山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

clean

2016-12-30 23:05:32 | モノローグ【エトセトラ】
朝から零下、霜が降りて緑が白くなっていた。
朝から姑と婿養子の小さなバトル勃発。
姑「消化に悪いからみかんの皮は食べないことよ。」
婿養子「よく噛んで食べていますから!」
姑「かき餅を食べる時は粉が散るから外に出てお食べ。」
婿養子「もう64才ですから、心配いらない。」
姑「地球が汚れる。」
因みに、姑弁で「汚い」ことを「キシャナー」と言います。
判定で姑の勝ち。
通潤橋の復興は進んでいない。それにしても昼の陽射しが気持ち良かった。買い出しで家とスーパーを3往復した。
明日は大晦日か!今日も台本書きが進まなかった。

姑との戦い

2016-12-29 14:43:31 | モノローグ【エトセトラ】
12/29から1/3の5泊6日は台本を書きます。
その前に身綺麗にしよう。今から髪を切りに行きます。
座長の実家の義母から散髪代と言って10万円ほどpocketにねじ込まれた。経済感覚が違いすぎる。
いらん!と言うも、「汚いから行け。」と言う。
姑と婿養子の戦いが始まった。
さて、ゆっくり台本に取り組まれるかどうか?
ハングリーでないと創作意欲が湧かないのです。

pocket

2016-12-26 16:07:38 | モノローグ【エトセトラ】
12月25日(日)宇土市pocketライブ
サイハヒロシ&ノンちゃん(野尻さん、旧熊本フォーク村)のライブに行って来ました。
前期高齢者!の声が飛び交う。
高齢者?歌には年齢関係ないね。声は歳をとらない。
喫茶店でのライブだった。お客さんとの距離感、和気あいあい。
「酒は辞めました。」は名台詞である。と言いつつ、呑むビールの美味しいことよ!・・・酵母菌は人を元気にします。

熊本演劇人協議会

2016-12-19 23:47:12 | モノローグ【エトセトラ】
熊本演劇人協議会に所属したのは1984年頃だったと記憶している。当時は市民舞台、石、かたつむり(荒尾)、もっこす座など数は少なかった。主に演劇フェスティバルや行政イベントへの参加が主な活動だった。今や30くらいの団体、個人が参加している。演劇人口は昔に比べると減っていると思うのだが、不思議な現象です。ユニットの流れがこのトリックを生み出した現象だろうか?劇団という集団から個に分散した現象?
その後、途中より足が遠のいていたが、2005年の劇作家大会や恒例の新年会に顔を出す内に会議だけには積極的に参加していた。事務局が県立劇場に置かれていた故もあって、日本演出者協会が主催する演劇大学(熊本では2006-2010)では劇場や協議会の関係が深くなった。
今日12月19日(月)は臨時総会があり、夢桟敷からは座長と私が出席する。出席者の顔ぶれを見ると若い連中もいて、私や座長は年寄り組に入っているところが笑える。笑っている場合です。
議題のひとつ、「出張100人稽古!について」。
前回の実施に続く計画で、これは熊本地震による寄付金や各地からの応援もあり、活動の意義や継続の意味を広げるためには重要な議題だと思った。継続は力也。
ところで、演劇と地震からの復興の関係は?大きなテーマである。ヘラヘラしている場合ではないですね。この件については真剣に向き合おうと思う。
演劇の力が問われているのです。
笑うセールスマンのような格好をした演出家の小西さんからも貴重な意見を聞くことができた。なるほど!・・・軽々にここでは書けないよ。ちょっと経済ボランティア団体の内情を調べてから考えよう。
いずれにしても「100人稽古!」。ドキュメントする価値はあります。この発想は演劇の中から生まれてきたことだけは確かなことですよ。

劇場に捧ぐポスター展

2016-12-18 14:24:21 | モノローグ【エトセトラ】
昨日12月17日(土)は熊本市中心街(通町)でキラキラパレード(ディズニーのキャラクター行進)で交通規制されていた。なんと10万人を超える?ごった返しようだった。
人をかき分け、上之裏通りにあるギャラリー武智に行きました。

三枝 泰之氏の「いま・ここを探して…」先行展(シーズン1・12月15日〜25日:会場//ギャラリー武智 熊本市中央区水道町4-1-2F)。オープニングパーティーに出席させて頂きました。
氏の手掛けた舞台広告の記録展、「劇場に捧ぐ」となっており、
「演劇ポスターは演劇の単なる広告ではありません。」という刺激的なテーマがあります。私なりに解釈すると、ポスターが町に溢れ出す時から演劇は始まっている!そういうことだと思います。

