山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

白内障入院(1日目)

2013-07-27 14:02:26 | 入院日記「白内障」2013.7月
<入院日記>◎2013.7.17-7.27熊本市民病院

昨年より目のかすみが気になっていた。今年の5月連休明けより左目が見えなくなった。光の明るさが認識できる程度である。片目だけだが、失明することへの恐怖。他人様は「病院へ行こう!」と軽く笑う。
眼科医に行って調べてもらうと「白内障が進行している。」と診断された。女医さんだった。コロッと病院が好きになった。
入院手術が必要と言われる。経験者や白内障のことを知っている人に言わせると「大したシリツではない。」と言うのだが。口を揃えて言う。「合併症は怖いよ。」と。入院の日まで血液、尿、心電図、脳波、レントゲンなどの検査をしてもらっていた。
「糖尿病など数値的には異常なし。」と言われた。しかし4人に1人は糖尿の時代である。これから先、加齢からくる生活習慣病注意!である。
以下、入院日記。

■7月17日(水)
朝から落ち着かない。入院先は近所の熊本市民病院である。
今日明日の二日間は座長が付き添ってくれる。住居が近いため毎日通ってくれるだろう。
4人部屋である。話し相手があって良い。さぞかし賑やかなことだろうと思っていたが、各ベッドはカーテンで仕切られており静かなものだ。そもそも病室は賑やかな筈がない。ふざける場合でもない。
問題はタバコだ。入院を機会に辞めるべきだが・・・。病院敷地内では禁煙である。禁煙ルールは守らなければならない。正面玄関を出たところに喫煙所がある。抜け道はあるものだ。それにしても1日5本までとする。禁煙ではなく減煙を!決行けだらけ猫灰だらけ。
私の隣ベッドの白内障紳士(83)は耳が少々遠く、若い看護師さんとの対話にボケの企みを感じる。
看護師「今日はお通じがありましたか。」紳士は何でも「しらん!」と答える。「わしゃ、なーんもしらん!」。ところが!看護師さんが去った後で、「お通じなんぞ気取った言い方するからいかん。クソと言え、クソと!」。カーテンの向こうから紳士のひとり言が聞こえた。優しい顔をしているがひと癖ありそうである。
明日の午後は手術である。人工レンズを入れると言う。・・・ところで私の担当女医さんのマスクをはずした顔を初めて見た。さかなの帽子を被った「さかな君」そっくりだった。相変わらずのアニメ声が響き渡る。夜10時消灯。

白内障入院(2日目)

2013-07-27 14:00:09 | 入院日記「白内障」2013.7月
■7月18日(木)
朝5時起床。早く寝ると朝が早くなる。
今日は手術の日とあって午前中から血圧が上がった。上164である。安静にしていれば130くらいであるが、計りに来た看護師さんは「興奮しやすいのね。」と言って笑った。興奮?腹上死には気をつけよう。
手術前の点滴で「血管が細いですね。」と言って笑った。血管が浮き上がってこないので手首に刺された。
担当のさかな君(女医さん)は午前より6人の白内障患者の手術をおこなっている。私は5番目で午後1時半スタート。1時間くらいかかった。軽い人だと30分以内で済むという。
アニメ声で手術の様子を説明してくれる。軽やかに感じる。
「今、消毒しているところですよー。麻酔してますよー。・・・」
心電図の音やモーターの音、意味のわからないアルファベットの声。エスイーエックス・・
次回公演「遊戯療法」の音響を思い浮かべていた。見えない劇とは?
柔らかい筈の目ん玉が石のように硬くなったようだった。石を削る感触。痛みはないが肩や腕に力が入り硬直する。・・・目に飛び込んでくる緑や赤い光線。水が差し込まれる。
眼科女医さんの偉大さを実感した。終わって感謝の念。
手術室は7名以上のチームで動いていた。
手術が終わったら私の好きな眼帯がテーピングされていた。私は眼帯とマスク愛好者である。それを座長が写真に撮り劇団のメーリングへ流した。私の顔を見て笑っている者もいるだろう。それが座長の意図だ。私の意図でもある。笑われてなんぼーである。
夕方、座長の両親が見舞いに来てくれる。洒落で「死んだふり」をしようと思ったが相手は選ばなければならない。座長が動じたら遣り甲斐はある。夜10時消灯。

