山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

子劇レポ【2】

2010-06-28 16:51:18 | 企画2009~2015
■6月26日(土)

熊本は昼から豪雨。いやー、水も滴るいい男と女たち!
子どもたちは、お母さんに連れられて、雨にも負けず、元気に参加している。

「子ども劇を作る!」ワークショップ第2回目の講座。

第1回目に比べると、私たち劇団と子どもたちとの距離が縮まった。
準備体操や歩く・スキップなどの身体の動きが大きくなっていた。・・・やはり、子どもたちは開放的だねー。

今回はステージに上がっての「発声練習」「歌」と「オドリ」を集中的におこなう。
小さな身体から発散される大きなエネルギーで雨も吹き飛び、雲の切れ間には青空が見える。

ダンスコーチの咲希と肥後ちゃんも板についてきた。
クドシン、マシマン、幸太君のアシストもばっちり!・・・思ったよりも早く、具体的な劇作りに取り掛かれそうである。

小学5年生の女子ふたりが、コーチ二人に「ねえ、彼氏はいるの?」と迫っていたね。・・・いやー、ほほえましい。
健全だと思います。
「あのね、演劇をやっていると彼氏なんか百人以上できるよ!」と私は大ホラを吹く。
ブーブーブー。なんか、南アフリカのサッカー場のような音が聞こえる。

やっぱり、演劇には年齢問わず色気は必要!
へへへ、学校ではこんなことを言う先生はいないだろ?
若いお母さんたちが笑ってくれたのが救い。

人を好きになれ!とにかく、好きになれ!と私は念仏のように繰り返すことが劇作りだと思っています。
だから悪役もできるのです。

さて、動物の配役も決定した。
ぬいぐるみはご法度。顔に動物メイクでおこないます。
東南アジア、アフリカ、南アメリカなどでは、そんなことを祀りでやっています。
メイクはお母さんにも協力してもらいます。

仮タイトルですが、「水の国の物語」。
第三回目は台本を持って稽古に入ります。
歌とオドリと劇。台詞と身体にもリズムがあることを体験させたいと思います。
子どもたちなりの喜怒哀楽、感動は必ずや客席に向かっていくと信じているのです。

子どもたちを舞台という「不思議な世界」へ連れて行こう!

幽霊日記No.3

■6月28日(月)

この季節、雨でジメジメしています。こんな日の夜は出るぞー。
何がって、「幽霊」です。シチュエーションとしてはバッチリ。

お岩さんで怖いのは、毒薬を飲まされて顔が醜くなるところ・・・?そうです。日本の「怨念」が凝縮された顔。
あの顔で「ウラメシヤー!」と出られると、ちょっとでも後ろめたい心の持ち主である男どもは、メタボであれ、参議院立候補者であれ、絶対に腰を抜かす。
とりわけ、お岩さんは美人だったから、その変貌ぶりに気が狂ってしまうのは当然。

今日、流山児事務所より東京公演初日の「お岩幽霊」DVDが届いた。
ネタバレになるので、具体的なことや私的な感想を書くわけにはいかない。
改めて、この熊本公演を見て欲しいと思った。

私は何を血迷ったか、小学生にもオススメしてきた。・・・いやいや、子どもたちにも見て欲しい。
血迷うことは正しい。劇を見て血迷うことは当然あり。ここにこそ演劇の底力はある。
演劇は刺激的である。刺激物である。しかし、毒を飲んでも死ぬことはない。
劇では絶対に死なない。
生きる力が湧いてくる。
それが劇の仕掛けなんだなー。

「見て欲しい!」とつぶやいてはいられない。これは必見です。

■7月9日(金)pm6:30開演
■熊本市健軍文化ホール
流山児事務所
http://www.ryuzanji.com/
流山児ブログ
http://ryuzanji.eplus2.jp/


熊本公演のチケットはこちらにお問い合わせ下さい。
yumesajiki@ybb.ne.jp

幽霊日記No.2

2010-06-24 22:28:27 | 企画2009~2015
公演ご案内

平成22年度文化庁芸術団体人材育成支援事業■主催:(社)日本劇団協議会創作劇奨励公演No.1

流山児★事務所「お岩幽霊 ぶゑのすあいれす」熊本公演
 
梅雨入りの季節、鬱陶しい気分を劇で晴らして頂きたく存じます。
この度、流山児★事務所では「お岩幽霊」を東京―松山―熊本―福岡で上演致します。

作・坂口瑞穂(熊本県玉名市出身)と演出・流山児祥(熊本県荒尾市出身)の熊本コンビ(作・演出)と出演者18名の内半数9名は九州出身であります。尚、新劇界の重鎮=瓜生正美(85歳)、東京下北沢を演劇の街に作り変えた男=本多一夫(本多劇場オーナー)も登場します。
20代~80代が満遍なく混合された前代未聞の幅広い世代で構成されています。

