山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

本震と本心

2018-04-16 02:32:41 | 熊本地震2016.4.震度7
2年前のこの時間のこと。
猫の おおもり君にインタビューしました。
「覚えていますか?」
「ニャンとも」
前震から本震、最大震度7が二度もやってきた。
それから長い間の3・4・5の余震。
加えて雨!部屋の中がカビだらけ、水浸し。
「檻に閉じ込められ、ペット可の避難所暮らしの日々だったニャン。」
「辛かったね。」
「ニャン」

稼働していた川内原発は止まらなかった。止める技術に不足があったという恐ろしい現実も知った。
福島の原発事件の教訓が活かされていないことが情けない。
安全保障とは?…国家の争いより、いつでも起こり得る災害対策が先決でしょうに!
本震を体験して本心。
原発は事故や事件ではなく、存在自体が犯罪である。

お元気ですか

2018-04-15 13:05:03 | 熊本地震2016.4.震度7
無くしたものは返って来ないし。
頑張れ!と言われても虚しい。…という人もいます。

まっ、ひとつ。
元気で生きていることに感謝するしかない。

お元気ですか?
元気です。

挨拶運動は猪木の専売特許ではありません。
運動は上からではなく、下から広がるもの。

はい、チーズ!

2年

2018-04-14 18:36:47 | 熊本地震2016.4.震度7
島根-北海道-愛知と地震が続く。
南海は大丈夫だろうか?
国会前デモも揺れている。
日本は大丈夫か?

4/14、雨。
この日は座長と一緒。
熊本地震直後に生まれた孫のお守りだった。もう2才になる。
無事に産まれて良かったね。
私たちも半壊から引っ越して2年になろうとしている。

熊本城×特撮美術 天守再現プロジェクト展

2017-12-15 13:19:49 | 熊本地震2016.4.震度7
昨年の熊本地震から1年8ヶ月が経過した。
都市部と郡部の復興のスピードに格差を感じる。優先順位はあるのだろうが、災害でも貧富の格差が広がっていることを実感する。…川内原発は地震の最中でも稼働していたことには失望した。フクシマの悲劇が活かされなかった。
自然災害は人災とも連動する教訓の甘さか?

危機管理とは?安全保障とは?…アさて、さては南京玉すだれ!

熊本の大矢野演習場では日米合同軍事演習とかでオスプレイが上空を飛んでいる。この件でもオキナワの教訓が活かされていない。…最大の暴力は国家装置に有。

アさて、さてさてさてさて。
喜怒哀楽の「怒・哀」ばかりでは心身が病むよ!
今日も元気に演劇ワークショップ「喜怒哀楽・表情」に行く。

以下、熊本市現代美術館のご案内。明日からです。
(写真は熊本市広報から借用しました。)



「熊本城×特撮美術 天守再現プロジェクト展」

12月16日(土)~2018年3月18日(日)
熊本市現代美術館 ギャラリーⅠ・Ⅱ
休館日 火曜日 ※年末年始12/29(金)~1/3(水)は閉館
展覧会詳細はこちら → http://www.camk.or.jp/event/exhibition/tenshu_saigen/

1年半。

2017-10-15 12:10:04 | 熊本地震2016.4.震度7
熊本地震から1年半。
住居を移転して生活環境も変わった。
地震前は窓から江津湖の花火大会を眺めることができた。
昨夜は小雨の中、花火大会があったことをニュースで知った。
見物人も多くが押しかけたという。
復興の花火大会と銘打っていた。

不思議の時間(3)

2017-04-13 23:27:53 | 熊本地震2016.4.震度7
人は死を予感するような大きな不安に見舞われるとどうなっただろうか?
恐怖のあまり、泣き叫んだり、空を見上げて絶望したり、パニックで狂乱すると頭の中で描いていたのだが…。

意外や意外、内心、不安だらけだった筈なのに冷静!そう思えるのは時間の故?恐怖を消し去るナニガシの力があるのだろう。
これは阪神淡路大震災や東日本大震災を情報として見てきた教訓か?火災や川内原発のことが気がかりだった。死にたくない!

