山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

結果、台本通りである

2012-10-31 06:28:38 | 「極楽少女」2012
生身の人間、ロボットではないのが役者だ。
ひとりの劇作家、演出が頭の中で描いたことを再現することが演劇ではないと確信している。
集団の力。口先では解決しない行動力。一筋縄ではない個性のぶつかり合い。そして信頼できる集団となる。
個人差はある。優等生ばかりではない。だから、劣等生である私は劇団の中での個人差は面白いと思っている。

稽古の時には何が起こるかわからない、そんな未知で謎めいた計算外のハプニングをこころの何処かで探し続けている。
凡百の言う「台詞を記憶する」場所が稽古場ではない。「台詞の時代」に幕を下ろしてしまったのである。演劇は事件である。虚構の事件を舞台上で巻き起こす。

今、強い意思で「極楽少女」の公演に向かう。あの世とこの世の中間点で彷徨っている宙ぶらりんを劇で形にすることへの挑戦である。
宙ぶらりん・・・まさに現代の様相だと思ってのこと。強い意思で宙ぶらりんへ立ち向かう。

生きているのか、死んでいるのか!得体の知れない時代だからこそ劇では「生と死」を意識する。
意識することがなければ劇で何も表すことはできなくなる。
だが、意識はずれることも薄れることもある。不明になる一歩手前で気付く。・・・未だ生きている。おや、ここは地獄?極楽?

稽古場では理解に苦しむ言動が溢れる。悩み苦しむこともある。形が見えない時だ。こんな時に笑ったらどうなる。
劇が好きでたまらない狂える恋に堕ちた時。役者が役者として一皮むける、そんな瞬間に立ち会うことができる。
観客はそれを見ている。とりつかれた役者の形相。

私は劇に後付けを認めている。今、全てを理解していなくても後から理解されることがある。理解には時間がかかるのである。焦らなくてもよくなってきた。それは結果だった。

「極楽少女」とは・・・公演ぎりぎりまで謎が深まる。稽古は続く。先は見えてきたのだが。


2005年の夢現「愛の乞食(尼蔵)」今回は旗揚げメンバーである海幸大介が演ずる。

稽古と食欲

2012-10-30 01:46:06 | 「極楽少女」2012
先日より音響のBB君、生演奏のタカハシユウジさんも稽古に加わってきた。
ある程度、通せるようになるとスタッフワークも高まる。問題は照明だ。こればかりは公演会場でないと見えない部分もある。プランニングシートは明日より打ち合わせとなった。

稽古終了が夜9時半を回る。終わって腹が減っていることに気付く。
私の今日の食事は朝トースト1枚、稽古前にコンビニで買ったお好み焼き1枚だけだった。昼食はなし。その反動で今日の夜飯は台湾料理「金龍美食」で胃拡張になった。腹を叩くとポンポコリンの音が響いた。下り坂を歩くと転がりそうになった。





公演当日はホールの他にスタジオも借りてある。役者の控室も兼ねて展示会をする。
主にhigomaru.のチラシ原画と過去の公演チラシ(1979年以降の古いチラシやポスターなど数点)を展示する。過去の上演ビデオも流す。
今後、「夢桟敷展」として秘密基地(河原町)やギャラリーでも企画するつもりである。
今、過去の資料なども整理中だ。「継続は力」と言われるが、整理しながら「自分史」ではなく33年の「演劇史」に見えてくるから不思議。
劇団は集団の力。まぎれもなく、その時代と交わっていたことを実感する。

食欲が満たされて幸せを感じる秋の夜長である。

子どもの風景

2012-10-29 15:48:51 | ワークショップ
キッズミュージカル「座敷童子の不思議な呪文」

キッズミュージカルは11月3日の発表会に向けて大詰めである。同時に劇団の「極楽少女」も大詰め。
2年前よりこの時期は2本立ての同時進行で取り組んでいる。多忙極まる時だが、こんな時に限って外部からの協力要請や企画話も運ばれてくる。10月~11月は基本的にお断りすることにしている。本来、忙しいことを理由にお断りすることはないのだが、秋は特別にキッズと公演に集中したい時である。曲げない。
キッズは来年に向けて新たな企画もある。劇団の公演も次に向けてステップアップを考えている。
気が抜けないのだ。