白内障入院(3日目)

2013-07-27 13:55:20 | 入院日記「白内障」2013.7月
■7月19日(金)
朝5時起床。
食べることか楽しみになった。朝食は定番の味噌汁、のり、梅干し、納豆、酢の物、牛乳。昼食はイタリアンパスタ料理だった。夜は煮干し2匹に煮物、うずらのお吸い物。1日3食で750円。
最近、社員食堂や学食ツアー巡りが流行っている。ヘルシーさから言うと病院食も流行る筈だが。ご飯の大盛りサービスがないので炭水化物を取り過ぎる心配もない。
眼帯を取り、手術後の診察となった。「目が腫れている。充血している。眼圧が高くなっている。」テキパキと目薬や飲み薬の処方を指示するさかな君(担当女医さん)。
昨日の手術では白濁したゴミを取り除き人工レンズを入れた筈だが未だ見辛い。不安である。指示通り目薬3本、抗生物質や眼圧を下げる飲み薬を時間通り飲むしかない。
隣のベッド紳士、同じ日に手術して今はばっちり見えると言う。退院は最短の次の月曜日に決まったと言う。私は少々、長引きそうである。明日、再度診察がつづく。
座長、サキ、くどしん、ゆうむ、ゆりちゃんたち我ファミリーたちが見舞いに来てくれた。会うと明るい気持ちになる。
「シリツは失敗した。」とうそぶいても「天罰じゃあー!」と言って喜ぶ有様。
担当女医「さかな君」と私が言ったことでサキは魚研究タレントのさかな君のものまねまをする始末。それにしても似ている。
ゆうむはバイ菌防止ゴーグルを私がつけているのを見て「それが人工レンズ」と思っていたようだ。角膜の中にある人工レンズのことであるが、私もよく理解できていない。
夜10時消灯。(いつもは稽古終わって夜の飲食タイムのところだ。)

白内障入院(4日目)

2013-07-27 13:50:07 | 入院日記「白内障」2013.7月
■7月20日(土)
朝5時起床。入院4日目にして早寝早起きが習慣になった。信じられない健康的生活習慣。
慣れたとは言え、・・・眼圧が高い、充血が引かない、未だ視界がぼやけている。目糞がかさぶたのように固まる。退院の期日が決まらない。つまり、順調に回復しているとは言えない現状である。一緒に白内障の手術をした5名の方々は視界良好、順調に回復しており明後日(月)の退院を楽しみにしている。「退院したら温泉に行くど。」と隣の紳士が笑った。 
ベッドでじっとしていると不安になる。担当女医さん=さかな君スタッフと看護師さんたちも大変気遣っている。思い過ごしか。よく声をかけてくれる。
「NHKのドラマ、タイムスクープハンターみたいですよ。」それはゴーグルの故だ。
病院館内を歩きながら写真をバチバチ撮っている。病院ハンターである。次回公演「遊戯療法」に向けてネタを探している。そのつもりだが、敷地外でタバコを吸えるところに行ってしまう。それだけでトータル7059歩。
明日(日)は参議院選挙の日。劇団員たちは投票するのだろうか。終わったら聞いてみようと思う。期日前投票、熊本は前回よりも上回ったと聞いている。
夜9時、目薬3本、飲み薬5種類、飲む。1日6回ノルマである。苦にならない。夜10時消灯。

白内障入院(5日目)