それぞれが考えて行動していた。さぁ、どうする?同時に情報を共有したり行動するものだ。途方に暮れている者はいなかった。否、一生懸命に不安を押さえ込んでいたに違いない。

地震で、家の中に居られなくなり外に飛び出した近所の人達の中から自然にリーダー的な役割をする者が出てくる。少人数だと団結が固くなる。
ご近所少集団のリーダーは健軍商店街の八百屋のご主人だった。「ガスの元栓、ブレーカーをOFFして下さい。」
と点検を呼びかけていた。商売人はこういう時、機転が利くものだと関心した。掛け声は大切。
「この地区の避難場所は小学校の体育館です。」と教えてくれた。
黙々と落ちた瓦を片付けている若夫婦。「動いていないと落ち着かないのよ。」と言っていた。…「この町の様子をみて来よう!」と走るお父さん。
目で見てきたことの信用度は高い。
「怖かったね。」「あんた、名前は?歳は幾つね?何をする人ね?」ネホリハホリ、誰にでも話しかけるお母さんや娘さん達。いっぺんにご近所の小集団は他人ではなくなった。
これを地震仲間と言おう。小さな町ではお世話する、されることの関係が成り立ち易いと思った。小さいから手っ取り早くなるのだろうか。

余震がくるたびに静寂。…この沈黙は重かった。誰かが「キャーッ!」と叫ぶと連鎖反応が起こりそうな気配。ジッと歯を食いしばって我慢しているのがわかった。

「今の内に飲み水を買って来なっせ。」と寄ってくるお兄ちゃん。地域消防団の若者(ヤンキー)だった。独居老人の様子を見に走り回っていた。ヤンキーを見直した。
こういう時はひとりでいてはいけないね。

近くのコンビニに行ったら驚いた。店内は商品が散乱していた。ペットボトルの水が欲しかったのに、無い!弁当は処分したと言う。店内は早い者勝ちで拾い買いしていた。仕方なく、缶コーヒーと袋菓子をゲットする。数日、この袋菓子が主食になった。食べるものが何もない恐怖までには至らなかった。その後、コンビニは閉店ガラガラが続く。

まさか、熊本で大地震がやって来るとは思いもよらなかった。気象庁でも予報できやしないのだから。

熊本市内でも被害の大きいところとそうでもないところがあった。どうやら土地の硬さによって差があるようだ。人間、硬い奴は手に負えないが、土地は岩のように頑固なところが地震に強い。
隣町、直下型震源地の益城町はもっと酷いことになっている。これはLineやメール、SNSで確認できた。電話は通じない。

一旦、小学校体育館に避難したものの余震の揺れで天井からの落下に不安があり、ほとんどの人達はグランドに集まっていた。
大集団だと人はよそよそしくなるのだろうか?話しかけて来る者などいなかった。こちらも話しかけ辛い。人見知りするタイプではないのに、何故か皆の衆が無表情に見えたのだった。

こういう時の出番ですよ!演劇をやっている特権だ。…サービス精神で小学校の先生に喋りかけると「あんた、そんなことを言っている場合じゃなか!」とニコリともせず嗜まれた。…「戦争でも始まったような光景ですねー。」と言ったのだった。教員で良かった。自衛隊員に言ったら殴られていただろう。

結局、アパートの道路、ご近所さんが集まっているところに戻った。…日が経つに連れ、路上から人が減っていった。

数日後、北区清水町の娘ファミリーのマンションに身を寄せる。ほとんど被害がない。クドシンと座長の妹からオニギリを差し入れてもらった。コメはこんなにも美味しいものか!…飴や海老せん、ポップコーン、チョコレートなどが主食になっていた。
この日よりコメや汁物への欲求が膨れ上がる。食べてうんこして寝る。これが日常というものか?地震で教わったのだった。

癌の摘出手術をして退院の4ヶ月半後のことだった。この状況下、演劇公演のことを考えていた。色々な生きざまがあるのです。…それはご近所さんとの会話が生まれてわかった。

あれから1年。薄ペラペラと書いた。
不思議の時間!これより劇の脚本になだれ込みます。
あの人この人の顔を思い浮かべながら!

