yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

【主張】 日本橋は移せばいいの?の条

2006-01-21 00:17:24 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 先ほどのasahicomにこんなニュースが載っていた。


 東京名物「日本橋」を覆い隠している首都高速道路について、東京都の石原慎太郎知事は20日の記者会見で、「つまらん金かけるより、日本橋をどこか近くの川に移したらいい」と語り、首都高移設を唱えた小泉首相の提案をひっくり返すアイデアを披露した。
 現在の日本橋の景観については「ナンセンスで非常に野蛮な街の造形」としながら、「首都高を造り直すとか、ビルの中を通すとかは大変。あの場所になくても、あの橋そのものがあればいい」と断言。東海道などの起点として栄えた橋の移転を大胆に主張し、「こういう発想をするのが小説家なんだよ」と小泉首相との違いを強調した。
 日本橋を覆う高速道路の高架は、64年の東京五輪開催を控えて整備されたもので、小泉首相は昨年末、景観を損ねているとして「日本橋の上を思い切って空に向かって広げてみよう」と主張。発言を受けた国土交通省は、都が五輪招致を目指す2016年をめどに、首都高移設の検討を進めている。


 古墳の保存問題などが起こると良く出てくるのがこの「移設」案。歴史や文化の理解できない奴に限ってこんな案を出す!

 私は石原の発言に怒っているのではない。所詮あんなのが東京都知事にいるのが日本の現実なんだから。今更あんな人間に文句を言ったところで通じるわけでもなし、怒るだけ損だから!(もちろん私が東京都民ならどうしてこんな奴を知事に選ぶのかと訴えるのだけれど)。

 文句を言いたいのはこの記事を書いた記者の感性である。

 「首都高移設を唱えた小泉首相の提案をひっくり返すアイデアを披露した。」

 これが立派な「アイデア」だという。今の4大紙の新聞記者が権力に媚びを売る御用記者であることは今更言うまでもない。特に東京都の番記者は質が悪いと聞いていたが、ここまで地に堕ちていたとは思わなかった。本当にどうしようもない記者ばかりなのだなーと実感させられた。

 これが「アイデア」で、「小説家ならでは」だというのなら、最早彼は文筆業を辞めるべきであろう(もっとも私は石原慎太郎の小説なんてくそ食らえだけれど)。まだ小泉の方がましだ(もちろん目くそ鼻くその類だが・・・)。
文化は本物があってこそ人々の心を奪うのである。日本橋は今の日本橋にあってこそ(日本橋が移動したことがあるのかないのか正確な研究史は知らない。是非とも「江戸時代研究の休み時間」の高尾善希さんにご登場いただいてご教示願いたいのだが・・・)、日本橋なのではなかろうか。

 高松塚古墳の解体やら、キトラ古墳の剥ぎ取りやら、文化財の保存に関しては問題の多い今日この頃であるが、これほど安易に移転を唱え、それをマスコミが支えるとは、本当に情けない!!

 一昨年の暮れに韓国ソウルを訪れた時に一番驚いたのは「遺跡整備のために首都高速道路を移転したことだ」ということは以前に書いたことがある。宮城の堀を利用して建てられていた高速道路の橋脚を(つまり高速道路そのものを)移設し、美しい堀を再現する!と公約して立候補したソウル市長が当選し、実際に移設にかかっているのである。そのため、現在のソウル市内は交通大渋滞!でも市民はソウル市長を支持し続けている。

 まさに石原と正反対。でも東京都知事選でソウル市長みたいなことを言ったらきっと落選するでしょうね。今の日本のマスコミはもちろんのこと、首都民の文化程度の低さからみれば・・・。

 実はおとついの昼に四日市の久留倍遺跡の保存整備検討委員会が開かれた。出てくる話は「史跡」を勝ち取った成果ばかり。両山中(私と奈文研の)以外、遺跡のど真ん中を高架道が走ることに異を唱えない。もう諦めているのだ。
 その上で、久留倍遺跡と高架をどのようにマッチさせて市民に親しまれる遺跡公園として守り、活用していくかを考えろと言う。

