山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

連載【1】ワークショップ

2009-04-29 23:42:28 | 企画2009~2015
 久しぶりの「演劇ワークショップ」をおこなう。
 
 これまではレクレーションのようなものだった。
 楽しい演劇体験がテーマ。
 楽しければ良し!
 楽しいは入り口。
 
 今回は本論の「演技」にスポットを当てた。
 
 入り口の奥。
 その先には選択する扉が無数に広がり続ける。
 迷路なのだ。
 迷路にはまり込んだ俳優志願はこれを楽しめるかどうかで、大半が決定的となる。
 
 楽しいだけでは追いつかないナニガシが襲ってくる。
 このナニガシに痺れてしまうと人生が変わる。
 俳優としての人生が始まる。・・・ナニガシ?
 自分の中にある他人だ。
 見えないものが、どんどん見えるようになる。
 
 演劇が麻薬と思われているのは、これが原因。
 
 演技をテーマにしたワークショップは 
 劇団の稽古の線上にある。・・・手を抜くことができない。
 その場でテキスト(短編台本)を渡し、
 <読み→立ち→通し>。
 劇作りに必要な最低限の点検をおこなう。
 至って真面目なパターンである。

 「薔薇色の怪物」(丸尾末広)の漫画を参考に構成劇として組み立てた。・・・知る人ぞ知る「エログロアート」の美しき漫画を見本にしたのである。
 
 ワークショップでは「エログロ」が見えなくなるのは何故だろう。
 言い換えれば演劇では「エログロ」が全面に出なくなる。
 ここが絵画と違うところ。・・・生身の人間である。
 「エログロ」とは非日常の内面。・・・生身は簡単には出せない。
 
 時間はかかるが「エログロ」らしく見えるようになるのは洗練されなければ危ない。
 これはこころの問題よりも俳優・役者としての身体の問題。
 自らの身体を発見する作業。人間の身体は複雑ですらある。  
 議論や解釈でも問題は解決されない。 
 時間と手間がかかる。
 
 台詞以上に、俳優の仕草、表情ひとつで別の世界を作り出す力が働く。
 演技論の実践(実験とも言う。)はその引き出しをたくさん持つことだろう。
 
 それを体験する。
 それがワークショップだと考えている。

 つづく。

演劇ワークショップ4月

2009-04-17 23:29:11 | 企画2009~2015
「演劇ワークショップ」開催のお知らせ

【ショート劇「みどりちゃん物語」】作る/演じる

丸尾末広「薔薇色の怪物」より短編漫画をテキストに劇作りに挑戦。

【時】4月29日(水)昭和の日・午後6時~9時半

受付締め切りは前日28日(火)。受講希望は先着順とさせて頂きます。

【会場】熊本市中央公民館3F・和茶室

定員10名まで/テキスト資料代として受付で500円です。
■お申込み・お問合せ:090-4581-5190(ワーク担当)コーチ・山南・夢現

ビバ!B級「三流の人」

2009-04-15 23:19:00 | モノローグ【エトセトラ】
 私は稽古中に口癖のように言うことがある。
 「三流は二流には絶対ならない。二流にならない三流がある。三流だからといって何も卑下することはない。」
 【B級・三流論】である。
 
 そういう意識(開き直りとも言う)が芽生えると“三流”にとんでもない可能性が見えてくる。・・・独自な邪道を歩かねばならなくなる。平安な大道ではなく獣道(けものみち)を歩く。自分で道を作らなければ生きてはいけない。
 
 「二流にならない。」演劇とは“はぐれる”ことも覚悟の上だ。 あの人この人から気障(きざ)と言われてしまったが、「演劇の荒野をさまよう。」ことである。三流の条件はここにある。
 
