昨年4月から国立歴史民俗博物館の展示プロジェクト「桓武の野望と挫折」(仮題)の委員を務めている。関東で初めて本格的な古代の都に関する展示会である。2007年秋開催予定で、現在各分野から集まった委員の間で展示企画を立てている。先日も委員が持ち寄った企画案を検討したばかりである。
実は通称「歴博」も参観者の減少に頭を悩ませている。展示会は多種多様なものを数多く開催するのだが、一向に人は足を運ばないのである。思い切った改革をしなければいずれ国民から忘れ去られてしまう。そこで、普通は「桓武(天皇)」などという個人をテーマにすることはないのだが、タイトルにまで個人名を入れて展示してもいいのではないかという意見でまとまりつつある。
桓武こそが奈良時代から平安時代という時代の転換点を創り出したのだという主張である。
先の日韓ワールドカップ開催時に現天皇は「祖先である桓武天皇は朝鮮人の血をひき、両国は強いつながりをもっている親しい関係にある民族同士だ」という歴史を認識の上で共催の意義を語ったと伝えられる。四大紙各紙は社会面辺りに小さく記事を載せただけで詳細は不明だが、私には強烈な印象を与えた。以来、講演会などでは必ずこの発言を紹介し、偏った民族主義を諫めることにしている。
桓武こそ、現天皇にまで強い印象を残し、その明確な祖先として認識されている天皇なのである。桓武さんのお力で、果たして観客動員数の減少に歯止めがかかるか、私達に科せられた課題は極めて重い。
ところで三重県内にはユニークな博物館、資料館が多数存在する。しかしいずれも「歴博」と同じ悩みを抱えている。特に県立博物館(津市)と斎宮歴史博物館(明和町)の抱える問題は深刻だ。
先日久しぶりに学生を連れて県立博物館に行った。相変わらず参観者は少くなく、やはり先生に連れてこられたらしい数人の子供達が見学していただけだった。受付の職員に尋ねると、平日はいつもこんなもんだという。すっかり諦め気味である。
驚いたのは展示内容が以前と少し変わり、自然系中心になっていたことである。入り口ロビーに伊勢型紙のコーナーはあったが、後の2室はいずれも自然関係であった。
鳥羽で恐竜の化石が見つかり、「鳥羽竜」と命名され一時博物館の見学者を増やしたことは記憶に新しい。その最新成果を生かして、自然系にしたのであろう。全国でも人気の科学博物館を意識してのことであろうか。
但し展示品のほとんどは、これまでも並んでいた動物の標本や鉱石、化石であった。もちろん、予算と人員に限りがある以上、常に大規模な展示ができないことは承知の上である。学芸員の方々の心境を思いやると忸怩たるものがある。しかしそれでもなお、少し寂しかったのは、折角の資料が、ただ置いてあるに等しい展示であった点である。
例えば鉱物のコーナーには「水銀」と書いて、数個の原石が展示してあった。説明は何もない。もちろん岩石学の展示としてはこれで十分なのかも知れない。しかし、「三重県立」を名乗る以上どうしてこの岩石をこの空間に並べる必要があったのかくらいの説明があってもいいのではないかと思った。
学生には素直な感想を求めたかったのだが(一応来週レポートが出ることになっている)、ついたまらず言ってしまった。
「ちょっとこれではネ・・・、実はね、この水銀の標本を見て思い出したんだけれど、伊勢国は古代から水銀の特産地なんだよ。あの有名な東大寺の大仏を金色に光り輝かせたのは伊勢の水銀だったんだよ。・・・・」
博物館の説明板にはそんなことはどこにも触れられていなかった。もし少しでも触れてあったら、訪れた人々の地域に対する関心は一挙に高まったはずだ。ひょっとして、口コミでこんな話が伝われば、「博物館が変わったんだ!もう一度行ってみよう!」と思う人が増えるかも知れない。こんなことを一人ごちながら展示を見て回った。化石のコーナーでも、動物のコーナーでも、いろんなアイデアが、次々と脳裏に浮かんだ。一番寂しかったのは「鳥居古墳」への案内であった。まるで「トイレこっち」の案内のように、矢印が廊下に貼ってあるだけなのだ。
立派な家形石棺を持つ三重県下有数の横穴式石室を持つ後期古墳は裏庭の駐車場に寂しく鎮座するだけだった。
ところで斎宮歴史博物館もリニューアルをした割には観客の足が伸びないらしい。聞くところによると三重大学の先生に委託して博物館活性化の対策を検討するらしい。専門化をあえてはずして検討するところに期待感はにじむのだが・・・・。
