山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

夜の公園【花見】

2014-03-30 23:22:40 | モノローグ【エトセトラ】
散るサクラ、夜の白川公園で花見をした。
昨年はホームレスさんにビールを御馳走しようと運んだのだが、慌てて逃げられてしまった。
今年はいなかった。追い出されたのかな~?
持ち寄りによる宴、女子が手作りをご披露してくれるから豪華になる。
バカ騒ぎはしない。家族親戚の集団のように見られる。
隣は県警本部(北署)である。パトカーがサイレンを鳴らして出動する時、腰が浮く。逃げる姿勢になるのは男子たち。
この時期、この場所、稽古終了後の花見は定例行事となっている。

送別会・N Daisukeさん

2014-03-27 23:36:49 | モノローグ【エトセトラ】
4年前よりダンス振付ばかりか役者として舞台に出演してくれていた中村大輔さんが、コンテンポラリーダンス修業のため東京へ出て行くことになり、送別会を行った。
彼曰く、「熊本はツマラン!」ではなかった。面白い師匠がいるらしく勉強することが目的。
チャラチャラした芸能への憧れではなく、道を究めることが素晴らしい。
アメリカのダンス事情を見ていて、日本人の活躍は目を見張るものがある。ダンス輸出の兆候を感じるこの頃。
ダンサーとしての身体能力に劣っている劇団に辛抱強く付き合ってくれた彼に感謝します。
彼を紹介してくれたMAMIちゃんからも手作りケーキのプレゼントがあった。
イチゴケーキとチーズケーキだった。
それを車で運ぶ時、急ブレーキをかけてしまったから一箱、座席から転げ落としてしまった。
縁起でもない!まごころが台無しではないか。ケーキ投げでもするか。
幸い、落ちたのはチーズケーキの方であり胸を撫で下ろす。安全神話。ほっ。
春が来ると去って行く者、復帰して来る者がおり、時間の流れを感じる。
私たちも一生勉強、一生修業である。

観光気分!

2014-03-25 23:02:12 | モノローグ【エトセトラ】
今日は名古屋から先輩じゅん子さん(女優)が熊本へ来られた。
彼女の娘さんファミリーは大分県佐伯市在住のため、車でひと山(九重ー阿蘇)越えて来られた。
小さなお子さんも一緒だったため、動物園でゆっくり楽しもうと思っていたのだが、結局、熊本城へご案内。
正解!動物園は休みだった。
平日昼だというのに観光客で溢れていた。
桜満開、春休みの影響もあるのだろう。団体客では中国語、朝鮮語、英語が混じり、熊本城も国際観光場所になっている。
御来客がない限り、お城に行くことは滅多にない。熊本市のシンボルであるのだが、「これが熊本城です。」ぐらいしか説明できないことに自らの貧困を感じる。
謙遜です。築城400数十年のことはちょっとくらいはかじっている。
私の息子は会員制の城主でもある。えへん。それにしても城主は無数にいる。えへんえへん。
同行したまみちゃん(ダンサー)は西南戦争のことなどを交えてファミリーに説明していた。聞きながら私は「ふむふむ」と学習する始末。
昼食は桜の馬場・城彩苑にて座長も合流する。8人の席を確保するのに苦労した。熊本の有名店が並んでいる。
「ここには武将や忍者がいるよ!」と子供たちに言うと目を丸くして喜んでいたのだが、アトラクションは終わっていて残念だった。
あの宮本武蔵が行列の整理をしていた。お疲れ様~。
昼から夕方までご一緒していたのだが、会話は殆ど演劇のことばかりだった。
今年は久しぶりに名古屋公演も計画している。
それにしても熊本ご案内は日帰りではもったいないような気もした。

サイタ サイタ サクラガサイタ

2014-03-23 23:29:58 | モノローグ【エトセトラ】
YouTube 野坂昭如より 
マリリンモンロー ノーリターン

写真の桜は熊本市中央区白川公園です。「透明人間」稽古は横の中央公民館にて。
和太鼓ドンドコドン。只今、ダンスと歌のレッスン中なり。
明日(月)の稽古はマリリンモンローの歌と被さる予定です。