流山児事務所の熊本公演では、2001年「幕末2001」、2004年「盟三五大切」ぶりの上演になります。
2005年から4年間「演劇大学in熊本」(主催:日本演出者協会)の実行委員長を務めた流山児祥は、この熊本公演を成功させるために並々ならぬ思いを込めております。

東京公演(下北沢ザ・スズナリ)は満員御礼の初日を迎えたとのことです。
是非この機会をお見逃しになりませんよう、ここにご案内申し上げます。
尚、受け入れは実行委員会の形式をとっています。宣伝事務、劇場でのお手伝い(受付・駐車場ご案内・搬出など)ができる方も、現在、募集中です。



熊本公演
時:7月9日(金)午後6時半開演(開場は30分前)
場:熊本市健軍文化ホール
問:096-343-0334
前売3500円(当日3800円)/学生割引2500円
詳細↓
http://www.ryuzanji.com/

二つの不定期連載

2010-06-19 03:30:17 | 企画2009~2015
「幽霊日記」No.1

■6月18日(金)

熊本は昼から豪雨でした。
その中、マスコミ各社へご挨拶のために流山児祥さんがやって来ました。pm5:00~am2:00までピッタリ同行する。

今日から「幽霊日記」を熊本公演まで不定期で綴ります。
後日、今日のことは書きます。(注)今、へろへろ酒酔人。

明日19日(土)も午前中に挨拶回りです。氏は昼に東京へ帰ります。

以下、演劇公演ご案内です。
尚、エピソードは「幽霊日記」として小出し致します。
ふぅ。



日本劇団協議会 創作劇奨励公演/流山児★事務所:制作

『お岩幽霊~ぶゑのすあいれす~』

≪東京公演≫ 公演日:2010/6/23(水)~6/30(水):ザ・スズナリ
≪愛媛公演≫ 公演日:2010/7/6(火)松山市民会館中ホール
≪熊本公演≫ 公演日:2010/7/9(金):熊本市健軍文化ホール
≪福岡公演≫ 公演日:2010/7/11(日):西鉄ホール (福岡市)


【作】坂口瑞穂(黒テント【演出・出演】流山児祥【音楽】本田実

【出演】
塩野谷正幸/伊達暁(阿佐ヶ谷スパイダース)/伊藤弘子/さとうこうじ/保村大和/上田和弘/谷宗和/里美和彦/冨澤力/坂井香奈美/武田智弘/阿萬由美/荒木理恵/滝本直子(黒テント)本多一夫(本多劇場)瓜生正美(青年劇場)

詳細
http://www.ryuzanji.com/



「四谷怪談」(鶴屋南北)の現代劇(戦後直後?)。九州弁が飛び出す3D劇だと勝手に解釈しています。
はちゃめちゃ歌劇か。・・・お楽しみに!!

子劇レポ【1】

6月12日(土)より月2回の劇作り教室です。(全13回)
11月に「地域市民の集い」でステージ発表します。


■6月12日(土)

「子ども劇を作る」教室(公民館講座)の第1回目でした。
朝からプログラム印刷の確認、参加者(小学1年生~5年生、12名)の名札作りを公民館スタッフさんが事務的なことをやって頂き、周りの大人たちの講座に対する期待感の大きさを実感する。
前日(金)の夜の稽古場(亀井公民館)に地区の自治会長さんが挨拶に来られ、「子どもの健全育成」についてお話を聞く。
子どもの健全育成?・・・深く考えたことはないな~!
いかにも!・・・「健全」といわれるモノには疑問符を投げてきた悪い癖があった。

会場である熊本市清水市民センター内公民館では児童図書館や親子ボランティア活動なども活発に行われている。
我が家とは目と鼻の先にあるにも関わらず、小さい子どもさんとの関わりが少なかった故か、知らなかった。

近所の小学校6校から1年~5年生が12名集まる。家族同伴で、お母さんたちの熱気を感じた。きっと、お母さんたちも一緒にやりたいのだ。その機会を作りたい。
劇団からは私を含めて6名がコーチ役として参加する。
2階の公民館ホールは冷房設備・防音も完備。照明設備をしっかり付け加えれば、300人集客できる立派な小劇場になるだろう。

