは下位との関係を考えるよりも、目先の勝負に集中するが良い。
敵は自分たちに中におる。
慢心であったり気の緩みであったりするのだ。
己との戦いに勝利し、勝ち点3を積み上げて行けば優勝の文字も見えてくるであろう。
気を引き締め、勝利に向けて戦って行きたい。

元川女史コラム

2009年09月30日 | Weblog
鹿島の主将・小笠原が抱く危機感
常勝軍団であり続けるために

2009年9月29日(火)
■3年ぶりの3連敗と、不調にあえぐ鹿島


小笠原はイタリアで身に付けた厳しい守備をJリーグで実践している【写真は共同】

 2007、08年とJ1で2連覇を達成した常勝軍団・鹿島アントラーズ。今季はJリーグ3連覇はもちろん、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)、ナビスコカップ、天皇杯の全タイトル獲得を狙った。ところが、本命と見られたACLは決勝トーナメント1回戦でFCソウルに不覚を取り、ナビスコ杯も川崎フロンターレにあと一歩のところでひっくり返されて8強止まり。シーズン半ばにして、彼らの当面のターゲットは「Jリーグ3連覇」へと絞られた。

 当初、そのテーマは容易に達成できると見られた。今季J1前半戦の鹿島は他の追随を許さなかったからだ。3月22日の第3節・サンフレッチェ広島戦からリーグ戦17試合無敗。まさに破竹の勢いを誇った。左ひざ半月板・前十字じん帯損傷で08年終盤戦を棒に振った小笠原満男も完全復活し、「今年はただJリーグで優勝するだけじゃなくて、ダントツで勝ちたいね」と3年連続タイトルへの意欲を前面に押し出していた。

 ところが、川崎に敗れた7月末のナビスコ杯準々決勝以降、鹿島は急激に失速しはじめる。8月1日の第20節・広島戦に敗れてからは2勝5敗(中止になった12日の川崎戦を除く)。アウエー4連敗に加え、9月26日の第27節・名古屋グランパス戦はホームで4失点を喫した。内容もミスを繰り返して自滅するという信じがたいものだった。3連敗というのは実に3年ぶり。J王者に輝いた過去2シーズンには一度もなかったことだ。そして名古屋戦翌日の27日には、2位・清水エスパルスに1差まで詰め寄られた。辛うじて首位は守っているものの、事態はかなり深刻だ。

 目下、最大の懸念材料は守備の乱れだろう。8月29日の第24節・大宮アルディージャ戦、豪雨で中断となった9月12日の第25節・川崎戦では連続3失点。9月19日の第26節・横浜F・マリノス戦でも2点を失い、続く名古屋戦でも4点を奪われるなど、短期間で失点が急増している。第19節までは通算失点13と1試合平均1失点以下の安定感を誇っていた鹿島にとって、極めて重大な問題点といえる。

 キャプテンの小笠原はこう話す。
「オリヴェイラ監督も3年目で、やり方も確立されている。今の鹿島は昨日や今日できたチームじゃない。だからこそ、体を張って戦うだとか、相手よりも一歩先に寄せる、ボールを奪う、そういう部分がすごく大事になってくる。最近は相手の方が球際や動きの量でも上回っているよね。大宮やマリノスも一生懸命さが伝わってきた。今のJリーグは力の差がないんだから、自分たちももっとそういう部分を出さないと、簡単には勝てないよ」

■小笠原がイエローカードをもらう理由

 07年夏のJリーグ復帰以降、ボランチにコンバートされた男は「守備の重要性」を心に強く刻んでいる。06年ワールドカップ(W杯)・ドイツ大会での惨敗直後に挑んだセリエA(当時)のメッシーナでは、異国のサッカーのタフさを痛感する日々だった。リーグ戦出場はわずか6試合、ゴールもエンポリ戦で挙げた1点にとどまったが、そんな厳しい状況下にいたからこそ「ボールを奪うことの大切さ」を思い知ったという。
「守備ひとつ取ってみても、日本では『アプローチして相手のコントロールが良ければ止まりなさい』って教わってたけど、イタリアでは何でも『つぶしにいけ』と言われる。イタリアの選手たちは飛び込んで取るうまさも、スライディングするうまさもある。日本では『ゴール前付近ではPKを与える危険性があるからスライディングはするな』と教わったのに平気で行くしね。世界に出ると、Jとは違うサッカーがあるんだと分かった。自分はそれができなかったから、試合に出られなかったんだと思う。そうやって実際に見て得てきたものは、今も絶対に失いたくないからね」