おや?今日、届く筈の熊本公演チラシが届かなかった。
今日の稽古では劇団内でチラシとチケットを配分することになっているのだが・・・。
よく調べてみると、今日が印刷の仕上がりで発送日だった。届くのは明日(月)か(火)という。
思い込みはダメだ。確認することは大事だ。
尚、チケットは出来た。・・・会場が前回より広い為、期日指定なしで配れます。

春が来たのか。

2014-03-20 23:41:38 | モノローグ【エトセトラ】
稽古が終って外食が常となっている。
イシャから「血糖値が低い。」と言われて、レストランで注文するのは黒霧島ロックとポテトフライが定番となった。
一口入れると血液に糖分が増えていくことがわかる。力が漲る。程良い加減は3杯までである。
呑み過ぎると脳の血管がプチプチと音を立てる。目の前の風景が暗くなる。
「この世はもうじきおしまいだ。」の歌が聞こえてくる。厭世的な気分になる。
このまま冬がつづくと死んでしまうかも知れない。殺される。
戦争だ。・・・遠い国のことではない。

まだ朝は冷え込むが、桜の開花宣言が発表された。
日本の自然界はたんたんと季節を巡っている。
私たちもたんたんとしなければならない。慌ててはならない。

「透明人間」【旅計画】について
熊本市⇒(熊本県内数か所)(長崎)(福岡市又は北九州市)⇒(名古屋)⇒(東京)(大阪)他そして⇒(札幌市)。
来年の5月まで旅公演を計画しているのだが、予定は未定であって決定ではない。
5月公演が終わったら発表になります。

リズム感

2014-03-17 23:06:22 | 透明人間三部作-2014-2015
稽古では録音された音楽を流しながら太鼓を叩いてリズムをとっているのだが、どうもおかしい。
ロボットたちのオドリとリズムが合っていない。
ダンスの方はそこそこ形にはなっているのだが、「差別だ」と言われることを恐れずに言う。
老人ホームや保育園の音楽発表会のようにみえる。大の大人たち!
太鼓は私が叩いている。それを座長が録音した。
前から言われていたのだが、私の太鼓の音がズレていたことを確認した。
自分がズレていることに気付かなかった。自分が自分が・・・。
「そろそろ花見のシーズンだね。」そう想いながら叩いていたのだった。
今日(月)は玉垣君(劇団みちくさ)が稽古場に訪問してくれた。
まなみー24才の誕生日だった。ケーキが・・・!闇に包まれた。(笑)

チラシの表

2014-03-15 23:25:49 | 透明人間三部作-2014-2015
No.64「透明人間」
熊本公演5月第1弾。
宣伝美術(坂本咲希&小林駄々)を公開します。

何でも言えることだが、作ることには苦労がつきまとうものだ。
苦労があるから出来た時の喜びは大きくなる。
中途半端だと悔いが残る。悔いは愚痴になる。とても見苦しい。
その流れには乗らない。
劇作りはチャラチャラ感を一掃して取り組む。真面目なのだ。
この劇では「放射能」や「戦争」がキーワードになる。
透明=見えない恐怖を劇で表現する生みの苦しみを味わっている。

チラシの原稿があがった。
仕事と稽古、制約された時間のやりくりの中で出来た。
昨日から座長がこの原稿を印刷会社にメールで送信しているのだが、・・・。
問題が発生している。送れない!
一難去って又一難!
事務的な作業のレベルから劇的である。
ひとつ一つ解決することによって小さな喜びも倍加される。
台本、音楽、衣裳、舞台美術などが具体化していく時、劇団の集団性は強く固まる。
苦労があり、それを分かち合える関係があるから進化する。