2013-07-27 13:40:36 | 入院日記「白内障」2013.7月
■7月21日(日)
朝6時起床。いつもより1時間多く眠れた。睡眠8時間。タバコを1本吸うのに喫煙所までの往復887歩。トータル7102歩だった。
連日の猛暑だが病室は極楽のような涼しさ。今日で入院5日目である。
参議院選挙の日。ある党の関係者は入院患者(関係者?)の外出許可をとって投票所まで連れて行っている。義理人情いろは選挙活動か。夜のテレビニュースでは開票と同時に「自民公明過半数上回る・ねじれ解消」のアナウンス。とんでもない世の中になる。私たちがねじれなければなるまい。
昨日までに比べると視界も少々広くなったような気がする。薬が効いているのだろう。充血は引かない。
今日はMAMIちゃん(ダンサー)と仮面工房の賀久さんがお見舞いに来てくれた。ビールやタバコ、フルーツ、蜂蜜などを持って。座長と私の誕生祝いも兼ねてだった。座長にビールだけは持って帰ってもらったのだが、早く退院したい。入院してから完全にアルコールは抜けている。
座長の妹ファミリーも見舞いに来てくれた。小さい頃は座敷童子のような一番下の娘さんも大学4年生で就職先も福岡の病院事務に決まったそうだ。「おじちゃんはこの病院に来なくていいよ。」と杭を打たれた。私に対してトラウマがあるのだろうか。覚えはないのだが。
テレビで選挙結果放送を見ていたので、零時就寝する。

白内障入院(6日目)

2013-07-27 13:30:37 | 入院日記「白内障」2013.7月
■7月22日(月)
朝6時半起床。午前中は左目にモザイクがかかっていたが午後より少し見えるようになった。又、夜モザイクがかかる。一進一退がつづく。
同じ日に目の手術をした人たち、私を除いて全員(5人)めでたく退院する。同部屋の紳士も退院して4人部屋が私ひとりになった。
新聞を読むと国民がアベノミクス(経済優先)を期待していることを強調。国民の大半は目先の利害しか考えていないのか。私は騙されない。新聞は「自民圧勝ねじれ解消」がおどっている。投票率は52%。有権者の半数が棄権の民主主義国家。原発・改憲・TPPなどこれからの動向に危機感を覚える。
東京では脱原発の山本太郎が当選。私としても勇気が湧く。隠ぺいされている原発の危険性や放射能情報公開を望む。
道具置き場にしていた秘密基地河原町の道具移転(1F部分)を座長、クドシン、サキ、犬彦さん、まなみが作業に取り掛かってくれた。清水の劇団事務所の一室を有効利用しようと思う。
土用の丑の日、夜の食事は小さいながらもウナギ小二切れが並んだ。11時就寝。

白内障入院(7日目)

2013-07-27 13:20:20 | 入院日記「白内障」2013.7月
■7月23日(火)
朝5時起床。早いもので入院して1週間である。眼圧が下がらない。高いと眼球の中の水が回らないらしい。長く続くと視神経に影響がある。恐ろしいことを聞いてしまった。それを聞いてから左肩から左コメカミを結ぶ線上にピリピリとした痛みを覚えるようになった。こころの問題だろうか。ベッドに横たわると痛みが走る。動いている時はそうでもないのだが。
眼圧を下げる目薬(チモプトール)や飲み薬(ダイアモックス)で効果が表れれば良い。明日の様子次第で眼圧30を切って安定すると退院の目途が立つと言う。
喫煙所で警備員の人から「あんた、何かスポーツをしてるでしょ。」と言われた。中年を過ぎてそんなことを言われたことは一度もない。存在そのものが体育とは無縁だと思っていた。身体は酒とタバコで構成されている不良作家の典型だと思っていた。「歩く姿勢がアスリートのよう」だと言われた。「ダンサーをやってた。」と冗談半分を言ってやった。面影は残っていないだろう。
昼前に新しく患者さんが入院してきた。明日、耳の手術らしい。手術の時間は4時間かかる。大手術だ。聞いただけで目まいがした。働き盛りの40代、子ども3人の家族、パパ、頑張れ!
今日の歩行5499歩。歩いた距離3.7km。消費カロリー137kcal。運動不足である。夜10時消灯。
ところが眼球に激痛が走り眠れない。零時、鎮痛剤をもらって寝たのは午前2時になった。

白内障入院(8日目)

