山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

愛の乞食たち・・・

2012-10-25 05:20:39 | 「極楽少女」2012
「極楽少女」公演迄後壱拾六日。

唐十郎 作「愛の乞食」がある。次回公演「極楽少女」にはその影たちが登場する。
その影とは戦争であり革命である。
影を登場されることは今の時代にとっては何でしょう。時代錯誤?アングラの劇は死滅した?
否、そうでもない節がある。世界の状況。むしろ、今こそ「愛」が渇望されている時代はないと直感しているのです。「戦争や革命」を蘇らせることではなく、アングラ劇は「愛」を語らなければならない時代に蘇る。

愛とは何でしょう。・・・密着することだと思っている。密着することで相手との関係が深まる。
ハグの習慣がない日本にとって密着は異文化?
演劇や表現に関わる分野では異文化ではないのである。これは舞台と観客の関係を比喩する。セクハラのことではない。

(2005年3月 近畿大学)

2005年3月、私たち夢桟敷は近畿大学(大阪)にて「唐十郎フェスティバル」に参加させてもらった。その際に上演したのが「愛の乞食」。メンバーは最年少が中学生、中心は高校大学生であった。
アフタートークの際、観客の大学生から「意味がわかって出演しているのですか?」の質問があった。中学生曰く、頭をかきながら「わかりませんでした」。会場は爆笑と拍手で湧いた。
学問の府でバカたちが溶け合った瞬間である。

あれから7年。私は還暦を迎え、座長は50代半ばを過ぎ、サキは28才である。10年一昔と言うが、劇団での時間の流れは早い。今や2年から3年で一昔になってしまうスピードで時が流れているように感じる。

「極楽少女」に登場する「愛の乞食たち」はどのような変容を現わすか!
唐十郎「少女仮面」の冒頭で歌われる「婆は乙女に、乙女は婆に」(宝塚少女歌劇団)と寺山修司「疫病流行記」で箱に閉じ込められた少女が叫んだ「私の名前は病気です。」が重なったのである。

言わば、時間のパズルゲームとして愛の乞食たちが劇では存在する。過去ー現在ー未来の空白を埋め合わせる謎として存在する。一見小難しいことのようだが、謎が娯楽として見えれば美味しいのである。
若い世代には言っておこう。楽しく演じれば良いのです。辛い世に辛い顔は要らない。
これが劇だ。

「バカが行く」・・・暫くは「極楽少女」コメントにつづく。