 そんなことできるわけがない。しばらくは物珍しさも手伝って、来る人もいるだろうが、そのうち、暴走族のたまり場、不良の夜遊びの格好の場と化すに決まっている。本当にこの遺跡を市民のものとするつもりなら、もっともっと周辺の環境、歴史的・自然的・文化的環境を総合的に考慮した復原整備案としなければならない、と主張した。

 県の偉いさんもいらっしゃっていたので、県として、四日市に任せるのではなく桑名頓宮の有力候補地・縄生廃寺から四日市の久留倍遺跡、鈴鹿の国府・国分寺、関の鈴鹿関、伊賀国府・国分寺・石山古墳・城越遺跡・美旗古墳群等々・・・と歴史街道全体をどのように整備活用するのかを考えるべきではないのかと申し上げた。今や歴史遺産の保存は遺跡そのものをポツンと孤立的に残すのではなく、周辺の環境を含めて総合的な対策を立て、市民生活を人間らしくするために活用する時代になっていると思うからだ。

 日本橋が高速道路の下にあるのなら(行ったことがないので現状は知らないが:今度東京に行ったら訪ねてみよう!)、東海道を行き交った旅人の気持ちを思い起こせる保存、整備を心がけるべきだし、少なくとも新聞記者は、これを否定する発言をした知事をたしなめ、対案を書くくらいの度量があってしかるべきなのではないだろうか。

 まだ明日の口頭用原稿が途中なんだけれどつい覗いてしまったasahicomの体たらくに怒り、またまた貴重な時間を割いてしまった。アー明日大丈夫かしら?

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (小林信也)
2006-01-25 01:05:53
お久しぶりです、山中さん。

山川の「都市社会史」でご一緒させていただいた小林信也です。まだ覚えていただいてますでしょうか?

自分のブログで、日本橋再生問題について記事を連載しました。とりあえず、初回連載の記事にトラックバックを引かせていただきました。よろしければ、連載記事をご笑覧くださいませ。
Unknown (高尾)
2006-01-25 08:22:04
 リンクありがとうございます。折角お呼び頂いたので一言。

 日本橋の位置についての正確なところはよく知りません。ただ、日本橋は何度も焼け落ちていますが、東海道の道筋を基準に架橋すること、川岸にコの字型に突き出た橋の台をつくることなどから、江戸時代を通じてほぼ位置は変わっていないのではないかと思います。



 日本橋を移そうという案。わたし自身は都の職員ですが、職制的にはそうむ局に属し、実はI氏直属の”足軽”ともいえる立場です。直接お会いしたことはありませんが、たしかに毎年I氏の辞令を頂きます。けれども、わたしたち下々にとって、上のお考えはとんとわかりませんし、ふだんは関わり合いの薄いことです。

 そもそもI氏は日本橋を物理的な意味でのモノとしか認識していらっしゃらないようですが、日本橋は東海道の基点という「その場所」にあることにこそ意味があります。したがって、たとえば明治村に建築物を移築することと同じように、ほかの場所に移せるかどうかは疑問でしょう。現実は小説家の小説のようにフィクションではありませんので。

 もちろんこれは議論にも値しないことですが、ただこのI氏の発言には、―I氏のキャラクターもさることながら―、文化財というものにたいする身も蓋もない現代人的認識も垣間見えているような気がして、そういう意味で「おもしろい発言」だと思っています。
Unknown (山中章)
2006-01-25 23:05:46
小林さん、本当にお久しぶりです!

高尾さん、さっっそくありがとうございました。



 今夜中にしなければならない仕事があるので詳しくは後日、ブログ本文で書きますが、まず、予想通り(明確な自信がなかったので-つまり地理学的・考古学的所見の確信-日本橋そのものについてひょっとして別に有力な場所比定地があるのかと疑ったのですが)現橋が江戸時代の日本橋であることがよく分かりました。



 そこで次は景観です。小林さんのお考えはよく分かりました。高速道路だけを撤去しても日本橋の景観がさほどかつての日本橋に戻るわけがないというのは(実際に行ったことがない私でも小林さんの説明で)何となく理解できます。