2013-07-27 13:15:37 | 入院日記「白内障」2013.7月
■7月24日(水)
朝6時半起床。鎮痛剤の影響か、朝から下痢である。トイレに行ったり来たりしている内に痔が出てしまった。これが合併症だったのか。
朝昼夕と眼圧の検査はつづく。30を切ると退院の予定日を告げられると言う。安定しない。ベッドでなるべく安静にしているように言われているが、今日は乳児カプセル室や脳梗塞患者のリハビリ室を見学して回った。生まれて老いていく姿が目の当たりに広がる。
仕事帰り、毎夕、座長が顔を出してくれて感謝。そろそろ他メンバーも退院がいつになるのか気にしてくれている。劇団の稽古に穴を空けているとテンションを戻すのに時間がかかるような気がする。病院暮らしをして八日目、演劇の稽古も慣性の法則があることに気づく。
気持ちの上で弱さが出てきたように感じる。明日はKARENちゃんからプレゼントしてもらった「笑われてなんぼ」Tシャツに着替えるか。ジョークでも飛ばしてスベルのも気分転換には良いかも知れない。夜10時消灯。

白内障入院(9日目)

2013-07-27 13:10:00 | 入院日記「白内障」2013.7月
■7月25日(木)
朝5時起床。暇に任せて階段8Fを2往復歩く。汗をかいて入浴。「笑われてなんぼ」Tシャツに着替えた。洗髪は看護師さんがやってくれる。看護師さんは過酷な労働によく耐えていると思う。1人の労働範囲はどれくらいあるのだろう。働き過ぎではないだろうか。
次回公演「遊戯療法~レミングより」の構成台本を手掛けている。集中力は1時間程度。途中で眼圧検査や体温、血圧、薬を飲んだり、食事があったりして途切れる。やはり書く時間は夜に限る。ビールでも飲んで酔いが醒める頃に面白い発想が浮かんでくる。ここは病室だ。そういう訳にもいかない。
下関の姉ファミリーが昨日から宮崎の高千穂渓で楽しんでいるという電話があった。5月から天草―長崎ハウステンボスー高千穂―阿蘇とすっかり九州の魅力にとりつかれたそうだ。入院していなければ何処かで会えた筈だが。
私は早く退院したいのに「この際、ゆっくりお休みなさい。」と言ってくる者もいる。善意のねぎらいもひねくれて受け取ってしまう。これはいかん!やさしさなのだ。
今日も退院の目途が立たない。眼圧は高いまま。自分ではどうしようもないことだから、言われた通りに薬を飲んで病人らしくしていればいい。病人の役を!観察するには事を欠かない環境にいる。眠り薬でも入れられているのだろうか、夜8時からこっくりさん、こっくりさん、出ておいで!9時には眠る。

白内障入院(10日目)

2013-07-27 13:05:17 | 入院日記「白内障」2013.7月
■7月26日(金)
右手、左手、両足を順番に天に向けゆっくり動かす。首を回転させながら、・・・朝4時にむっくり起き上がる。見回りの看護師さんとタイミングがあって「キャーッ!」の悲鳴。同部屋の人たちを起こしてしまった。
今日で入院10日目となった。眼圧、手術による目の傷、「ひと山越えた。」とさかな君=女医さんから言われた。
今日で入院10日目となった。眼圧、手術による目の傷、「ひと山越えた。」とさかな君=女医さんから言われた。
この病院では定期的に「ふれあいコンサート」をしている。今日は午後1時半~2時まで熊本市市中央区役所戸籍係のミュージシャンがソロギターを演奏してくれた。美空ひばり、坂本九、宇多田ひかるなどのヒットパレード。金髪(実はカツラ!)の公務員は車いすだった。
コンサートが終わって嬉しい知らせを頂いた。明日、退院が決まった。角膜の傷が治まり視界も晴れてきたからである。眼圧はまだ高いが薬で抑える。通院で様子を見ようということになった。
明日からやらなければならないことが山ほど溜まっている。夜は同部屋の患者さんたちがお茶で乾杯してくれた。お茶で酔った。10時消灯。

白内障入院(11日目)