不思議の時間(2)

2017-04-12 23:32:23 | 熊本地震2016.4.震度7
声なき声を聞こうと、木や花や草を眺める。今までにはなかったことだ。ナニ!ジジ臭い!…そうです、還暦を過ぎて憧れの爺さんになろうとジジイを演じる。…らしくなるための5年目の修行です。ん?修行って?努力することですよ。
犬や猫のようなペットは感情(喜怒哀楽)を身体中で表わしてくれるからコミュニケーションがとれる。わかりやすいのだ。
だが、植物は何も言わないね。じーっとしているだけだ。これも命なんだと思うと可愛い。けなげで嬉しくなる。嘘をつきたくない。心が洗われるよ。

6年前の11月、東日本大震災の次の春に福島原発付近で桜の花が咲いたのをテレビで見た時には涙が溢れた。自然の力はすごいなー!と思った涙がだったのか?言葉にならない。
昨日の夕方、KKT熊本県民テレビ「テレビタミン」で小学校の入学式の場面を見て涙が溢れた。新入生の女の子が涙を流しながら挨拶をしている。頑張ってよくできたねー。動画があれば世界中に送りたいと思った。
それまで台本を書いていたのだが、あの女の子には及ばないとペンを休めたよ。…書けなくなった。

明日で熊本地震から1年。

娘ファミリーが飼っている猫のおおもり君が熊本地震についてインタビューを受けている写真です。いいね百連発だった。
笑ったし、これには勇気付けられた。
言葉が通じなくても、どんなに風景が変わろうとも平和が一番!

誰だ?戦争をしようとしているのは…!
犬や猫、草や木、空や地底から学ぼうよ。
ニンゲン、悪意を込めてこう言おう。
バカだ、アホーだ、…悲しい。

不思議の時間(1)

2017-04-11 23:59:04 | 熊本地震2016.4.震度7
夜の中の夜3時ごろ、揺れを感じた。この数日、震度3・2・1と続いている。揺れるたびに、あの時のことを思い出す。…熊本地震。あれから明後日で1年だ。いつも指折り数えてきた。

昨年の4月14日夜の震度6強!…アパートの部屋では棚や箪笥、テーブルが倒れ、照明は落下、食器棚も倒れてガラスが飛び散っていた。壁のひび割れで尋常でないことを知った。近くの家は倒壊している。これが震災か!ニュースの場面に放り込まれたような気分。それから震度5・4・3が呆れるほど続いて治らない。
外の道路に飛び出ると近所の方々が集まって座り込んでいた。
引越しをして1年半くらいの場所(健軍方面)だったから近所の人の顔も知らなかった。これを機に一気に身近な人として付き合うようになった。
電気・ガス・水道が止まった。
あくる日、片付けるのが大変だと心配していると劇団のタロー君が手伝いに来てくれたのだった。メドがたって、座長とタロー君と食事をとりに行こうと車で出かけるや信号待ちで追突され、踏んだり蹴ったり。追い討ちとは…。容赦ないことだ。
その夜中、震度7がきた。屋根の瓦が崩れて飛び散っていた。死ぬかもしれないと思うほど体が固まってしまった。前日の片付けが台無し!ヒビが更に大きくなり、アパートが潰れると思った。
前震と本震、追突…おまけに雨漏りで部屋の中が腐りかけてしまった。それから1ヶ月近くの路上生活。
有り難かったのは身内や友人からの救援物資が送られてきたこと。座長が働く会社の労働組合からの援助金など。民のまごころ。民の力。ミンミンである。

思い出すと不思議の時間を経験したものだ。
分別されていないゴミの山、流通ができるようになってコンビニに行列。ガソリンスタンドの行列。なんでも行列。
都市部道路の復旧は早いものの田舎方面は遅い。国道ー県道ー市道ー町道ー農道の復旧格差。
不思議な夢を見ているようだ。
中の3時ごろ、揺れを感じた。この数日、震度3・2・1と続いている。揺れるたびに、あの時のことを思い出す。…熊本地震。あれから明日で1年だ。いつも指折り数えてきた。