世界に一つしかない斎王にテーマを絞った資料館である。どうして訪れる人が少ないのだろう。私の思いつきの不活性化原因の分析はこうだ。
毎年行われる発掘調査の成果が余りに表現されていないのではないかと思うのである。例えば、昨秋、せっかく他府県では見ることのできない壮大な塀で囲われた施設(初代斎王・大来皇女の暮らした斎宮内院跡の可能性があることは既に本ブログでも述べたことがある。)を発見しても、地方版に小さく紹介されただけなのである。
私なら直ぐに復原図を作り、日本のみならず世界中の皇帝の離宮の資料を集め、「世界最古の皇族女性の離宮か?!」と報道機関に発表する。
もちろん、木簡などの文字資料がまとまって出ない限り断定はできない。しかしだからといって「アーかも知れないがこうかも知れない、アーでもないし、こうでもない」では何のための発掘調査かと言うことになりはしないだろうか。私は何もねつ造しろとは言っていない。発見された資料の可能性としていくつかのヒントを提示すればいいと言っているだけなのだ。
情報をできるだけたくさん提供し、参観者と一緒に考えてもらう、そんな姿勢が必要なのではないだろうか。推理小説を読む読者が通勤電車の中で、次の頁に出てくる答えを読む前に必死で考える姿、こんな形が資料館や博物館にあってもいいのではないだろうか。
資料館活性化の第一条件は、人々の関心を得ることである。それでなくとも情報の溢れかえる社会である。並の情報では人々は気付いてくれない。新鮮な情報こそが人々の目を奪い、興味を引き起こすのである。
なぜ女子フィギアースケートの放映が高視聴率を得たのか、なぜ女子プロゴルフが人気を盛り返し、男子はだめになったのか。
次々と登場する新しく、魅力的な選手達のプレー、そのきびきびした、刺激的な姿にスケートの採点方法を知らなくとも、引き込まれてしまう。まるでサイボーグのように正確に打ち込まれるショット、次々とカップに吸い込まれるボール、いろんなスタイルの、いろんな個性がぶつかり合うゲームほど楽しいものはない。次に彼女はどんなスパーショットを見せてくれるのか、ワクワクしながら見ていると時間の経つのも忘れてしまう。日本シリーズで見せてくれたロッテの選手達の意外性、これほど野球が新鮮に見えた年はなかった。
こんなスポーツの姿を博物館活性化に参照できないだろうか。
博物館が博物館の展示対象となってもいいというのは過去の話であろう。新しいプレーヤーは新しい遺跡や遺物、研究成果に対応する。きびきびしたスケート、意外性のあるプレーは学芸員の優れた解説や展示パネルに匹敵しよう。
常に世界一新鮮な情報を世界のどの博物館にも負けないくらい積極的に発信する、この姿勢があれば、いずれ人々は博物館に足を運んでくれるのではないだろうか。スポーツのように世界選手権はないが、世界一の資料や展示の技は今ならブログやホームページを使っていくらでも提示することができる。少なくとも地下から発見される資料は世界に二つと無いものばかりである。調査員には当たり前で、見飽きたものであっても、一般市民にはどうして1200年も前のお茶碗が地面から出るのか、そもそもどうして1200年前と解るのか、疑問だらけなのである。
老若男女を問わず、発掘調査体験をしてもらうと必ずと言っていいほど人々は無言になりスコップの先に集中する。この新鮮な情報こそ博物館は一番大切にしなければならないのである。
博物館もまた、最新の「情報」でリニューアルし続けなければならないのではないだろうか。もちろん情報の用い方は様々であろう。古い展示品でも、新しい研究成果によって蘇る可能性はいくらでもある。イヤそれこそ学芸員の真骨頂ではないだろうか。常に最前線の情報、研究成果や調査資料に耳をすまし、目を凝らし、食いついて展示に活かしていく、こんな姿勢があれば、「活性化」の道は自ずと開けると思うのだが・・・。さて、我が先生方がどんな風に活性化してくれるか、楽しみである。
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実は通称「歴博」も参観者の減少に頭を悩ませている。展示会は多種多様なものを数多く開催するのだが、一向に人は足を運ばないのである。思い切った改革をしなければいずれ国民から忘れ去られてしまう。そこで、普通は「桓武(天皇)」などという個人をテーマにすることはないのだが、タイトルにまで個人名を入れて展示してもいいのではないかという意見でまとまりつつある。
