そうすけ漫録

そうすけの一日の型録です。

墓参り

2006年09月24日 | 定点観察

6:05起床。お墓参りには最高な晴空。室温20℃、湿度55%。
乾燥している。Tシャツでは肌寒い。風邪をひく前に、衣替えしよう。
まずは、ほっと、コーヒー(砂糖、クリーム入り)。頭よ、目覚めよう。

 血圧は、145 98 心拍数53 体重は、63.5kg 体脂肪20.5%。

真澄の空。東へ、鳩の一群が飛んでいる。これは、吉兆か、凶兆か。コンビニへ食料買出しに行く。

朝食は、いなりすし 即席みそ汁 ハムエッグ。
皿洗い、キッチン磨きをした。

本日の杖言葉

 一期一会 一会一期

 井伊直弼は茶の湯の心得は「一期一会」に帰するといいきります。一期(一生)に一会(一度しか会う機会がない)、 一生に一度限りだから、出会いの縁を大切に生かすのが、茶の湯の心得のすべてです。
=中略=
 臼井荊道老師は、終戦直後に栄養失調に近い症状で亡くなりました。懐紙に鉛筆で遺書を認められましたが、読みにくく、

 「人間は一会一期 何事も丁重にしておかねばならぬ」

と判読できたそうです。「一会一期」とは<一度本当の自分に出会ったら、一生離れることはない。>との遺訓でしょう。一期一会から一会一期に、茶心から禅心への昇華を感じます。

            松原泰道 #3 P12

 何事もご縁を大切に、丁寧に出会いたい。
 その出会いから、本来の自己に気がつき、受け入れられることができたら、どんなに楽しいことだろう

 最高の天気であった。しかし我を忘れていたらしい。
着る物がない。技がない。芸がない。だから、暑かった。
 母とお墓参りに行く。新宿駅へお降り立つが思っていた出口ではなかった。着る物を失敗してしまって呆然としている。地下鉄工事をしているらしい。
 京王追分ビルを見つけた。かつては、この追分まで京王電車がきていたのです。
お寺に着いて、母がお線香をいただいているとき、外で待っていると、おばさんに良く似た30代の女性とすれ違う。
 墓にお線香とお花とお水をたむけて、手を合わせる。南無阿弥陀仏(意味は思い出せないが)心の中で唱えた。

昼食は、コーヒー 野菜天そば。

 なぜ、母と向かい合っていると、言葉が出なくなってしまうのだろう。
親戚のこと、ご近所のこと、体のこと、たくさん話してくれる。
 でも、そうすけは、なにも語れない。それは、母に伝えたいのに伝えられないのだ。弱音を吐きたい。しかし、それは母に心配と不安を与えるだけではないだろうか。遠慮をしてしまう。すると、語るものが突如に欠落してしまう。仕事のこと、体のこと、友人のこと、たくさん話せるはずだ。
 母と息子は歩いている。ただ、歩いている。最後は黙って歩いている。高層ビルを見上げながら、その先の空をみていた。
 母と池袋で別れる。いつも、落したものを拾うのは別れたあとだ。

 Rさんと池袋であった。

 池袋から駒込へ南北線で東川口。そうすけは、この短い時間で病にかかってしまった。地下から出ると夜であった。どの方向に行けばよいのか、わからなくなってしまう。交番に駆け込む。わたしはどこへいくのでしょう、と言いたかったけれど、ここはおやじギャグをぐっと、抑えて、XYZ病院を訊く。婦警さんは懇切丁寧に教えてくれた。世の中の人が皆よい人に思える。

 S君のお見舞いに行った。一ヶ月前と見違えるほど良くなって歩けるようになっていた。順調に行けば来月には退院できるそうだ。よかった、よかぅた。
 そうすけの病を聞いてもらう。そして、処方箋をいただいた。
 まず、ほめる。そして
 素直に感動したことを言葉にして伝えて、共有ができる価値観をみつける。

 そうだ。そうだ。全くだ。でも、今日はできていなかった。
 東川口から自宅までは、ひとりで反省しきりだ。もう一つの病がぶり返してくる。

夕食は、ビール 黒ビール 小えびから揚げ かきピー 缶チュ-ハイ 焼酎オレンジジュース割 やきうどん。

 NHKTVをながめる。 いま、若い娘のキーワードは「KAWAII」。
 おしゃれからかわいい。時代は若者がつくることは、21世紀になっても相かわらない。

 23::00ごろ?ダウン。