緊張感高まる中、子どもたちとの関わりは和むことがいっぱい。私にとっては孫のようなもの。
参加している劇団員にとっても小学低学年となると娘のようなものだ。
今となっては珍しい三世代同居の大家族の集団のようにも見える。
レッスンの色合いは薄い。子どもたちの楽しみを引き出すことを先決にしている。結果、発表会として形になる。







夜の稽古も通しの段階になった。
稽古が終わって、公演終了の11月10日の打ち上げまで禁酒するつもりだったが、ファミレスで発泡酒を呑んだ。情けないが笑えた。禁酒は先送りとする。

演劇エクスプレス熊本3 企画実施
11月8日(木)~10日(土)
熊本市男女共同参画センター2F多目的ホール
【特設】円形劇場
次回公演劇団夢桟敷No.61「極楽少女」

子どもたちと

2012-10-28 01:30:33 | ワークショップ
キッズミュージカル「座敷童子の不思議な呪文」



11月3日(土)の発表会が近づいてきた。
キッズミュージカルは今年で3回目の公民館講座として開催されている。

劇団としては1990年の頃より熊本県内の小学校、子ども会やPTAでのワークショップ、中学高校などへのワークショップや発表会に向けてのサポートの経験がある。
学校関係に演劇を手掛けて行った背景には自分の子どもたちがその年齢だったこともあるが、大きなきっかけは障害者芸術サポート活動であった「とっておきの芸術祭」と「ユネスコ国際ボランティア」と並行していた。この時に出会った学校の先生方の子どもたちに対する情熱に影響された。子どもたちの楽しい笑顔や教育現場の諸問題に学ばせて頂いた。演劇と教育を実践した時期。

この経験が今に繋がっている。劇団の20代も公民館講座では楽しく子どもたちを引っ張っている。戯れている。子どもたちから学んでいるのである。「演劇と教育」から「地域」に密着してきた。
よく言われるように子どもたちには未来がある。どんな未来だろう?悲観して自殺する子もいる。一番信頼すべき親から殺される子もいる。良いことばかりではない世の中。楽しいこともある。
ひっくるめて未来に繋がる。

※(土)(日)は昼のキッズと夜の劇団でダブル稽古となっている。両方共に関わっている劇団員は重労働であるが、この経験も未来に繋がる。
座長、サキ、クドシン、KAREN、山本真実!・・・貴重な経験をしているのだ。

稽古三昧・・・宝石のような汗

2012-10-27 00:40:26 | 「極楽少女」2012
生きものである。動物としての本能が舞台にはある。活字ではない。
今から33年前、劇団を立ち上げた当初は台本が上がった時点で劇ができたも同然と思っていた。後は役者が台詞を覚えてくれれば良い。それが今となっては大間違いだと思っている。台本は建築でいう設計図ではないのだ。読み物と劇の違いは「台詞や言葉」紙や頭の中での計算では表せないところがオモシロイ。役者である。役者が絶品でなければ劇は成り立たない。ロボットではないのだ。ロボット演劇なる科学技術と劇作家のためではない。要するに、舞台に立っている生身の役者をお客さんは見に来ているのである。



稽古中は写真記録を撮ることを忘れる。稽古日記を見ても呑んでいる場面ばかりが記録に残ってしまう。あの劇団は呑んでばかりいると思われている。
学生時代は確かにその傾向はあった。呑んで議論することが楽しかった。経験が豊富になると議論が空回りすることに気付く。議論ではダメ!腕力がモノを言う。腕力は稽古中に認められるのである。ここで言う腕力は腕相撲のことではなく役者の勢いである。
中途半端はやめて!ひとりよがりもやめて!・・・起伏の激しい劇を目指している。