桓武こそが奈良時代から平安時代という時代の転換点を創り出したのだという主張である。
先の日韓ワールドカップ開催時に現天皇は「祖先である桓武天皇は朝鮮人の血をひき、両国は強いつながりをもっている親しい関係にある民族同士だ」という歴史を認識の上で共催の意義を語ったと伝えられる。四大紙各紙は社会面辺りに小さく記事を載せただけで詳細は不明だが、私には強烈な印象を与えた。以来、講演会などでは必ずこの発言を紹介し、偏った民族主義を諫めることにしている。
桓武こそ、現天皇にまで強い印象を残し、その明確な祖先として認識されている天皇なのである。桓武さんのお力で、果たして観客動員数の減少に歯止めがかかるか、私達に科せられた課題は極めて重い。
ところで三重県内にはユニークな博物館、資料館が多数存在する。しかしいずれも「歴博」と同じ悩みを抱えている。特に県立博物館(津市)と斎宮歴史博物館(明和町)の抱える問題は深刻だ。
先日久しぶりに学生を連れて県立博物館に行った。相変わらず参観者は少くなく、やはり先生に連れてこられたらしい数人の子供達が見学していただけだった。受付の職員に尋ねると、平日はいつもこんなもんだという。すっかり諦め気味である。
驚いたのは展示内容が以前と少し変わり、自然系中心になっていたことである。入り口ロビーに伊勢型紙のコーナーはあったが、後の2室はいずれも自然関係であった。
鳥羽で恐竜の化石が見つかり、「鳥羽竜」と命名され一時博物館の見学者を増やしたことは記憶に新しい。その最新成果を生かして、自然系にしたのであろう。全国でも人気の科学博物館を意識してのことであろうか。
但し展示品のほとんどは、これまでも並んでいた動物の標本や鉱石、化石であった。もちろん、予算と人員に限りがある以上、常に大規模な展示ができないことは承知の上である。学芸員の方々の心境を思いやると忸怩たるものがある。しかしそれでもなお、少し寂しかったのは、折角の資料が、ただ置いてあるに等しい展示であった点である。
例えば鉱物のコーナーには「水銀」と書いて、数個の原石が展示してあった。説明は何もない。もちろん岩石学の展示としてはこれで十分なのかも知れない。しかし、「三重県立」を名乗る以上どうしてこの岩石をこの空間に並べる必要があったのかくらいの説明があってもいいのではないかと思った。
学生には素直な感想を求めたかったのだが(一応来週レポートが出ることになっている)、ついたまらず言ってしまった。
「ちょっとこれではネ・・・、実はね、この水銀の標本を見て思い出したんだけれど、伊勢国は古代から水銀の特産地なんだよ。あの有名な東大寺の大仏を金色に光り輝かせたのは伊勢の水銀だったんだよ。・・・・」
博物館の説明板にはそんなことはどこにも触れられていなかった。もし少しでも触れてあったら、訪れた人々の地域に対する関心は一挙に高まったはずだ。ひょっとして、口コミでこんな話が伝われば、「博物館が変わったんだ!もう一度行ってみよう!」と思う人が増えるかも知れない。こんなことを一人ごちながら展示を見て回った。化石のコーナーでも、動物のコーナーでも、いろんなアイデアが、次々と脳裏に浮かんだ。一番寂しかったのは「鳥居古墳」への案内であった。まるで「トイレこっち」の案内のように、矢印が廊下に貼ってあるだけなのだ。
立派な家形石棺を持つ三重県下有数の横穴式石室を持つ後期古墳は裏庭の駐車場に寂しく鎮座するだけだった。
ところで斎宮歴史博物館もリニューアルをした割には観客の足が伸びないらしい。聞くところによると三重大学の先生に委託して博物館活性化の対策を検討するらしい。専門化をあえてはずして検討するところに期待感はにじむのだが・・・・。
世界に一つしかない斎王にテーマを絞った資料館である。どうして訪れる人が少ないのだろう。私の思いつきの不活性化原因の分析はこうだ。
毎年行われる発掘調査の成果が余りに表現されていないのではないかと思うのである。例えば、昨秋、せっかく他府県では見ることのできない壮大な塀で囲われた施設(初代斎王・大来皇女の暮らした斎宮内院跡の可能性があることは既に本ブログでも述べたことがある。)を発見しても、地方版に小さく紹介されただけなのである。
私なら直ぐに復原図を作り、日本のみならず世界中の皇帝の離宮の資料を集め、「世界最古の皇族女性の離宮か?!」と報道機関に発表する。
