山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

村上君 退団

2009-11-19 23:59:38 | モノローグ【エトセトラ】
 この劇団にとっては大きな存在を失うことになった。
 今年2月のブラジル公演以来、教員になるために休演していた村上精一が本日11月19日を以って正式に退団することになった。
 11年間、お疲れさまでした。
 
 彼が中学生の頃からの付き合いだから、その成長は親が子どもをみているようなところもあったと思う。
 振り返れば、汚れ役ばかりをこなしてきたのだった。
 中学生の頃からそうであったが、日頃は品行方正、どちらかというと大人しい方であるが、舞台に上がると人が変わる。力余って浮き上がる。役者としては頼もしい存在だった。
 ライバル?は同年代の田中幸太か。まるで性格・キャラは違うが無言の内にお互いを意識し合っていたのではないだろうか。
 演出助手としても照明技術は私よりも上手くなっていた。照明図も書ける。
 今となっては劇団夢桟敷の看板を背負うようになっていた。

 振り返れば、この30年間で150名以上が、この劇団を通り過ぎて行った。
 しかし、記憶に残る者は限られてくる。
 劇団の色、力を自らで作りだす者は少ない。
 村上君は、その内の一人だった。

 これからの人生を、これまでの経験で生かして欲しいと思う。
 彼なら大丈夫だろう。
 彼の穴埋めは残された者で埋めていくしかない。こちらも大丈夫だ、と言っておこう。
 さて、年末は彼を囲んで鍋料理でも計画しようか。

大阪道中膝栗毛

2009-11-16 23:55:26 | 「薔薇色之病室Ⅰ」三部作
11月14日-15日/一泊二日、座長とのふたり旅。
次回公演の会場下見が目的だった。
熊本-大阪670㌔mを車で往復して来ました。道中、ふたりっきり。・・・こういうことは珍事です。
珍一景のはじまり、はじまり。

■14日(土)
am4:00
その時間に熊本を出発するつもりが、その時間に目が覚める。
寝たのが夜中の2時だから、2時間しか寝ていない。
睡眠不足はいつものこと。だが、長距離運転となると命がけである。
居眠り運転はあの世行き。車は走る棺桶となる。
しっかり、目を覚ますためにコーヒーをがぶ飲み。夜明けのコーヒーで心が引き締まる。

am5:00
1時間遅れて発つ。
時間通りにならないことを肥後時間と言います。
車は営業軽トラックである。座席が硬い。背中シートにペットボトルを仕込み車の振動をマッサージ機のように応用する。これはプロからの知恵を頂く。
荷台には二人分の布団を積み込む。一見、夜逃げの一座。
九州自動車道-中国山陽自動車道をひた走り、吹田を目指す。
あれれ、携帯を忘れたことに気付く。座長が持っているからいいか。しかし、こちらの関係者には連絡がとれない。間抜けである。

200㌔m・2時間に1回は15分の休憩をとる。これもプロからの知恵。
高速代(土)(日)1000円とは言うものの、ガソリン代(1リットル127円)が高い!と座長は四六時中悲鳴をあげていた。
福山パーキングの自販機で缶コーヒーを買った時、「よぉ、きたのー!」と音声が聞こえた。自販機ながら方言は楽しい。

pm3:00
吹田のインターで降りる。息子の冬馬のマンションへ。
私は二回目だが、座長は初めて。
冬馬は私たちが来るので午後から大掃除をしたらしい。
酒は準備しなかった、と言う。前回の教訓である。
大阪での移動は電車にする。この方が速い。

pm4:00
まずは大日で公演中の流星群さんの会場へ次回公演の仮チラシを入れに行く。
上演前だと言うのに劇団員さんたちが手伝ってくれる。「明日はゆっくり見せて頂きます。」と言って別れる。

pm5:00
12月公演会場である「音太小屋」へ走る。
梅田駅に近い。通称、天六と言われているところ。
大阪事務所のkojimaさんとの待ち合わせに1時間遅れ。
まさに路地裏である。二階建ての小屋は劇団夢桟敷にふさわしい雰囲気。・・・劇場のオーナーさんは路地裏の自然人。小屋の内装は手作り感が漂っていた。
この会場もkojimaさんが紹介してくれた。
会場を眺めているだけでも味わい深い。

pm6:00
梅田駅のホテルレストランでkojimaさんから御馳走になる。
座長と冬馬はコースを注文したが、私はビールとソーセージセット。睡眠不足の故か酔いが早い。うっかり、煙草が数本しか残っていない。私はタスポを持っていないので煙草を自由に手に入れることができない。困った。
ホストが灰皿交換に来ても長めの煙草は別に取り置く。根元まで吸うためだ。

pm9:00
冬馬のマンションに帰り着く。
pm11:00には寝る。

■15日(日)

早く寝た故か、朝6時頃から目が覚める。
パソコンを開こうにもpassがわからず開けない。テレビを見たくてもリモコンが見当たらない。
ふたり共、ぐっすり眠っている。
私は一度、目が覚めるとテンションが高くなって眠れないのである。
前回、ここへ来た時はテーブルにあった5合瓶の焼酎を朝から呑んでしまった。今回は酒は置いていない。
am8:00過ぎにふたり共に目を覚ます。
座長は部屋の模様替えを始めた。私はパソコンに向かっていたが、今度は私のパスワードを忘れてしまい自分のブログの整理をしようにも何もできない。自分のパソコンだったら、ボタンひとつで自由に開けるのだが・・・。