 B級演劇には、三流のフロンティア精神が必要。寄らば大樹の影、親方日の丸では根性が腐る。なんてね。
 
 河原乞食である。「右や左のだんな様、哀れな乞食にお恵みを!」
 実は、後ろを振り向いて赤いべろを出している不届きな気持ちを秘めている。お茶目なところもあるのだ。
 開き直ると何にでも笑い飛ばせるのである。笑う乞食である。
 
 二流の人は乞食を嫌う。嫌うというよりプライドが高い。一流が好きだからである。おまけに「ホンモノ」志向だけはある。何が「ホンモノ」かは自分では判断せずに、誰かが評価すれば「ホンモノ」と思い込んでしまう。どうやら「ホンモノ」という会話が好きなようである。
 
 役者と乞食は三日やったらやめられない。抜けられなくなるのだ。出口を失ってしまう。
 愛すべき、バカのパラダイスなのである。
 
 何が「ホンモノ」で何処が「ニセモノ」なのかの判別すらつかないのが、三流の天然。
 「ホンモノ」であろうが「ニセモノ」であろうが関係ない。自分で「良し。」と思わなければ燃えないタイプ。
 
 ある程度は生まれ持った素質がモノを言う。
 その集団が作るB級路線の演劇は恐ろしいのである。絶対に二流にはならないからだ。
 
 稽古中は“天然”を発見する作業でもある。
 私たちは「おぎゃーっ」と生まれて養殖で育ってきた。

 選別され、ある時は不良品扱いされる。
 そういう奴らが這い上がったら強いぞ。
 これは自分にも言い聞かせている。

タマゴ頭【2】

2009-04-14 23:37:15 | 「薔薇色之病室Ⅰ」三部作
 
 「戦争」と「犯罪」を同時進行で書いている。
 
 二つの劇では「タマゴ頭の女」と「タマゴ頭の男」が登場する。
 この「タマゴ頭」が出て来ないと、「戦争」と「犯罪」は劇としてバラバラに分解されてしまう。壊れる。
 タマゴは二つの劇をつなぐ。「つなぎ」だ。
 
 私は「戦争」も「犯罪」も同じことではないかと、魚眼レンズで覗いている。・・・人の頭がタマゴに見える。
 
 生まれる前にタマゴが割れる。
 生まれる前に見た夢とは・・・。
 胎児よ胎児、・・・。

 一見、国家と個人のレベルの差があるように見える「戦争」「犯罪」が、「破壊・殺人」の一点で交じり合う。
 エロスがつなぎになる。

 二つの劇に大義はない。言えば壊れる。・・・歌えやオドレ。
 
 ヒューマニズムが目覚めた。アバンギャルドな朝だ。

時間よ

2009-04-13 23:42:58 | モノローグ【エトセトラ】
 ■4月10日(金)終末病院

 昨日は座長、咲希と私の三人で母の転院先の病院へ見舞いに行った。
 下関にある終末期の人たちが入院する病院である。治療が目的ではなく、安らかに永久の眠りにつくための社会福祉施設のような病院である。
 
 個室は満員で、母92才は5人部屋に入れられていた。
 右半身は麻痺しており、人の話には反応するが自分では何も喋れない。笑ったり泣いたり、怒ったりすることもない。
 だが、座長の呼びかけには目の動きや呼吸の大きさで読み取れる。
 実の親子である私は何も呼びかけることができない。
 こんなもんだ。
 何を言ってよいものか戸惑うばかりだった。
 一時間足らずの面会だった。
 
 外は桜の花吹雪。若葉が青々と繁っている。

 ■4月11日(土)ETC

 必要に迫られてETCカードの機械を購入しようと、早朝5時に店に並びに行った。整理券発行が朝8時の予定だったが、行ってみると毛布にくるまって昨日から並んでいる列がある。
 間に合わなかった。
 結局、時間はかかるが他の店で予約することに!・・・政府が打ち出した高速料金割引に振り回されるこの頃。みんな考えることは同じである。
 その内、機械の生産はニーズに追いつくであろう。慌てることもないか。

 ■4月13日(月)