2013-07-27 13:00:51 | 入院日記「白内障」2013.7月
■7月27日(土)
朝5時起床。朝食の時間まで1Fから8Fを10往復に挑戦してみた。80Fを登ったことになる。煙とバカである。膝の関節が痛くなった。
結果、入院生活の時の方が日常生活よりも多く歩いた。11日目にしてたるんでいた胴回りも少々引きしまったように思う。
9時の検診で「無罪放免!オンシャ。」の声が響いた。さかな君(担当女医さん)である。
左目から見える風景が真っ白だったのが嘘のようだ。まだぼやけてはいるが回復する見込みである。モノが立体的に見える。
昼前には自宅に着く。午後からキッズの稽古が入っているがサキとクドシンたちに任せることにした。明後日からの二日間(月)(火)の寺山修司研究会の準備と次回公演「遊戯療法」の構成台本に取り掛からなければならない。

寺山修司研究会【3】

2013-07-17 04:41:18 | ワークショップ
写真は研究会終わって、座長と夕日のガンマン(長崎の旧友)のツーショットです。今回は「寺山修司を書く」。
新鮮だった。

■7月16日(火)

冷や汗が出る、目の前が暗くなる。熱中症でやられたよ~・・・と思っていたら血糖値が下がっていただけだった。
アイスコーヒーに濃いめのシロップを入れて飲んだら回復した。
午後7時から黒髪コミュにて寺山修司研究会(No.3)に出席。長崎の人(がんまんさん)とお会いする。
明日17日よりいよいよ白内障シリツ短期入院!・・・今夜は楽しい遠足気分前夜で生ビールで乾杯か。
最後の晩餐。
いちおう、入院中は禁酒禁煙で発狂するかもしれない。

寺山修司研究会【3】は「書く」がテーマだった。
私的3メートルの小劇場を突き抜けて参加者5名がそれぞれの国家を書いた。
タイトルは「1メートル立方体の国家」。
妄想と現実が面白く絡み合った。
これは9月くらいに市街劇としておこなう。場所は熊本市の下町で。
役者は揃っている。芸術と呼ばれるか、警察から叱られて事件扱いにされるか、熊本の文化を問いたい。

■注
次回の寺山修司研究会【4】は7月22日(月)18:00-熊本市中央区黒髪コミュニティーセンターにて。
各人の<ことば>のつなぎ目を埋める作業です。
研究は実践するためにあるのです。
勉強だけでは終わらない。それが劇だ。メモを形に!肉体に。

その日に私は退院予定です。入院中の悲惨を見せたがっている私は役者の悪癖か。
病院はシークレットのつもりですが、誰かに言ったような記憶もあり。

元気と笑顔と未来

2013-07-14 18:33:03 | モノローグ【エトセトラ】
目が見え辛く、今日の熊大演劇部公演を見に行くことやレポート作りをやめた。
誕生日でもらった酒を飲もうかどうしようか迷っている一日だった。結局、酒なしで室内トレーニングで汗をかく。
あと1kg減で70を切る。うんこの切れも良くなった。目と歯と耳、血管の詰まり具合を除くと身体作りは順調である。

昨日(土)午後はキッズミュージカルの稽古だった。
同会場(熊本市北区市民センター)は参議院選挙期日前投票がおこなわれている。
選挙日21日(日)その日、私は入院しており投票できないからそこで不在者投票を済ませた。
原発再稼働、憲法改定、TPP参加などに対する批判票を投じるためだ。
1票でも選挙率を上げたいと思ってのこと。
屁のつっぱりにもならない?
屁は垂れておかないと腹痛になる。行儀は悪いが身体には良い。

子どもたちは元気が良い。子どもの笑顔で大人は癒される。未来がある。
ここに集まっている子どもたちは夢と希望が溢れている。駆け引きも損徳もない。
演劇を遊び道具と思ってやって来るから若竹のようにどんどん伸びる。強さがある。疲れても回復力が早い。引きづらない。