赤い百薬の長(ワイン)を飲みながら「酒はやめました。」と何度言ったことでしょう。これは先週公演を終えた「少女都市〜」の名台詞です。

シーズン2: 1月7日〜20日 崇城大学ギャラリー 劇中劇的インスタレーション展示
シーズン3: 1月16日〜31日 長崎次郎書店ギャラリー 白泉文庫のブックデザイン
へと続きます。

昨夜も刺激的で素敵な方々との再会や出会いがあり、赤い酵母菌と共にこころが健康になりました。

レポート(3)

2016-12-16 17:48:52 | 九州「劇」派2016
公演レポート(3)わが愛する登場人物論【最終回】
九州劇派くまもと
拝啓 唐十郎さま「少女都市からの呼び声」より

戯曲では20名ほどの登場人物になっているが、劇派では予定の半分になってしまった。オープニングとエンディング、マボロシの手術室やガラス工場の人体実験室、マボロシの満州の場を群衆劇にすれば、もっと迫力のあるものになっていただろう。ここにはとんでもないバケモノが見え隠れする。こころの中の狂気である。戯曲の行間に〈魔〉が潜んでおり、それを形にできないものか?方法として量に向けられるのだが、数の制限もあり質に向かわざるを得なかったのだ。
内部事情もあり、又、早稲田での旅公演に向けての制作予算の都合、公演会場の面積の都合、言い訳すれば予定の半分で結果オーライだった。意志を噛み合わせる作業は少数が深くなるのです。
戯曲を削ることもなく、ひとり何役ということもしなかった。不利を有利な都合に置き換えることができたのは危機意識を参加者で共有できたからだろう。つまり、言い訳ではなく、参加者が作る!実現する!ことに危機意識がポジティブに働いたからだった。ネガティブなことは都合悪くなると他人(ひと)の責任にしたがるものだが、そのような無責任がなくなっていたのだった。無責任は自然消滅するものだよ。自滅する現象は何度も見てきたから学習しているのだった。
配役決めについては公演体制に入る前のワークショップで〈必然〉を確認できたのである。基準は配役のコンビネーションが合うかどうか。人物の台詞や置かれた役割に自分のこととして近いかどうかが客観的に見えるかどうか、そして自分のものにしてしまえるかどうか。中心に立ちたいエゴの廃止や脇に回ることの重要さを理解できるかどうか、これに尽きたと思う。
劇は共同作業である。同時に自立した人々の集団が理想でもあり、力はそこから大きく見えたり小さくなったりするね。競い合うのではなく、溶け合うことだ。ある意味、これは生産するための性行為のようなもの。暴言やセクハラではなく、観念は必要です。

劇の進行は田口青年(工藤慎平)の手術室での幽体離脱からハジマル。
これに立ち合っていたのがアリサワ青年(太郎)とその恋人のビンコ(山田夕可)。どうやら田口とアリサワは親友を超えてホモだったのか?危険な関係であることをビンコは気づく。
田口の幽体離脱の行き先は、実在しない妹=雪子(肥後丸.)に会いに行く虚構=何もない世界に向かうのである。
何もない世界とは?・・・ところが、ここは猥雑で騒々しい人々が棲息していた。
そのひとり、雪子のフィアンセであるガラス工場の主任、フランケ醜態(玉垣哲朗)。この男は何者かというと雪子をガラス女に改造するキチガイ(死語)博士なのである。死語が飛び交う。スタニフラフスキーって何?タマガキラフスキーの誕生だった。
雪子とフランケの関係は永遠の命を作るガラス工場の透明人間だったのだ。あるいはフランケが雪子に「お前は人間ではなくガラスだ。」と洗脳していたのか。
ここで告白するが、田口と雪子は近親相姦だった。カラスがカーと鳴くどころではない。観念では兄と妹の一線を超えることにロマンを感じることがある。神や生態系に対する叛乱か。男は大半、マザコンである。大半は観念で終わり、兄妹のタブーも観念で終わり、突き詰めればこのタブーは自慰行為で一件落着するのだが、劇ではドラマとして突破するのである。
更に付け加えるならば、雪子はアリサワにまで関係を持とうとする。これは不倫だ。当然、ビンコは嫉妬に狂う。
間違っていたらごめんなさい。オンナはオトコを独占したがるものだ。ビンコは怒り狂い雪子を瓶に閉じ込めてしまう。間違っていたらごめんなさい。オンナは恐ろしいね。
ごめんごめん。独占とか恐ろしいとか、こころにもないことを言ってしまった。オトコがダメなのである。オトコは性に対して無節操でありダラシナイところがある。信念がない。欲望に溺れやすい。誘惑にハマりやすくできているのだよ。バカだからねえ。甘いのだよ。
うん?すると雪子はオトコか?そうだ、田口と雪子は同一人物という設定になる。
マボロシの満州の場では唐突に時間が乱れる。フランケの記憶の中に劇はなだれ込むことになった。大冒険は連隊長にアリサワが登場して、フランケは二等兵という立場になった。渦中、アリサワと田口が入れ代わる。この三角関係に何があったのか?
満州の謎めいた時間が乱入する背景を考えると、この劇は夢の暴力、歴史に対するテロルを試みているのだった。政治ではない。劇で仕返しをやっているのだ。するとどうだ、ユートピアが迫ってくるのです。唐突に上海ママ(新大久保鷹)までドサクサと乱入する。「少女都市」に「少女仮面」の歌を入れる。
なんと、イシャ(海幸大介)とカンゴフ(夢現)は、ある時はオテナの塔へ旅する老人であったり、ある時は朝鮮米を突く町の人であったり、ある時は満州の行軍だったり、病院のイシャとカンゴフを貫きながら劇に縦横無尽に行き交うことになった。
つまり、この劇は脇役に見えるこの二人によって夢の中の夢、劇の中の劇で遊戯療法をしていたかのようになった。
感想、熊本公演ではテンポとリズムが進化したのであった。個人的に言えば、腿肉の内側に興味をそそられるようになったのは大発見だった。