もちろん、木簡などの文字資料がまとまって出ない限り断定はできない。しかしだからといって「アーかも知れないがこうかも知れない、アーでもないし、こうでもない」では何のための発掘調査かと言うことになりはしないだろうか。私は何もねつ造しろとは言っていない。発見された資料の可能性としていくつかのヒントを提示すればいいと言っているだけなのだ。
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資料館活性化の第一条件は、人々の関心を得ることである。それでなくとも情報の溢れかえる社会である。並の情報では人々は気付いてくれない。新鮮な情報こそが人々の目を奪い、興味を引き起こすのである。
なぜ女子フィギアースケートの放映が高視聴率を得たのか、なぜ女子プロゴルフが人気を盛り返し、男子はだめになったのか。
次々と登場する新しく、魅力的な選手達のプレー、そのきびきびした、刺激的な姿にスケートの採点方法を知らなくとも、引き込まれてしまう。まるでサイボーグのように正確に打ち込まれるショット、次々とカップに吸い込まれるボール、いろんなスタイルの、いろんな個性がぶつかり合うゲームほど楽しいものはない。次に彼女はどんなスパーショットを見せてくれるのか、ワクワクしながら見ていると時間の経つのも忘れてしまう。日本シリーズで見せてくれたロッテの選手達の意外性、これほど野球が新鮮に見えた年はなかった。
こんなスポーツの姿を博物館活性化に参照できないだろうか。
博物館が博物館の展示対象となってもいいというのは過去の話であろう。新しいプレーヤーは新しい遺跡や遺物、研究成果に対応する。きびきびしたスケート、意外性のあるプレーは学芸員の優れた解説や展示パネルに匹敵しよう。
常に世界一新鮮な情報を世界のどの博物館にも負けないくらい積極的に発信する、この姿勢があれば、いずれ人々は博物館に足を運んでくれるのではないだろうか。スポーツのように世界選手権はないが、世界一の資料や展示の技は今ならブログやホームページを使っていくらでも提示することができる。少なくとも地下から発見される資料は世界に二つと無いものばかりである。調査員には当たり前で、見飽きたものであっても、一般市民にはどうして1200年も前のお茶碗が地面から出るのか、そもそもどうして1200年前と解るのか、疑問だらけなのである。
老若男女を問わず、発掘調査体験をしてもらうと必ずと言っていいほど人々は無言になりスコップの先に集中する。この新鮮な情報こそ博物館は一番大切にしなければならないのである。
博物館もまた、最新の「情報」でリニューアルし続けなければならないのではないだろうか。もちろん情報の用い方は様々であろう。古い展示品でも、新しい研究成果によって蘇る可能性はいくらでもある。イヤそれこそ学芸員の真骨頂ではないだろうか。常に最前線の情報、研究成果や調査資料に耳をすまし、目を凝らし、食いついて展示に活かしていく、こんな姿勢があれば、「活性化」の道は自ずと開けると思うのだが・・・。さて、我が先生方がどんな風に活性化してくれるか、楽しみである。
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マンガ・アニメ・ゲームの少女キャラなどに,疑似恋愛的な好意を抱く様子。特に「おたく好み」の要素(猫耳・巫女(みこ)などの外見,ドジ・強気などの性格,幼馴染み・妹などの状況)への好意や,それを有するキャラクターへの好意をさす。対象への到達がかなわぬニュアンスもある。
だそうです。
『三省堂デイリー新語辞典』より
私の近所の『N良県立M葉B化館』、ここもリピーターを望むには、かなり絶望的な博物館相当施設です(^_^;)
常設のコンセプトからして、私のような素人には良く分かりませんから。
『万葉集』から見ても『日本画』から見ても、あまり面白くない……基本的に私は両方とも好きなのですが、これが見事に分離しているんです。
この歌は好き、この絵は絵画としては好き、でもどうしてこの歌に、この絵なの?????
ここが二年程前に、とある二人の有名な少女漫画家(どちらも古代史モノの作品で有名な方です)の原画展をやりましたところ、稀に見るほど人の入りの良かったこと……一般の方々がどういう要素を求めているのかが、何となく分かる一つの例かもしれません。
流行に乗るのも潔くないかもしれませんが、さて、崇高な精神(?)で世間の人が着いて来てくれるのかしら。
と言うよりも、N良県にも企画力のある人はいないのねぇ、きっと。
知らん?