台本プロローグ

2014-03-14 01:02:27 | 透明人間三部作-2014-2015
私たちは見えないものを
見えるようにしなければならない
時代に突入したと思った。
人間が作り出した<悪魔>の
エネルギーのことだ。
ここに登場するのは人間ではない。
人間には見えない
透明な時間の中に表れた怪物たちである。
現実的ではない。的ではない。敵ではない。
それは批判される対象ではなく
劇では賛美されるものへ代わる。変わる。
未来は過去の万華鏡である。現在(いま)も万華鏡。 
劇団夢桟敷2014年は未来幻想派宣言する。

【プロローグ】
謎めいた集団(軍用ロボットたち)
毒ガスマスクによるオドリ
(音)+(美術)
■■■■■■■■
透明人間
■■■■■■■■





台本エピローグ

2014-03-13 14:51:09 | 透明人間三部作-2014-2015
劇の終わり方は決定的なものとなる。劇そのものの方向性や見え方が問われる。
何故、演劇をする?何故、お客さんは足を運んでくれる?・・・演劇は生き物だと想う。バケモノにもなる。
楽しければ良しとする一時的なものではない。欲深くなった。反省が多々あった。だから劇団として続いた。終わらない。
内に籠るか、外に飛び出すか。ダラダラとした日常感覚で丸く治めるか。ハッピーエンドか、悲劇で幕か。
そのような技術的な選択は拒否することにした。

「見えない劇」=「透明人間」
「人間不在」=「透明人間」

コンセプトが定まってからは、その反対の力が漲ってきたから不思議だ。
見える!人間がいる。
エピローグは万華鏡のような舞台にしたい。

パソコンで台本を作っているから部屋はスッキリしている。
昔のように鉛筆で書いていたら部屋は消しゴムのカスと紙くずでゴミ部屋になっていたに違いない。

チラシ作成中

2014-03-12 02:12:10 | 透明人間三部作-2014-2015
次回公演チラシ裏の作業中。
セブンスターが増える。健康のため吸い過ぎ注意である。
蛇足だが、このタバコ名をコンビニで買う時、「セブンイレブン下さい。」とよく間違う。

表の方はサキ&駄々ちゃんが作成する。
このタッグ、プロレスで言うとキラーカーンと上田馬之助のようだ。
プロレスの例えは間違っている。
蛇足ではなく豚足である。

明日はチラシ裏のデザイン構成を座長=夢現がしてくれる。
締切は明後日だからテーヘンだ。
ちなみに、夢現はむかし、
「黒い魔術師アブドラザブッチャー」と呼ばれていた。
これは蛇足でも豚足でもない。

3.11あれから3年

2014-03-11 18:33:02 | モノローグ【エトセトラ】
【山南ノート2011年3月11日】
【2011年「ねじ式」活動記録】


東日本大震災から3年。
その日、劇団夢桟敷は「ねじ式復活」公演(原作:つげ義春)初日を迎えていた。
「まさか、こんなところにメメクラゲがいるとは」で始まるこの劇が、「まさか、こんな日に大震災が起こるとは!」である。
本番前のゲネプロが終わって一服しているところで仙台空港大津波のニュース画面を携帯電話で見た。被害は東北ー関東太平洋側で広範囲に渡っていることを知った。
その時、脳裏に過ったのは阪神淡路の大震災だった。テレビニュースで見た空襲空爆のような大火災、都市破壊と重なった。
「これは尋常ではない。」
公演が終わって家に帰り、テレビをつけるとこのニュースは24時間流れっぱなしになっていた。
追い打ちに福島原発が爆発するニュースを見て、「日本は末期症状になった。」と慌てた。他人事ではない。チェリノブイリと重なった。
あれから3年目の今日まで声なき声が聞こえるようになった。
関東大震災の時のように暗雲に包まれ戦時体制化していく大日本帝国の恐怖さえ感じるようになった。
同じことを繰り返さないように!
追悼。
そして、安全神話が崩壊したことを忘れるな!である。

アイドル

2014-03-10 23:42:53 | モノローグ【エトセトラ】
昨年の寺山30年「レミング」公演より高校受験のため休演していた少女KARENちゃんが劇団に復帰してきた。
中学校を祝卒業!この春より高校生である。
早いもので入団(小6)して4年になる。キッズミュージカルではリーダーだった。
今日は稽古前にささやかなお祝いをした。
今から稽古場が華やぐ。夢桟敷にはアイドルが~♪