劇団の稽古では通常3時間であるが、子どもたちの集中力は2時間で程良い時間だと気づく。

①体操
②ゲーム(アントニオ猪木の1・2・3・ダー!遊び。)
③自己紹介
④リズムに乗って歩く、スキップ
⑤ポーズ決め(全体でポーズを作る。)
⑥二人一組になってポーズ決め!(相手のポーズに反応する。)

前半の1時間で以上のようなことをする。
尻込みする子、恥ずかしがり屋さんたち、・・・目は輝いている。・・・これだよ、これこれ!きれいな目。
男子3名、女子9名。4年生のぼくちゃんに「いいなぁ、女子が多くて楽しいなぁ!」と聞くと「ぼくは、女は嫌いです。」ときっぱり言われる。そういう男の子も可愛い。
成長すれば「女の子を好きになるだろう!」・・・健全だね。

後半の1時間はダンスで振りつける単語を発声練習としておこなう。
コーチはダンス振りつけの咲希と肥後丸。子どもたちの前では立派なセンセイだ。「お姉さん」と言いなさい、と本人たちは思っている。
集団で同じ行動をすることには慣れている様子で、みんな大きな声で楽しそうに発声してくれる。

さて、発表会でおこなう題材だが、・・・。「西南戦争」からは大きく反れていくことに!
好きな動物や昆虫、お魚、鳥になって、物語を作りかえることになった。

やっぱり、子どもたちの関心に合わせて劇作りを楽しむことが、この講座は優先されていくのです。

次は6月26日(土)。歌とダンスの練習に集中する予定。

コンテンポラリー

2010-06-02 23:31:23 | モノローグ【エトセトラ】
Butoh編

■5月30日

「辻本知彦&桂勘 ワークショップ」に参加した。・・・といっても、私は見学。一緒に行った田中幸太君、mamiちゃん(タップダンサー)は肉弾でオドル。いい汗を流して、気持ち良かったねぇ。わたしゃ、血が騒ぎっぱなし!一緒に身体を使っていたら、今はガタガタになっていたでしょう。(笑)

山鹿市八千代座近くの中央公民館が会場。定員20名が30名を越えていた。バレエ、ヒップホップ、タップ、コンテンポラりーなどdance関係者が集まっていた。小学高校生、大人たち・・・大半は女性。

「暗黒舞踏」の映像(創始者=土方巽)NHKドキュメントなどを見ながらのレクチャーも受ける。

欧米アジアではメジャーになっているbutohだが、山鹿での参加者はカルチャーショックを受けた様子。

夢桟敷の稽古場では、このワークショップに直結して更なる進化をするするでしょう。
田中幸太の後へツヅケ!・・・彼は一発で変わったよ。
詳しく知りたい方は稽古場へ来るべし。
http://www.geocities.jp/yumesajiki/keiko-yotei.html

■Ki「木」公演

八千代座100周年記念事業ーバルセロナフェスティバルGREC共同作品として上演されました。
時◎6月4日、5日 午後2時開演
場◎八千代座 http://www.yachiyoza.com/

スペインを代表するフレデリック・アマト氏、セスク・ジェラベル氏、今回のワークショップ講師(辻本知彦&桂勘、両氏)、藤間勘十郎氏、歌舞伎長唄囃子など邦楽生演奏etc、コラボレーションが見ものです。

参考資料(映像:今回のワークショップ講師のお二方)
①桂勘氏
http://www.youtube.com/watch?v=7orrnH-18BE
②辻本知彦氏(途中で上着脱ぐ方)
http://www.youtube.com/watch?v=RUxr2eGu710

■6月2日

先日5月30日(日)に八千代座でコンテンポラリー・ワークショップを見学してきましたが、その際、レクチャーで「暗黒舞踏」の流れなどを学習することになりました。
暗黒舞踏の創始者である大野一雄氏のこともお話に出てきました。
まさに、その直後です。・・・氏がお亡くなりになったことを知りました。