 イタリアとJリーグでは審判の判定基準が大きく異なる。小笠原は厳しい寄せを意識しすぎて、たびたびイエローカードを受ける。「日本にいるんだから日本の基準に合わせないといけないんだけどね……」と反省しつつも、激しくボールを奪いにいくポリシーは決して曲げない。彼は今もなお「世界基準」を見据えているのである。

 06年W杯ドイツ大会を最後に、日本代表からは遠ざかったままだ。イビチャ・オシム、岡田武史両指揮官には一度もチャンスを与えられていない。この3年間、10代のころから共に日の丸を背負ってきた黄金世代の仲間たちが次々と招集されるのを、彼はじっと黙って見ているしかなかった。この扱いは、国際Aマッチ53試合出場7得点の実績を誇る男にとって、屈辱以外の何物でもなかった。06年後は、悔しさゆえに1年半以上も代表戦を見ることができなかったという。

 そんな状況でも、3度目のW杯出場をあきらめたわけでは決してない。
「僕らは協会が力を入れて強化してくれた世代。ジュニアユースのころから世界中のあちこちへ行ったし、Jリーグでも勝ったり負けたりして、いろんな経験を積み重ねてきた。だから、みんなサッカーをよく知っていると思う。今は世代交代を進めたいのかもしれないけど、歳は関係ないはず。代表は若手を育成する場じゃないからね」と小笠原は代表での不完全燃焼の思いを口にする。

■求めているのは「チーム内の競争激化」


若手が小笠原の思いに応え、成長することが、鹿島が常勝軍団で居続ける上でのかぎとなる【写真は共同】

 高いレベルを求め続ける気持ちは、30歳になった今も変わらない。それだけの飽くなき闘争心を周囲に伝えられる場は、ピッチの上しかない。だからこそ、彼は誰よりも献身的に走る。同じ79年生まれの本山雅志も「満男があれだけ走っているんだから、おれたちも走らないわけにはいかない」と畏敬の念の込めて話す。その存在感の大きさをオリヴェイラ監督もよく分かっているから、決して小笠原を外さない。

 周囲から絶大な信頼を得るリーダーは、現在の苦境を打開しようと必死だ。鹿島が2連覇した過去2年間を振り返ってみると、07年は途中までイタリアにいてシーズン後半戦しか貢献できなかった。08年も9月に負傷したため、終盤戦の大事な時期を逃した。ゆえに、今季こそはキャプテンとしてフル参戦し、常勝軍団に13個目のタイトルをもたらしたいと考えている。

 3連覇を達成するために、小笠原が今、最も強く求めているのが、「チーム内の競争激化」である。
「こういう苦しい時だから、もっとチーム全体でやっていかなきゃいけない。最近は11人が固定されているけど、それを打ち破る選手が出てきてほしい。途中から出てきたやつが活躍してスタメンを奪うとか、そういう流れも必要じゃないかな。今まではそういうのが毎年あった。自分が去年けがをした時には中後(雅喜=現千葉)が頑張ったし、ヤナギさん(柳沢敦=現京都)が苦しかった時は勇三(田代)が出て頑張った。その次に慎三(興梠)、大迫(勇也)が伸びてきた。DF陣も剛(大岩)さんのところに伊野波(雅彦)が出てきたし、イバ(新井場徹)とパク(チュホ)のところも競争が生まれた。それが最近ないのがすごく気になるよね」

 確かに今季前半は、大迫やパクら新たな戦力が台頭し、チームの危機を救った。が、その後、17試合無敗というJリーグ新記録記録を作ってしまったことで、オリヴェイラ監督もメンバーを変える必要がなくなった。2位以下との大きな勝ち点差が、いつの間にかチーム全体に「油断」と「慢心」を生み出したのかもしれない。中後や船山祐二や石神直哉(共に現セレッソ大阪)といった、過去2年間に要所要所で活躍してきた人材の流出も、今となっては非常に痛い。ここへきて、鹿島は「選手層の薄さ」という予期せぬテーマにぶつかることになった。