映画「ほんがら」にて

2014-03-09 17:39:40 | モノローグ【エトセトラ】
劇団員太郎君がこの間、バタバタとしていた。上映会の準備に追われていた。
その大変さは我がことのようにわかる。人を動かすにはタイムリーさと普遍がある。
企画や集客に向けての苦労はスタッフが少数であれば大きな負担を感じることもある。
それも熱意でフォローされる。作品に対する愛というか、意志の強さを感じた。
昨日(土)上映会に行った。
映画の魅力の一つにドキュメンタリーはある。演劇ではこうはいかない。

農村再生ドキュメンタリー映画作品『ほんがら』自主上映会

「ほんがら」とは「からっぽ」という意味で使われている。
この映画は滋賀県近江八幡市島町で50年途絶えていた「ほんがら松明(たいまつ)」火まつり復活のドキュメントだった。
老人クラブの呼びかけで若い力、青年団まで再生していく様子が流れる。小さな町(農村)だからこそ見えるヒューマン。
農業離れしていく時代に<まつり>の力で町が再生される。否、若い世代の<こころ>が活き活きと復活する。
ほんがら、つまり空洞を作った大きな松明にてっぺんから火を噴き出す。
記憶を頼りにこの仕掛けを作る場面や、松明を大勢で立てる場面、圧巻だったのはその松明を地面に叩きつけて空気を送りこむ場面。
うまくいかない。「もう一度」とやり直す。諦めない。まつりの人々の力が大きく固まる。
昔から農民たちは下向きで力強かった。叩かれても耐える。「もう一度」と歯を食いしばって生きた。
クライマックスで火を吹いてくれた。もしも火を吹かなかったら・・・。それでも大きな感動はあったと思う。
ドキュメンタリーは新しいドラマとなってつづく筈。
今、農村の在り方に不安はある。だが多くを語らなかったこの「ほんがら」に多弁を感じた。農村を死なせてはならない。

上映後、鍋パーティーとなった。このお寺で鍋を食べたのは3回目である。
5月16日・17日は同会場(法泉寺)で夢桟敷の「透明人間」公演をする。
写真は(左)長岡野亜監督、(中)このお寺の住職さん。

戦争と放射能【ダンス】

2014-03-07 13:11:32 | 透明人間三部作-2014-2015
チェリノブイリ原発事故で国家予算の4分の1⇒ウクライナ内乱勃発。
それを巡ってロシアと米国ECの制圧制裁合戦が始まった。
日本では北朝鮮・中国との戦争準備に向けて集団的自衛権(憲法解釈の変更)を打ち出している。
他人の喧嘩を売り買いすることができるばかりか、人を殺しても良いという解釈だ。
戦争の放棄、平和憲法なんて邪魔だとするもの。
ヒロシマ・ナガサキの原爆、フクシマの原発の教訓も反省もない。
痛みを感じない時代である。麻痺しているのだろうか?

こんなご時世だから・・・
次回公演「透明人間」はある。
副題は「未来幻想」としているのだが、
その「幻想」は現実の方が先行しているようにも思われる。
この十数日、「5.戦争」の場を書き直し構成を練っている。自分で自分のダメだしが続いている。
一歩間違うと「清く正しく美しい」戦争になる恐れあり!危険だ。そんなつもりはない。

「あなた!何をしているのよ!」と座長をはじめ、出演者劇団員からチクチクと針を刺される。
「ごめんなさい。もう少し待ってくれ~」である。
「酒ばかり呑んでないで!」
幻聴かと思っていたら、みんなの心の叫びだった。

写真は昨日の稽古風景です。ダンス(指導MAMI)
昼と夜の寒暖差がある中、稽古はリズムを調整している。
「ことば」を肉体化している。・・・ベーシックを固める稽古です。
見えない!人間不在!が課題だが、その逆がゆっくり拡大しつつあります。
今日の稽古は「倒れる」と「立ちあがる」へ。