合掌。

以下【新聞記事より転載】

103歳の世界的舞踏家、大野一雄さん呼吸不全で死去。

日本独特のダンス「舞踏」の創始者の一人で90歳を超えて現役で踊り続けた、大野一雄(おおの・かずお)さんが1日午後4時38分。呼吸不全のため亡くなった。
103歳。北海道函館市出身。
1929年にスペインの舞姫:アルヘンチーナの来日公演に衝撃を受け、ダンスを始めた。
その後召集されて中国・南方戦線で多くの死を目撃。
「死と再生」は後の主要モチーフとなった。
復員後49年に初リサイタル。
50年代後半から前衛舞踊家の土方巽(ひじかたたつみ)と組んで、実験的な作品の発表を続け白塗り緩慢な動きすり足などを特色とする、舞踏を創出した。
77年にアルヘンチーナをたたえる「ラ・アルヘンチーナ頌(しょう)」を完成。
さらに「わたしのお母さん」「死海」「睡蓮(すいれん)」「花鳥風月」などを発表した。
国際的に認められたのは80年の仏ナンシー国際演劇祭。
「ラ・アルヘンチーナ頌」を海外初演した。当時73歳。
老醜を表に出して全身に情念をにじませる踊りは、外見的な美に重きを置きがちだった西洋のダンス界に衝撃を与えた。
90歳を超えても欧米各国で公演。
ドイツのピナ・バウシュ、英国のリンゼイ・ケンプら、影響を受けた振付家やアーティストは数多い。
2000年に腰を痛め自力で立てなくなったが、
翌年からけいこ場で公演活動を再開。
大きな手を舞わせて生命などを表現した。
07年1月の100歳記念公演「百花繚乱(りょうらん)」にも車いすで出演した。
(~2010年6月2日/読売新聞記事転載。)



世界的に活躍した前衛舞踏家の大野一雄さん(1日死去、享年103)。
九十歳を超えても車いすで表現を続けるなど、
強靱(きょうじん)な生命力にあふれた巨人だった。
大野さんを知る関係者からは死を悼む声が相次いだ。
日本体育会体操学校(現日本体育大学)在学中、二十世紀のスペイン舞踊の革新者ラ・アルヘンチーナの公演に感銘を受け、
舞踊家の道を目指す。
モダンダンスを学んだが太平洋戦争で中国、ニューギニアなどに従軍。
復員後、一九四九年、四十三歳の時、東京・神田共立講堂で初リサイタル。
その後、暗黒舞踏の土方巽さんと出会って舞踏に転換。
日本人の内面的な身体表現を重視しながら活動を展開。
「BUTOH(舞踏)」を世界に広めた。
九九年、米ニューヨークでの公演「20世紀への鎮魂」以後は、視力、体力ともに衰退。
歩けなくなると支えられ、立てないときはすわったまま、車いすで手だけ、踊りへの執念を燃やし続けた。

国内外で数ある活動の中でも印象的だったのは、二〇〇二年、新潟県十日町市の信濃川河川敷で、生け花作家・中川幸夫さんが企画した「花狂」。
ヘリコプターからチューリップ二十万本分の花びらを散らす中、すでに足が不自由だった九十五歳の大野さんがいすで舞を披露、数千人の観客を魅了して大きな話題となった。



大野さんがたびたび舞台に立った東京・両国の「シアターX(カイ)」。
芸術監督の上田美佐子さんは、「認められたい、喜ばせたいというのが一切ない。命への無償の愛情をささげる人だった」
と振り返る。
舞台を終えても劇場ロビーで踊り続けた大野さんの姿が忘れられないという。
観客も皆帰らずシーンとなって見詰め続けた。
「サービスじゃない。踊ることが本当に好きだった。芸術は惜しみないもの。生きものの神髄に触れていた」

「土方さんとは同志だったけど底流には舞踏にとどまらない広い視野があった」とも。
海外では日本以上に神格化され評価が高かったという。
同劇場で公演がある際も多くの外国人ファンが訪れた。

「華やかで色気があってみずみずしい生命力。九十歳すぎてもすき焼きと焼き肉がお好きだった」という一面も。
晩年、車いすで公演したときは、右手だけで踊り舞台上で眠ったこともあった。
「大野さんしかできない独自の踊り。踊りながら、踊りたいものが出てくる。
天に昇られても、限りなく踊っておられるのでは。
命を踊ること。それは今の若い人にも通じると思う」




二十代のころ初めて大野さんの踊りと出合ったという劇作家の唐十郎さんは、「すごいダンサーがいる、というので見に行った。
白塗りの脚がしなやかでメルヘンを感じた。ただうっとりと見入った」。

土方さんとは舞台でも付き合いがあった唐さんだが、
大野さんについては一観客として見守ることが多かったという。
「土方先生は論客、大野先生は寡黙な方。対照的だけどライバル以上の関係だった」と話す。

「どんな空間も踊り場にしてしまった。廊下や階段で、あの輪舞をもう一回見てみたい」と、“巨人”の死を惜しんだ。

(2010年6月3日/東京新聞:朝刊記事転載。)