噂によると私の斎宮歴史博物館集客不足分析や遺跡評価対応は「大学の先生の戯言」だそうで、「行政はこんなことできるわけなく、もっと万弁に目配りが必要」なんだそうですよ。ハッハッ・・・・
それほど過激とは思わないんですがね・・・。
別に私は斎宮歴史博物館の委員でも何でもないので、外野のハエがブンブンですから・・・。このままでいいというのならどうぞ!
そうですよね、三重県の目配りのすごさは天下一品ですものね。
で、何も変わらず、いつか枯れ果てるのでしょうかね・・・。マ、困るのは県の皆さんだから(でも県民も困るんですがね・・・、僕だって、今は一応県民、津市民ですもんね)。
萌え~がなんか知りませんが、博物館の後ろ向きよりいいですよね、きっと。
でも、どっちにしても、館の人がこんな認識じゃもう実質的につぶれてるのかな!「消えゆく博物館」なんて放送は見たくないけれど、どうもこのままでは二つめの「世界一の県立博物館」ができそうですね。
かわいそうなE博士。あまり無理しないで下さいね。研究、研究!!
そうそう、萌え~、萌えいいですねぇ。
斎宮の映像「斎王群行」は明らかに萌え思考。制作者の意図ありあり、でも話題にはならないねぇ。困ったもんだ。
あ、ナレーターは小山芙美だというのは意外に知られていない事実だそうです。
しかし話題づくりが下手だよね。行政は
皇女 で、
しかも、 巫女。
と、くれば、キーワードは
やっぱ「萌え~」でしょう。
「萌え~!」
あ、一番上ですが、いうまでもなく「おとめ」
と読んでくださいね。
ふざけていてすみません。
茶化している訳じゃないんですよ。
怒らんといてくださいね、E博士。
何しろこの年になると、日常が相手なものですから、発言に対して良くて雑多な責任がおっかぶさる、悪くて無視される、てなこともないわけではありません。外部に発信しても内部が動かない、ということもしばしばあるし、調査についても文化庁やら地域やらを巻き込んだ、30余年分のしがらみは一杯あるらしいし・・・。
で、何とか斎宮をやさしくしようとしているのですが、それでも難しい、と言われるのです。「悲劇の皇女」じゃつまらないから、「斎宮から見れば歴史観が変わるかも」、と言いたいのだけど、中身が長いとくどくなるし、うちに来るお客様との軋轢を避けるため、王制とか宗教とかに関わる精神的な制約からの微妙な自主規制も働くし・・・。
大体、斎王制というものになじみがないから、歴史に興味を持たない人はハナから魅力を感じないのですね。私としては、こんな制度を必要とした古代王権とは何だったんだろう、と来館者に考えるきっかけになればいいと思っているのですが、歴史好きな方でも、英雄ファンの方にはそういう意識はなかなか無くて、人の顔が見えないと駄目、とおっしゃる。そういうニーズに答えるための方法はなかなか難しい。
一方でS大院生のISさんのように、あるいは斎宮の観光ボランティアさんのように、斎宮に非常に興味を持つ人も多い、でも県内で斎宮を徹底的にやろう、という芽がねぇ。文献屋では斎宮というのは少なくて、特に律令制下の斎宮については、他にT大史料のNYさん位だしなぁ。ISさんは専攻を決める頃に、ある先生に、斎宮は榎村がやりつくしてるので新しいネタはないぞ、と言われたそうです。そんなもんじゃないと思うのだけど、そういう話をする機会も少ないなぁ。研究会を開くなら、どこまで間口を広げるかですよね。
それこそ魅力的な一言で斎宮をアピールできないのが困りものです。
ぼやいてみました。
もちろん私は個人的に誰々を攻撃するつもりなんぞ毛頭ありません。お一人お一人の方々がその場その場で最大限の努力をなさっていることは昨年の発掘調査に参加させていただいてさらに強く思いました。
私はあくまでこの組織を責任者として管理なさっている方々に申し上げているつもりです(もちろんそんな方々がこのブログをお読みになるはずがないことも重々承知です)。
では何のために。
組織に所属されている皆さんが極めて誠実になさっているからこそ、私のような「外野」が大声で申し上げなければ組織は動かないと思うのです。もちろん私は無責任な「外野」のつもりはありません。本当なら斎宮の委員会に入れていただき委員として正々堂々とご意見申し上げたいのです。