台本上ではアリス(坂本咲希)が極楽少女の設定で書いた。稽古が始まってそれが他の登場人物たちにも分裂し増殖するようになった。
「婆は少女に」つまり、阿部定(夢現)がアリスに。そして、うさぎ少女(KAREN)も極楽少女に!水の少女(コバヤシユカリ)もアリスのようにも見える。後付けである。
思い通りにならないことはプラスである。個人の表現ではなく、集団の表現であるから思いがけないプラスが生み出される。

稽古中に確認していることは、「汗を飛び散らす劇」へ。役者の汗は美しいに決まっている。牛乳石鹸の匂いが漂う。日々、稽古で身体を磨いているからである。おや?牛乳石鹸のスプレーをふりかけている女優を発見。匂いまでお洒落するのか。

演劇エクスプレス熊本3 企画実施
11月8日(木)~10日(土)
熊本市男女共同参画センター2F多目的ホール
【特設】円形劇場
次回公演劇団夢桟敷No.61「極楽少女」

もっと円形を。

2012-10-26 00:14:11 | 「極楽少女」2012
イメージは相姦関係である。つまり、妄想できる劇は危険である。ところが舞台で形にするとその登場人物たちの人間関係は滑稽になってくる。子どもたちが下ネタを喜ぶのは気のせいではなく、性や暴力が大らかなものとなって現れてくるからである。
品が悪い程に美しく、品が良ければ醜く見え、だから劇は作る側も見る側も面白くなければならない。面白ければ悲しさも突き刺さるのである。
ネタはおもちゃ箱をひっくり返したようになっている。劇場を出てから整理すれば良い。すると「極楽少女」はこころの中で永遠に生まれ変わるのである。

確かに「極楽少女」には参考文献がある。
阿部定事件の資料、唐十郎「少女仮面」「愛の乞食」、寺山修司「疫病流行記」、つげ義春「ねじ式」、ルイスキャロル「不思議の国」など。だが、活字を切り取って構成した劇ではない。ここには役者たちの汗と血が流れているのである。
阿部定事件の資料をもとに、今年の3月「サダひとり。」をテント芝居で上演して「阿部定・三部作」に取り組んだ。その第2弾が7月に上演した「赤色時代」。完結編として「極楽少女」はある。
完結を試みるために、その味付けとして唐十郎と寺山修司、つげ義春、ルイスキャロルミックスしたのである。味付けは劇団夢桟敷が過去に上演した舞台から切り取ったもの。粉砕してふりかけたようになる。料理でいうと34年かけて煮込んだスープのようなものだ。


2002年の「アリス三部作」より

登場人物たちが重なり合う。
アリスが阿部定だったり、吉蔵が阿部定だったりアリスだったりする。
ねじ式の青年が穴に行くうさぎたちを追っかける。追っかけているつもりが、うさぎたちに追いかけられている。
登場人物たちは密着しながらすれ違っていく。立場も逆転する。円の中をぐるぐる回る劇。

愛の乞食たち・・・

2012-10-25 05:20:39 | 「極楽少女」2012
「極楽少女」公演迄後壱拾六日。

唐十郎 作「愛の乞食」がある。次回公演「極楽少女」にはその影たちが登場する。
その影とは戦争であり革命である。
影を登場されることは今の時代にとっては何でしょう。時代錯誤?アングラの劇は死滅した?
否、そうでもない節がある。世界の状況。むしろ、今こそ「愛」が渇望されている時代はないと直感しているのです。「戦争や革命」を蘇らせることではなく、アングラ劇は「愛」を語らなければならない時代に蘇る。

愛とは何でしょう。・・・密着することだと思っている。密着することで相手との関係が深まる。
ハグの習慣がない日本にとって密着は異文化?
演劇や表現に関わる分野では異文化ではないのである。これは舞台と観客の関係を比喩する。セクハラのことではない。

(2005年3月 近畿大学)

2005年3月、私たち夢桟敷は近畿大学(大阪)にて「唐十郎フェスティバル」に参加させてもらった。その際に上演したのが「愛の乞食」。メンバーは最年少が中学生、中心は高校大学生であった。
アフタートークの際、観客の大学生から「意味がわかって出演しているのですか?」の質問があった。中学生曰く、頭をかきながら「わかりませんでした」。会場は爆笑と拍手で湧いた。
学問の府でバカたちが溶け合った瞬間である。