元気と笑顔と未来を閉ざしてはならない。
型枠にはめない劇作りとは?
大人の都合を押しつけないようにしようと思う。

61才の誕生日

2013-07-11 16:23:20 | モノローグ【エトセトラ】
7月11日は私の61回目の誕生日だった。
朝、目が覚めると座長が顔を強張らせて「まだ生きているの?」と言った。否、「おめでとう。」と言ってくれた。
自分でもここまで生きてるとは思っていなかった。若くして野垂れ死にする予感があった。死して死体拾う者なし。産んでくれたおっかさんには申し訳ない。私にはまっとうな人生は歩めない。泣いてくれるなおっかさん!・・・だが今、両親ともに墓の中。

子どもの頃は胃弱で下痢ばかりしていた。26歳で胃を三分の二ほど切除した。60kgあった体重が49kgまで落ちた。
胃弱のくせに酒好き女好きで罰が当たったと思って、それから、どうせ短い命、私の生きる道を探した。
それが演劇だった。学生時代のアホーをもう一度。・・・太く短くがモットーだった。

どうもおかしい!と思ったのは30過ぎて子どもがポンポンと三人生まれた頃からだった。
家族、劇団とその仲間たちで「貧しいながらも楽しい我が家♪」の大合唱で日が暮れた。
河原乞食、ジプシー、偏見と差別も和らいできたようだ。
死ぬなら舞台で!

ところがどうだい?まだ生てらー。
昨年まで体重は77kgだった。今年より「ご飯大盛り」を辞めただけで5kg減量した。

神様仏様はまだ生きろと言ってくれているのである。
一週間後は白内障のシリツで短期入院する。
目が黒い内は孫世代の未来に向けて責任をとる仕事が残っているのです。
今や責任のある立場になっている。・・・座長と二人三脚、劇団は百足でつづく。

今から稽古へ行かなければ!それが終わったら座長の東京時代の友人たちと銀座通りで飲むでしょう。

寺山修司研究会【2】

2013-07-09 14:02:34 | ワークショップ
■7月8日(月)

第2回目の研究会だった。寺山修司を読む(2)
先日より寺山修司の「エロスと暴力」レポートをまとめようとしていたのだが、それは映画論として東映ヤクザと日活ポルノに脱線してしまった。こりゃいかん!・・・難しいところだ。
寺山修司が活躍した時代背景を読む視点だったのだが、のめり込んでしまった。ある意味「エロスと暴力」は私の専門分野だと自負している。
寺山修司の映画を振り返りながら読まなければならない。「書を捨てよ、町へ出よう」「田園に死す」など、8ミリフィルムの実験短編映画「釘」「消しゴム」など・・・。やっぱり焦点は絞り込んだ方が良い。
結局、商業映画と寺山映画の違いを語るには問題が大きいのだ。商業の中にも実験はあり、実験映画の中にも経済は関係してくる。
だから線引きが厄介なのだ。
それに加えて演劇と映画の関係。現場にいると主観的になってしまう。
そういう言い訳で、先日の会で頂いた三枝先生(寺山学会)の研究論文を読むことにした。

◎劇場があった風景 死への欲動
日常と劇場の関係、つまり社会と妄想(虚構)そのものを劇化することの言葉の暴力性を考えることができる。
エロス(生)と暴力(死)の関係、つまり国家の起源を連想した。

研究会が終わって座長、玉垣君、本田君といつものようにファミレスに行く。
何やら玉垣君と本田君は「妖怪ファッションショー」の打ち合わせをしていた。河原町の路上でやるそうだ。充分、寺山修司の市街劇「ノック」の延長ではないか!
尚、玉垣君が担当している熊本の演劇人合同稽古はこの夏、キャンプ形式でおこなわれる計画も浮かび上がった。演劇キャンプだ。
私は混浴大会を妄想したのだった。まなみ女史、「まあ、なんてことを!」と博多の饅頭を投げつけられた。

■次回の寺山修司研究会【3】のご案内

7月16日(火)19:00-21:30/熊本市中央区黒髪コミュニティーセンター
【寺山修司を書く(1)】テキスト「レミング」の「都市の手稿」より
寺山修司がト書きで表した暗号を連想ゲームのように書く作業をおこないます。

あくる日7月17日より私は目の手術入院である。女医と戯れる。つげ義春「ねじ式」が現実となる。