一昨日は犬山市にある堀部邸を見学してきました。
特定非営利活動法人 古代邇波の里・文化遺産ネットワーク (赤塚次郎さん代表)が管理・公開する武家風屋敷です。明治初期(1883年)に財をなした堀部勝四郎が武家屋敷風の建物として建築した施設だという。その後離れなどの施設が付属増築されて現在にいたり、暫く管理が十分でなかったために荒れ放題であった施設を上記法人・通称「ニワ里ネット」が再整備を行い、今年から管理、活用することになったという。
三重大学の卒業生がニワ里ネットの学芸員として勤務しており、以前から一度見に来るようにとの誘いを受けていたのが実現したものだ。
6月3日オープンに会わせて紹介された朝日新聞の記事( http://www.asahi.com/articles/ASH5052VQH50OBJB003.html )によると以下のような特長があるらしい。
犬山市にある国の登録有形文化財「旧堀部家住宅」が生まれ変わった。NPO法人が運営する「木之下城伝承館・堀部邸」として再始動し、一般公開も始まった。織田家の居城で、国宝犬山城の前身とされる木之下城を核に、町の新たな情報発信拠点を目指す。
堀部邸は、犬山藩主成瀬家の家臣だった堀部家の住居。約1340平方メートルの広大な敷地には、木造2階建ての主屋や、養蚕に使われた作業小屋などが連なる。古いものは1883(明治16)年の築とされ、2006年、6件の建物が国の登録文化財になった。
09年に建物を譲り受けた犬山市は、民間団体に貸し出し、建物展示やカフェなどの活用策を試行。今年4月、古墳など歴史遺産を活用した事業を展開するNPO法人「古代邇波(にわ)の里・文化遺産ネットワーク」(ニワ里ネット、犬山市)が3年間の管理・運営権を得て、本格的な活用が始まった。
廷内に展示されていた堀部勝四郎夫妻?
管理団体であるNPO古代邇波の里・文化遺産ネットワークのHP ( http://niwasato.net/home/ )でも詳しく紹介されているほか、あちこちで紹介されている。( http://horibetei.jimdo.com/ )
以下昨日撮影した写真でその概要を紹介しておこう。写真よりもぜひ一度出かけて現物を見ていただければその魅力に引き込まれるに違いない。
場所は国宝犬山城の城下町の南の外れ。正式名称は木之下城伝承館・堀部邸である。犬山城下町が形成される前に南部には木之下城が東西200m、南北350m程の範囲に形成されていたという。
その木之下城の西方部に設けられたのが堀部邸である。
玄関
特注のれん
表庭
中庭
ボランテアの方々が荒れ放題だった庭をこの様に美しく整備して下さったそうです。
トイレ
離れ
台所
井戸
今でも少し水がしみ出しています。
女中部屋に使われていた渡り廊下部分です。わずか二畳の狭い空間です。かつて調査した長岡京左京の兵士の駐屯地も一人あたり二畳でした。イギリスのハドリアヌスウオール警護のためのフォートの兵士居住空間もそれくらいでした。二畳が人間の居住限界空間なのですかね。
改装して近代的トイレに
現代になって風呂に改装されたそうです。
藏はギャラリー空間に利用
堀部邸は国の登録文化財なのですが、様々なイベントに利用できるよう工夫されています。
三時間利用して500円という格安でもあります。
木之下城伝承館・堀部邸、なかなか素敵な空間ですね、と思う人はこいつをポチッと押して下さいね→
特定非営利活動法人 古代邇波の里・文化遺産ネットワーク (赤塚次郎さん代表)が管理・公開する武家風屋敷です。明治初期(1883年)に財をなした堀部勝四郎が武家屋敷風の建物として建築した施設だという。その後離れなどの施設が付属増築されて現在にいたり、暫く管理が十分でなかったために荒れ放題であった施設を上記法人・通称「ニワ里ネット」が再整備を行い、今年から管理、活用することになったという。
三重大学の卒業生がニワ里ネットの学芸員として勤務しており、以前から一度見に来るようにとの誘いを受けていたのが実現したものだ。
6月3日オープンに会わせて紹介された朝日新聞の記事( http://www.asahi.com/articles/ASH5052VQH50OBJB003.html )によると以下のような特長があるらしい。
犬山市にある国の登録有形文化財「旧堀部家住宅」が生まれ変わった。NPO法人が運営する「木之下城伝承館・堀部邸」として再始動し、一般公開も始まった。織田家の居城で、国宝犬山城の前身とされる木之下城を核に、町の新たな情報発信拠点を目指す。
堀部邸は、犬山藩主成瀬家の家臣だった堀部家の住居。約1340平方メートルの広大な敷地には、木造2階建ての主屋や、養蚕に使われた作業小屋などが連なる。古いものは1883(明治16)年の築とされ、2006年、6件の建物が国の登録文化財になった。
09年に建物を譲り受けた犬山市は、民間団体に貸し出し、建物展示やカフェなどの活用策を試行。今年4月、古墳など歴史遺産を活用した事業を展開するNPO法人「古代邇波(にわ)の里・文化遺産ネットワーク」(ニワ里ネット、犬山市)が3年間の管理・運営権を得て、本格的な活用が始まった。
廷内に展示されていた堀部勝四郎夫妻?
管理団体であるNPO古代邇波の里・文化遺産ネットワークのHP ( http://niwasato.net/home/ )でも詳しく紹介されているほか、あちこちで紹介されている。( http://horibetei.jimdo.com/ )
以下昨日撮影した写真でその概要を紹介しておこう。写真よりもぜひ一度出かけて現物を見ていただければその魅力に引き込まれるに違いない。
場所は国宝犬山城の城下町の南の外れ。正式名称は木之下城伝承館・堀部邸である。犬山城下町が形成される前に南部には木之下城が東西200m、南北350m程の範囲に形成されていたという。
その木之下城の西方部に設けられたのが堀部邸である。
玄関
特注のれん
表庭
中庭
ボランテアの方々が荒れ放題だった庭をこの様に美しく整備して下さったそうです。
トイレ
離れ
台所
井戸
今でも少し水がしみ出しています。
女中部屋に使われていた渡り廊下部分です。わずか二畳の狭い空間です。かつて調査した長岡京左京の兵士の駐屯地も一人あたり二畳でした。イギリスのハドリアヌスウオール警護のためのフォートの兵士居住空間もそれくらいでした。二畳が人間の居住限界空間なのですかね。
改装して近代的トイレに
現代になって風呂に改装されたそうです。
藏はギャラリー空間に利用
堀部邸は国の登録文化財なのですが、様々なイベントに利用できるよう工夫されています。
三時間利用して500円という格安でもあります。
木之下城伝承館・堀部邸、なかなか素敵な空間ですね、と思う人はこいつをポチッと押して下さいね→