昨年の4月14日夜の震度6強!…アパートの部屋では棚や箪笥が倒れ、照明は落下、食器棚も倒れてガラスが飛び散っていた。壁のひび割れで尋常でないことを知った。近くの家は倒壊している。これが震災か!ニュースの場面に放り込まれたような気分。それから震度5・4・3が呆れるほど続いて治らない。地震酔い。史上、類のない余震の数を更新していた。
外の道路に飛び出ると近所の方々が集まって座り込んでいた。
引越しをして1年半くらいの場所(健軍方面)だったから近所の人の顔も知らなかった。これを機に一気に身近な人として付き合うようになった。死ななくて良かったね、と。関連死も含めて200人以上か。70才以上の割合が大きいとのこと。
電気・ガス・水道が止まった。
あくる日、片付けるのが大変だと心配していると劇団のタロー君が手伝いに来てくれたのだった。メドがたって、座長とタロー君と食事をとりに行こうと車で出かけるや信号待ちで追突され、踏んだり蹴ったり。追い討ちとは…。容赦ないことだ。
その夜中、震度7がきた。屋根の瓦が崩れて飛び散っていた。死ぬかもしれないと思うほど体が固まってしまった。前日の片付けが台無し!ヒビが更に大きくなり、アパートが潰れると思った。
前震と本震、追突…おまけに雨漏りで部屋の中が腐りかけてしまった。それから1ヶ月近くの路上生活。
有り難かったのは身内や友人からの救援物資が送られてきたこと。座長が働く会社の労働組合からの援助金など。民のまごころ。民の力。ミンミンである。

思い出すと不思議の時間を経験したものだ。
分別されていないゴミの山。川内原発は止まらない。ブルーシートの屋根。コンビニに行列。ガソリンスタンドの行列。なんでも行列。待つ。待たされる時間。何を待っているのか気が遠くなるような時間。ネガティブな不思議。
都市部道路の復旧は早いものの田舎方面は遅い。格差の不思議。
逃げよう。逃避しよう。引越し先が決まるのに2ヶ月かかった。2ヶ月で新しい住居に住めるのはまだ良い。今、仮設住宅で暮らしている人もいる。…つい先日、仮設住宅で老人の孤独死のニュースがあった。
言葉の使い方が悪かったでは済まされない「自己責任」(復興大臣)のフクシマの問題は身につまされる。

1年前のことを振り返っているが、時間というものは伸びたり縮んだりするものだと実感する。
不思議な夢を見ているようだ。夢?これが現実か。
さて、不思議の時間をバネに百年の時間を行ったり来たりしよう。劇は時間の旅なのよ。…5月末で「万華鏡〜百年物語」最終稿に向かう。役者スタッフ、新劇からアングラ劇、伝統芸能、音楽・美術のメンバーの秘密のベールが剥がされる日が近づいてきた。シャッフルと人の化学反応!ガラガラポン!
とりあえず、今、作家としてアッパラパラである。地震の揺れではなく、途中経過の揺れを楽しむ。

熊本城と美術展

2017-02-26 23:02:45 | 熊本地震2016.4.震度7
熊本県立美術館本館に行くために二の丸公園を歩いていると、熊本城が目に飛び込んでくる。
ご近所の人が毎朝、お城を拝みに散歩するようになったと話してくれた。この姿も日常になるのだなー。私も手を合わせた。

美術館に入ると、崇城大学芸術学部の卒業展が催されていた。
学生たちの作品プレゼンテーションが行われており、時代の流れも見える。
デザインは生活の実用化を目指していたり、演劇的なものもあって面白い。この学部、女子が多いのだった。