あれから7年。私は還暦を迎え、座長は50代半ばを過ぎ、サキは28才である。10年一昔と言うが、劇団での時間の流れは早い。今や2年から3年で一昔になってしまうスピードで時が流れているように感じる。

「極楽少女」に登場する「愛の乞食たち」はどのような変容を現わすか!
唐十郎「少女仮面」の冒頭で歌われる「婆は乙女に、乙女は婆に」(宝塚少女歌劇団)と寺山修司「疫病流行記」で箱に閉じ込められた少女が叫んだ「私の名前は病気です。」が重なったのである。

言わば、時間のパズルゲームとして愛の乞食たちが劇では存在する。過去ー現在ー未来の空白を埋め合わせる謎として存在する。一見小難しいことのようだが、謎が娯楽として見えれば美味しいのである。
若い世代には言っておこう。楽しく演じれば良いのです。辛い世に辛い顔は要らない。
これが劇だ。

「バカが行く」・・・暫くは「極楽少女」コメントにつづく。

水の少女と・・・

2012-10-24 01:37:50 | 「極楽少女」2012
写真の左が「水の少女」(コバヤシユカリ)と右が10年前の元劇団員(矢山君)

■10月23日(火)

水の少女「水を、水を下さい。」

♪歌曲「極楽少女」

吹き荒れる マボロシの
地の底から目覚める 極楽少女
極楽少女は 花の幽霊
彷徨いながら 何より水を
時計の針が 後戻り
極楽少女よ 処女の夢よ
愛の穴から花嵐 まばゆい
極楽少女は 狂いだす
 
「熱い、熱いのです。助けて下さい。水を水を・・・!」

「極楽少女」では「水の少女」が登場する。小林ドロリバンドのコバヤシユカリ。
「愛の乞食」=尼蔵(海幸大介)・チェ(山本真実)・ゲバラ(中村大輔)・水の少女の4人組である。
本日の稽古、3幕が中心だった。水の少女は、あるいは「極楽少女」として「不思議の国のアリス」とも重なる。悲惨な少女ではあるが歌姫でもある。

そのユカリちゃんが元劇団員の矢山君を連れてきたのである。10年ぶりの再会だった。学生時代のバンド仲間として知り合っていた。ありがたいことに明日の稽古にも彼は見学に来るという。
公演までの稽古スケジュール

座敷童子の不思議な呪文

2012-10-23 02:31:20 | ワークショップ
■清水公民館講座「キッズミュージカル③」
「座敷童子の不思議な呪文」発表会
時/11月3日(土)午後2時45分スタート
会場/熊本北区役所清水総合出張所2Fホール
入場無料■問 096-343-9163 清水公民館

■【子ども劇を作る】講座
主催:熊本市教育委員会/熊本市清水まちづくり交流室
担当:劇団夢桟敷

この講座は2010年より開始して今年で3回目になります。小中学生(定員20名)のメンバーによる劇作り体験講座。
発表会は「清水地域市民のつどい」のプログラムの中でおこなわれます。

演題は「座敷童子(ざしきわらし)~」となっております。仲間はずれ、イジメなどをテーマにした学校内でのトラブルを座敷童子が助けるドラマ。大きな問題になっているテーマですがドラマは単純明快です。歌って踊って、笑って泣ける感動場面の30分。

作/夢現◎演出/山南純平◎音響/工藤慎平
ダンス振付/山本真実◎演技指導/坂本咲希
【出演】
KAREN(中2・夢桟敷)
ゆっきー(中2)/さき(小6)/みずき(小6)
かなこ(小5)/りゅうのすけ(小4)/はな(小4)
ゆうか(小3)/あきら(小3)/なな(小2)/のん(小2)
りな(小2)/しほ(小2)/あいり(小2)/ほのか(小2)
そうた(小1)/ゆうな(小1)/ことみ(小1)
坂本咲希(夢桟敷)/山本真実(猫目おろち)