役者は細胞のように分裂と増殖を繰り返しながら生きているのです。

レポートは舌足らずのまま、これにてオシマイ。興味のある方は記録をDVDに残しておりますのでお申し付け下さいね。
九州劇派くまもともこれにてオシマイ。
次は一年半をかけて南米ブラジルを目指します。コツコツ行きます。
只今、制作スタッフ、及び、来年から出演者を募集します。再来年より同行ツアーも募集しますよ。
乞うご期待下さい。

レポート(2)

2016-12-15 23:11:07 | 九州「劇」派2016
九州劇派くまもと
拝啓 唐十郎さま「少女都市からの呼び声」より

公演レポート(2)ビバ!くまもと。

熊本地震を体験して、この劇は早稲田に止まらず、熊本でも公演するべきだと気持ちが固まりました。これは参加者全員の固い意志でもあった。
演劇が限られた人々にしか見せられないLive(ナマモノ)は承知の上で、それにも関わらず、見られた方々からの記憶や想像力によって社会(この場合、地域と言うべきか?)に波紋は広がるものだと信じているからです。どんな波紋だろうか?良し悪しはどうでも良いのです。・・・一石を投じることからハジマル。
この劇を簡単に言ってしまえば、ある男の手術中に見た夢の世界だと言ってしまうことができるかも知れない。夢落ち?
違うのです。唐十郎氏の劇作法はそれでは片付かない。マジックであり、夢の世界からの叛乱があるとです。
これは自論に過ぎないが、肥後もっこすや火の国の女の正体に芯の強さを歴史的に感じていました。これはとても熱い!マグマだ。
その熱さが劇の中心にもなっており、熱さとは虚構のエネルギーだとも言い換えることができるのです。
個人差はありますが、苦難によって強くなる人々が生きているのです。それを熊本地震によって理解できたことも事実としてあります。ジッと我慢する人もいれば、裏返しに笑顔を絶やさない人もいる。こういう人たちがいたから、私たちは心の支えになったものだと思うようになりました。
「少女都市〜」に於いても、妄想やマボロシの満州へ流れ込む時、少女都市の「少女」はガラスの子宮であり、都市はガラスの国家のようにも思える。ガラスは割れる。割れないガラスもあるのか!
つまり、特権的とは壊れやすいものだと思うのです。その証拠に本筋は肉体から転落した人々ばかりが登場する。その象徴が雪子であったり、時空を超えた国家=満州に繋がる。だがしかし、これは堂々とした詭弁です。その本質は男女の淫乱をも思わせるから狂気や恐怖があります。そして、道徳的な悪、タブーを笑ってしまうところもあり!
熊本は老若男女問わず、キレイどころが多いと主観しています。それ故、ここに生きる人々は落ち着かなくなる。町を歩けばウキウキする。妄想する。まるで日本にいながらにして、ラテン系になってしまうのです。ラテン系は楽観でもあり、恋に陥り易いのです。
この劇は楽観と悲観が重なり合い、快楽と苦痛がべったりハマってしまいます。
地方都市=くまもと、今、まさにこの劇がそのもののように思えたから不思議です。
1982年?に上演された新宿梁山泊の金守珍さんが言われた「これは私の人生そのものです。」が強く心に響きます。
言い換えれば、この町そのものの!
拝啓 唐十郎さま、
ビバ!くまもと。劇はこのメッセージとして返礼するものでもありました。

次は(3)わが愛する登場人物論に続きます。
個人的見解や内部の人間関係が見え隠れするでしょう。どうやら、役者は細胞のように分裂と増殖を繰り返しながら生きているのです。