がんばろう!くまもと

2017-02-15 12:35:23 | 熊本地震2016.4.震度7
熊本地震 震度6強・震度7。
2016年4月14日/16日、前震/本震から10ヶ月が過ぎた。
震源であった益城町の隣、東区健軍町界隈に住んでいたアパートも半壊状態に陥り、今は東区保田窪本町の丈夫な賃貸マンションに引っ越して暮らしている。多くの方々から助けてもらったよ。感謝します。
実は、その真っ只中にいると現実感の喪失、まるでドラマの登場人物になったような錯覚があった。これは演劇という職業病の表れだったのか?
日頃お付き合いのなかった隣人たちとの「大変」だった会話を楽しんでいる節もあった。
雨漏りが酷く雨合羽をきて寝る隣の部屋のご老人は「生きているだけでもありがたいことだ。」と前歯が抜けた口を大きく開いて笑っていた。勇気が湧いてきたね。
水源が被害を受け、水が飲めない。販売機は停電や売り切れのために無意味なものになっていた。コンビニも閉店!流通は止まる。食べる、寝る、排泄には困り果てた。
さぁ、どうする?…親戚と友人知人からも段ボールで運んでもらった。ご近所さんにも配れる程だった。
恵まれている。地震を経験してつくづく実感できた。
そうでもない人々の気持ちや生活の苦しみもわかるようになった。
頑張ることは決して悪いことではない。
がんばろう!くまもと。…この立場は必要なことだ。

熊本城の会議

2017-01-31 23:37:54 | 熊本地震2016.4.震度7
今夜は話し合いと遅い新年会を兼ねた集まりに参加して来ました。懐かしい方々との再会もあり、熊本のことに想いを巡らすことになりました。
昨年の4.14-4.16の熊本地震以降、いっぺんに熊本城への想いが変わってしまったのは事実です。熊本のシンボルという意味はわかっていたのですが、その意味合いが大変深くなってしまった。
そのきっかけになったのは、熊本城に向かって手を合わせる人々を目撃したのが大きな理由です。
完全な再建には20年以上かかるという。国の重要文化財だけでなく、ここに暮らす人々の精神や歴史に深く関わっているものだと、改めて感じた次第です。
これまではお城を観光名物と思っていただけですが、いやいや、生活に根付いていたのだと知ることもできたのでした。
痛々しい傷跡を見るにつけ、感動を覚えるのは何故でしょう。
お城はイキモノなんだ。…イキモノのエピソードを捉え直してみようと思うのです。

余談…ブラジル公演に向けても無関係ではないと確信しました。熊本を運ぼう!これより動きも計画も具体化します。人だ。
熊本に人の力を見つけたよ。

小さい声

2016-07-31 04:36:48 | 熊本地震2016.4.震度7
震災後に気をつけておきたいことがある。
5年前の東日本大震災後に在日への差別や排斥が巻き起こった。その張本人が東京都知事選に立候補しているのだから呆れる。
危機に乗じて感情で流されてはならないことは関東大震災からでも学べる。間違いを繰り返すのがこの国の人間たちかどうか?選挙は人の意識のバロメーターだ。

舌足らずになってしまったが、劇場を中心とした熊本震災レポートを書き上げた。劇場の安全対策に乗じて懸念されることもあるからだ。
人が集まる場所での安全対策が震災に乗じてテロ対策や思想監視へと範囲を広げられるのではないだろうか。

リオオリンピックでブラジルが危険な国だとメディアは騒いでいる。いかにも日本は安全な国だと言わんばかりだね。待てよ!本当に日本は安全な国か?
今日は東京都知事選挙の日。都民でもないのに気になるのは過日の参議院選挙の結果から首都である東京の結果次第で不気味なものを感じているからだ。

あれから3ヶ月

2016-07-14 16:40:50 | 熊本地震2016.4.震度7
4.14 熊本震災から3ヶ月目の今日。気象庁によれば今後、震度5以上の地震の可能性は低まったと発表された。安心して良いのかどうか?
震源地の益城町では先日、震度1で全壊家屋が更に倒壊して道路が通行止めになったニュースもあった。この豪雨で土砂災害の危険。この夏の猛暑も追い打ちになりそうだ。
油断させて欲しいが、そうもいかない。

公共の劇場は徐々に再開されている。熊本県立劇場や市民会館、国際交流会館などは7月末〜8月の再開予定と聞いているが、熊本市健軍文化ホールなど再開未定もある。又、熊本市はあもにい のように会場が避難所として運営されているため閉館中もある。
それでも5月より数は少ないが民間の小さなスペースではコンサートなどは行われていた。6月に入って持ち小屋での演劇公演もぼちぼち見受けられた。
困難はあるがブンカ活動をする人間たちにとってはカネとモノ、場所を確保するには知恵や行動力で乗り切るしかない。
新たな取り組みとして熊本の演劇人有志による「アートによるまち、ひとの再生・復興」(通称 SARCK)団体を立ち上げられた。これは東日本大震災後の仙台(ARCT)を参考にした活動。
又、熊本演劇人協議会では9月19日(月 祝日)、県立劇場大会議室にて「百人稽古」を計画中。みんなで集まって元気になろう!これは稽古終了後に飲み食いパーティーを予想。心配されている県外の演劇人たちが参加してくれれば更に元気倍増になる。