 実際、本山が左太もも裏肉離れで8月半ばから1カ月以上の離脱を強いられても、代役になり得たのはダニーロ1人だった。そのダニーロも運動量が少なく、守備の意識が低いため、本山の穴は埋められない。背番号10が1人いなくなっただけで、あれほど完ぺきだった中盤の連動性、守備の組織が崩れてしまうのは問題だ。そこで勢いある若手が出てくれば、チームに化学変化が起きるのだが、そういった選手も現れていない。小笠原も現状を大いに不安視する。
「今の鹿島は、上も真ん中も若手もいて、年齢的にバランスが取れたチームだと思う。だけど、欲を言えば、下の選手たちにもっとやってほしい。ケンカになるくらいでもいいから『試合に出たいんだ』ってアピールしてほしいんだよね。僕らだって若かったころ、ビスマルクとかにガツガツいって『ごめん』って謝ってた(苦笑)。もちろん下が頑張っても負けられないけど、そういう勢いでやって、チームが活性化されれば、さらにいいよね」
 この発言は的を射ている。いくら実績のあるチームでも、下からの追い上げがなければ硬直化は避けられない。

■小笠原の思いに若手が応えられるか

 小笠原や本山ら黄金世代は、常勝軍団の初期を築いた第一期の選手たちからポジションを奪い、現在の地位を確立させていった。そういうタフなメンタリティーを、そろそろ次の世代に引き継いでいくべき時期にきている。守備陣では伊野波、内田篤人が出てきたし、FW陣でも興梠、大迫が台頭して、若返りのメドが立った。けれども鹿島の心臓部である中盤は、依然として小笠原と本山に依存している。それが今季終盤、そして今後の鹿島のアキレス腱になりかねないのだ。

 ご存知の通り、彼は「男は黙って」というタイプである。多くを語らず、何事も行動で示そうとする。鹿島第一期のキャプテンだった闘将・本田泰人とは対極にいるように映る。本人も「僕は人にいろいろ言うより、まず自分が走らなきゃいけない。それが一番大事だと思う。下のやつらは年上の選手を見ている。『この人、これだけやってるんだから、自分もやらないといけない』と感じてくれればそれでいいから」と静かに言う。

 けれども、今は非常事態である。オリヴェイラ監督からキャプテンマークを託されて3年。チームは最大級の苦境に直面している。このままズルズルと首位から転げ落ちるようなことがあってはならない。そのために彼自身、もっと力強くチームメートを鼓舞する必要がある。本人は好まないだろうが、あえて「不言実行」から「有言実行」になり、周囲に厳しさを求めるくらいの大胆な変化があってもいい。

 そして、周囲もキャプテンの闘争心に応える努力をしなければならない。「居残りでシュート練習をしていたりすると、控え組が何となくやっていると感じられることがある。そういうのを見ているとまずいなって思う。僕らが若かったころはポジションを取ってやろうと、もっとガムシャラだったんじゃないかな」と曽ヶ端準も物足りなさを口にする。
 10年以上の間、共に鹿島を引っ張ってきた同期の面々は小笠原の思いをよく理解している。しかし、全員が同じ意識で戦っているかといえば、そうは言い切れない面がある。若手や控え選手が自覚を持たなければ、J発足から17年間の輝かしい歴史が途絶えてしまいかねない。今こそ、チーム全体に奮起が求められている。
 鹿島が常勝軍団で居続けられるのか。小笠原の熱い思いが3連覇という形で結実するのか。すべては今季残り8試合の戦いぶりに懸かっている。


<了>

元川悦子
1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。柳沢敦、中村俊輔ら「中田英寿以降の世代」の成長過程を高校時代から見続けており、その取材活動を現在も継続中。2000年シドニー五輪のころからは海外サッカーにも本格的に目覚め、本場の熱気に浮かされたようにここ数年、年間100日以上を欧州などでの取材活動(若者でもやらないような冒険旅行?)に当てている。著書に「U-22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「ワールドカップ勝利への最終提言」(徳間書店)、「蹴音」(主婦の友社)がある。目下のテーマは女性にサッカーの魅力を伝えること


悦ちゃんのコラムである。
小笠原主将の思いが伝わってくる。
「代表は若手育成の場ではない」
「下の選手たちにもっとやってほしい」
など頷けるコメントばかりである。
ただ、悦ちゃんの申すように「有言実行」になって欲しい。
言葉を掛けることも優しさの一つなのである。