 ご承知かも知れませんが、ソウルでは、高速道路だけでなく、まさにソウルオリンピックの際にいろいろな施設を造るに際して、きちんと発掘調査をし、選手村予定地から発見された夢村土城は完全に保存修復、修景し、選手村は遺跡の外に急遽出すという大胆な対応をしています。その後北側に所在が確認されている風納土城についても城内にある公共施設はもちろん民間施設も徐々に城外に出し、遺跡の再現に努めています。そもそもここから歴史や文化に対する為政者達の認識が違います。もちろんそうした為政者を選ぶ国民のきちんとした歴史教育が前提としてあるように思えます。



 王制を廃止した韓国が、歴史を客観化してみることができるのに対し、依然として王制の続く日本では、これができないために、政治姿勢の違いと無関係に政治家は基本的に文化や歴史に無理解であるのだと思っています。



 日本橋上空にある高速道路を移動するために何千億ものお金を投資するくらいなら今の日本橋を木造にすべきというのはなるほどなという気もします。ただ地方にいる私としては、今なら残せる歴史・文化・自然環境を発見された歴史遺産を起点にして今の内になんとか保護し、これまで失敗を繰り返してきた日本の遺跡保存のあり方を見直して、より広範囲な市民を巻き込んで、歴史・文化・自然環境保護ネットワークを形成することは絶望的な東京の景観問題に小さな穴を開けることになるのではないかと夢想しているところです。



 四日市の久留倍遺跡を核にして取り組み始めている歴史・文化・自然環境保護の小さな活動(今のところほとんど歴史環境保護に偏っていることは事実ですが、実は構成メンバーには多くの歌会のメンバーや地元の文化サークルのメンバーも入っています)はその第一歩と位置づけています。



 2月11・12日にはその第4回シンポと第2回「壬申の乱ウオーク」、遺跡現地見学会を行います。全国の皆様、四日市というと公害しか思い浮かばないと思うのですが、歴史・文化もなかなかのものですよ!一度お越し下さい。



 (まだまだ小林さんのブログに展開されている日本橋景観問題に関する提議には十分コメントできませんが、取り急ぎ御礼と身近なコメントを認めました。この窮状を脱したら、ブログに再び書き込みますので、今後ともよろしく!都市社会史をご一緒させていただいた皆様にもよろしくお伝え下さい。つい先日行った考古学研究会関西例会ではもう一度、都市史研究の原点に立ち返って、「山崎」を分析してみました。形にしようと現在準備中です。)

Unknown (高尾)
2006-01-26 09:13:00
 前にも申し上げたかどうかは忘れましたが、わたしの出身は千葉県ですが、父と母の出身地は三重県四日市市で、いちおう四日市宿高尾家の一族です。母方の実家も四日市市生桑町です。

http://takaoyoshiki.cocolog-nifty.com/edojidai/2005/03/36.html



 わたしの幼い頃にくらべ、四日市市もずいぶんおおきい町になりました。道路が整備され、田圃がつぶれ、住宅や飲食店が多く建ちならんで、どういうふうに町づくりをするのかという意味で、何処もおおきな転換点にきているのではないかと思います。久留倍遺跡のご活動もとても興味があります。



 ところで四日市市史編纂室はどうなりましたか? 2年前くらいまえ閉鎖直前の編纂室にお邪魔して個人的な調査をさせて頂いたことがあります。あそこには貴重な史料のコピーがあり(既に現史料が紛失したものもある)、全国でも珍しい公害史料がありました。当時何処のセクションが面倒をみるのかもめていたように記憶しているのですが、もしもいまだに宙ぶらりんになっていたとしたら問題です。あの編纂室の存在はたいへん貴重ですので。
Unknown (小林信也)
2006-01-26 14:52:48
 山中さん、こちらこそ、よろしくお願いします。

日本橋再生問題へのご意見、楽しみに待っております。

 なお、念のため申し上げますと、「今の橋を壊して、木造にすればいい。」っていうのは、本心からではありません。

 どうせインチキな「再生」事業やるなら、こっちの方が観光客がきて儲かるかもよっていう皮肉のつもりで書いてしまいました。すみません。

 今ある石造りの橋にも、近代建築としての価値はあると思っています。

 お書きになられたソウルとの比較は興味深いです。ソウルにはまだ行ったことがないのですが、ぜひ一度、自分の目で見たいと思っています。

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