冬馬がお好み焼きとたこ焼きをおごってくれた。やはり、大阪の粉料理は美味い。

pm1:00開演の流星群さんの公演を見に行く。又しても10分遅れる。
プラネタリウムの会場を演劇公演として使っていた。前と中程にステージを置き、通路も舞台として行われる。スポットは客席にも当たる。
私たちのところにスポットが当たると何かしたくてうずうずなる。これはビョーキである。

帰りの電車の中。ワンカップを呑みながら、ぶつぶつ言っている中年の男の座席の前に立つ。
いいねぇ、こんな感じの人。・・・「おぅ、そうだ。チーズウィンナーがあった筈だよ。」その男は声に出してバッグからツマミを取り出して美味しそうに!・・・いいねぇ。
この人の光景はほのぼのする。大阪だ。

pm5:00、吹田発、熊本へ。
am3:00、熊本着。

今度の大阪行きは公演本番である。

ちょっと大阪まで

2009-11-13 23:06:16 | 「薔薇色之病室Ⅰ」三部作
明日からの土・日は大阪へ行って来ます。
12月末の大阪公演下見、宣伝が主目的です。
今回は座長の監視の下で行きます。
意気地がないもので私が酔い潰れるために座長は同行することになりました。(・・・かも知れない。)

(土)午後より仮チラシを配布。公演会場での打ち合わせ。そして夜は大阪事務所kojimaさんと○○へ。楽しいことになるでしょう。
 
 冬馬のところで宿泊予定です。
 前回行った時は、朝から余った酒を全部飲んでヨイヨイの人になってしまった。

(日)の午前中は劇団さんの訪問を計画していましたが、まだ未定。
時間が空いてしまったら・・・。
大阪の友人さん、梅田あたりでお会いできる人はいませんか!
メールでも頂ければ、私の携帯電話の番号をお知らせ致します。

午後はお世話になっている劇団流星群さんの公演を観劇します。
■プラネタリウム&演劇「星命-seimei-平安京星空と安倍晴明」
場)ムーブ21 守口市生涯学習情報センター4階プラネタリウムドーム




昨夜は稽古終了後に劇団員が集まる。
私が「一杯、やろう!」と誘ったからである。・・・ところが、本当にみんなは「一杯」で終わった。
仮チラシの作成など、雑務作業となった。
そんな中、私は発泡酒3缶呑んだ。
私がチャランポランだと周りがしっかりしてくる。

演劇大学in熊本 会議

2009-11-06 23:58:13 | 演劇大学
昨夜は東京より流山児祥さんが熊本にやって来た。
次回の「演劇大学」企画について会議をおこないました。

■2010年2月4日ー7日まで
■熊本県立劇場

【テーマ】
■夏目漱石「夢十夜」の短編劇を作る。

(各チームに分かれて、演出・俳優が期間中に仕上げる形式です。・・・今年で4回目だから、その異常さは身に染みついています。)
■戦後熊本演劇史を聞く、語る。

(このシンポジュームは先日、亡くなられた渡辺さんの追悼の意を込めます。)
■地域演劇の可能性

など
ドラマドクター、講師の方々は近日中に発表できます。
http://jdak.org/
ある程度の輪郭が見えて来ました。

熊本の演劇人が十数名集まっての会議です。
今年度で熊本開催はラストになります。
来年からは福岡に移ります。
念願叶って、九州レベルへと拡大して行きます。

日本演出者協会の主催で熊本演劇人協議会の共催です。

会議終了後に24時間の禁酒を破って、居酒屋で宴会になりました。
私は夜0時で切り上げましたが、アニマル浜口のそっくりさん=流山児さんは夜中3時まで呑んでいたと聞く。

62歳!のアニキは私とは30年の付き合いです。
彼だけが「おい、純平!」と呼び捨てにします。
師弟の関係です。・・・ヤクザな関係です。
会うと、とても文化人とは程遠い、と感慨深くなります。

注)写真は流山児さん。今日の昼に名古屋へ飛びました。全国を駆け回っています。
【紹介】
流山児 祥(りゅうざんじしょう)
流山児★事務所代表。演出家。劇作家。俳優。
日本演出者協会副理事長。

1947年生まれ。状況劇場、早稲田小劇場を経て、1970年「演劇団」を旗揚げ、1984年小劇場界の横断的活動を目指すプロデュース劇団「流山児★事務所」を設立。
“第二次小劇場世代”のリーダーとして 30余年を疾走し、演出作品は前人未到の250本に迫る。数多くの話題作を国内外で演出し、国際的に高い評価を得る。最近は中高年劇団=楽塾、高齢者劇団=パラダイス一座による「シルバー演劇革命」を実践し話題を集める。
「演劇の持つ自由さを追い求め「世界」を飛び廻る「アングラの帝王」。