レポート(1)

2016-12-14 18:31:30 | 九州「劇」派2016
レポート(1)
九州劇派くまもと
拝啓 唐十郎さま「少女都市からの呼び声」より

公演レポートと言うより、これは私の感想文です。
以下、長文ですが綴ます。気を失わないようにして下さいね。
(1)まえがき
(2)ビバ!くまもと。
(3)わが愛する登場人物論
の流れで綴ます。

Space早稲田演劇フェスティバル2016参加のためにユニットとして立ち上げた九州「劇」派でありました。これは福岡の仮面工房と熊本の夢桟敷の有志で共同計画されたことだと認識しています。台本選びは仮面工房のG君(現在は仮面工房を脱退)が持って来たものに決定したのも事実です。
2月より月に3回程度の「少女都市からの呼び声」(唐十郎)の本読みや、唐十郎氏の理解を深めるための講座ワークショップを繰り返してきました。特権的肉体を理解することでの独自な劇作法を捉えなければ、集団として噛み合わなくなるだろうと懸念していたからです。とにかく、熊本地震に見舞われるまではオーディション形式のワークショップを続けていました。その場で参加の意思を確認したり、公演に向けてのアイディアや福岡と熊本での稽古をどうするか?なども検討していました。
熊本地震が4月14日と16日、2度に渡る震度6強から最大の7が起こりました。その後も震度3〜4の余震が歴史上類を見ない回数で続きました。
仮面工房は地震直後に公演を予定していたのですが、熊本市東区健軍商店街の会場ビルが壊滅状態に陥り公演中止に!夢桟敷の劇団事務所も半壊状態で移転を余儀なくされてしまいました。
地震から2〜3ヶ月は稽古の体制に入れず、一時は東京公演も危ぶまれました。地震ばかりでなく、体調を崩したり仕事や家庭環境の変化により参加できないことが判明したりで内部状況の危機もあったからです。
東京公演は流山児事務所と東京スタッフさんの御助力を頂きながらも実現できたことで救われました。
東京公演での出演は仮面工房からは無しになってしまい、劇団みちくさの玉垣君、福岡のフリーの女優、峰尾さん、東京からの客演=新大久保鷹さん、そして劇団夢桟敷の面々でした。

さて、先日公演が終了した熊本公演です。
当初は仮面工房が4月に公演を予定していた健軍商店街のギャラリーでしたが使用不可能になり、小屋探しに奔走するも、熊本市内の公共ホールや公民館もダメよダメダメでした。困り果てているところでゼロソーさんのアトリエ、花習舎が!灯台下暗しとはこのこと。捨てる神あらば拾う神あり。ゼロソーの山田夕可さんが福岡の峰尾さんと入れ替わりに加わってきました。プラトニックラブですね。外国語の関係になりました。翻訳すると「かわいい関係」です。
客席30で満杯状態になる小さなspaceですが、私たちは狭いspaceを活かすのは得意であります。これがアングラ劇よ、小劇場よ、とビンボー劇団の知恵が発揮できる最適の環境です。感謝、感謝で使わせて頂きました。
案の定、お客様との濃密なコミュニケーションがとれました。民間であるが故の会場での終演後の小パーチー。これが最高に良いのです。流れで近所の焼き鳥屋さんにもお客さんとも行けました。この流れができると、もう、お客さんと言うより身内の関係になります。他人ではないのです。
東京公演の直前に座長の父が亡くなり、座長の実家の町からも知人や親戚の方々が見にきて来れましたよ。初めて見るアングラ劇でしたが、この関係には言葉にならない程の思いがあります。
亡くなっても座長の父が呼んでくれたのだと・・・。

次は(2)ビバ!くまもと。に続きます。
国家論や愛国心より、地方都市に生きていることの面白さを綴ます。つまり、唐十郎氏は路地裏と海峡を超えた半島や大陸と繋がったマボロシを探検・探偵していたように、それは単純にマボロシではなく、熊本にも共通する未知との遭遇ではなく、概知としての劇の構造があることに気付いたからです。

ちんこ?

2016-12-13 23:16:23 | モノローグ【エトセトラ】
息抜きに山鹿に行って来ました。
八千代座の資料館に行くと、年表で1921年(大正10年)「少女歌舞伎 山鹿ちんこ座」誕生 と記されていた。
ななな、何なんだ?「ちんこ」とは?
この「ちんこ」が心の中で引っかかり、モヤモヤしながら灯篭作りを見学したり、喫茶店でコーヒーを飲んだ。
モヤモヤモヤモヤ。
帰り際に資料館のお姉さんに聞いたら、「ちんことはちびっこのことです。」と説明された。
あ〜、スッキリした。