家を失い4600人の避難生活者や、この震災で亡くなられたり精神的に立ち直れない人々もいる。
頑張れ!を聞くのも嫌だという声も聞こえるのも現実。
日常の生活に戻りたいとも言う。
その日常とは何だったのか?これから向かう日常とは?これも疑心暗鬼である。お国のオエライさんたちのアホー!発声練習のセリフである。
ともあれ、内側から元気になろうとアレコレ探している。
今は目の前にぶら下がっている目標、劇作りに精を出す。

熊本震災3ヶ月後の今日、そうだ!私の日常とは癌の再発や転移と戦っていたのを忘れていたよ。自分のことになると、ハハ呑気だね。
東京都民ではないが、鳥越俊太郎さんには頑張ってもらいたいものだ。

注:写真は熊本の文化情報誌ドコサ?坂口さんより提供して頂く。
益城町文化会館と熊本市民会館より。

負けんけん

2016-07-07 08:42:26 | 熊本地震2016.4.震度7
あれから3ヶ月になろうとしている。
震源地の益城町では全壊・半壊に見舞われ立ち直れない方々も多くいらっしゃるのも現実。南阿蘇では地震による村の孤立化から豪雨による土砂崩れなど追い打ちによる二重の苦しみを経験している。そして、この数日の猛暑!熱中症の心配が日常にある。
九州では恒例の台風到来の季節に入った。
私が住んでいたアパートも半壊か一部倒壊か、二次審査の報告が出ていない。新しいアパートに引っ越して1ヶ月になろうとしている。やっと本日、エアコンが入る。先日、意識を失い顔面から倒れた時に壊れた義歯も今日で新しい歯に入れ替わる。
演劇に集中したい!
10月の東京公演、2018年6月ブラジル公演に向けて体制を固めています。
負けんけん、熊本けん!演劇も生活の復興である。皆様のご理解と応援をよろしくお願いします。

九州「劇」派ではSpace早稲田演劇フェスティバル2016参加上演のための支援金をお願いしております。皆様の応援ご協力をよろしくお願いします。
クラウドファンディング
https://readyfor.jp/projects/gekihaXkara
九州「劇」派ホームページ
http://gekiha.wix.com/gekiha

一区切り!

2016-06-27 04:31:35 | 熊本地震2016.4.震度7
6月26日(日)
引っ越し(健軍南町コーポ→保田窪本町)運搬作業完了!鍵も引き渡し6月10日からの二重生活16日間は終わった。と思ったが、罹災証明書などの手続きをとることになった。一部損壊?半壊?二次調査で結論が出るらしい。無縁だと思っていた義援金かお見舞金が熊本市から頂ける可能性もある。金額は不明だが、頂けるものなら大助かりである。
手伝ってくれた海幸大介、クドシン、本松夫婦にも大感謝します。座長さかもとまり は息つく暇もなく実家の親の面倒もみなくてはならず大変はつづく。次回公演に向けての制作や稽古も同時進行である。
個人的にお見舞金や物資を頂いた皆さま、心より感謝を申し上げます。
座長は最後の片付け後、実家(山都町)に走った。私と海幸大介は健軍の花習舎(12月熊本公演の会場)に走る。劇作家協会の渡辺えりさん(女優)が熊本震災を心配されて劇場の様子や熊本の演劇人たちの様子などを知りたいと熊本に来られた。彼女は東北震災で被災された方々へのサポートや調査などを続けておられた。
花習舎に集まってきた熊本の演劇人たちの震災の話を熱心に聞いてくれていた。
義援金を本当に困っている方へ渡したいとのこと、頭が下がる。
お会いしたのは2005年の劇作家大会熊本以来だった。