中津川より

2012-10-21 11:23:26 | 演劇大学
演劇CAMP in 中津川

10月18日(木)~21日(日)まで岐阜県中津川市で行われた「演劇キャンプ」(日本演出者協会 主催)に参加してきました。私は(土)に劇団の公演間近の稽古があるために途中退席。後ろ髪を引かれる思いだった。
中津川の実行スタッフと協会事務局の皆さまには大変お世話になり、とても楽しい日を過ごすことができました。
相変わらず元気な和田さん、流山児さん、斎藤さん、外波山さん、そして今回は初対面の全国から来られた演出家さんや劇団関係者との交流(吞み会)や分科会でのお話を覗えて有意義な時間を過ごすことができました。
中津川、岐阜、名古屋、東京、静岡、金沢、岩手、仙台、福島、新潟、島根、京都、札幌、全国各地、中国北京の演劇事情も垣間見られた。
恥ずかしながら、斎藤さんから私のことを「この人は熊本のアングラですよ。」と紹介されてゲラヘラ笑われたり、和田さんからは「ブラジルで公演した国際的な演劇人」と持ち上げられ過ぎたり、流山児さんからは「老いぼれ爺」と貶されたりした。





私が参加した分科会は「朗読 夜明け前」「中津川フォークジャンボリーが残したもの」「伝統演劇と現代演劇」「国際演劇は何を目指すか」「子どもたちと演劇」「酒蔵体験ツアー」、二日間で濃密なプログラムだった。
更に濃密な吞み席での夜の交流会。廃校となった小学校での宿泊所がキャンプの拠点となっていた。木造桧の匂いで癒される。・・・何?熊危険!ここは熊が出るらしい。熊絶滅の九州からすると熊本人もびっくりである。



(金)の酒蔵体験ツアーでは午前中より試飲。何と!三千桜酒造の社長、山田さんは元「状況劇場」の劇団員だったとのことで盛り上がった。アングラが美味である。もう一杯!止まらなくなった。
馬篭の昼食、栗ご飯セットには山菜料理とヤマメ、蕎麦で満腹となる。お土産で買ったつもりの日本酒をチビチビ呑みながら食事した。「日本酒はおかずの美味しさを更にアップする」と言っていたアングラ社長の説明を証明したのだった。
その後、馬篭が舞台となった島崎藤村の「夜明け前」の集団朗読を聞く。私はほろ酔いであった。
講師は外波山文明さん(椿組 元はみ出し劇場の主宰者)を見学した。合唱による朗読は初体験だった。迫力を感じた。



一コマ1時間半の分科会でも講座は止まらない。中味の濃さに時間は足りないくらいだったが、それは自分たちが持ち帰って課題を掘り下げるしかない。
演劇の現場で形にするしかないのである。技術や知識を稽古場すること、町に飛び出して計画すること、劇場に限らず公民館や寺・神社・河原・小さな店での劇場化計画は「劇場法」なる特権階級のみに限らず、演劇人の枠を超えて民衆のものに取り戻す発想が見えてきたのである。その流れは「私的」ではなく「公的」なうねりとなりつつあることを感じた。身近なところで次回公演でもアピールはつづくのである。





標高600mの夜は寒かった。しかし、演劇に対する思いは熱い。酒が入ると脈拍も血圧もテンションも上がる。演劇の仲間だから話に終わりはない。共有する話題に人として笑いが止まることもない。つまり、同類が集まると未来が見えてくる。演劇は基本、民衆の魂が入り込んでくる。声なき声が発せられる。
分科会講座で興味のあった「子ども劇」と「国際演劇」は同時進行だったため、半分ずつの参加となった。
市民劇場や親子劇場の先細りもある。紛争による政治的な弊害を文化交流でどのようなネットワーク作りが可能だろうか。
中津川キャンプの課題は、私たちが住む熊本での課題に通じる。ここで接した演劇人たちとのネットワーク作りは身近な可能性だと実感した。