 ひとつ発見した。
 私には台本を書く才能がない。
 だから書いているのである。・・・はい。

風組「眠り男」(2)

2009-04-05 23:20:14 | 「薔薇色之病室Ⅰ」三部作
  ←ドイツ映画「カリガリ博士」より
 ■「カリガリ博士」とは・・・ 
 「君はカリガリになる必要がある!」・・・1920年、ベルリンのいたるところにこのポスターは貼ってあった。好奇心を刺激された人々によって、この映画は大成功をおさめる。「カリガリスム」という流行。カリガリとは、何か?・・・抑圧的な狂気と不安の代名詞である。
 ☆
 事件は、見せ物小屋から始まる。カリガリ、という名の無気味な男のテントでは、眠り男が未来を予言するという。夢遊病者チェーザレに、寿命が明日までと言われた学生が翌日死亡する。学生の友人は、当然カリガリを疑って調べはじめる。
予想どおり、カリガリがチェーザレに催眠術をかけて人殺しをさせていたのだが、
真相は他にあった、、。
 ☆
 舞台セット・・・最初は、安上がりに済ませるために描き割りにしたそうだが、結局はこれが効を奏した。表現派の画家や建築家が、示したアイデアは、まさに気が狂った世界であった。ゆがめられた遠近、ねじれた家や木々、奇妙に膨らんだ煙突、モノクロ効果も手伝って、神経をいらだたせるような雰囲気がかもし出された。精神病院のセットは、さらにねじくれている。幽霊のような患者達がいなければ、ここがどこか解る人はいないだろう。
 支配権力の下で、一般市民は殺人者にされたり、被害者になったりするが、結局精神病院(世界)で一番の権威が精神をおかされているのだという。
 当時の日本でも、この映画にハマった人多数。大正10年4月、横浜オデオン座(今もあります)で、"眠り男"というタイトルで一週間の先行上映。翌月、浅草キネマ倶楽部で、"カリガリ博士"として公開されたこの映画は、様々な人に衝撃を与えた。徳川夢声の語り口も絶品だったらしい。
 精神病院、夢遊病、拘束服、催眠術、幻覚、狂人の幻想による殺人、これらがモチーフ。
 ←丸尾末広「薔薇色の怪物」。この中に「カリガリ博士復活」がある。
 名作"少女椿"や、"犬神博士"で人気の丸尾末広は、"薔薇色ノ怪物"(青林堂1982年)の中で、その名も"カリガリ博士復活"という短編を発表しているし、花輪和一と昭和編を競作した"無惨絵 英名二十八衆句"(リブロポート 1988年)には"眠り男"を描いている。

新人歓迎会

2009-04-04 23:21:18 | モノローグ【エトセトラ】
 
 以下3名。名前は通称!  
 
 ましまん       ひごちゃん       かじさん
 
 夢桟敷の舞台デビューは今年9月予定!あと2名入団検討中です。この三名に共通することは、舞台デザイン(設計)/チラシデザインなどができること。つまり美術が得意です。これまでにないステージやデザインが具体化しそうです。集団力は個々の才能が発揮されること。俳優をしながらスタッフの仕事を担当することになります。
 ※夢桟敷では上手下手に関わらず、音響・照明・美術・小道具・衣装・制作・脚本・演出など興味あるところを俳優でも担当してもらいます。これは舞台裏と表舞台を一体化させるためでもあります。裏と表の分業化はありません。

アリスのような

2009-04-03 23:39:12 | モノローグ【エトセトラ】
 稽古場に女子高生が訪れるようになった。
 少女はハキハキとモノを言い、可愛い笑顔で練習にも参加している。
 演劇を志す少女は「夢見る少女」。・・・だが、入団希望ではない。

 劇団夢桟敷は中学・高校生で膨れ上がった時期もあった。私からすれば、大家族のお父さんになったような気分になり、あ~、早く大人になってくれ~、と望んでいたこともあった。