正直申し上げて、私は斎宮に関してきちんと論文も書いているつもりです。現場にもできるだけ自ら積極的に見学に参っているし、我が学生諸君にもできるだけ調査に参加するよう指導しています。恐らく斎宮の委員の先生方の誰よりも一生懸命斎宮のことを考えている一人だと自負しております。
にもかかわらず、斎宮の調査の一部に参加させて欲しいという実にささやかな要望(私は学生を連れて無償で参りますのでと申していたのですが・・・)がほんの少し叶えられたのが昨年でした。
どこがいけないのでしょうか。恐らく正面突破で正論を歯に衣着せず申し上げることが嫌われているのでしょう。自覚いたしております。しかし、世の中、一人くらい馬鹿正直な大学教官もいていいのではないでしょうか。
昨日も実は久留倍遺跡の整備委員会の第1回会合がありました。
委員の選任にはいろいろあったようですが、周りの方々の強い意向で私も「無事」委員に再任されました。だからといって、その場で「トンネル化」を申すほど私も向こう見ずではありません。
申し上げたことは1点。
久留倍遺跡だけの整備案では駄目です!!これだけです。
なぜなら、久留倍遺跡だけがもっている情報なんて限られているからです。斎宮のように30年間調査し続けて、あんな立派な資料館があり、榎村さんのような超一流の学者学芸員がいても、博物館に人が来ないのです。いわんや久留倍遺跡なんぞ2くる「きゃく」はしょねんどでに恐らく5年後にはほとんど人は来ないでしょう。
それを変えるにはどうするのか、常に新しい情報を久留倍遺跡及びその周辺から与え続けることです。私はその一つの試みを「壬申の乱ウオーク」と位置づけて生涯の取り組みと決めました。夢は50回目のウオークの途中で昇天することです。
そして、もちろん四日市で、鈴鹿で、亀山で、桑名で行われ続けるはずのいろいろな調査をこの遺跡と絡めて「説明」「解釈」して新鮮な情報、新鮮な指思考、真剣な推理の場を与え続けようと思っています。
是非斎宮で一緒に研究会を立ち上げましょう!!。現場担当者は変わっても研究者は替わりません。榎村さんに負けない優れた若き研究者を一緒に育てましょう!!
たしかに発掘調査を展示に生かす体制がないのですよ。発掘調査をもとに侃々諤々することは、研究の基本だとは思うのだけれど、そして誰もがそう思っているのだけれど、何故か巧くいかないのです。私としては、「アーかも知れないがこうかも知れない、アーでもないし、こうでもない」でいいから、それを公開したいのですが、なかなかそうはならない。
一つには私のような例外を除き、特に調査担当が定期的に転勤していくため、積み重ねができにくいというのが要因。例えば前任者の研究成果に問題があると思えば、それで議論すればいいのだけど、変更するだけの決定的証拠がないので、問題がそのままになる。つまりは担当者は問題点を握りこみ、次の担当者に引き継ぐことになる。
そのために情報の共有化がなかなかできにくいし、自分の発言に長い目で見て責任を取れないので、つい慎重になり、思い切ったことがいいにくい、というのもある。まちがっててもええやんか、とはなかなかならない、だから例えば、私が柵列は奈良時代だと思うのですが、そんなことを言っても、それほど議論にはならないのです。方法論も違うし、何だかすれ違ってしまう。だから各論併記でもいいと思うけど、概報はあくまで担当者責任・・・。
そういうことかなぁ、と最近何となくわかってきた。
それでもね、例えば方格地割の検出は斎宮最大の発掘成果だと思うけど、その道路側溝の深い浅いとか、建物配置の時代変遷とかを一切飲み込んで十分の一と四百分の一の模型を作ったのは英断だとは思うし、実物幅の道路復元も一部だけどやってきた。
でもそれは毎年毎年の地道な成果の積み上げでようやく解ってくることで、タイムリーな成果はなかなかできにくい。方格地割内院の柵列の評価が定まったのも、発見から十年以上たってのことです。それはそれで評価してほしいのです。でも、方格地割見に客は来ませんわな。やっぱり見て面白い実物が欲しいけど、どうも制約が多い。
でも、来年度は定期的な検討会の実施とか、速報展示の開催とか、調査と展示を何とか連動させていきたいと構想はしているのですよ。
ま、およばずながらぼちぼちと。
一言じゃありませんな。