三日目の午前中に常盤座に行った。午後から中津川市民演劇、タマゴプリン、楽天プロデュース、糸あやつり人形などの上演があったが、私は午前中がタイムリミットだった。
岩手アートサポートの稲邊さん、演劇評論の村井健さん、七字英輔さんと共に常盤座を後にした。
名古屋駅に着くと市民祭りの最中であった。山奥から降りるとパレードが騒動のように思える。
三泊四日の演劇キャンプはメディア依存から解放されていたのである。
週刊朝日で「ハシシタ」連載が抗議により謝罪と連載中止。情報の洪水の中に戻った気がした。

熊本空港には夜7時着。お土産は栗きんとん。
稽古場に戻ると「極楽少女」稽古で劇団員たちが汗を流していた。これが私の日常。
今日(日)も午後からキッズミュージカルの稽古、夜は劇団の稽古とロングな一日となる。

2012演劇CAMP in中津川

2012-10-17 01:40:22 | 演劇大学
明日より岐阜県の中津川に向かいます。
演劇キャンプ。開催は明後日からですが、明日は岐阜市の兄家族のところへ宿泊します。親も亡くなり、疎遠になっていく家族。
元気な内に会っておかないと、今後はどうなることやら。6人兄弟の末っ子の私は、老いていく兄姉たちを見る度に元気を与えることを考えています。家族では異端だった私も今、役に立つと思っています。
公演も近づいています。一日だけ演劇のことを忘れます。
演劇キャンプでは、3泊4日、どっぷり演劇に漬かります。
http://www.jda.jp/camp.html(日本演出者協会 主催)

ダンス☆稽古写真

2012-10-16 02:37:30 | 「極楽少女」2012
座長=夢現は高熱(39度)を押して稽古に参加している。演劇と心中するつもりか!・・・演劇が好きだからを突き抜けてしまった。恐ろしい執念である。「休め」と言っても休まない頑固さ。今日は回復したようだった。

さて、ダンスレッスン最近の写真。
振り付けは山本真実さんと中村大輔さん。今や劇団にとってはなくてはならない存在になった。
「極楽少女」では、愛の乞食、ふたり合わせてチェとゲバラの役で登場する。
真実さんはキッズミュージカルに出演する子どもたちにもダンスを振り付けてもらっている。







明日(火)の稽古が終わったら、明後日(水)より3泊4日の岐阜行き。中津川演劇キャンプに参加する。久しぶりに日本演出者協会の方々とお会いする。
私は1泊、岐阜の兄(72)の家に寄ることにした。兄姉たちも年老いてしまった。

オモシロイか、オソロシイか。

2012-10-12 15:37:01 | 「極楽少女」2012
下馬評では村上春樹氏がノーベル文学賞をとると聞いていた。蓋を開けると中国の莫言氏が受賞した。氏の本は読んだことはないが映画で「紅いコーリャン」を見たことがある。
7回もノーベル賞の候補にあげられながら受賞していない国際的に人気のある村上氏には関心があった。国民が残念と思っているのに本人はケロッとしているだろう。そこに魅かれる。表現には国境がない。

小説も演劇もファンあってのものだ。私たちの劇団のファンは少数派だが居ることには間違いなく、私たちは、だから頑張れる。国益とは関係なく表現できるからだ。義理などのしがらみもない。
今日から連日の稽古に入る。公演まで1ヶ月を切った。今からスピードアップを図ろうと思うのだが、舞台図面と音響が追いつかない。使い古した案にクレームが出ているのも事実。新鮮さを要求されている。担当者の頭が痛くなるところ。面倒臭いはご法度。
役作りも揺れている。・・・オモシロイか、オソロシイか。これを内部でかけ合わせながら、要は自身の中で泣ける程の感動が生まれなければならないと思うのである。

「極楽少女」には「死」がつきまとっている。裏返せば「生」に対するしぶとさを表現する。その姿に泣き笑いを感じることができるか。劇だ。不思議なところへ運ぼう。

1971年3月

2012-10-11 05:30:51 | モノローグ【エトセトラ】
引っ越しの準備もあって、部屋の整理をしていると高校時代の卒業アルバムを発見する。
つい先日、42年ぶりの同窓会(還暦集会)に参加したばかりだったので、このアルバムを眺めながら「今はむかし」青春の頃を思い出しながら身体が固まった。これだから整理がはかどらない。