 久々の女子高生。・・・今は懐かしい。
 少女のふと見せる、淋しそうな横顔が気になる。いいもんだ。
 
 劇団は厳しいところもあるよ。それがないと、観客という多種多様な人間の前に立てない。しかも、有料で劇を見せないと劇団が成り立たない。
 学校の演劇で物足りない場合は、夢桟敷が受け皿になろうか。確かに人生観は一気に変わるだろう。

 鉄は熱いうちに打て!
 そうは思っているが、女子高生は可愛い。甘くなる。・・・ルイスキャロルの心境。ロリコン?・・・はて、さて、どうしたことだろう。
 春。苦しい時も悲しい時も、春は新しい希望にすがりたくなる。
 
 劇団員の青年たちが頼りになるお兄さんやお姉さんに見えるのは、少女が通うようになってからだ。・・・それもありがたいことである。大人に見える。

殺した理由

2009-04-02 23:30:18 | モノローグ【エトセトラ】
 悪寒がする。鼻水が垂れて苦しい。この数日ボーと霞んでいる。
 人が苦しんでいる姿は外側から見ると滑稽ですらある。
 ズルズル鼻水を吸い込みながら稽古に立ち会った。油断すると鼻水が飛び散る。
 劇団員たちは半径2m以内には立ち入らない。

 ☆

 今日の稽古では「殺した理由」を述べてもらった。
 熊本名物「いきなり団子」である。
 稽古場では「いきなり」課題を突きつける。

 「何故、殺したんだ!」
 
 問い詰めると、苦し紛れに理由を述べてしまう。
 作り話である。劇では作り話=虚構が生き生きしてくる。
 追い詰められると、何を語るかわからなくなる。
 俳優の凄さは、その絶頂感に達した時だ。
 
 辻褄の合わない言い訳が連発する。パズルゲームが始まる。
 言い訳には異常がある。異常を冷静に感じる力を要求する。
 すると、突発的に狂気が飛び出す。
 
 影のオドリを加えてみた。黙秘の雄弁さが見える。
 
 男二人【風組】(田中幸太&ましまん)は秋葉原事件をイメージしてもらった。あの事件で「死刑になりたかった。」と犯人は語った。
 二人はナイフあるいは包丁!と叫んでいた。情景が焼きつく。
 凶器を持って舞台に立てば、モノを説明する台詞は必要なくなる。ナイフに向かって「みどりちゃん!」と囁きかけたら何が見えるか。

 女二人【空組】(咲希&肥後ちゃん)は誰を殺したのだろう。テーマは自由。・・・どうやら愛人を殺したようだ。情念が浮かんだ。これは男では表せない。叶わないと思う。情念はエロス。
 だが、女優たちは現実には殺せない。想像力が豊かだからである。夢の中での殺人事件だ。息遣いを想像しながら見る。

 通り魔殺人事件に現代の縮図をみることができる。
 誰でも良い。人を殺したかった。つまり、自分は誰でもない。
 人間が見えない。そして自己喪失。・・・社会との関係が切れている。社会が個人へ襲いかかってくる幻想。幻想の側から社会への反乱。
 
 現実で実行すると犯罪となり、舞台へ移行すると文化や芸術になる。
 現実の「危険」と虚構としての「安全」を対峙する。
 影たちが笑い始めると恐怖が増す。
 恐怖が愛を語り始めると錯覚や幻想が現れてくる。
 幻想を形として納品する「場」が劇場。スポットライトの中にある。

 まず夢だ。
 私は、人間が見える劇を作りたいと思う。
 錬夢術が方法論である。
 
 眩い闇。逆光。目が眩むような劇へ。

 ☆ 

 鼻水が垂れて体調は最悪であるが、心乱れる中から健全を送り出すこともある。
 悪い奴ほど善人を欲しがるものである。

 明日は歌のレッスンに入る。
 歌ってオドル。事件がレビューと化す。これが劇だ。