yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

高橋さんとの思い出-7  最後の手紙の条

2006-12-27 13:49:04 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
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 明日から急遽5日ほどベトナムのハノイへ行くことになりました。帰国は1月2日の早朝です。つまりもうブログは今日が最後ですので、高橋さんからの最後の手紙をご紹介して一応の区切りとしたいと思います。でもこれからも時々思い出しては書こうと思っています。まだ私は高橋さんとお別れしたくありませんので。

山中 章様

 残暑お見舞い申し上げます。
・・・
 私の方は、四月に退職して以来、サンデー毎日の生活をしています。暇になるだろうと考えていたのですが、療養の合間に在職中にできなかった宿題をぼつぼつこなしているうちに、あっという間に秋になってしまいました。まずは、病持ちながら悠々自適の生活を送っています。
 さて、在職中に書いたものなどが送られてきましたので、抜き刷りのコピーを送付いたします。一つは、・・・・
・・・・・・・
 もう一つは兵庫県上郡町の落地遺跡(八反坪地区)の報告書に書かせていただいた「落地遺跡(野磨駅家)と古代の山陽道」です。・・・・・・
・・・・・・・・・私の寄稿論考は古いもので、しかも今までの主張の繰り返しですが、落地遺跡がなぜ野磨駅であるのかということを述べた私の駅家研究の原点に当たるもので、愛着のある遺跡での成果ですので敢えてお送りすることにしました。ご笑覧下さい。
 ブログで鈴鹿の関に挑戦しておられる様子を楽しく拝見しています。また、築地の遺構に当たって奮闘されていることに興味を抱きました。落地遺跡の瓦葺きの駅の遺構(飯坂地区)にも、見事な築地が残っていました。その報告書が余分にありますので、送付いたします。その評価などについてはかつてお送りした「駅家の構造」をご覧いただければ幸甚です。中国の例などから関と駅家の築地(城壁)の意味のようなものを考えたものです。
 2006.9.6
                                高橋美久二


 お便りをいただいたときは鈴鹿関の発掘調査の真っ最中でした。本来ならご指導をお願いをするところ、お身体のこともあるので、あまり無理をしてもらわないようにとりあえずお便りにあるようにブログできちんと書いて、まるでその場で見てもらっているように記録しよう!と、肝に銘じたものです。しかし、せめてお礼の電話をしておけば良かったと、今頃になって後悔するのです。本当に申し訳ありませんでした。高橋さんのご指摘のように、駅や関の交通の機能ばかりが強調されますが、落地遺跡や鈴鹿関をみているとこれらがいざというときの軍事施設として機能することが十分想定されていたことがよく分かります。

 それだけに、直接お伺いしてご指導を賜れば良かったと、これまた後悔ばかりがよみがえってきます。

 有り難うございました。私は高橋さんがあちらに行かれたとは思いたくありません。これからも毎年、年次報告をお届けいたしますので、是非あちらからメールいただきたくお願い申し上げます。明日からのハノイではタンロン宮殿の社稷壇と南郊殿を掘っているようなので急遽見に行ってきます。詳しくは帰国後に報告いたします。皆様良いお年を!!


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