私が過ごした1968年4月~1971年3月の高校時代は安保、沖縄、ベトナム戦争を巡って大学の学生運動が大きな社会現象としてクローズアップされていた時代である。その波は高校まで押し寄せていた。所謂、学園闘争が社会へ飛び出した時代。
赤、黒、青、白、銀、黄、様々な色のヘルメットが入り乱れながらセクト間の争いも激化していた。内ゲバも勃発していた。
高校生であった私も血気盛んな年頃、何が何だかわからない内にデモに参加したことがある。
アメリカ映画の「いちご白書」が日常のようであった。敵がいた。

反面、ヤクザ映画やポルノにも目覚めた。暴力と性に映画のフィルターを通して世界が広がった時期でもある。
社会の混沌と映画の虚構が入り乱れながら、自分探しに明け暮れていた。このまま、流されて良いのだろうか。社会に対する疑問と批判が目覚めた時期でもある。

すっかり初老になった懐かしい友人たちと同窓会の席で呑み交わしながら、「あの頃は怖いもの知らずだったな。」と笑い転げた。
デモで警察に捕まり少年院に入れられたこともある友人も笑っていた。
進学校であったため大半は大学受験に関心があったのだろうが、今となって振り返ると、その時代を共有したことで、時代を体験した世代の同類意識で繋がっていた。

「あれからオレは何もできなくなったよ。」という友人もいた。一番元気の良いリーダー的な男だった。暗くはない。口調は堂々としている。高校時代から管理職のような大人びた男だった。
社会人としては立派に生き抜いてきた男。
一番仲の良かった友人も「オレも左翼のような顔をしていたが、実は嘘つきだった。」と笑い飛ばしていた。

次の春で定年退職する者たち。区切りをつけて第二の人生を考えていた。
私に区切りはあるのだろうか。終わりは何処だろう。

演劇から抜けきれないことは「バカは死ななきゃ治らない」ということであろう。

穴に堕ちると

2012-10-08 18:07:07 | 「極楽少女」2012
■穴の中は大きな海が広がっていた。

今の時代、自分の穴の中でもがいているように見えるのです。保守的に見えてしまう。自分の身を守ることが保守的だとは断定できないが、外に立ち向かおうとはしていないように見える。・・・これは昨今の私的主観である。

先日の10月6日(土)は高校の同窓会が催された。還暦集会となった。42年ぶりに会う友人もいて、顔を見ただけでは誰が誰だかわからない。名札を見ながら「おお、お前か!」である。
1968年4月~1971年3月までの3年間、下関市の彦島(工場地帯だった)の丘の上にある高校で過ごした。団塊の世代が溢れた時に新設された高校。私たちは7期である。
名簿を見ると亡くなってしまった友人もいた。同窓会は黙祷から始まった。
酒が進むにつれ、「親の介護」や「孫の話」「定年」など日常の話が飛び交う。高校生の頃は思いもよらない会話。
第二の人生を考えている者も多くいた。・・・ひとり、海外移住を真剣に考えている友人がいた。
60からの振り出しである。「日本はもうオシマイにしたい。」と言っていた。営業で海外を飛び回っており、「インドかブラジルで余生を楽しみたい。」というのである。この年齢で飛び出すことを計画しているとは!
海の向こう側には何がある?この年齢になっても冒険心は少年のままだった。



次回公演「極楽少女」は阿部定事件をモチーフにしているが、これにルイスキャロルの「不思議の国」を重ね合わせた虚構を舞台にしようとしている。
登場人物たちも重なり合う。つまり、阿部定とアリスが二重三重になる。みんな、穴の中に堕ちて不思議を体験する話。時間が逆転したり混乱する劇。
登場人物や時間の流れが不安定になることで、新たなもう一つの「極楽」を浮かび上がらせることができるか。
そのために、穴の中に広がる大きな海を設定したのだった。

誤解を恐れずに言うと、この穴は子宮につながっているのである。究極の穴である。
これは私の観念。舞台は観念が通用しない。穴を具体化しよう。
開け!穴。